翻訳についての断章
山岡洋一

翻訳はどこにいくのか

  3月号と4月号で明治初期の翻訳を紹介した。翻訳の歴史が面白いからでもあるが、それ以上に翻訳と出版の現状を考えるときの材料にしたいと 考えたからだ。

 翻訳、とくに出版翻訳の現状は決して芳しくはない。かなり悪いといってもいいほどだ。本が売れない。出版翻訳を職業にしているものの立場からいうなら、 本が売れないということは直接に生活にひびく大問題だが、それだけではない。大げさにいえば、出版翻訳は日本文化を縁の下で支える役割を担っており、明治 初めから150年近くにわたって築きあげてきた翻訳出版の文化は、日本が世界に誇れるもののはずだ。翻訳を通じて古今東西のすぐれた知識や考え方を学ぶ姿 勢をとってきたからこそ、いまの日本がある。この姿勢が衰えてきたとするなら、日本文化全体にとっても、ひいては日本という国にとっても問題だといえる。 そんなことまで考えるから、翻訳出版の現状を大きな視点からみてみたいと思う。時代をさかのぼって、いまの時期を歴史のなかに位置づけてみようとする。

 本が売れないのは出版業界全体の問題なので、出版関係者の間で話題になることが多い。いまの時期を歴史のなかに位置づけてみようと考えるのは、本が売れ ない原因として出版関係者の間で指摘されている点に納得できないからである。たとえば、若者は携帯にカネを使うから本が買えないという。図書館で無料で本 を貸しているのが悪いという説もある。新古書店があるから新刊が売れないという説もある。いまの若者は本を読まないという話もよく聞く。どれも、原因とい うより言い訳というべきなのではないかと思えてならない。また、これらが原因だとすると、解決策がでてこない。愚痴にはなっても、前向きの話にならない。

ベストセラーの功罪
 少しは前向きらしく思える見方もある。それでもベストセラーはあるという見方だ。たとえば、空前のヒットになった小説もあるし、インターネットで生まれ た本のなかから10万部以上売れるものがでてきた。翻訳書でも、ごく少数だが、大ヒットになっているものがある。こうした本には「読みやすくわかりやす い」という共通点がある。こういう本が売れている現実を認識し、市場が求めている本を作るべきなのに、昔ながらの感覚で古臭い本を作っているから売れない のだという見方だ。

 出版翻訳に取り組むようになったころ、翻訳書にしろ、日本人の著者によるものにしろ、ベストセラーはなるべく読むようにしていた。どのような本が売れて いるかを知り、なぜ売れているのかを考えておくのは、出版に関係する仕事をする以上、当然だと考えたからだ。それに編集者と話すときに恰好の話題になる。 だが、この何年か、ベストセラーはめったに読まなくなった。立ち読みで何頁か読むことはあっても、読みつづける気持ちになれない。読書はカネはあまりいら ないが、時間を使う娯楽だ。そして時間は、いまの世の中でたいていの人にとっていちばん希少な資源のはずだ。時間という希少な資源を使う以上、深い感動、 豊富な知識、深く考えるきっかけなどを与えてくれる本を読みたい。10年前には少し違っていたように思うが、いまではベストセラーのほとんどがそういう本 ではない。だから、ベストセラーがあるといっても、出版業界の将来にとって、少しも明るい材料にはならないように思えてならない。

 そういう感想を出版業界の人に話したことがある。すると、こうたしなめられた。いまのベストセラーはたいてい、本を買うのははじめてとか、久しぶりとか の人に読まれているのだから、あれでいいのだ。ああいう本を読んで、読書の楽しみがわかれば、もっとしっかりした本を読んでくれるようになるのだから、馬 鹿にしてはいけないという。

 こういう話を聞くと思い出すことがある。自宅の近くにパン屋が開店した。目につく場所に目につく建物を建てていたし、開店前に派手な宣伝もあったので、 開店の日は大盛況になり、長い長い行列ができた。行列があると並んで買ってみたくなるのが人情だ。美味しいパン屋がないという不満もあったので、列の後ろ に並んで買ってみることにした。ようやくパンを買い、翌朝に食べて失望した。高いのに美味しくないのだ。そうなると、店員がいかにも無愛想だったことまで 思い出されて、腹がたってきた。たぶん、同じように感じた人が多かったのだろう。3日もすると行列はなくなり、やがて閑古鳥が鳴くようになった。1年ほど たったある日、閉店のお知らせがドアに貼られていた。

