エッセイ 言葉の裏側
津森優子
翻訳できない言葉こそおもしろい(2)

 
 本誌2005年8月号で、「翻訳できない言葉こそおもしろい」と題して、日本語に訳しにくいが、その精神を取り入れたい言葉をいくつか紹介した。

 そのひとつがcount one’s blessingsだった。なにか悪いことがあったときに、自分の恵まれている点を数え上げて自らを慰める言葉だ。これがすっきりとひとことで表せないと 書いたのだが、先日テレビを見ていて、ぴったりの訳語に出会ってしまった。

 美輪明宏が人生に役立つ心構えをいろいろアドバイスしているなかで、「幸せの数を数える」と言ったのだ。人は不幸の数ばかり数えがちだが、幸せの数を数 えるべきなのだと。健康でいる、戦争がない、家族がいる、それだけでも三つの幸せ。

 count one’s blessingsというフレーズを念頭にそう言ったのかどうかはわからないが、外国語に堪能な彼(彼女?)のことだから、聞いたことはあるのだろう。そ れにしても、さらりと語呂のいい日本語で表現されている。

 あえてひとことで訳すなら、とは言ったものの、前稿で「恵みを数える」などと訳してしまった自分が恥ずかしい。blessingsの複数形は「恵み」と いう名詞だけでは伝わらない。「〜の数を数える」とすることで、日本語としてずっと自然なひびきになる。

blessingsの訳語も、「神からの恵み」という観念になじみの薄い現代の日本人には、「幸せ」のほうが受け入れやすいかもしれない。もちろん、日本 古来の「天からの恵み」という考えに立ち返り、感謝をするのもよいだろう。

 
 count one’s blessingsの名訳を報告したついでに、もうひとつ、訳しにくいけれど、いい言葉を紹介しよう。

 あるオーケストラの演奏会でサントリーホールを訪れたときのこと。休憩時間のロビーでは、ワインなどの飲みものを求める客がごったがえしていた。

 そこで目にした若い西洋人カップルの男性が、女性にこう声をかけた。“Would you like to have a drink, or would you like some fresh air?” 女性は小声でなにか答えて彼の腕を取り、二人はドアの外の涼しげな広場へ出ていった。

 そのとき、はっとした。fresh airは、ワインやシャンパンに並ぶ選択肢として提供されるだけの、価値あるものなのだ。日本語でfresh airにあたる言葉はあるだろうか。「新鮮な空気、おいしい空気、いい空気」……どれも、あまり日常的には使わない。

 それに対し、英語ではよく「ちょっと外に出てくれば」という意味で “Why don’t you get some fresh air?”といった言い方をする。 

 日本人、少なくとも現代の都会に生きる日本人は、空気がfreshかどうかに、無頓着になってしまっているのではないか。fresh airにあたる言葉が身近にないために、それを求めることを忘れているのではないだろうか。本当は気持ちよく健やかに暮らすために、欠かせないものなの に。

 海や山へ出かけたときだけ「空気がおいしい」と喜ぶのではなく、日常生活でも、もっとfreshな空気にふれ、ささやかな喜びを増やしてはどうか。都心 でもその気になれば、空気のさわやかな公園などがあるものだ。

 また、会議なので「よどんだ空気」のなかにいなければならないときなど、休憩中に窓を開けるか屋外へ出るかして、会議室よりfresh な空気を吸えば、コーヒーを一杯飲むのに匹敵するくらい、リフレッシュ(refresh)するはずだ。

 朝起きて一番に窓を開け、朝の新鮮な空気を部屋に満たすのも日課にしたい。おなかの底から深呼吸すれば、もやもやした思いまで吹き飛んでいきそうだ。

 『魔女の宅急便』(角野栄子作)では、仕事の依頼がまったくなく、ふさぎこんでいた主人公のキキが、閉めきっていた窓を開けはなす。窓からは春の風が入 り、それをきっかけに仕事が舞いこみ、新しい街での生活が軌道に乗っていく。

 作者は自身の経験から、この窓を開ける場面を描いたというが、物語を読んだ多くの読者から、自分も窓を開けたのをきっかけに道が開けていったという便り が届いたそうだ。窓を開け、いい空気を招き入れる行為には、そうした不思議な力があるのかもしれない。

 そんな力を秘めたfresh airを、英語だけのものにしておくのはもったいない。日常のなかで、もっと意識して取り入れてみてはどうだろうか。

(2009年10月号)