私的ミステリ通信 (第9回)
 仁木 めぐみ

ホームズは時空を超え る!?

  「シャーロック・ホームズ」という名前をから、まず何を思い浮かべるでしょうか? 鳥打帽をかぶってパイプをくわえた横顔、ガス灯、辻馬車 など19世のロンドンの風景、「初歩的なことだよ、ワトソン君」というせりふ。あるいはNHKで放映していたシリーズドラマの主演俳優ジェレミー・ブレッ トの顔という方もいらっしゃるかもしれません。特にファンではない方でも、ホームズの名前を聞けば、おそらくなんらかのイメージを持たれるのではないで しょうか。それはドイルが作り上げた世界がとても印象的であり、小道具の使い方なども含めて、とても完成度の高いフィクションだったからだと思います。
 そしてイメージがはっきりしているがゆえに、後世の人々は自分でもホームズ物語を創作してみたくなるのだと思います。またホームズ譚はうまいぐあいに想 像の余地を持たせてくれるというか、「ツッコミ」どころの多い世界でもあるので、人々の創造意欲を嫌でも刺激してしまうのかもしれません。
 というわけで第8回「シャーロック・ホームズの基礎知識」に続き、今回はドイルの手を離れて変幻自在、縦横無尽に活躍するホームズ、つまりホームズのパ ロディやパスティシュ(模作)を、アンソロジーを中心に紹介していきたいと思います。

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 ホームズのパスティシュというと私がまず思い浮かべるのはロバート・L・フィッシュのシュロック・ホームズ・シリーズ(『シュロック・ホームズの冒険』 ほか・深町真理子訳・ハヤカワミステリ文庫)です。これはシャーロックならぬシュロック・ホームズが、「ワトニイ」博士と共に事件に取り組む短編集なので すが、シュロック・ホームズは稀代の「迷探偵」であり、勘違いを連発し続けるのです。正典を完全に笑いのめしているドタバタ系パスティシュです。
 まじめなところではジョン・ディクスン・カーとエイドリアン・コナン・ドイルの合作『シャーロック・ホームズの功績』(大久保康雄訳・ハヤカワポケット ミステリ)を思い出します。これはドイルの評伝『コナン・ドイル』も書いている本格ミステリ界の大御所カーが、ドイルの息子エイドリアンと合作したという 夢のようなパスティシュです。
 もう1冊有名どころをあげるとすると、エラリー・クイーン『恐怖の研究』(大庭忠男訳・ハヤカワミステリ文庫)でしょうか。ある日エラリー・クイーン (もちろん作者ではなく、同名のシリーズ探偵のほうです)のもとにワトソンの未発表原稿が送られてくるという設定です(パスティシュではとてもよく使われ る設定です)。その原稿には、ホームズと同時代の犯罪界の「花形」切り裂きジャックの対決を描かれていました。果たしてジャックの正体とは!? 私たちと 一緒に原稿にひきこまれていくエラリーの様子がなかなか微笑ましく、ホームズ・ファン、エラリー・ファン、そしてジャック・マニア(?)の三者ともに楽し める作品です。

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 次にパスティシュの流れを変えたエポック・メイキングな作品を紹介しましょう。ニコラス・メイヤーの『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』(田中融 二訳・扶桑社文庫)です。
 この作品の原題は7% Solutionというのですが、「7%溶液」とは何かと言うと、ホームズが退屈になると注射していたコカインの濃度なのです。ホームズの時代のイギリス では、コカインは有害ではあるものの、煙草より少し悪い程度の嗜好品とみなされ、非合法ではありませんでした。しかも通常は10%で使うコカインはホーム ズは7%、つまり少し薄めの溶液を使っていたので、まだ軽度だという設定で、ホームズのエキセントリックな性格を際立たせる小道具の一つにすぎませんでし た。正典の中ではワトソンも時々たしなめる程度にしか心配していません。
 寄り道が長くなりましたが、『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』では、ホームズはついに本物のコカイン中毒患者になっていて、幻覚を見ています。 そして個人的な因縁があるモリアティ教授が悪の帝王であると思い込んで、現代で言うストーカー並みに追い回して迷惑をかけています。ワトソンは医者である 自分がそばについていながら、かけがえなのない親友であり、すばらしい頭脳の持主であるホームズがこんな姿になるのを食い止めることができなかったことを 悔やみます。そして自分の後輩であり、『緋色の研究』でホームズと引き合わせてくれた恩人でもあるスタンフォード医師に、コカイン中毒の治療の第一人者が オーストリアにいる、と聞いたワトソンは、なんとしてもホームズをその医師に診せようと決心します。そしてその医師とはあの『精神分析入門』で有名な、フ ロイトだったのです! ホームズとワトソンはフロイトの家に滞在し、催眠療法などフロイトが当時はまだ実験的だった手法をつくしてホームズを診断した結 果、コカインに手を出してしまった理由や、ホームズの風変わりな性格を作った家庭的な要因(!)などが分析されます。やがてホームズ、ワトソン、フロイト の三人組は、フロイトのもとにやってきた別の女性患者をめぐる事件に巻き込まれていくのです・・・・・・。
 プライドの高いホームズに真の理由を悟られずにオーストリアに連れて行くため、ワトソンがマイクロフトに相談したり、悪の帝王でもなんでもなく本当はた だの数学教授であるモリアティに頼んで(というより半ば脅して)ホームズをオーストリアにおびきよせるおとりなってもらったりと、豪華なキャストが大活躍 し、ホームズ・ファンをにやりとさせる「ツボ」が満載のパスティシュです。
 そしてこの作品の成功から、パスティシュに新たな流れが生まれます。ホームズが他の有名人と競演したり、設定や舞台なども奇想天外で大胆な、より自由な パスティシュが次々と発表されるようになったのです。メイヤーは『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』の続編『ウェスト・エンドの恐怖』ではホームズ に切り裂きジャック事件を捜査させていますが、その後ホームズはドラキュラやジキル=ハイド博士、ターザンなどありとあらゆる人々と対決をさせられること になっていくのです。

