翻訳者への助言
柴田耕太郎 アイディ英文教室主宰
翻訳の営業
(0)前説
大した収入にならないのが分かっていても、翻訳を志す人は多い。そういう人たちの役に立とうと、ささやかながら傾向と対策を教えたり、仕事を紹介したり
してきた。
以前、志望者を選抜のうえ、TからWまでのランクに分け、実践で鍛えたことがある。十数年経ってみて、現在活躍している人とそうでない人の当時のランク
付けが必ずしも一致していないことに気付いた。それどころか、実力なく途中でお引取り願った人や、さらには最初から駄目だと落とした人でも、今その訳書が
目に触れることがある。
自分の見る目がなかった、のだろうか。仲代達矢だとて上川隆也(「大地の子」で脚光)をその私塾「無名塾」の入門試験で落としたのだから、才能を見抜く
のは至難の業なのかもしれない。
とはいえ、私の教室で過去親しく教えた延べ14年間150人のうち、少なくとも40人以上が自分の名前で訳書を出しているのだから、大筋まちがった選択
ではなかったはずだ。
では、低ランクの翻訳志望者または不合格者で、現在世に出ている出版翻訳者はどのようにして関門をくぐり抜けたのだろうか。「努力とか忍耐」といった面
での分析は別の機会に譲るとして、私が大きく感じるのは、そうした人たちは広い意味での「営業の才」があったのだろうということだ。営業方法にはいろいろ
あって、個々人によって違わざるをえず、逐一例を挙げればきりがない。
そこで視点を変え、翻訳会社の営業実録を公開するので、個々人の翻訳営業のよすがとしていただきたい。ちなみに、私が最近まで代表を務めていた潟Aイ
ディは翻訳会社としては老舗であり、2、3人の所帯から最大時は契約者も含め50名、自社ビルと分不相応な別荘を有し、手広くやっていた(過去形、ト
ホッ)。その営業は、かなりの部分、代表である私自身が推進したのだが、営業は頭か体か時間(またはその全部)を使うもの---しかもプライドと誠意を失
わずに---であることが、読んでもらえれば理解いただけると思う。
では、以下具体例を…
(1)営業とは何か
何年か前、流行らない飲食店を繁盛店に変身させる、テレビ東京の人気番組『貧乏脱出大作戦』が好きで、いつも見ていた。
ある回で、腕は立つのに一向に客に恵まれない食堂の店主が、料理達人に弟子入りし、その腕前を披露した。達人が思わずつぶやく「腕はいいじゃないか」。
貧乏店主、誇らしげに答えていわく「うまいものを作っていれば、お客は必ず来てくれると思います」。達人、いったん、そうだなと頷いたが、まてよと一言。
「今は(昔とちがって)うまいものを出すのは当たり前だ。どうやってお客を引っ張ってくるかが、問題だ」。
確かに。昔はまずい店ばかりで、うまいものを食わせる店があれば、みんな労を惜しまず出掛けていったはずだ。いまではどの店もそこそこ旨い。となると、
まず自分の店をどう潜在顧客に認知させるかが、重要なのだ。
これは、あらゆるサービス業にあてはまる真理だと思う。かつて私は、ラジオ・ドラマの主役を演じ、名子役といわれた(「中央公論」)ことがあるが、あの
程度の演技をできる子どもは、今ならいくらでもいよう。翻訳業界に目を転じてみれば、高等教育の普及に伴い、翻訳が高度の専門技術であった時代は過ぎ、そ
こそこのものなら「どの社」「どの訳者」でもこなせる時代になったのである。
まずこの店が味はよく、くつろげる店であることを、知らせねばならない。この活動が広義の営業といえる。そう、翻訳でいえば、当社の存在を潜在顧客に知
らしめ、発注に至らしめること、なのである。
(2)顧客の発掘 その1
では営業にはどんな手法があるのだろう。
@飛び込み
度胸をつけるにはよいが、やたらにやっても効果はない。一流のビルの、需要がありそうな会社の、需要がありそうな部門の、親切そうな窓口の人に、用件を
手短にいって、当該部門の人を紹介してもらう。少なくともどの部門の、出来れば誰が担当か、情報をもらう。うるさくない程度に食い下がること。
ADMはがき
とにかく数を出すこと、ターゲットは広くとること。返信者には特典をつけたり、さらに当該部門情報提供につきグッズ贈呈など、返信が来やすいよう工夫す
る。百や千の単位では効果がない。万の単位で計画的に出す。返信があれば、すぐ反応すること。社業の空いた時間を見つけ、こまめに書くこと。でないと、書