 開店の直後にあれだけの行列ができたのだから、大ヒットだった。店の人たちは嬉しかったはずだ。大ヒットを生み出した要因はいくつかある。何よりも立地 が良かった。周囲に強力な競争相手がなく、しかも人通りの多い目立つ場所だったからだ。それに建物が人目を引くものであった点も良かった。工事中にも、ど んな店ができるのか、楽しみにしている人がたくさんいたはずだ。そして派手な宣伝が効いた。ところが、開店直後にあれだけ集まった客のうち大部分の人は、 また買いに行こうとは考えなかった。高いと思ったのか(価格設定を間違えたのか)、不味いと思ったのか(商品の質が低かったのか)、店員の態度に腹を立て たのか(サービスに問題があったのか)、別の理由があったのかはわからないが、ともかく、開店直後の大盛況で悪評だけが残ったようなのだ。こうなると、宣 伝をしても客は集まらない。

 読みやすくわかりやすいという触れ込みの浅薄な本で、同じことにならないという保証はどこにもない。はじめて本を買った人、久しぶりに本を買った人のう ち、どれぐらいの人が別の本を読んでみようと思ってくれたかはわからない。数十万部の大ベストセラーになったからめでたいと思っていたら、数十万人がもう 買わないと考えている可能性だってあるのだ。

 はじめての人、久しぶりの人にはとくに、本物を買ってもらいたいと思う。深い感動、豊富な知識、深く考えるきっかけなどを与えてくれる本を読んでもらい たいと思う。読みやすくわかりやすい本が売れているのだから、そういう本を訳せばいいとは考えない。開店の日に行列ができ、翌週からは閑古鳥が鳴くパン屋 のようにはなりたくないからだ。

1970年前後からの長期低落
 本が売れないといわれるようになったのはここ数年のことだが、実際にははるか以前から本の売れ行きは低落傾向をたどっていた。出版社は売上の伸びを確保 するために点数を増やしていたので、問題がそれほど深刻にはなっていなかった。数年前からは1点あたりの売れ行きが急速に悪化して、点数を増やしても売上 を確保できなくなり、書籍の市場が縮小に転じるようになった。出版関係者の間で本が売れないといわれるようになったのは、そのころからだ。

 では、長期低落傾向がいつごろからはじまったのかというと、おそらくは1970年前後からである。当時はいまとは比較にならないほど本が売れ、翻訳書が 売れていた。出版各社が世界文学全集や世界思想全集を競ってだしていた。なかでも象徴的なのは、ニーチェの『ツァラトゥストラ』の新訳が馬鹿売れしたこと だ。70万部売れたとされているのだから、驚異的だ。この時代にはニーチェだけでなく、難しい本、硬い本を読むのが流行になっていたのだ。

 70年前後にはとくに、欧米の名作の翻訳がよく売れた。浅薄な本が売れていたのではない。深い感動、豊富な知識、深く考えるきっかけを与えてくれるはず の本、つまり、読書というからにはこういう本でなければと思える種類の本が売れていた。各社が競って世界文学全集や世界思想全集をだしたのは、そういう本 が売れたからなのだ。

 当時を振り返り、その後の出版業界の動きをみていくと、この35年ほどの間に出版業界も、読者も、そして世の中も堕落してきたといえるかもしれない。当 時の出版社や編集者は志が高かったし、翻訳者もお手軽な本なんぞに目もくれず、名作を訳していたのだから、いまの翻訳者とは格が違うといえるかもしれな い。当時の読者は知的な好奇心が旺盛で、ヘーゲルやマルクス、ドストエフスキーやカフカらの難解な本を必死になって読んだのだから、いまの読者よりはるか に質が高かったといえるかもしれない。だが、こういう見方は酒場の片隅で憂さを晴らすときには恰好だとしても、将来を考えるときの指針にはならない。

 もう少し広い視野から問題を考えてみたい。過去35年ほどの書籍市場の動きは、経済の動きを見慣れている人がみれば、典型的な長期波動だと思えるはず だ。たとえばインフレ率の長期波動をみると、70年代から80年代初めまでをピークに、徐々に低下するようになり、90年代末には低下の勢いが急激にな り、とうとうデフレが問題になるまでになった。長期波動では、徐々にはじまった動きが急激になって終わり、反転の動きがはじまることが多い。だから、本の 売れ行きが急速に落ちているのは、ひょっとすると良いことなのかもしれない。もう少しで反転する兆しである可能性があるのだ。だが、経済の動きをみると、 そうなるとは限らないことがわかる。低落傾向がさらに長期にわたって続き、予想もされなかったほど谷が深くなる可能性だってある。

