翻訳とは何か――研究としての翻訳(その5)
河原清志
メディア翻訳
 
翻訳について語るとき、その9割9分はいわゆる「プロ」の翻訳家(翻訳者)による翻訳を対象にしている。しかし、人類全体の情報の生成・伝達・受容・解 釈・編集などの一連の情報過程において見過ごされてきていることがある。それは、「ノンプロ」による「翻訳(的)行為」(translational / translatorial act)がいかに全人類の情報過程に深く関わっているか、である。今月号は、ジャーナリズム、とくに新聞という媒体(メディア)における翻訳行為につい て、翻訳学からアプローチし、どのような普遍性と特殊性があるかについて議論したい。(本稿は2010年1月・立命館大学での「日本の翻訳学の行方」で発 表した内容に準拠している。)

メディア翻訳とは何か――翻訳的行為の普遍性
 メディア翻訳には両義性があり、(1) マルチ・モーダルなメディアにおける翻訳(映像翻訳・舞台翻訳・ビデオゲーム翻訳など)、(2) ジャーナリズムにおける翻訳(マスコミにおける翻訳)とがある。(1) は一部、ファンサブの分野でアマチュアによる字幕翻訳が見られるが、基本的には翻訳の「プロ」による翻訳行為の産物である。しかし、(2) はいわゆるジャーナリストが手がける翻訳(的)行為によるものである。
 筆者が翻訳通信100号において翻訳学における8つの多様性について述べたなかに、「(5)『翻訳行為』の『主体』の多様性:だれが翻訳をするのか? ――プロの翻訳者、多分野におけるノンプロによる翻訳行為、素人の翻訳行為」がある。この「多分野におけるノンプロによる翻訳行為」の典型例が、ジャーナ リストによる翻訳行為である。
 ジャーナリストのなかには、語学力が優れている人たちが多くいて、翻訳のプロに匹敵する翻訳力を有している人たちもいる。しかし、ジャーナリストは自ら を翻訳家(者)とは認めない。

 ある程度確証を持って言えるのは、言語の境界を越えて情報が移動するにつれて、さま ざまな情報源は削除、編集、合成され、「直訳」だと称するものが改変されるといった、あらゆる変容を情報が受けることである。また明らかなのは、多くの ジャーナリストが自らを翻訳者であると称することにかなり困惑することである。むしろ、ジャーナリスト=翻訳者、国際記者、あるいはもっと一般的に、単 に、別言語の知識を持つジャーナリストと自称するのを好んでいる。このような意義づけは目標文化を強調するものであって、翻訳プロセスのリライトの側面に 焦点を当て、文化的な理解や目標文化の規範の知識は言語間転移という現実的な段階よりも重要だと捉えている。
(Bielsa & Bassnett 2009, pp. 14-15。筆者訳)

 筆者が数名の国際ジャーナリストに取材した結果も同じであって、彼(女)らは翻訳行為を日常的な業務のなかで常に行っているが、あくまでも情報の取材、 編集、伝達が主たる業務であり、アイデンティティもそちらにあるとのことである。
 このことを筆者は重要であると考えている。我々が日ごろ目にする情報、耳から入ってくる情報には、相当程度の通訳も含めた翻訳行為が介在している。しか し、その多くは、プロの翻訳者が翻訳しているものではなく、むしろ翻訳業とは別の業務を主とした他分野のプロが翻訳を行った情報がメディアを通して末端で ある我々読者、視聴者に届けられているのである。また、ビジネスの場面においても、いわゆるプロの翻訳者が行う翻訳とはややかけ離れている要約的な翻訳や 他言語のテクストをリライトして日本語に直したものを目にすることが多い。
 このことは、2つの示唆を含む。ひとつは、翻訳学の研究対象にこのようなノンプロによる翻訳(的行為)を包含させる必要があること。もうひとつは、今後 の翻訳教育においては、純然たるプロ翻訳者を養成することのみを念頭においた翻訳教育を行うのではなく、むしろ学生が実社会に出たあとで、さまざまな業種 のさまざまな業務で要求されるバイリンガル能力(近時はプルリリンガル能力と言っている)を養成する一環として翻訳教育を位置づける必要が特に大学の学部 レベルであること、である。
 メディア翻訳を追究することにはこのような普遍性があるが、翻訳教育については論を改めることとし、ここではメディア翻訳の特殊性について論じてみた い。