くことが目的化し、書くだけで仕事をやっているような悪しき満足感にひたってしまうことになる。
Bインターネット
翻訳をはじめて依頼しようという顧客は、まずインターネットで業者をあたろうとすることが多いだろう。多少の費用を掛けても、当社にアクセスしてくれや
すい環境を整備しなければならない。そのうえで、アクセスした潜在顧客が、興味を持ってくれるような画面づくりが必要。ビジュアルを増やす、社の実績、社
長の信用、発注者への特典(グッズ、小冊子、無料添削など)、イメージと信頼感、お得感を前面に出してゆかねばならない。
C紹介
日常、よい仕事をすることが最大の営業ではある。ご紹介いただくことは、担当者にも、社自体にも名誉なことである。紹介者に感謝し、お礼とささやかなノ
ベルティを欠かさないこととしたい。また旧・現顧客に特典つきの紹介依頼状を出すことも、検討に値する。
D休眠客掘起し
不精してはだめ。かならず電話で攻める、それも件数をまとめて一気にやる。仕事がないのか、値段が高いのか、質がわるいのか、それとも別の要因なのか、
必ず確かめる。だめであっても、礼状を添えた当社パンフレットを送っておく。確率は低くとも、いつ、なにがあるか分からないのである。営業とは地味で、成
果まで時間のかかるものなのだ。
(2)顧客の発掘 その2
E展示会資料
ずっと以前、展示会をこまめに回るのだが、「おもしろかった」「つまらなかった」と感想を述べるだけで、何のために展示会回りをするのかわかっていな
い、とっちゃん坊やのような社員がいたが、それでは困る。営業のための貴重な情報を集めにゆくのである。翻訳需要がありそうな展示会か、そのなかでどの社
のどの部門がさらに出そうか、現場で感覚をチェックし、戻ってから可能性の値踏みをする。ベテランであれば、カンの働くままにターゲットをしぼってもよい
が、新人の場合はともかく端から端までやってみるつもりで、資料に基づいて電話する。展示会の担当はたいてい広報や営業部門の人だから、結構こちらの知り
たいこと(翻訳の有無と担当セクション)を教えてくれるはずだ。たまにじゃけんにされても、気にしないで、すぐ気分を変えること。
F新聞・雑誌記事を見てtel
日頃から、そう自分の自由な時間においても、翻訳周辺の出来事には関心を持っているべきだ。「公私を分けているので、仕事時間以外は一切翻訳のことは考
えないようにしている」という社員がいるとしたら、本人にも会社にも不幸なことだ。公私でもってさっぱり切れるような仕事をしていて、本人は満足なのだろ
うか。
外国雑誌の日本版が出るという記事を見たら、これウチで翻訳やれたら面白そうだ、とか、外資と日本企業の大型合弁の話が出ていたら、翻訳業務ででっかい
ヤマが当てられそうかも知れない、と血がうずく程度にはこの業界が好きでなければ、ずっとやってはいけまい(どの業界でもこうした興味の持ち方は必須であ
る)。朝一番に来て、さっさと新聞に目を通し(だらだら読むのは家でやること)、始業と同時に該当記事の出所に電話する、これが社会の第一線にかかわって
いる醍醐味だと思うが如何だろう。
G調査を装う
情報ソースの如何にかかわらず、狙いを定めた会社の当該セクションに迫るやり方の一つとして、営業っぽくなく近づく方法がある。多少ウソも方便に近くな
るが、例えばコンピュータ会社に対してであれば、マニュアル製作の苦心所を「取材」させてもらう、ということで近づく。「出版社より編集を請け負ってい
て、そのあたりの取材」というわけである。人は、営業には身構えるものだが、自分のことを聞いてくれるとなると、脇が甘くなるものなのである。方便にはい
ろいろあろうから、各自工夫してやってみてほしい。本当に興味深い話が得られたら、そのとき出版社に、企画を持ち込めばよいのである。
(3)モデル営業活動
営業の基本は、見知らぬ人への売り込みである。もちろん自社商品を売り込むわけだが、それには自分自身を売り込む必要がある。自信がなかったり、妙に自
信をもったり、はダメ、まず
@商品知識---自社商品を熟知すること
A信用を売る---魅力ある自分になること
B相手に得をさせる---顧客の立場に立つこと
このうえで、適正な料金を頂戴するのである。
自分で仕事を取ってこそ、一人前のコーディネータ。当初、仕事をとるには、並々ならぬ努力(時間と頭と体を全部使うのだ)が当然必要である。たとえば、