 過去35年ほどの書籍市場の動きが長期波動だとはかぎらないのだか(つまり、いずれ反転するものだとはかぎらず、どこまでも低下を続ける可能性もなくは ないのだが)、これが波動だとすると、70年前後にピークをもたらした要因、「難解な」本、とくに翻訳書が大量に売れたことが、その後の長期低落をもたら した要因になったはずである。いま、「読みやすくわかりやすい」本、つまり、当時とは正反対の性格の本が売れるとされていることをみれば、まず間違いなく そうだと考えられる。パン屋の開店の直後に行列を作った人たちと同じように、当時の流行に乗って難しい本を買った人たちが読者層として定着するどころか、 逆に本を敬遠するようになったはずである。当時の本は、もうこりごりだと読者に思わせるものだった。そう考えるのが順当だ。

 この35年ほどの間に出版業界も、読者も、そして世の中も堕落してきた、いまどきの若者は本を読まないと嘆く人もいるだろうが、世の中の動きにはかなら ず合理的な面がある。堕落してきたのではなく、成熟してきたといえる面があるはずだ。

 たとえば、こういう点を考えてみるべきだ。70年前後に難しい本が売れた背景には、権威への盲従があった。すばらしい本だから売れたというより、権威あ る人たちが訳し、権威ある人たちが権威ある本として勧めた本が売れたというべきなのだ。その一方で、70年前後はそれまで絶対の権威とされてきたものが権 威を失った時期でもある。とくに学者や小説家など、文化人と呼ばれていた人たちの権威が失墜した。権威あるとされてきた人たちが実際にはそれに相応しいも のをもっていないことを見抜き、権威に盲従しなくなったのは堕落ではなく、成熟である。

 そしてもうひとつ、翻訳に直接に関係する点を考えてみるべきだ。当時の翻訳書が「難解」だったのは、なによりも当時の翻訳の性格に問題があったからだ。 当時、権威ある人たちの権威を支えていたのは、直接には大学教授などの肩書きだが、権威ある肩書きは欧米という理解などとてもできないほど遠く進んだ社 会、理想の社会から、とてつもなく難しい知識や思想を学んでいることを示すものだとされていた。「難解」であることが権威を支えていた。「難解」なほど権 威が高まる仕組みになっていた。そうなっていれば、権威ある人たちが翻訳に取り組むときに、無理にでも「難解」な訳文にしようという心理がはたらくのは避 けられない。だから、日本語で翻訳書を読む読者が理解できるか訳文になっているかどうかは、当時の翻訳者にとってたいした問題ではなかった。理解できない に決まっているという意見すらあった。

 もちろん、当時の翻訳書がすべてそうだったというのではない。そういう翻訳が当時の主流だっただけだ。だが、問題は当時の主流がどうだったかであって、 一部にすばらしい翻訳があったかどうかではない。当時の主流の考え方では、翻訳にあたって使う文体は、通常の日本語の文体とは違っていた。原語と訳語を一 対一で対応させ、原文の構文をできるかぎり忠実に再現するのが翻訳の正しい文体だと考えられていた。翻訳に使われる翻訳調という文体が確立していた。翻訳 調は日本語ではない。日本語もどきだ。

 3月号と4月号で明治初期の翻訳を取り上げたのは、この翻訳調ができる前の翻訳がどうであったかを紹介したかったからだ。中村正直の『自由之理』の文体 は、翻訳調ではない。原語と訳語の一対一対応も追求していない。たとえばsocietyという言葉の意味を必死になって考え、さまざまに訳し分けた形跡が 歴然としている。柳父章が『翻訳語成立事情』(岩波新書)などの著書で論じているように、その後、「社会」という訳語が定着すると、翻訳にあたって原文の 意味を必死に考える必要がなくなった。「社会」という訳語は、原文のこの部分にsocietyという語があったこと以外には、何も示していない。語の意味 はわからない。その文の意味もわからない。わかっているのは、ここにsocietyという語があったことだけ。意味は読者の皆さんが考えてください……。 そういうメッセージを伝える訳語なのである。だからこそ、翻訳書を読んでも理解などできるはずがないという常識があったのだ。

