私的ミステリ通信 (第7回)

 仁木 めぐみ

猫 は・・・・・・?

  猫には不思議な力があるといいます。背を丸め、目を細めて、遠くを見つめているその姿は、まるで深遠な思索に沈んでいるように見えることが あります(本当はぼーっとしていて、何も考えてないのだと思いますが!)。古代から猫は神秘の象徴であり、エジプトでも北欧でも神とあがめられていまし た。化け猫や魔女の使いといったおどろおどろしい役回りをつとめることもあり、まさにミステリアスな雰囲気を持っています。
 当然、ミステリに猫は欠かせない存在です。横溝正史の『本陣殺人事件』(角川文庫ほか)や仁木悦子の『猫は知っていた』(講談社)のように、猫が事件の キーポイントになっている場合もありますが、頭のにぶい人間たちをさしおいて、堂々と探偵役をつとめる賢い猫もいます。
 日本では赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズが有名です。海外でもリタ・メイ・ブラウンのトラ猫ミセス・マーフィーシリーズ(正確にはリタ・メイ・ブラウ ンとその飼い猫のスニーキー・パイ・ブラウンの共著ということになっています)や、ドイツ在住のトルコ人アキフ・ピリンチの雄猫フランシス・シリーズ(ピ リンチはサイエンス・ライターのロルフ・デーゲンと共に『猫のしくみ―雄猫フランシスに学ぶ動物行動学』という本も書いています)などがすぐ思い浮かぶと ころでしょう。
 しかし、猫探偵といえば、今回ご紹介するリリ アン・J・ブラウンのシャム猫ココ・シリーズを忘れるわけにはいかないでしょう。

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 リリアン・J・ブラウンは実際にココという名のシャム猫を飼っていて、その猫を失った悲しみから、ココが登場する最初の短編ミステリを書いたといいま す。その短編はエラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン誌に掲載され、エラリー・クイーンにすすめられて長編を書きはじめました。こうして1966年に ココ・シリーズの長編第一作『猫は手がかりを読む』(羽田志津子訳・ハヤカワミステリ文庫)が刊行されました。『猫はソファをかじる』(羽田志津子訳・ハ ヤカワミステリ文庫)、『猫はスイッチを入れる』(羽田志津子訳・ハヤカワミステリ文庫)までは年1冊のペースで続いて刊行されたのですが、4作目の『猫 は殺しをかぎつける』は完成していたものの、出版社側が出版をとりやめ、長らくお蔵入りになっていました。この作品が日の目を見たのはなんと20年近く たった1986年でした。しかし刊行されるやいなや大好評を博し、シリーズは再開しました。そしていまや長編26作を数える大シリーズになっているので す。

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 ココ・シリーズの魅力はまず何と言っても、猫の行動の描写の的確さです。猫好きなら誰しもまさに「ハートをわしづかみ」にされてしまうような猫の愛らし い仕草や、気まぐれで、自分勝手で、でもどこかさみしがりやな習性を、愛情のこもった筆致で描いています。
 猫好きというのはどこか屈折した人種なのか、猫に振り回されているのをわかっていながら、それを楽しんでいる人が多い気がします。ココの飼い主、元新聞 記者のジム・クィラランも例外ではなく、嬉々としてココに振り回されています。事件に巻き込まれるのも、真相を解明するのも、みなココの胸先三寸のように 見えなくもありません。いくら賢くても人間の言葉が喋れるわけではないので、ココは鳴き声や仕草で、クィラランにそれとなくヒントを出したり、捜査に必要 な場所に連れて行くように仕向けたりしています。そしてもちろん事件に関係ない部分でも(贅沢な食べ物がほしいとか、同居猫がほしいとか、嫌いな客には 帰ってほしいとか・・・・・)クィラランを軽々と操縦しているのです。
 私事で恐縮ですが、我が家にも一匹猫がおります。ココのような頭脳明晰な探偵猫というわけではないのですが、人間の操縦術はなかなか堂に入ったもので す。元々猫が好きではなかった人まで、彼女(雌なのです)につぶらな瞳でじっと見つめられたり、ちょっと首をかしげてか細い声で呼びかけられたりしている うちに、いつの間にか必死で機嫌を取るようになっているのです。猫に魅了されてしまった人というのは言葉遣いでわかります。必ず「猫が近くで寝てくれてい る」とか「目の前であくびをしてくれた」とか「足にすりすりしてくれた」とありがたそうに言うからです。そんなに自分に馴れてくれたのか、とうれしくなっ てしまうのでしょう。猫はただ単にのんびりしているだけなのに。そして猫のためにドアを開けたり、寒くないように暖房をつけてやったり、ついつい猫につく してしまいます。ここまでくるともう猫の術中にはまっていて、逃れることはできません。そういう私が一番メロメロになっているのですが・・・・・・。