こんな風に自分に一度、義務を課してはどうか。
午前)9:00〜9:30 資料整理
9:30〜12:00 TELセールス(20本、つながった相手の数)
午後)13:00〜16:00 見込み客訪問(2件)
夕方)16:00〜18:00 受注物件手配
これを3ヶ月続ければ、TEL1200本→見込み客訪問120件→受注12件→受注額600万(1件単価50万として)。最初は大変だが、半分が継続客
となって残ってくれれば、かなりの基礎数値が見込め、余裕をもって営業活動ができるはずだ。なによりも自分がつかんだお客様って、本当にうれしく、また自
信につながるものなのである
(4)成功実例 その1
わたしが経験した実例をドキュメント風につづってみよう。
例T 問い合わせを逃がさない---A社の場合(5000万〜)
かなり遅くまで残業していてもう帰ろうかなと思った時、事務室のベルが鳴った。こういうのは大抵、やっかいな電話だ。だが、サービスを業としている以
上、とらねばならない。取引先の広告製作会社の紹介だが、中国語の大量・緊急翻訳物件を抱えている。他にも当たっているが、当社でできるかとのこと。
2週間で1000枚の和文中訳物件。普通なら出来ないと断るところだが、単価8000円として800万円になる仕事。2週間必死で動き回っても、採算は
とれるはずだ。5分後に連絡するといって電話を切り、翻訳者リストに頭をめぐらす。個人翻訳者を集めてもだめだろう、処理枚数と訳文の統一性に難がある。
外注先のα社はどうだ。中国語の達人を豪語する○氏と中国語ネイティヴの奥さんが主宰する翻訳事務所で、大量翻訳処理の設備投資も進んでおり、弟子もたく
さんいる。
○氏に問い合わせると、出来るとのこと。ただし、原稿整理、専門語のチェック、レイアウトはこちらでやってもらいたい、とのこと。よし、決まりだ。さっ
そく、翌朝いちばんで、横浜のはずれにあるA社の事業所へ出かけ、先方担当者と段取りを打ち合わせし、原稿を受け取り、その足で都内のα社へ向かった。こ
の時点で、○氏の要望に応えるべく、前夜探しておいた多少の中国語心得のあるアシスタントを同行した。
応諾の返答も、客先との打ち合わせも、外注先との共同作業も、一気呵成にやる。これがこのような突発物件で肝心なことだ。あとは、α社を信頼し、進捗状
況の確認と周辺雑事の処理で日をすごすのみ。
客先が指定した納品期日は、船積みギリギリであって、決して延ばせない。α社には一日短く納期を言っておいたのが、助かった。どうしてもあと一日掛かる
とギリギリになって、泣きが入ってきたのだ。こちらもいたたまれず、○氏の事務所に出かけ原稿の照合作業を手伝うが、納品当日の夕刻になってもまだかなり
の修正がある。A社には翌朝の始業時までに完納するので待ってくれるようお願いした。当日朝、6:00に不安な気持ちでα社を訪れると、完成していた!
地下鉄、東海道線、私鉄、タクシーと乗り継いで、A社事務所に着いたのは8:50。先方担当者の、やきもきする顔が目に入った。それが数分後には、笑顔
にかわり「いや、ありがとう」の一言をもらって、わたしは事務所を出た。随分気を使う仕事ではあったが、やってよかった。大きな仕事をやり終えた満足感
で、街道沿いの変哲もない喫茶店で飲むモーニング・コーヒーがやけに旨かった。
A社はその後も、当社担当者のフォローよく、累積で5000万以上の仕事になっている。
(4)成功実例 その2
例U ご紹介を逃がさない---B社の場合(10000万)
大口顧客のβ社の営業課長○さんからの紹介だった。社は英語版を日本語化したコンピュータ教育教材を販売しているが、その売り込み先のB社の担当者と雑
談をしていたら、翻訳に困っていてどこか業者を探している、とのこと。
すぐにB社に電話して、アポをとった。当時日本の企業でしかできない技術を、中南米に移転するにあたってのドキュメント(技術資料)一式が、それこそト
ラック一杯分あって、社員の手ではとても処理しきれないという。予算は十分ある(当時日本の技術は国際競争力があったのだ。こんな世相も仕事から垣間見え
るのである)から、社員の手を煩わせることなく処理してほしい、といわれた。なんと相見積もりもなく、すぐさま仕事に入った。
第一次、第二次に分け、のべ1年半の作業であった。チーフ・コーディネータ1名、コーディネータ1名、アシスタント1名、そして実作業(英文の編集、と
