モンゴルの翻訳事情(2)
北村彰秀
出版翻訳(ロシア文学等)

 
 モンゴルといえば大きく外モンゴル(モンゴル国)と内モンゴル(中国の内モンゴル自治区)に分かれ、両者のモンゴル語には違いがあるのであるが、内モン ゴルについてはあまり詳しくないため、ここでは対象をモンゴル国に限って述べることにする。そのため、以下に「モンゴル」と記したのはモンゴル国のことで あるとご理解いただきたい。

 最近の日本では出版や翻訳の仕事が経済的に厳しくなりつつあるが、モンゴルの事情はそれとは比較にならないほど厳しいものがある。まず、人口が日本の 40分の1ぐらいしかない。そして、各人の平均月収に比べて本の値段がかなり高い。また、伝統的に遊牧の国であり、今も国民の30パーセントぐらいは遊牧 民である。遊牧民は絶えず移動しているため、蔵書などはないほうが移動が楽である。

 以上のような理由から、出版や翻訳といったことは、商業ベースには乗らない。そのため、出版活動は国や大学、いろいろな団体の経済的な応援によって進め られるのがふつうである。しかし、とにもかくにも、いろいろな本が出版されてきていることは幸いである。最近は書店にはあふれるほどの本が並べられ、世界 文学全集も刊行されるようになったため、世界の主な文学作品がモンゴル語でも読めるようになってきた。ただ、どのような分野の本であれ、1000部以上売 れる本はかなり限られているであろうということは、ちょっと計算してみればすぐにわかる。印刷部数はかなり低く抑えなければならない。売り切れず、廃棄処 分になるものも多いであろうと推測される。しかし、たとい廃棄処分になるものがあったとしても、よい本が読者のもとに届くのは幸いなことである。

 今回、ここでは、その中で、筆者の目に止まった、あるいは実際に読んでみたいくつかの翻訳書について見てみたい。

 まず、ノーベル賞作家ガルシア・マルケスの「百年の孤独」。この本は最近、モンゴルでベストセラーになっている。翻訳者は私の著「東洋の翻訳論」のシ リーズでも時々言及したアキム氏である。ただし、原文(スペイン語)からの訳ではなく、ロシア語訳からの重訳である。(モンゴルでは、出版翻訳の可能な言 語は英、独、仏、露、中、日それに Korean ぐらいで、それ以外はほとんど重訳にならざるを得ない。それは、人材がいないということもあるが、また、まともな辞書がないという事情もある。)この作品 の原文には時々修辞的表現、もっと極端な言い方をすれば言葉遊びが出てくると思うが、アキムはそれを可能な範囲で訳すというのではなく、モンゴル語の修辞 的表現、レトリックを積極的に取り入れ、それを生かすという方法をとっている。つまり、原文に修辞的表現がない場合でも、訳文には出てくるということであ る。創造的翻訳とでも言えばよいであろうか。(ただし原文を見たわけではないので推測であるが。)

(最近一時帰国したのであるが、機内誌にアキムのインタビューが載っていて、「ガルシア・マルケスをモンゴルに招待したいのであるが、高齢のため難しい」 等々と書かれていた。)

 アキムの最近の翻訳としては、他にチンギス・アイトマートフの「処刑台」がある。これは反体制の文学であり、そのため、民主化以後、翻訳出版が可能に なったものであるといえよう。この作品はいくつかのテーマを扱っており、そのため、モンゴル人が特に何を読み取るかということになると、人により、個人差 があるかもしれない。アキム自身は解説の中で環境問題について触れていたが、この作品の取り上げている問題はそれだけではないとも言及している。原著者が キルギス人であり、とくに「チンギス」という名前であることからもモンゴル人にとっては興味を引く作品であろうと思われる。

 トルストイの「戦争と平和」はかなり以前から翻訳が出ていた。日本人にとっては、これは大スペクタクル的作品として読まれるであろうが、ロシア人にとっ ては、これは民族の団結によって敵の侵入を退けたという、非常にナショナリズム的色彩の濃い作品である。そのため、民主化以前のソ連でもモンゴルでも、か なり教育的な作品として受け止められたと思われる。

 これよりも遅れてショーロホフの「静かなドン」が出たが、これは翻訳前から、モンゴル人にとっては革命を描いた小説のモデル的作品である。これにならっ て、モンゴルでも、革命を題材とした小説がいくつか出ている。いや、民主化以前のモンゴルでは、小説といえばほとんどが革命や社会主義建設をテーマにした ものであったと言っても過言ではないほどである。

 これ以外のロシア文学では最近ではドストエフスキー、パステルナーク、ソルジェニーツィン等の翻訳も出ている。

 最近世界的ベストセラーになっているハリー・ポッターについても触れなければならない。このシリーズ第一冊目がモンゴル語に訳されて出ている。ただ、イ ギリスの町や駅の様子、食生活等はモンゴルと違っているため、モンゴルの子供たちにとっては違和感があると思われ、モンゴル語版は子供向けというよりは、 英語専攻の学生や英語教師向けという印象を受ける。使われている活字も、子供用のものではなく、一般の本や新聞に使われているものである。(モンゴルで子 供用の本は、一般の新聞雑誌とは異なった活字を用いている。ちょうど日本語の教科書字体のようなものである。英語のいわゆるポールド体と同様のものであ る。普通の字体のものを読ませると、例えば、Aという字を4画か5画で書き、Xという字を6画で書くという習慣がついてしまうからである。この2文字はモ ンゴル語でも使われるため、ここに例としてあげた。)

 訳文はモンゴル人にとって読みやすいものになっていると思うが、二つの訳語の誤りが気にかかった。すなわち unicorn(一角獣) は「角が結合した動物」というような訳になっているし、また、corned beef(コンビーフ)は、「とうもろこしの入った牛肉のいため料理」となっている。架空の動物、妖怪等の名前と食品の名前は、翻訳者にとっては大きな落 とし穴であるとわたしは思う。例えばハリ−・ポッターの日本語訳を見ても、トロール(troll)という妖怪らしきものが出てきて、カタカナなので何のこ とかわからないのであるが、英和辞典で調べてもよくわからない。漫画家の水木しげるが妖怪事典を作ったとのことであるが、翻訳者や外国文学の読者にとっ て、世界の架空の動物、妖怪の辞典というものはかなり必要性が高いのではないかと思う。

 また、食品名も同様の問題があるであろう。私自身、中学、高校、大学と合わせると少なくとも8年間英語を学校で学んだわけであるが、授業中に何かを食べ させてもらったことは一度もない。せめて日本の大都市には、食品名を覚えさせてくれるバイキングの店がほしいところである!もしそうでないと、英語は学ん だが、oat meal, Earl Grey, sundae とは何のことかわからないということになってしまうであろう。

 英米文学の翻訳についてはもっと触れるべきであろうが、現在わたしが書けることはこの程度である。

次回は日本語からの翻訳書を中心に書いてみたいと思っている。
(2011年5月号)

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