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 脱線はこのくらいにして、シャム猫ココのデビュー長編『猫は手がかりを読む』を紹介しましょう。元新聞記者のジム・クィラランは豊かな口ひげをたくわえ た四十代の魅力的な独身男性です。かつては賞を取るほどの敏腕記者であり、犯罪実録の著作もありましたが、アルコール中毒と離婚という苦い過去があり、そ の時期に仕事も信用も失ってしまっていました。そんなクィラランがもう一度新聞の仕事をしたいと、中西部の大都市にあるデイリー・フラクション紙を訪ねる のがこの作品の冒頭のシーンです。
 屈折した思いと緊張を抱えながら、自分よりはるかに若い編集長の面接を受けます。そこでもらった仕事は美術欄のコラムでした。全くの門外漢であるクィラ ランに美術展をめぐったり、芸術家に会ったりして、新鮮な切り口でコラムを書いてほしいという依頼でした。気が進まないまま仕事を始めたクィラランは、気 難しい美術評論家マウントクレメンズに出会います。そしてなぜか気に入られ、マンションの一室を貸すかわりに、自分が留守の間の猫の世話をしてほしいと頼 まれるのです。部屋探しに困っていたクィラランは引き受けます。これがクィラランとシャム猫ココの出会いでした。
 ココは正式な名前をカウ・コウ・クンといい、出会いの時からクールで思慮深げな目をした猫でした。マウントクレメンズは、ココの知的なたたずまいを愛 し、この猫は毎日新聞を読んでいるのだとクィラランに語りました(ただし、文字を左からではなく右から読んでいるようでしたが)。
 やがてマウントクレメンズはマンションで、何者かに殺害されてしまいます。飼い主を失ったココを預かったクィラランは、猫に導かれるままに、事件の真相 を解明していくことになるのです。ラストでは二人(?)で協力して犯人を捕らえ、そしてクィラランはココと暮らしていくことを決意したのでした。

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 その後、第2作『猫はソファをかじる』で、クィラランとココの男性コンビに、ヤムヤムというかわいらしい雌のシャム猫が加わり、華を添えます。気高く思 慮深いココとは違い、ヤムヤムは人なつっこく甘えん坊でいたずら好きです。ヤムヤムがクィラランの膝にのぼってきて、胸に片方の前足をかけ、もう片方の前 足でクィラランの口ひげを不思議そうにそっと触っているシーンは、たまらなくかわいらしいものです。

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 第5作『猫はブラームスを演奏する』(羽田志津子訳・ハヤカワミステリ文庫)で、クィラランは思いがけなく巨額の遺産を相続することになります。ただし それには「どの街からも四百マイルは北にある」ムース郡という田舎町に住まなければならないという条件がついていました。大都市での生活を謳歌し、新聞記 者の仕事にやりがいを感じていたクィラランは大いに悩みますが、結局ムース郡に住む決心をします。こうしてシリーズは第6作『猫は郵便配達をする』(羽田 志津子訳・ハヤカワミステリ文庫)から、カナダ国境近くの町に舞台を移し、扱う事件も大都市の犯罪から小さな町ならではの人間関係の中で起こる事件へと変 わっていきます。
 邦訳ではこの2冊を飛ばして、第7作を先に出してしまったため、当時、日本の読者にとっては、クィラランが突然田舎町にいるというわかりにくい状況に なってしまっていました。現在も邦訳は必ずしも原書の刊行順ではないために、邦訳の刊行順に読むと、作中で触れられている前のエピソードがわからない場合 があります。
 ムース郡に移ってからの作品を紹介しましょう。第7作『猫はシェイクスピアを知っている』では、ココはなぜか毎日シェイクスピアの本だけを本棚から蹴落 とします。「テンペスト」、そして「ハムレット」。そこに何か意味があるのかどうか、クィラランは気になります。ちょうどクィラランはつぶれかけていた地 元の小さな新聞社の復興を援助しようとしていました。同時に図書館司書のポリー・ダンカンとのロマンスがゆっくりと進んでいます。料理上手な家政婦コブ夫 人(未亡人です)も、ある男性との恋愛に胸をときめかせていました。そんな中、新聞社が放火されて印刷所も編集室も焼けてしまいます。クィラランは新聞社 の創業一族ぐっとウィンター家にまつわる血なまぐさい歴史を知り、そしてまた、グッドウィンター家の末裔が悲惨な死を遂げて・・・・・・。
 真相は意外で、悲しいものでした。真相を知って悲しむ人の心を癒したのはココの優しさだったのです。