いえば聞こえがいいが、切り張り・トレース・文字修正など)者最大時8名でのチームで、翻訳者、タイピストも時として張り付かせ、そのため別に作業用の部
屋を近隣のマンションに借りて、毎日遅くまでワイワイいいながら、仕事を進めた。結果として、総額10000万。社員にも臨時ボーナスが出、初期の当社の
翻訳会社としての基盤が整った。
でかい仕事になると、スタッフの気分も乗ってきて、社自体も活気づき、社員の技量も向上、会社も社員ももうかるものなのである。だから大型物件がほしい
のだ。
(4)成功実例 その3
例V DM反応を逃がさない---C社の場合(1000万)
他社のできないことをやろうとはじめた実験的に始めた出版翻訳であったが、めぼしい出版社やコネクション・紹介のあるところを回りきると、次の一手が必
要になってきた。
そこでDMである。潜在顧客も無数にあって的を絞りきれない産業翻訳にくらべて、出版翻訳はその数多いといっても、実稼動している出版社は1000ある
かないか。80円の往復はがきであれば、8万円で当方の存在は全社に伝わる。それで1社80万円の仕事でも受注すれば、最低の利益は確保されるだろう。コ
ストパフォーマンスがいいのである。
結果。1000通出して、アンケートの返信は12通。思ったよりは少なかったが、(A)IDに頼んでみたい
(B)話をきいて検討したい (C)興味はない のうち、(A)と(B)で10通というのは、かなり高い受注可能性である。
一件一件、丁寧に電話して(相手がいなければ、何回もかける。営業っぽさを抑え、文化創生の同志として接する)アポをとってゆく。古いことなので具体的
な数は忘れたが、何件かは受注につながったはずだ。そのなかでいちばんの大口が、C社であった。この会社は書籍マインドのCD-ROMソフトの製作・販売
のため、電機メーカと出版社の合弁で出来たものであった(このような、出来立ての、資金力のある会社には入り込みやすい。常日ごろから新聞等に目を光らせ
ていることが大切)。「いいところへ来てくれました」と担当者に言われた。英語版を基に西洋芸術のCD-ROMを作るのだが、特性を生かして、芸術の解説
を文字と音声の両建てでやりたい。できれば翻訳とナレーションの吹込みまでお願いできれば、との要望であった。こういうとき、日頃の趣味が生きてくる。そ
のころでも、わたしはいくつか著訳書があり、文化的なものの翻訳については信用してもらえたが、くわえて芸術への興味と多少の知識、むかしアテレコ(外国
映画の日本語版吹き替え)の声優や台本作家をしていたことからのアドヴァイスが、さらに相手の信頼を高めたと思う。一枚のトライアル翻訳をもらい、翻訳者
の原稿にわたしが手を入れ、数日後に納品。勿論合格した。売り上げで800万、コスト68パーセント、期間3ヶ月、校正に手がかかるが楽しいしごとであっ
た。
ただひとつ、反省点がある。音声録音は当社スタジオを使い、ナレータはオペレータ○君の使い慣れた人、でよかったのだが、ディレクター(音声演出)を頼
んだ×さん(わたしの旧・翻訳塾に応募してきた元放送局のラジオ・プロデューサ)のセンスがわるく、わけても日本語アクセントが正しくとれないのには閉口
した(ついにはディレクターぬきで録音したほどだ)。このひと、初期の外国映画の日本語版台本製作に従事、転じて放送局入局、ラジオ畑を歩み、音声芸術の
国際的な賞の審査員も勤めていたから、安心して演出をお願いしたのだが…。経歴だけでは人を判断するのが難しいという一例。
(4)成功実例 その4
例W 新聞記事を見逃さない---D社の場合(12000万)
A社はD社社員からのご紹介だが、そのD社は日経産業新聞の記事を見て、接触したものだ。「ビジネス文書管理大手のD社がコンピュータ教育事業に進出-
--同社はテキスト、オーディオテープ、ビデオテープよりなる自学自習用のマルチメディア教育教材の製作販売をおこなうため、近々新会社を設立する。教材
はアメリカのγ社より供与される」。
たったこれだけの記事だが、いつも面白い仕事はないかと目を配っている人間にはピンとくるものがある。
@オリジナルが英語であれば、日本語化するはず
Aテキストの翻訳だけでなく、録音、撮影の仕事もあるだろう
B新会社をつくるというからには、相当量が永続的に見込めるのではないか。
