古典翻訳塾の報告
山岡洋一

『ミル自伝』翻訳の経緯

 
 今回みすず書房から出版されたJ.S.ミル著村井章子訳『ミル自伝』は、「翻訳通信」から生まれたものである。経緯を簡単に報告しておく。

 翻訳者になりたいという人の数は多くても、すぐれた翻訳ができる翻訳者の数がまったく不足している現在、翻訳教育は大きなテーマのひとつだと思う。だ が、翻訳教育には一筋縄ではいかない問題がある。

 じつのところ、最大の問題は出版不況もあって、希望者が圧倒的に多い出版翻訳では生活費を稼ぐのが容易でないという点にある。会社勤めで考えにくいよう な高収入がえられる見込みがあれば、出版翻訳の世界は活況になり、競争が激しくなる。そのなかから本当に優れた翻訳者がつぎつぎに登場する状況になって、 翻訳教育など不要になるかもしれない。出版不況が長引いているいまでも、出版翻訳と産業翻訳をうまく組み合わせれば、ある程度安定した収入は確保できるだ ろうが、そうしようとすると、別の問題が絡んでくる。

 翻訳は年季が重要な仕事だ。基礎的な能力が高い人でも、翻訳を何年か続けなければ、職業として翻訳を続けられるほど、質を高めるのは容易ではないし、そ れ以上に、職業として成り立つほどのスピードを確保するのは容易ではない。大量の翻訳を行わなければ、質とスピードを高めるのが難しいのだ。このため、翻 訳は参入障壁がかなり高いといえる。

 こうした点を考えると、翻訳の演習を行い、問題点を指摘することで、教育効果をあげる余地があると思えるかもしれない。だが現実には、翻訳教育で受講者 の実力を高めるのはそう簡単ではない。翻訳には外国語を読む力、日本語を書く力、原文の意味を理解する力が必要であり、どれも、翻訳に必要な能力を獲得す るには年単位の学習が必要だからだ。翻訳を学ぼうと考える人ならたぶん、読書など、学習効果のあることを少なくとも20年は続けてきたはずだから、年単位 の学習というのは極端に高い要求だとは思わない。だが、受講者が翻訳の学習をはじめる前にこれらの能力を十分に獲得していなければ、翻訳教育でできること は限られている。1日10時間の学習を何年か続けられれば効果はあるだろうが、そのような翻訳教育を行った例は、あまりないのではないだろうか。

 結論としては、翻訳教育によって受講者の実力を高めるのは容易でないということになる。だが、じつのところ、これは翻訳に限ったことではない。自動車の 運転のように簡単な技能であれば、教育と訓練によって実力を高めることができるが、高度な技術や芸術などでは教えることで受講者の実力を高めるのはそう簡 単ではない。学校教育でいえば、高校までは教室で教えられることはかなり重要だが、大学になると授業の重要性は低くなり、大学院になると、教えられるまで もなく学ぶしかない部分が圧倒的に多くなるのではないだろうか。それでも、教育機関が成り立つのは、文字通りの教育以外に3つの機能があるからだと思う。

 第1に、教育機関は同じ分野の学習者を集め、相互学習の機会を与えている。学校では、教師から学ぶよりも、先輩や同級生から学ぶことの方が多い場合もあ るはずだ。

 第2に、教師は学生の力を見抜き、最善の部分を伸ばすよう励ますことができる。また、実力のあるものを選びだすことができる。

 第3に、教育機関には仕事を斡旋する機能がある。少なくとも、卒業資格を与えて、仕事を探しやすくする機能がある。

 以上の機能は、公教育機関だけではなく、もっと私的な師弟関係にもある。教えるという機能をまったくもたない師弟関係すらある。たとえば将棋の世界で は、プロの棋士になるには師匠が必要になっている。以前は住み込みの内弟子になるのが普通だったが、いまでは通いが通常のようだ。師匠が弟子と将棋を指す のは2回だけだといわれていた。1回目は弟子入りを許すかどうか、実力を見極めるためである。2回目はプロになるには実力が不足していると判断して故郷に 返すときだ。棋譜を土産に田舎に帰れというのだそうだ。要するに師匠は教えないのが原則なわけだが、それでも師匠であるのは、第1に兄弟弟子と切磋琢磨す る機会を与え、第2に実力を評価し、第3にプロの棋士になる道を与えるからだ。

