辞書評論

学習辞典に新機軸
『Eゲイト英和辞典』と『ウィズダム英和辞典』

山岡洋一


  毎年、この時期には新しい辞書が登場する。もちろん、新入生の市場を狙っているからだ。翻訳を職業にしている関係で、新しい辞書がでると、少なくとも検討はしてみる。そしてかなりの比率で買う。たぶん、辞書を買う人は多いだろうから、自分が買った辞書について感想を伝えれば、役立つこともあるだろう。最近入手した新しい辞書を紹介しよう。

『Eゲイト英和辞典』 - 基本的語義に注目

 最近買ったなかで、いちばん面白いと思ったのはベネッセコーポレーションの『Eゲイト英和辞典』だ。2000ページほどの学習辞典で、高校生向けなのだろう。だから、そもそも翻訳に使えるようにはできていない。実務にも適しているとは思わない。だが、いくつか面白い新機軸がある。英和辞典の将来の方向を示しているとも思える。

 新機軸のなかでとくに目立つのは、「コア」という部分だ。重要な語には発音記号の後に、「コア」がおかれている。凡例によれば、「その単語の中核的な意味や機能を表したもの」であり、要するに基本的な語義である。いくつかの単語ではコアのイメージをイラストで示している。

 イラストをここに示すわけにはいかないので、興味をもたれた方には、近くの書店で立ち読みし、まずonの項を見てみるよう勧める。「…に接触して」とあり、上、下、横に物が接触しているイラストがある。これならonの意味が分かると思えるはずだ。

 もうひとつ、nextの項を見るようすすめたい。イラストで、next weekとthe next weekの違いを見事に説明している。以前にくわしく分析したが、the next week [month, year]、the last week [month, year]の意味を矛盾なく正しく説明した英和辞典はほとんどない。『Eゲイト英和辞典』は正しく説明し、しかもイラスト入りで誤解のない形で示している。

 もちろん、語の基本的な語義をイラストで示す方法は、この辞書がまったくはじめてというわけでない。たとえば、政村秀實著『図解英語基本語義辞典』(桐原書店、1989年)はまさにそういう辞書だ。しかし、本格的な英和辞典にこの方法が使われた例は、他に知らない。そして、前置詞や動詞を中心に、この方法がすぐれていることは、たぶん、いくつかの例を見ると一目瞭然だろう。今後の英和辞典はおそらく、基本的語義を示し、必要応じてイラストを使う方法をとるようになるだろう。

 要するに、『Eゲイト英和辞典』は英和辞典のあるべき方向に一歩踏み出したものだと思える。ただし、一歩だけであることも記しておかなければならない。前述のように、この辞書が翻訳に使えるとは思わないし、実務にも使えるとは思わない。

 なぜそう思わないのか、理由はいくつかある。最大の理由は、「コア」に記された基本的な語義が簡略化されすぎていることだ。たとえばrecordの「コア」には「記録」としか書かれていない。基本的な語義に意味があるとすれば、英語の語の意味をイメージとしてとらえられるようにするときだけだろう。日本語の語に置き換えるだけなら、豆単か出る単で十分だ。

 もうひとつ、おそらく編纂や執筆に苦労された方に失礼にあたるかもしれないが、紙面が乱雑でみにくい点をあげておきたい。二色刷りにしたこと、重要語については見出し語に大きな活字を使ったこと、上下左右の空白を減らしたことなど、良かれと思って採用した方針が裏目に出たのだろう。紙面が美しくないというのは、本でも辞書でも致命的な欠陥だと思う。

『ウィズダム英和辞典』 - コーパスを活かせるか

 もうひとつ、三省堂の『ウィズダム英和辞典』も学習辞書なのだろうが、やはり新しい点があり、英和辞典の将来の方向を示していると思える。

 この辞書の新しい点は、コーパス言語学の方法を編纂段階から使ったと主張していることである。ここ数年、コーパスという言葉は新しい英和辞典の宣伝に決まり文句のように使われるようになったが、たぶん、編纂の方法まで変えたと主張したのは、この辞書がはじめてだろう。

 コーパスとは要するに、全文データベースだと思えばいい。辞書を編纂するときはまず膨大な文書から用例を収集し、それに基づいて語義を書いていくのが常識だ。以前は、用例をカードに書いて蓄積した。コンピューター技術が進んだので、カードを書く代わりに、大量の文書や会話の記録などの全文をコンピューターに入力して検索する方法がとれるようになった。このデータベースがコーパスであり、それを利用した言語研究がコーパス言語学だと考えておけば、当たらずといえども遠からずといえるだろう。

 カードで用例を収集するのは大変な労力がかかる。コンピューターを使えばもっと早く、低コストで用例収集ができるはずだと思える。だが、実際には問題はそこからだ。資料がいくらあっても、分析し執筆するのは人間だ。分析が甘ければ、コーパスは何の役にも立たない。もっとも、宣伝文句になるので、出版社にとってはありがたいかもしれないが。

 コーパス言語学の方法を編纂段階から採用した結果、これまでと違う辞書ができあがったのだろうか。その点は、何とも言いがたい。新しい方法を採用したからといって、成果がすぐにでてくるとはかぎらない。おそらく、今後に何回か改訂をくわえ、別の目的の辞書(たとえば大辞典など)の編纂にも同じ方法を使っていけば、いずれ、これまでのものとは大きく違う辞書ができるだろう。

 そのような意味で、『ウィズダム英和辞典』は将来が楽しみな辞書だといえるかもしれない。だが、それまでの間、データベースを公開し、利用方法を教える方が有益だし、簡単なのではないかとも思う。