名翻訳家







矢川澄子訳『鏡の国のアリス』は素晴らしい

山岡洋一


   翻訳は意味を伝えるだけのものではない。訳者が違えば、まったく違った訳文になり、まったく違って読める場合がある。

 この点を実感するには、原文を読んで自分なりの訳文を考えた後に、複数の翻訳をくらべてみるといい。たとえば、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の第一章はこうはじまっている。原文と2種類の翻訳を紹介しておこう。
 

  One thing was certain, that the white kitten had had nothing to do with it: - it was the black kitten's fault entirely.  For the white kitten had been having its face washed by the old cat for the last quarter of an hour (and bearing it pretty well, considering); so you see that it couldn't have had any hand in the mischief.

  ひとつだけ確かなのは、白の子猫はなんの関係もなかったということだ--みんな黒の子猫のせいだった。白の子猫は十五分前からずっと、親猫に顔をきれいにしてもらっていた(しかも、わりとよくがまんして)。だから、いっしょになっていたずらを仕出かしたはずがない。(柳瀬尚紀訳、ちくま文庫)

 ひとつだけたしかなのは、白い子猫はなんにも関係ないってことだ。なにもかも黒い子猫のせいだったんだよ。だって白いほうはもう十五分もまえから親猫に顔をあらってもらってたんだから(またずいぶん辛抱づよいことだ)、おいたの片棒かつげるわけがないだろう。(矢川澄子訳、新潮文庫)


 原文の意味を伝えるという点ではほとんど差がないが、印象はたいぶ違う。黙読ではなく、朗読してみると、印象の違いがもっとはっきりする。柳瀬訳も悪くはないが、矢川訳の方がはるかに鮮明に物語が伝わってくるはずである。

『鏡の国のアリス』なら原著も訳書も手に入りやすい。原文を読み、柳瀬訳を読み、矢川訳を朗読してみると、翻訳しだいでなんと違うものかと思うはずだ。矢川訳には、お兄ちゃんが女の子にお話をしている、そういう原著の雰囲気がみごとにでていることにおどろくはずだ。あの柳瀬尚紀の訳が平凡に感じられるほど、矢川澄子の訳は素晴らしい。