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 そんな「自由な」パスティシュの集大成というべきアンソロジーがSherlock Holmes in Orbit(Mike Resnick、Martin H. Greenberg編)です。編者の一人マイク・レズニックにはSF、ミステリ、ファンタジーを書いている作家ですが、ホームズ・ファンであるらしく、こ の本の前書きThe Detective Who Refused to Dieはレズニックが書いているのですが、見事なパスティシュ史の総括になっています。余談ですが、この人はルーズベルトVS切り裂きジャックという短編 Redchapelも書いています。
 Sherlock Holmes in Orbitは26人の作家による26の短編を収録していますが、大きく4つの章に分けられています。「過去のホームズ」「現代のホームズ」「未来のホーム ズ」「死後のホームズ」です。つまりホームズはいろいろな手段(タイムマシンに乗るとか、未来の警察組織が迎えに来るとか)で19世紀のイギリスからはる かな未来、そして天国あるいは霊界にまで出没し、お得意の推理術を発揮したり(しなかったり)しているのです。なにせホームズはミステリー・サークルの謎 を解明し、フー・マンチューの訪問を受け、英文学史上とても有名な小さなレディの危難を救い、サイバー空間でサイバー・モリアティを追跡し、宇宙船の中の 密室殺人を解決し、火星にまで足を伸ばし、なんと天国に行ってまで切り裂きジャックを捕まえているのです。一編一編が強烈に個性的なので、どれを紹介すべ きか悩むところですが、独断と偏見で選ばせていただき、いくつか紹介してみたいと思います。

 まず「過去のホームズ」から二編紹介しましょう。この章はドイルが実際に書いたホームズの時代、19世紀末から20世紀初頭にかけての時代のストーリー が集められています。なんだ時代設定は同じか、とあなどってはいけません。時代はそのままでも内容は十分奇想天外なものばかりです。
 The Field of Thermos(by Vonda N. McIntyre)はホームズとワトソンとコナン・ドイルがミステリー・サークルの謎に挑む話です。晩年オカルト趣味にはまっていたドイルを風刺した作品 で、ホームズがドイルを苦々しく思っているところがなかなか皮肉です。
 ドイルの所有地の中の畑にミステリー・サークル(もちろん<ミステリー・サークル>という言葉は使われていませんが)が現われ、ドイルはこれは霊界から 自分にあてたメッセージだと思い込みます。そしてドイルに請われたホームズとワトソンは現地に向かい、現場で捜査を始めるのですが・・・・・・。
 ホームズが解明した真相については霊界の何者かの仕業でも、宇宙人の仕業でもないとだけ書いておきましょう。
 The Adventure of Missing Coffin(by Laura Resnick)で深夜、ホームズの下に駆け込んできた依頼人は何と吸血鬼です。自分のねぐらである棺桶を盗まれてしまったが、夜が明けるまでにその棺桶 の中に戻らないと死んでしまうので、至急探してほしいという依頼なのです。ホームズは鋭い推理力で棺桶の隠し場所を推理し、吸血鬼の危難を救ったのでし た。
 この吸血鬼はイタリア人で、棺桶をいつもイタリアン・レストランのワインセラーに置いています。また体重を気にしてダイエット中ですし、そもそも棺桶を 盗まれる原因も、吸血鬼同士でどちらの手記を出版してもらえるかという争いだというのですから、ほんと「やりたい放題」ですね。