まず相手を知らねばならない。ビジネス文書管理って何だ?そうコンピュータ周りのシステム化のことか、その市場が1000億(当時)あって、D社は大手
の一角を占めているのだな。多少の周辺知識を仕込んでから、アポをとった。新会社設立準備責任者は○さんと△さん。IBM出身の○さんは、業界のコンサル
タントをしていたが、この事業のためスカウトされた由。△さんはD社生え抜きの一期生とのこと。根アカな○さんとは気が合いそうだが、官僚的な△さんタイ
プはどうも苦手だ。だが営業たるもの、仕事をくれる人こそよい人であって、相手の選り好みをしてはならない。相手好みの自分をつくることも必要だ。
結局、見積もりと製作進行のプレゼンテーションを三社競合ですることになった。当社のほかは、当時業界大手で通訳・国際会議に強い甲社と機械翻訳の草分
けの乙社。
当社はこの仕事のために新たに新聞広告にて翻訳者を募集し、また旧来の翻訳者のめぼしい人には本件のためのオーディションへの参加を呼びかけた。こうし
て選んだ3名の訳文を持って、プレゼンテーションにいどんだ。競合他社と違い、翻訳だけでなくオーディオやビデオの製作にも対応できる利点も強調した(ビ
デオの知識は、制作会社にいた人から即席に仕入れたのだ)。
結果、業歴も浅く、規模も小さい当社が一括受注。発注先担当者との人間関係で苦労もあったが、月づき300〜400万平均のしごとが数年続き、当社の基
礎数字の確保に貢献した。この数字があるから、余裕をもって、つぎの戦略展開がはかれたのである。
だが、結末は急にやってきた…。トップが交代し、新しいトップは一連の作業見直しと称し、内部体制改変と同時に、お決まりの外注費削減を宣言した。いや
受け値が下げられたのはなんとか工夫でしのいだものの、最終的に、そのトップの懇意(生臭くてまだ書けない)にしている業者に仕事は丸ごとふられてしまっ
たのだ。残念ながらこれは不可抗力としかいいようがない。
(4)成功実例 その5
例X 展示会資料を活用する---E社の場合(800万)
アップル・コンピュータのフェアであった。幕張まで出かけて、めぼしいブースでかたっぱしから資料を漁る。休憩所でコーヒーを飲みながら、営業のヒント
になりそうなパンフとそうでないパンフを仕分けする。なりそうなパンフを社へ持ち帰り、どれをもとにセールスするか、じっくり考える。時間もエネルギーも
一人の人間には限られている。だったら多くの情報から、いちばん効率のよさそうなものを選んでトライせねばならない。営業は頭を使う仕事なのだ。
参加百二十社の紹介が網羅されている総合パンフレット一本に絞った。参加各社の業態、営業内容に加え、フェア担当者の名前までのっている。これは凄い。
そこそこの企業に電話して、翻訳業務とかマニュアルとか海外文書とかご担当の…、とお願いしても曖昧すぎてうまくつながらないことが多いし、交換する人に
こちらの接触希望先の見当がついても、営業だと思われるとつないでもらえない場合もある。もちろんフェアの担当者が翻訳関連部署であるとは限らないが、得
てして広報・宣伝などをやっている人は、人当たりが柔らかく、親切に該当部門を教えてくれたりするものなのである。
えり好みはせず、可能性があろうがなかろうが、全部の会社の人と電話で話すことを義務ときめた。毎朝10時に電話を開始し、昼ちかくまでつづける。単純
計算すれば、一日10本で12日にて完了、のはずだがとてもそうはいかない。電話中、出張中、外出、休暇、打合せ中、などなど、一回で目指す相手につなが
ることはまずないと思ったほうがよい。うまくつながれば、アポイントをお願いする。いまのところあまりない、といわれても、いざというときのためにあらか
じめお聞きいただきたいから、などと粘って、アポをいただく。売り込みに躊躇は禁物なのである。どうしても会ってくれないところへは、当社資料一式にご挨
拶をペン書きでのひとこと添えて送っておく(せっかく出したなら、1ヶ月後、3ヶ月後、半年後、1年後とご挨拶を繰り返すことも大事だ。ちょうどそのと
き、またどこか他の部署にニーズがあるとき、思い出してくれるからだ)。
結果、移転、閉鎖、合併などでどうしても連絡のとれない3社を除き117社とコンタクトした。3ヶ月かかったが、マラソンを完走したようないい気分だっ
た。自分のなかに、営業をイベント化するお茶目心がないと、連日の売り込みはつらいかもしれない。成約に至ったのは3件。頭と体と時間を使えば確実に結果
