私的ミステリ通信 (最終回)
 仁木 めぐみ

新旧ミステリの女王

  昨年6月号から始めさせていただいた「私的ミステリ通信」、途中何度かお休みをいただいたこともありましたが、おかげさまで10回の連載を 終えることができました。今回はおまけの1回ということで、未訳のミステリの紹介という枠を離れて書かせていただきます。

☆        ☆

 ここに一冊のペーパーバックがあります。Randomhouse Modern Library Classics版の The Mysterious Affair at Styles、そう、アガサ・クリスティの『スタイルズ荘の怪事件』(田村隆一訳・ハヤカワミステリ文庫/田中西二郎訳・創元推理文庫)の原書です。クリ スティといえば紹介の必要もないほどの大御所、今なお人気が衰えない「ミステリの女王」です。
 クリスティをTVドラマの名探偵ポワロやミス・マープルでご存知の方も多いでしょう。抜群の知名度を誇るクリスティは60編以上の長編ミステリを書いた 多作家ですが、その作品に「はずれ」がありません。また、平明でリズムのある文体であり、ミステリマニアならずとも気軽に楽しめる作風であるという二つの 点でクリスティを抜ける者はいまだにいないかもしれません。
 そして気軽に楽しめるからといってあなどってはいけないのが、謎の面でのクリスティの実力です。近代本格ミステリで初めて、ということをたくさんやって いるのです。代表作でもある『アクロイド殺し』(田村隆一訳・ハヤカワミステリ文庫/『アクロイド殺害事件』大久保康雄訳・創元推理文庫)、『オリエント 急行の殺人』(長沼弘毅訳・創元推理文庫/中村能三訳・ハヤカワミステリ文庫)、『そして誰もいなくなった』(清水俊二訳・ハヤカワミステリ文庫)の三作 の奇想天外で斬新な犯人像は、それぞれ当時の人々をあっと言わせました(どう斬新かはここでは書けません)。あまりのトリッキーさに「フェアかアンフェア か」という論争を巻き起こしたほどです。
 クリスティ人気はいまだに衰えることがなく、百カ国以上で翻訳され、シェイクスピアの次にたくさん本が売れた作家だと言われています。もちろん日本でも 未訳作品が皆無なほどの人気ぶりです。現在、早川書房から「クリスティ文庫」としてまた改めて出版されていることをご存知の方も多いことでしょう。
 そしてこの『スタイルズ荘の怪事件』は1920年に発表された彼女の処女作であり、名探偵ポワロ登場の作品でもあります。物静かな村にあるスタイルズ荘 で起こる密室殺人事件を描いたミステリであり、名探偵には欠かせないワトソン役、ヘイスティングス大佐もこの第一作からちゃんと登場しています。
 しかし邦訳が何種類も出ているこの作品のペーパーバック版をなぜここで取り上げるのかというと、エリザベス・ジョージが序文を書いているのです。

☆        ☆

 エリザベス・ジョージは、アメリカ人の女流作家でイギリスを舞台にした本格ミステリを書いています。重厚な作風で知られ、発表する作品はみなベストセ ラーリストに入る人気作家であり、「新ミステリの女王」と呼ばれています。また最近A Moment on The Edgeという古典から現在に至るまでの女性作家による短編ミステリのアンソロジーを編んだほど、古今のミステリに造詣の深い作家でもあります。(ジョー ジのミステリについては、第4回「エリザベス・ジョージ」で紹介していますので、くわしくはそちらを ご参照ください)。

☆        ☆

 この序文でジョージはまず、ミステリの歴史はイソップからだという、ドロシー・L・セイヤーズがアンソロジーThe Omnibus of Crimesのために書いた序文を紹介し、その次に自分にとっての初めてのミステリ(聖書に出てくる脅迫と偽証とその謎解きの話です。いかにもジョージら しいですよね)を紹介し、そして、20世紀のミステリの基礎を作った人物としてクリスティを紹介しています。
 『スタイルズ荘・・・・・・』の内容を(ネタバレしない範囲で)、丁寧に解説したあとで、ジョージは(さらに丁寧に)こう分析しています。クリスティは この作品でその後のミステリの型を作った、と。まず別荘などの屋敷で犯罪が起こるという設定(日本でいう「館もの」ですね)、密室、そして赤いニシン (Red Herring)、つまり犯人が残す偽の手がかり・・・・・・。
 クリスティのミステリの構造があきらかになるとともに、ジョージの性格の丁寧さと生真面目さがうかがえる分析です。
 それからジョージにしては意外な文章もあります。

 In this kind of detective fiction, all extraneous material is removed. Hence, we will see no romantic interludes, no messy involvements, and no lengthy descriptions. There will be no deep philosophical reflections on the part of the narrator. There will be only the murder, ensuing investigation, the suspects, their motives, and the mystery.
 こういったタイプの探偵小説においては、本筋に関係ない要素はすべて排除されている。ロマンチックな幕間劇も、複雑な男女関係も、くだくだしい描写も出 てこない。語り手が深い哲学的思索を披露することもない。そこにあるのは、殺人と、それに続く捜査、容疑者たちとその動機、そして謎、それだけだ。

 現代のイギリス社会の実情と登場人物一人一人の心情をどこまでも詳しく描くジョージの言葉だと思うと、不思議な気がします。
 しかし、次の文章を読むと、ジョージがどれだけクリスティのテクニックに感嘆しているかがわかります。

 The key to the success of this style of detective novel lies in how the author deals with both the clues and the red herrings, and it has to be said that no one bettered Agatha Christie at this game.
 こういうスタイルの探偵小説が成功するための鍵は、本当の手がかりと偽の手がかりを作者がいかにうまく扱うかにかかっているが、この点において、アガ サ・クリスティに勝てる者はいないと言わなければならない。

 ジョージはクリスティとは全く方向性が違うように見えますが、最終的に目指しているものは実は同じなのかもしれません。この文章は新ミステリの女王が元 祖ミステリの女王に捧げた最高の賛辞だと思います。

☆        ☆

 この序文の中で私は次の部分が一番好きです。

 We are instead given a light entertainment to keep mind occupied while the body engages in an airplane ride, sunbath on the beach, a wait for the doctor, a tale before bed.
 そのかわり、飛行機の中や海辺での日光浴や病院で順番待ちの間や、ベッドに入る前の読書の時に私たちを夢中にさせてくれる軽いエンターテイメントなの だ。

 クリスティ的古典ミステリの古きよき謎解きから、現代のジョージのような容赦ない迫力に満ちたミステリまで、どんなタイプのものでも、ミステリは私たち を現実ではない別の世界へと連れて行ってくれるエンターテインメントです。殺人や犯罪という非日常的な事柄を扱っているからこそ、それだけ目の前の現実を 忘れさせ、人を引き込み、驚かせ、時には感動させ、最後には謎が解けた爽快感を与えてくれるのです。この楽しみは一度覚えてしまうと病みつきになります。 私事で恐縮ですが、私は初めて読んだ大人用のミステリ、『そして誰もいなくなった』で病みつきになって以来、いまだにその病が治っていませんが、今のとこ ろ治すつもりはありません。

☆        ☆

 「私的ミステリ通信」は、これをもちまして終了させていただきます。ここまでおつきあいいただきましてどうもありがとうございました。