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 未訳の作品の中からも1冊。The Cat Who Brought Down the Houseを紹介しましょう。ムース郡に突然、ハリウッド女優が引っ越してくることがわかります。何でも町の旧家サッカレイ家のテルマという女性で、ムー ス郡で育ち、ハリウッドに行って女優として成功し、引退した今、故郷に戻ってくるというのです。時ならぬスターの凱旋に町中はざわめき、クィラランも興味 津々です。秘書兼運転手兼料理人のジャニスと甥のディッキーを引き連れて現われたテルマは、女優らしくプライドが高くエキセントリックな性格で、甥を溺愛 していました。ディッキーの父親であるテルマの双子の兄弟は何年も前に亡くなっていて、その死については不審な点があるという噂が流れていました。テルマ が飼っている鸚鵡の誘拐事件(エリザベス・フェラーズの『猿来たりなば』[中村有希訳・創元推理文庫]を思い出しますね!)や、テルマが始めた映画クラブ をめぐる疑惑と不可解なことが続きます。そんな中、ココはなぜか隣町で身元不明の男が殺された時間に、死を知らせるかのような鳴き声をあげたのでし た・・・・・・。
 ココ・シリーズはいわゆるコージー・ミステリであり、特に舞台がムース郡に移ってからは、ほのぼのとした雰囲気でストーリーが展開していきますが、かな り悲しい結末が待っていることが特徴だと思います。この作品のラストもまたほろ苦いものです。

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 リリアン・J・ブラウンの作品ではないのですが、The Cat Who....で始まる題名のミステリがあります。Robert KaplowのThe Cat Who Killed Lilian Jackson Braun、ココ・シリーズ風に訳せばそう、「猫はリリアン・J・ブラウンを殺す」です! ココ・シリーズのパロディなのです。
 悪名高いナイトクラブで深夜、リリアン・J・ブラウンの死体が発見されるというかなり過激な出だしで始まるのですが、ページをめくればめくるほど過激度 が増していく、取り扱い注意のパロディです。探偵役はジム・クィララン(Jim Qwilleran)ならぬジェームズ・カフカ(James Qafka)で、カフカの飼い猫の名前はイントン(Ying Tong)とプーントン(Poon Tong)です。カフカ、通称ミスターQ(クィラランと同じです)は童話作家で、被害者リリアン・J・ブラウンとは知り合いです。リリアン・J・ブラウン が死の間際にカフカの留守番電話に「ラベンダーインク」という謎のメッセージを残していたことから、カフカは事件に巻き込まれています。やがて事件の背後 には「マルタの鷹」ならぬ、「マルタのあらいぐま」をめぐる秘密があるのがわかってきます・・・・・・。
 全編痛烈なパロディでいっぱいです。俎上にのぼっているのは、リリアン・J・ブラウンばかりではありません。マルタの鷹、コナン・ドイル、文学賞からタ レントのブリトニー・スピアーズまで、ありとあらゆるものを皮肉っています。
 また捜査に当たる刑事がカフカに「どうせこの本の探偵役はあなたなんだから、私がどんなに一生懸命やったところで、どうせ解決するのはあなたなんだ」と すねてみたり、登場人物が「この章では私が主役だ」と喜んでみたり、その自由さには目を見張ります。
 また、ドタバタ喜劇のようなアクションの連続のあとに、一応ちゃんとした結末があることに妙に感心してしまいました。
 この本は、扉の見返しや奥付にまで遊びがあって、まさにしゃれのめしている1冊です。

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 本物のココ・シリーズに話を戻すと、シリーズにはいわば番外編といったような本が2冊あります。1冊目はShort & Tall Talesというクィラランが地元の人々にインタビューして集めたムース郡の伝説やエピソード集。もう1冊のThe Private Life of the Cat Who...はクィラランの日記から、ココとヤムヤムに関する部分を抜粋した、という本です。特に後者はココとヤムヤムとクィラランの歴史がわかりやすく まとまっているので、これからシリーズを読んでみようという人にも、すでに読んでいてココとヤムヤムの魅力をもっと味わいたいという人にもお勧めです。

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 リリアン・J・ブラウンは生年を公開していないので正確なところはわかりませんが、略歴に長年新聞社に勤務した後、小説を書き始めたとあり、しかもデ ビューは60年代ですから、かなりの高齢であることは確かです(『海外ミステリー事典』[権田萬治監修・新潮社]には、「1916年頃」と書いてありま す)。けれど、精力的に執筆を続けているようです。2003年の年末には新作の第26作目The Cat Who Talked Turkeyが刊行されています。ココとヤムヤムとクィラランのトリオのこれからの活躍が楽しみです。

 リリアン・J・ブラウンの作品リストを 翻訳通信のサイトに掲載しました。URLは以下の通りです。

http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/my/dt/ljb.html