は出るのである。いちばんの売り上げとなったのは、E社。コンピュータ関連図書の発行元だが、一般書籍をちょうど手がけるところだった。その第一弾、ノン
フィクション4冊を800万で受注した。一般書籍の受注はこのときがはじめてであり、こちらも不慣れだったが、先方も編集力に欠けていた。トラブルもあ
り、コスト78パーセントと高かったが、これでわたしは出版翻訳のノウハウを獲得しえた。真摯に取り組めば、仕事は技量を上げてくれるのである。
(4)成功実例 その6
例Y 飛び込み訪問で情報を辿ってゆく---政府系文化機関Fの場合
(3500万〜)
当社の営業マンが何人かやめ、売り上げがごそっと減ったことがある。DMと電話セールスで小口を着実にふやし、一方、的を絞った営業で大口の受注を狙っ
た。
政府関連の国際機関を飛び込みで攻めた。そのうちで、うまく当たったのがFである。まず受付にゆき、翻訳・通訳関連の部署をきくと、それぞれが適当に内
部・外部で処理しているとのことだった。ならば直接当たるべし。片端から内線電話をしてゆくと、そのうち親切なひとにつながった。じっくり話をきいても
らったうえで、当社業務に関連ありそうな部署と具体的な人名を教えてもらう。そのうえで、「○○さんのご紹介で…」といって(勿論ご本人の了解はもら
う)、もう受付を通したり、内線電話でなく、直接当該部署の部屋におしかけた。十数人まで訪ねたところ、視聴覚課で来年映画祭をやるという情報を得た。早
速、その課の課長、○氏をたずね、翻訳・通訳ができるところならいくらでもあろうが、映画に造詣深い翻訳会社は当社のみ---何しろ国際的映画賞受賞の某
監督には可愛がっていただいて(まるでウソではない)…等々、のトークで相手を信用させ、特命発注(相見積もりなく受注すること)で、一気に3500万以
上の国際イベント「外国映画祭」を受注した。翻訳・通訳のみならず、シンポジウムの設営、マスコミ広報、パンフレット製作、来日監督のエスコート、映画字
幕の制作など、当社ではじめての大型イベントだった。
この進行管理はマネージャー×君の当社での実質的初仕事であった。同君の奮戦よろしく、コストもそこそこに抑えられ、イベントは無事終わった。反省とし
ては、広報の力至らず、また天候に恵まれず、観客動員がいまいちだったことが悔やまれる。
(4)成功実例 その7
例Z 業界調査を装い、実は営業する---G社、機械翻訳プロジェク
トの場合(8000万)
もう知っている人は少なくなったが、じつは当アイディは「電子辞書の草分け」(日経産業新聞)である。孫正義が電卓型のささやかな電子単語帳をつくり
シャープに1億円で買ってもらったのが、いまをときめくソフトバンクのはじまりということになっている。そのあとアイディが大手のソフトハウス、東洋情報
システムと共同開発したのが、「日本初の本格的な電子辞書」といわれる「電字林」。当時、関連業界でもけっこうな話題になった。この話をフリに、コン
ピュータ・ソフトのトップ企業G社
の新規事業部門に売り込んだ。「翻訳業界では将来的に機械翻訳が待望されているが、御社の取り組みは如何か…」というわけである。
新規事業の窓口である社長室につながれ、アメリカ留学から帰ったばかりのやり手の若手(そのあといくらか付き合ったのだが、名前は失念)の某氏が対応し
てくれた。翻訳の発注部門を教えてもらおうとの下心があったのだが、彼は当社の電子辞書実績に興味をもち、ちょうどこれから機械翻訳をやる部門があるから
と、その責任者を紹介してくれた。
その○氏に信用され、G社機械翻訳プロジェクトに製品評価と辞書作りの要員を十名以上送り込むことが決まった。単なる翻訳者ではないので、手持ちのス
タッフリストでは間に合わず、朝日新聞その他に募集広告を出し、必要な人材を集めた。この進行管理はマネージャー×君がつつがなく取りまとめ、3年弱、総
額1億近い売り上げに貢献した。
(4)成功実例 その8
例[ 下請けから直請けに変わる---H社、都下工場人材派遣の場合
(4000万)
JC(日本青年会議所)の先輩、印刷会社専務の○さんから、技術者派遣会社をやっている義兄を紹介された。H社に出入りしていて、海外に出すドキュメン
ト(技術資料一式)の仕事があるのだが、どこか下請けを引き受けてくれるところがないか、とのこと。H社は業者登録制で、なかなか入り込むのが難しい。直