メディア翻訳とは何か――特殊性
1.序論
このメディア翻訳は、メディア論・ジャーナリズム論においても、また翻訳学においてもほとんど扱われてこなかった分野である。そこで本稿では国際ニュース 報道記事制作における翻訳プロセスを取り上げ、従来の翻訳学上の概念である「等価」、「起点テクスト/目標テクスト」、「直訳/意訳」、「異質化/受容 化」などを再考しつつ、マルチ・グローバル・メディア時代の日本における翻訳学の新展開について概観してみたい。
これまで、メディア論・ジャーナリズム論において国際ニュース報道記事の研究は盛んに行われてきた(日本の研究では例えば、武市・原2003; 伊藤(陽)2005; 伊藤(守)2006; 伊藤(陽)・河野2008など)。ところが、その制作過程において翻訳行為が深く関与していることは等閑視され、研究の対象とはされてこなかった(英語 ニュースの特徴分析などは、浅野1992; 藤井2004など。なお、藤井1996はニュース英語の翻訳プロセスを扱っているが、具体的な編集技法としての翻訳を扱っているのみで、その社会的意義な どは深く論じていない)。
また、翻訳学において、従来は文芸・出版翻訳をプロトタイプとした議論が盛んであり、他方、翻訳産業の市場のかなりのシェアを占めてきたローカリゼーショ ンの研究や、言語テクスト外の要素も多分に関与するマルチメディアの翻訳(映画・テレビ・舞台などの字幕・吹き替えの翻訳)の研究も翻訳学の別の機軸とし て近時、展開されてきている(概説的な説明はMunday 2008第11章を参照)。このような学説状況の中、国際ニュース報道における翻訳は研究の対象としてとりあげられないままであったが、画期的な著作が現 れ(Bielsa & Bassnett 2009)、必ずしもプロの翻訳者による翻訳行為ではない、メディア翻訳という新分野の研究領域が開拓され始めてきたところである。第四の権力と称される マスメディアの社会的な影響力に鑑み(いわゆるレペタ訴訟に関して、樋口 1992, pp. 228-229)、日本においても改めて翻訳学の視点から国際ニュース報道に関する研究を行う必要性は十分にあると言える。

2.国際ニュース報道記事の制作過程
メディアをめぐる翻訳の状況は、典型的な出版翻訳や産業翻訳とは異なり、(プロの翻訳者ではない)報道関係者自身が翻訳行為を兼ねた業務を行う半面、翻訳 者の訳出行為を制約しつつも一部、プロの翻訳者に訳出を任せているプロセスもある。その一方で、現地で通訳者・翻訳者に取材・情報収集行為を担当させてい る場面もあるなど、翻訳行為の主体の面でも、記事作成行為全体における翻訳の関与の度合いの面でも、「翻訳」という観点からは極めて特殊性がある(本稿で は、プロの翻訳者が関与している局面は取り上げない)。
具体的には、筆者が複数の新聞記者、通信社の編集者にインタビューした結果によると、大きく分けて国際ニュース報道記事の制作では、以下の3つのプロセス がある。

@通信社や放送局など現地メディアが発信した記事やニュースの国際部(外報部)記者に よる翻訳(直接翻訳)
A現地メディアからの情報収集・編集による記事作成(複合プロセス)
B海外に派遣された特派員の直接取材による記事作成(直接取材)
(Kawahara & Naito 2009; Kawahara 2009)

詳細に見てゆくと、@直接翻訳(direct translation)はロイターやAPといった通信社が配信する外国語(ほとんどの場合、英語)による記事を国際部(外報部)の記者が翻訳し、編集を して最終プロダクトとしての記事を作成する場合や、CNNやBBCといった放送局が配信する外国語のニュースを国際部の記者が翻訳し、編集をして最終プロ ダクトとしての記事を作成する場合がある。その際、情報源が外部機関報道のものであるので、情報源の名称を引用する。
次にA複合プロセス(complex process)は、現地スタッフという取材・翻訳補助要員が現地の新聞記事やテレビニュースから重要な情報を選んで特派員が必要とする言語に翻訳ないし 要約をする。そして特派員は現地スタッフの助けを借りて現地メディアが伝えたニュースの情報源ないし関係者に対して取材を行い、日本語で記事を書いて東京 本社に配信し、本社で記者によって編集が行われて最終プロダクトとしての記事を作成する。
B直接取材(direct coverage)は日本から派遣された特派員が現地の取材対象者に現地で使用されている言語を用いて取材を行い、その後、直接日本語で記事を書いて東京 本社に配信し、本社で記者によって編集が行われて最終プロダクトとしての記事を作成する。
 これら3つのプロセスにおいて、@通信社配信の記事の国際部(外報部)記者による翻訳、A現地メディアからの情報収集・編集による記事作成、の2つの過 程において、“transediting”と呼ばれる「翻訳+編集」という複合行為が関与している。これは1989年の第4回スカンジナビア英語研究会議 でKaren Stettingが提唱した概念で、概略は以下の通りである。