 だから70年ごろ、深い感動、豊富な知識、深く考えるきっかけを与えてくれるはずの本が売れていたというのは、あまり正確ではない。正確には、深い感 動、豊富な知識、深く考えるきっかけを与えてくれるはずの原著を訳した意味不明に近い訳書が売れていたというべきなのだ。長い行列に並んで、高くて不味い パンを買ってしまった人と同じように、そんな本を買い、時間をかけて苦労して読み、読んでも理解できない自分はよほど頭が悪いのだろうかという苦い思いだ けが残った人たちが、ああいう本はもう買わないと考えたとしても、不思議はないのではないだろうか。

21世紀の翻訳の可能性
 過去35年ほどの書籍市場の動きが典型的な長期波動の下降局面だとすれば、最近の落ち込みが急激であること以外にも、反転の時期は近いと思わせる事実が ある。下降局面や上昇局面の最後には人びとの見方が極端になるのが普通であり、現在はまさにそういう状況になっている。

 たとえば、70年ごろに権威に盲従した面があったにせよ、難しい本を読もうとする人が多かったのは、知的好奇心が旺盛で学習意欲が強かったからだ。いま ではこれが完全にといってもいいほどに逆転している。反知性主義が極端になった。文部科学省が知的好奇心と学習意欲を嫌い、学校の教師が知的好奇心と学習 意欲を嫌っている。70年前後の有名大学に代わって権威の源泉になったのはテレビを中心とするマスコミであり、知的好奇心と学習意欲を馬鹿にし、からかう ようになっている。本来なら知的好奇心が旺盛な読者を大切にするはずの出版業界すら、読みやすくわかりやすい本、言い換えれば内容のない浅薄な本を粗製濫 造するようになった。


 だが、知的好奇心は、人間なら誰でももっているものだ。知らなかったことを学ぶのは楽しいし、難しいことを学ぶのは嬉しいという感情は誰でももってい る。マスコミで馬鹿にされようが、学校の教師に抑圧されようが、知的好奇心を完全に押さえつけることはできない。機会をみつけてかならず噴出してくる。そ の証拠がみたければ、塾に通う子供たちの表情をみてみればいい。文部科学省や教師、政治家やマスコミが目の敵にする塾、その塾に通う子供たちはいきいきと している。夜遅くまで塾にしばりつけられて、子供たちが可哀相だという人たちは勘違いしているのだ。可哀相なのは、昼間の時間に勉強を嫌う学校、学ぶこと を嫌う学校、知的好奇心を押さえつける学校に無理やり通わされていることなのだ。いまでは、学習意欲を大切にし、知的好奇心を刺激してくれるのは公教育で はない。塾や予備校をはじめとする民間の教育産業なのだ。

 反知性主義が極端になれば、振り子が自然に反対に振れるようになる。書籍市場についていうなら、たしかに読みやすいし、たしかにわかりやすいが、知的好 奇心を刺激するようなことはほとんど何も書かれていない本ではなく、深い感動、豊富な知識、深く考えるきっかけを与えてくれる本物の本を求める人たちが少 しずつ増えてくるだろう。そして、本物の本が出版され、読書の素晴らしさを知った人が増えてきたときに、つぎの上昇局面がはじまるのだと思う。

 だが、そのときに、35年ほど前に売れていたような本が売れるようになるとは思えない。翻訳についていうなら、対象になる原著は同じでも、翻訳のスタイ ルは大きく違っているはずである。歴史は繰り返すとしても、まったく同じ形で繰り返すわけではない。

 翻訳のスタイルが様変わりすると考える理由のひとつは、社会状況の違いだ。中村正直らの明治初期の翻訳も、それに代わって20世紀に使われた翻訳調の翻 訳も、どちらも欧米がはるかに遠かったという事実を背景にしている。地理的にも心理的にもはるかに遠かった。欧米には日本のものとはまったく違う社会があ り、はるかにすぐれた知識や考え方があると思われていた。理解することなどとてもできない進んだ知識や考え方の一端でも、なんとかつかみたいと必死に努力 するときに使われたのが、翻訳調なのだ。いまでは欧米は心理的にはるかに近い。理解できるはずのないものではなく、理解できるはずのものとして、欧米の名 作を読むことができる。そういう社会条件が整っている。欧米の知識や考え方を理解したうえで、その内容を日本語で伝える翻訳が可能になっている。