でないのは屈辱的で、当然利益も少なくなるが、仕事をもらえるだけでも上等だ、請けなければ一銭もお金は入ってこないのだから。
決心して先方の課長に会った。H社の子会社、H研究所。つまりH社→H研究所→ナントカ技研→アイディ、のながれで三次請けだ。建設や広告業界によく見
られる構造。下へいけばいくほど、条件はきつくなる。
それでも苦労して、英語と編集とオペレートのできる人材を最大期には8人送り込んだ(そのうちの2人がめでたく結婚)。結構気に入ってもらえたのだろ
う、一年もたった頃、課長に呼ばれ、三次請けはまずいので、ナントカ技研をはずしてもよいかと聞かれた。もちろん異存はなく、ナントカ技研さえよいといっ
てくれれば、と答えた(企業信義上、この配慮は必要)。やがてプロジェクトが縮小になってきたとき、H社本体の主任に呼ばれ、黙守義務のあるおおきな仕事
があるのだが、ついてはH研究所をはずさせてもらいたい、といわれた。これも先方さえよければ、当然OKである。ついに2年かかって、H社の口座がとれた
のである。さあこれから、がんがん開拓して…と思った矢先に、平成大不況。H社もめったことでは派遣人材をとってくれなくなった。
いまは細々ながら、マネージャー×君が、二つの事業所の人材派遣、翻訳を按配している。情報通信事業に薄日がみえる中、また大きく巻き返してほしいもの
だ。
(4)成功実例 その9
例\ 相手の無理な条件をクリアする---I財団(300万〜)
飛び込みセールスで財団関係をあたっていたとき、うまい具合に「ちょうど翻訳を出そうかと思っていたところ」という職員に巡り合った。これも数をこなし
ていればこそのこと、ころりころげた木の根っこはありえない。
○さんというその職員は世界中を漫遊したという変り種。語学への興味もひとしおで、翻訳をめぐる異文化ギャップの話で盛り上がった。信用を得て、当社に
発注してくれることになったが、予算技術上から特命発注にしたい、という。こちらとしてはありがたいことだが、そのための条件を出された。この会社に専一
に依頼するのがよいという、客観的な資料を作ってくれというのだ。これには内心参ったが、二つ返事でOKし、帰りの電車のなかで策をめぐらせ、次のように
決めた。
情報関連の小さな業界紙を出している知り合い(元は当社に取材に来たのだが、同じ友人がいることがわかって仲良くなっていた)に頼み、別刊調査号として
翻訳会社の特集を組んでもらうことにした。うすぺらでタイプ打ちして3、4枚の、主な翻訳会社の特徴を記したレポート。ラフ原稿をわたしが書いて、彼がま
とめた(ウソは書いていない)。謝礼はなし、あとで一杯飲ませることで、了解してもらった。
確かに当社はその当時、建設関連の翻訳受注がわりと多く、少し表現をふくらませるぐらいで相手に納得してもらえる材料はあった(業歴30年を重ねたいま
では、およそどんな分野の実績をだせといわれても、対応できるだろう。これは長くやっていることの強みだ)。
提出して、もちろんパスした。これが300万の初仕事、以後×君が引き継いで、親法人の公団にも食い込んでしばらくよい仕事をしたが、いつからか価格破
壊の同業者に苦戦し、発注は先細りになっているようだ。搦め手をあみだし、また盛り返してほしいと思う。
(4)成功実例 その10
例] 新聞求人情報から発注へ---J社の場合(800万〜)
情報ソースはどこにでもある。
朝日新聞日曜版は求人募集が多くて、楽しめる。もっとよい会社ないかな…いけない、わたしは社長だった。景気の動向や人気業種の推移、求められる人材の
変化などが、容易にみてとれる。
ラブロマンス・シリーズをご存知だろうか。外国に本社のある出版社で、女性向けのソフト・ロマンスに特化した書籍を全世界規模で展開している。あると
き、その日本法人の広告がのっていた。「新たなロマンス・シリーズを始めるにあたり、翻訳者を募集する。力量により上訳、下訳、リーディングなどをお願い
する」とある。
当然、個人を対象にしたものだが、募集側の編集者の立場に身をおいて考えてみれば、煩雑な募集手続き、品質評価、面談などほんとうはやりたくないはず
だ。ここに翻訳エージェントの出番がある。早速、手紙を書いて、採用代行作業を当社にやらせていただけないかと、提案した。
だいぶたってから、編集長の○さんから連絡をいただき、先方にうかがった。おいおい協力していただきたいとの話であった。だがそれからずっと声はかから