ニュース翻訳では、ジャーナリストは目標言語のメディアの規則や慣行に従ってそのコン テクストに合致するようにテクストをリライトしなければならない。これには起点テクストの変容が相当程度伴い、結果として目標テクストの内容が大きく変 わってしまう。他方、ニュース翻訳のプロセスは編集プロセスとそれほど違うものではなく、ニュース記事がチェックされ、修正・訂正され、洗練されて発表さ れるのである。
(Bielsa & Bassnett 2009, p. 63。筆者訳)

つまり、新聞記者やジャーナリストによるニュース記事作成における翻訳行為は、本来の業務であるニュースの編集行為の一環として行われており、当然、編集 作業に伴う(中立的な意味における)情報操作を伴うものである。この情報操作性の具体的な内容は以下のとおりである。

特筆すべきは、ニュース記事の翻訳においては、削除が重要な方略となる。ニュース記事 の情報は特定の限定された地域(つまり目標言語の国の)読者のニーズに合わせて調整される。ニュース記事の翻訳にはあらゆる種類のテクスト操作が伴ってお り、それには合成、削除、明示化、その他多様なテクスト方略が採られる。
(Bielsa & Bassnett ibid., p. 8。筆者訳)

 このような特性を有する国際ニュース報道記事の制作過程における「ニュース翻訳」は、翻訳学の見地からはどのように評価できるだろうか。

3.翻訳学からの考察
国際ニュース報道記事の制作では編集行為と翻訳行為が錯綜し、「翻訳」という概念自体の見直しを迫られる。また、前節で見たように記事自体が同一言語内で 多数の人間の“rewrite”作業を伴った複雑なプロセスを経て制作され報道されていることや、マスメディアの業務が世の中の出来事(という記号)を言 語(という別の記号)で伝達することであることに鑑みると、マスメディア自体がヤコブソンのいう3種類の翻訳(記号間翻訳・言語間翻訳・言語内翻訳)を内 包した営みであるといえる。そこで、広義の「翻訳」の観点からマスメディアの営為を再構成すると次のようになる(Kawahara & Naito 2009)。

(1) Intersemiotic Translation: 記号間翻訳(出来事を言語で表現する)
(2) Interlingual Translation: 言語間翻訳(ある言語を別の言語に翻訳する)
(3) Intralingual Translation: 言語内翻訳(ある言語内で言い換えをする)    (Jakobson 1959/2000)

下の図にあるように、最終的に発表する記事に仕上げるまえに、さまざまな情報源を使って、元々の取材情報の加工、削除、追加、圧縮などの編集を行う。国際 ニュース報道記事の制作では情報源たる起点(テクストないし情報)が、ある出来事を取材した情報の断片であったり、現地語で発信された新聞記事やテレビ ニュースなどの言語情報であったりする。さらに、編集作業をする中で、随時アップデートされる取材情報、他のニュースソース、あるいは日本語で書かれた同 一出来事を扱った記事などを起点としてさらに目標たる新聞記事が修正される。このような複雑な過程を経て初めて最終の記事になる。つまり、翻訳学で当然視 されている「起点テクスト」や「目標テクスト」という概念(Chesterman 1997の言うスーパーミームの1つ)自体、ダイナミックに揺れるものである。メディア翻訳

「起点テクスト」はテクストに限らず、さまざまな記号(取材対象たる出来事、取材情報の断片など)であり、それが常にアップデートされ更新を繰り返すし、 そのことを受けて暫定的な「目標テクスト」自体も常にアップデートされ編集を繰り返し、最終の記事が出来上がるまでにどういう起点情報がどの程度採用され ているのかの同定が極めて困難であるという特徴がある。したがって、従来の概念である「等価」(Chestermanのスーパーミームの1つ)も、一体何 と何の等価なのかが定かでなく、この概念自体、揺さぶりを受けることになる。
 ここで、前節の3つのプロセスを改めて分析してみる。国際ニュース報道記事の制作プロセス全体の中に本来の意味での翻訳(interlingual translation)行為性が関与する度合いは、@>A>Bと表せ、具体的には以下のマトリックスで示される(表の中で、要素の強い順に、◎>○>△ で表している)。

news translation      dimensions of translation
                           (1) 記号間  (2) 言語間 (3) 言語内
process @                     △          ◎            ○
(direct translation)
process A                     ○          ○            ○
(complex process)
process B                     ◎          △            ○
(direct coverage)