 翻訳という観点からは、そういう芽はすでにある。35年ほど前にも、主流以外のところには、すでにそういう翻訳があった。たとえば、「翻訳通信」の 2003年8月号で紹介した村上博基訳『女王陛下のユリシーズ号』がまさにそうだ。翻訳調が主流だった1960年代後半に、翻訳調ではない見事な日本語で 訳している。そして、村上博基は日本の翻訳の歴史のなかで突然変異のような存在だというわけではない。明治時代から、たとえば森鴎外らに代表される翻訳の 流れがあり、それを受け継いでいるのである。

 70年前後に時代にも、その後しばらくも、翻訳調ではない翻訳は主に、エンターテインメント小説の分野で、つまり学者が関与しない傍系の分野で行われて きた。いまでも、出版翻訳のなかですぐれた翻訳者の層がもっとも厚く、翻訳の質がもっとも高いのは、間違いなくエンターテインメント小説の分野だ。

 学者などの学界の人たちが翻訳の中心になっている分野ははるかに遅れている。たとえば同じ小説でも、大学の英文科や仏文科、独文科などで研究対象になる 部分では、いまだに翻訳調が幅をきかせている。抱腹絶倒の物語が、重々しく難解に訳されていたりする。自然科学、社会科学、人文科学などの分野はもっと遅 れている。だが、この分野にも新しい動きはある。

 たぶん、翻訳の新しい可能性を示したという意味で、とくに重要なのが長谷川宏のヘーゲル訳である。「難解な本」のなかでも極めつきだと思われていたヘー ゲルの著作を、少なくとも読んでみようと思える普通の日本語で訳したのだから、衝撃は大きかった。たとえば、以下の2つの訳を比較してみるといい。

第一部 抽象的な権利ないし法
§34 即自かつ対自的すなわち絶対的に自由な意思が、それの抽象的な概念のうちに有るばあい、それは直接性という規定されたあり方をしている。 (ヘーゲル著藤野渉・赤沢正敏訳『法の哲学』中公クラシックス139ページ)

第一部 抽象的な正義(法)
§34 絶対的な自由意思は、抽象的概念としてとらえられるとき、ただそこにあるという形で存在する。 (ヘーゲル著長谷川宏訳『法哲学講義』作品社、628ページ)

 ここで目立つのは、「即自かつ対自的」という訳語がないことだ。ヘーゲル哲学というと「止揚」とともに真っ先に思い浮かぶはずの「即自かつ対自的」がな いのだ。原語と訳語の一対一対応という金科玉条をきれいに捨てて、原著の意味を日本語で伝えようとしているのである。いまでも、この翻訳ではan und für sichの意味がわからないではないかという人もいる。そう思うのであれば、原著を読めばいい。翻訳の本来の任務は、原文がどうであったかを示すことでは なく、原著の意味を日本語で伝えることにこそある。翻訳書を読んでも理解などできるはずがないという常識を覆して、原著を読んで理解した結果を日本語で伝 えるのが翻訳だという、いってみれば当たり前のことをしているのが、長谷川宏の翻訳である。

 21世紀の翻訳の可能性はすでに目の前にある。70年前後に流行したものとは違った形で、村上博基や長谷川宏らの翻訳で、深い感動、豊富な知識、深く考 えるきっかけを与えてくれる本物の本がたくさん読まれるようになれば、次の上昇局面に入れるのではないかと思う。

 次の上昇局面がはじまる可能性を示す事実がもうひとつある。それは高齢化社会だ。高齢化社会というと、かならずといってもいいほど、マイナスの面ばかり が強調される。だが、高齢化社会とは高齢になっても元気に暮らせる社会なのだ。少し見方を変えれば、これほどめでたいことはない。高齢の人たちは時間を たっぷりもっている。アダム・スミスは晩年に、「若いころに親しんだ本を読みなおすことが最大の楽しみだ」と語っている。そういう人が今後、かなり増える のではないだろうか。幸い、70年ごろに若者だった人たちが今後、引退生活を送るようになる。若いころに親しんだ本を読みなおしたいという人がかなりの数 になっても、不思議ではない。

 いまは若者文化が盛んなので、出版業界でもどうすれば若者に売れる本が作れるかばかりを考えているようなところがある。だが、団塊の世代が引退生活を楽 しむようになれば、この世代が書籍の大きな市場になる可能性もあるのだ。