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 翻訳教育でも同じことはいえるかもしれない。教えて受講生の実力を高めるのは難しくても、何人かの仲間で学びあう機会を与えることはできるし、受講者の 実力を判断することもできる。若干問題があるのは、仕事を世話することだが、これも編集者の協力がえられれば可能だ。2005年の後半にそういう協力がえ られると見込める機会があった。そこで計画したのが、古典翻訳塾だ。

 もっとも、優秀な受講者に生活に困らないだけの収入がある仕事を紹介することができないのであれば、本来なら翻訳教育など行うべきではないともいえる。 この点は出版翻訳の現状では解決が難しいが、そうであれば、取り上げるテーマに魅力がなければならない。古典を訳すというのは十分に魅力があるテーマだと 思えたので、古典翻訳塾と銘打ったのである。

 古典翻訳塾はこの「翻訳通信」で参加者を募集し、2006年初めに発足した。参加者の希望する分野は多岐にわたると予想されたので、当初はエッセー風の ものが良いと考え、題材に選んだのが『ミル自伝』であった。参加者は短い文章を訳してもらって、その結果に基づいて決めた。選んだのは7名であり、事務所 で無理なく議論できる人数ということで、この人数になった。結果として、ほぼ全員が翻訳を職業にしているか、翻訳実績のある人であった。

 当初は週に1回、後には月に2回集まった。『ミル自伝』を1年で訳すことを目標にし、冒頭から少しずつ、集まる日の前日までに全員が訳して、電子メール で全員に送ることにした。主催者のわたしは訳さず、全員の訳文を読んで、問題点と良かった点を指摘するだけに止めた。集まりでは参加者が順番に進行係にな り、全員で議論した。

 岩波文庫の2種類の既訳と、それ以外の既訳は当然ながら全員が買って参照した。議論していくうちに、既訳の問題点が明らかになり、権威ある既訳をこわが ることもなくなっていった。J.S.ミルの原文は19世紀に書かれたものだけに、挿入の多い長いセンテンスが特徴だが、しばらくするとそれにも慣れて、構 文をみなで議論しなければならないことは減っていった。それ以上に問題だったのは、宗教論や哲学に関する部分だが、哲学にくわしい参加者がいたので、幸運 だった。

 当初、『ミル自伝』は教材と考えていたのだが、しばらく続けていくうちに、練習だけではもったいないと感じるようになった。すばらしい名著だし、参加者 の翻訳の質が高く、既訳よりかなり良い訳ができると思えるようになってきたからだ。数か月たつと、7人の参加者のうち1人の訳を出版することを明確な目標 にするようになった。各人の訳にはそれぞれ特徴があり、それぞれに違った面で魅力があったので、誰の訳を選ぶのかは大きな問題だった。また、1年で全編を 訳すのは少々無理な状況になり、一部は全員で訳すのではなく、1人が訳したものを全員でチェックし、議論する方法をとらざるをえなくなった。こうして、ほ ぼ全員の意見と本人の希望で、村井章子さんが出版用の原稿を仕上げることになった。

 この段階になってちょっとした問題が起こった。古典翻訳塾は前述のように、ある編集者の協力がえられることを前提にはじめたのだが、出版できる翻訳が完 成する直前になって突然、その編集者との関係が切れてしまったのである。村井さんの原稿はまだ完成しておらず、したがってまだ渡していなかったので、この 件と無関係であるのは確かだが、ではどのような理由があったのか、いまだに分かっていない。世の中にはこういうこともあると考えて、諦めるしかないよう だ。

 幸い、その後に親しい出版関係者にみすず書房の編集者を紹介していただくことができ、翻訳の検討をお願いした結果、出版が決まった。おそらくそのため に、村井章子訳『ミル自伝』ははるかに美しい本になった。そしておそらく、はるかに長く読まれる本になるのではないかと思う。災いが転じて福になったとい える。

 そんな問題があったため、古典翻訳塾は残念なことに、第1期で中断している。将来、何らかの形で再開できればいいのだが。

(2008年2月号)