このことが意味しているのは、@>A>Bの順で本来の意味での翻訳行為性が関与する度合いが高いため、それに連動して「言語テクストを起点とした翻訳」と いう行為性も強い。そして“transediting”と考えられるニュース翻訳は、翻訳行為一般が有している創造性とイデオロギー性を備えているといえ る。

翻訳とは、単なる忠実な再現行為ではなく、むしろ選択、組み合わせ、構造化、模造とい う意図的で意識的な行為である。そして時として、改ざん、情報の拒絶、偽造、暗号の創造ですらある。このように、翻訳者は想像力豊かな作家や政治家と同じ ように、知を創造し文化を形成するという権力行為に参画している。
(Tymoczko & Gentzler 2002, p. xxi)

「直訳/意訳」(Chestermanのスーパーミームの1つ)で言うならば、ニュース翻訳は当然「意訳」であるし、「異質化/受容化」で言うならば大幅 な受容化(domestication)を行っていると言える。これは、客観報道主義という理念(Westerståhl 1983によると、真実性・関連性・均衡性・中立的表現がその構成要件である。歴史的経緯などはシーバートほか1956/1959など)に反し、実践的に は、一連のニュース生産過程の中で、読者の関心の分布状況を常に意識してニュースとして扱う出来事やその記事の重要度が判断されるというニュース・バ リュー(Shoemaker & Reese 1996)が支配的であること(大石 2005)に呼応するものと言える(その他のメディア報道の主観性・偏向性に関する議論は割愛する)。つまり、@>A>Bの順で、テクストを翻訳するとい う行為に、メディアが本質的に抱える情報の操作性が大きく反映されている、と言える。

4.おわりに
このようにマルチ・グローバル・メディア時代の「日本における翻訳学の行方」には、メディアに内在する起点の複層性に加えてメディアがマルチ化・グローバ ル化したことにより、ニュース翻訳では起点そのものが揺れ、目標も不確定で暫定性を帯び、従来の翻訳学の概念装置である「等価」、「起点テクスト/目標テ クスト」、「直訳/意訳」、「異質化/受容化」の概念もまた揺さぶりをかけられるという新たな展開(転回)が待ち受けている。

参考文献
浅野雅巳(1992)『英語メディアにみる表現と論理』研究社出版
伊藤守(編)(2006)『テレビニュースの社会学』世界思想社
伊藤陽一(編)(2005)『ニュースの国際流通と市民意識』慶應義塾大学出版会
伊藤陽一・河野武司(編)(2008)『ニュース報道と市民の対外国意識』慶應義塾大学出版会
大石裕(2005)『ジャーナリズムとメディア言説』勁草書房
シーバート, F. S.ほか(1956/1959)内川芳美(訳)『マス・コミの自由に関する四理論』東京創元社
武市英雄・原寿雄(編)(2003)『グローバル社会とメディア』ミネルヴァ書房
藤井章雄(1996)『ニュース英語の翻訳プロセス』早稲田大学出版部
――――(2004)『放送ニュース英語の体系』早稲田大学出版部
Bielsa, E. & Bassnett, S. (2009) Translation in global new, London & New York: Routledge.
Chesterman, A. (1997) Memes of translation, Amsterdam & Philadelphia: John Benjamins.
樋口陽一(1994)『憲法』創文社
Jakobson, R. (1959) On linguistic aspects of translation. In Venuti, L. (Ed.). (2000). The translation studies reader, London & New York: Routledge.
Kawahara, K. (2009) “The role of translators and interpreters in the Japanese media analyzed from the audience’s point of view” Reitaku University Journal, 88: 63-79.
Kawahara, K. & Naito, M. (2009) “Roles of news reporters in translation process at Japanese newspapers: Conflicts between translation and manipulation” in IATIS conference, oral presentation.
Munday, J. (2008) Introducing translation studies, (2nd ed.) London & New York: Routledge.
Shoemaker, P. & J. Reese, S. D. (1996) Mediating the message, (2nd ed.) Edinburgh Gate: Longman.
Tymoczko, M. & Gentzler, E. (Eds). (2002) Translation and power, Boston: University of Massachusetts Press.
Westerståhl, J. (1983) “Objective news reporting: General promises” Communication research, 10 (3): 414-421.