 次に「現代のホームズ」から。The Fan Who Molded Himself(by David Gerrold)は編者マイク・レズニックのもとに謎の原稿が届いたという設定で始まります。
原稿に同封されていた手紙の主は冷たい父親に反発しながら育ったという青年です。手紙には早くから独立して一人で暮らしていたが、ある日、居場所さえわか らなくなっていた父が突然訪ねてきて、自分が冷たかったことをわび、その原因はこの原稿にあったのだと、一束の原稿を差し出した顛末が綴られていました。
 長く離れていた息子に父親はこう語ります。実は青年の祖父がジョン・H・ワトソンの甥であり、ワトソンが残した原稿を受け継いだ。父から息子へと託され てきたその問題の原稿には、ホームズの真の正体が書かれている。そしてそれを持っている者は常に命を狙われることになるのだと。
 父が出て行った後、原稿を読んだ青年は真相を知り、自分がいつまでこの原稿を守りきることができるかわからないので、レズニックに送ったのです。そんな にも秘密にしなければならないホームズの正体とは・・・・・・!?
「ワトソンの未発表原稿」によって明かされる真相はかなり奇想天外です。青年の手紙に描かれた父と子の対話に味があり、しっかりした説得力があるので、よ けいにホームズの正体のトンでもなさが生きています。

 「未来のホームズ」からはMoriaty by Modem(by Jack Nimersheim)をご紹介しましょう。この作品の中のホームズは犯罪捜査のために開発されたプログラム「シャーロック・ホームズ」です。
 開発されてから100年以上たっていて、しばらく使われていなかったのですが、「私」はある理由からこのプログラムを復元します。その理由とは、「私」 が「シャーロック・ホームズ」の中に組み込まれていたモリアティ教授の部分のファイルをあやまって復活させてしまい、しかも一瞬のすきをついて、モリア ティがコンピューター上からネットワークの中へと逃げ出してしまったからです。モリアティを追跡できるのはホームズしかいないということで、復元したホー ムズに「私」は事情を話し、追跡を依頼するのですが・・・・・・。
 ホームズという偉大な探偵を愛し、敬意を払う未来人の優しさにすこし心温まる一編です。

 そして最後「死後のホームズ」からは編者レズニックのThe Adventure of the Perly Gatesです。冒頭に掲げられているのは「最後の事件」からの引用で、ホームズとモリアティ教授が滝つぼへ落下していく場面を想像したワトソンの記述で す。そして一転、今度はホームズの一人称になります。
 目の前にあったはずの荒々しいライヘンバッハの岩山は消え、モリアティの姿は見当たらないし、滝で濡れたはずの身体は乾いています。しかも頭上に見える 明るい光の方へ身体が吸い寄せられていくのです。そう、ホームズは天国に行ったのです。(ここは天国だ、ということもホームズは誰かに聞いたわけではなく 自ら推理して確信します。そしておなじみの『不可能なことを排除していけば、そこに残ったものが、どんなに信じられないようなことでも、真実なのだ』とい うせりふがちゃんと出てきます)
 しかし天国は、退屈が苦手なホームズにとっては決して楽しいところではありません。何もすることも考えることもない永遠の時間にぞっとしていると、そこ に聖ペテロが現われます。そう、聖ペテロはホームズに捜査の依頼をしにきたのです! しかもそれは、切り裂きジャックを捕まえてほしいという依頼なので す。
 聖ペテロによると、精神異常のジャックには自分が犯した罪に対する罪悪感が全くないので、無垢な魂と共に天国に紛れ込んでしまったそうです。しかしホー ムズ同様、ジャックにとっても天国は地獄のようなところなので、おとなしくているわけがありません。ジャックの被害者の売春婦のうち3人がまだ煉獄にいる のを感知したジャックは、煉獄との間の門を開けて、そちらに侵入しようと試みたようなのです。その時に、煉獄から数人の魂が天国に入ってきてしまいまし た。ジャックは必ずまた同じことを試みるはずだから、どうしたらジャックを捕まえて、それを未然に防げるだろうか、というのが聖ペテロの相談でした。
 ホームズは見事に事件を解決し、そのごほうびとして一つだけ願いをかなえてもらえることになります。ホームズの願いは決まっていました。退屈な天国にい るよりも、自分の才能を活かし、悪を裁くことができる地上に帰りたい、というものでした。こうして願いをかなえてもらったホームズは、ワトソンの前に再び 姿を現わします。
 このアンソロジーの最後でもあるこの作品ラストには「空き家の冒険」からホームズに再会して失神してしまったワトソンが、意識を取り戻し、感動のあまり 叫ぶシーンが引用されています。ワトソンならずとも、うれしくなってしまうような、余韻のある結末です。

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 かつてドイルはホームズ人気に辟易して、ホームズという存在をこの世から消してしまおうとしました。けれどその願いもむなしく、結局ドイルはホームズを 復活させねばなりませんでした(抗議や哀願の手紙が殺到したようです)。それどころかホームズはドイルの死後も活躍を続け、今に至るまでその活動は続いて います。しかも文字通り、様々な時代の様々な場所で、様々な姿になって様々な敵と戦っているのです。天国にいるドイルがこの現状をどう思っているのかはわ かりませんが、時空を超え、ジャンルの垣根を越えた、新たなホームズの冒険は、まだまだ私たちを楽しませてくれそうです。

(2004年4月号)