ず。だが念のためと思って、わたしが翻訳関連著書を上梓したとき、それを送っておいた。するとすぐに、応答があり、実はその会社をやめ、古巣であるΣ社に
戻り、科学書、翻訳書の編集をすることになった、ついてはこんどこそいろいろ協力をお願いしたいとのことである。この間、一年半ぐらい経っている。一度営
業したら、しぶとく粘るものである。
Σ社では、いきなり世界文学シリーズ30巻の翻訳をやらせてもらった。この頃わたしは、次代の翻訳者養成のための私塾をアイディ内に設けており、翻訳者
の卵を鍛えながら育てていくシステムがうまく起動した。卵は翻訳書デヴューでき、アイディは低い受注単価でも適正利益を得ることができたのである(一冊単
価30万(安い)で、新人翻訳者への払い15万(もっと安い)、別の新人が校正して3万。外注校閲が5万。コストは高いが内部の手はかからないようにし
た)。ニーズとシーズをうまく結び合わせるのが本物のコーディネータだ。その後は、マネージャー×君担当になり子供向け図鑑シリーズ、ムックシリーズな
ど、たてつづけに発注いただいき、合計何千万の仕事になった。いまは、出版不況のせいか発注はとだえているが、また復活してほしいものだ。
(5)失敗実例 その1
過去の栄光は、いくらでも語れるもの。
仕事を取り逃がした実例で、失敗の本質を見極め、以後の営業活動に生かしてもらいたい。
以下はわたしの失敗実例である。
例T 情報は早く入っていたのに、出足が遅かった---東京国際映画
祭の場合
成功実例にでてきた外国映画祭の仕込みの最中、雑談のなかで関係者から別の映画祭が企画されているとの話を、小耳にはさんだ。
東京都と広告代理店の東急エージェンシーが中心になって、カンヌやベネチア、ベルリンに負けない国際映画祭を2年後に開催する計画であるとのこと。この
時点ですぐ営業にいけばよかった。現に外国映画祭を進行させている実績は、だれからも信用されるだろうし、関係者からの紹介で東京都も東急エージェンシー
も当該部署にすぐたどりつけるはずであった。いざとなれば、日本の著名監督に知り合いがいて担ぎだせるし、映画評論の重鎮、代表的映画研究者、外国映画現
場畑の草分け、などお願いすれば人肌脱いでくれるキーパースンが、このとき周りにいくらでもいたのである。
だがわたしはゆかなかった。当面の映画祭のことで頭がいっぱいなのと、こういった映画イベントを仕切れるのはウチが一番、向こうから頼んでくればいい、
などと傲慢にも考えていたからだ。結局、外国映画祭が終わり、しばらく経ってから、関係者某氏の紹介で東京映画祭の実行委員会室を訪ねたのだが、すでに翻
訳・通訳大手の同業他社に事務局は決まっていた。「もうちょっと早く来てくれていれば。おたくがぴったいなのですがね…」といわれたのも、あとの祭り。
この映画祭は毎年開催、事務局予算だけで3〜5億になるという。当社の一大飛躍のきっかけになれたはずの大仕事を逃したのは、いまでも心が痛む。
反省:
@情報は入手した段階で、すぐアクセスすべきである
A営業は仕事をとってナンボ。つまらないプライドは捨てねばならない
(5)失敗実例 その2
例U 情報をキャッチできなかった---L社「電子百科」の場合
L社には人脈があった。ICカードを手がけていたとき、講師をお願いした○さんは大幹部になっていたし、産業系の出版社で付き合いのあった△さんは、L
社出版物の部長で転出してきた。アイディ製の電子辞書を販促課長の×さんが同社のソフトに同梱してくれたこともある。しょっちゅうこういう人たちと付き
合っていれば、またたびたび出かけていって周辺の人を紹介してもらっていれば、大きな魚を逃すことはなかった。
L社が自社製の電子百科事典「××」を製作する、との情報は日経産業新聞ではじめて知った。あわてて伝手をたどって、本件責任者の□さんに面談したが、
とっくに日本語版ローカリゼーションに入っている、百科事典だから相当な量があり助っ人はほしい、毎年改訂するので仕事は切れることがない、とのことで
あった。元請を紹介するのでその下で仕事されたらどうですか、といわれた。
だがその元請は、運の悪いことに当社とは以前トラブルがあった編集製作会社。どうあってもその下請けで翻訳作業をするつもりはない。仕事自体は面白い
し、当社の得意とする文化的な翻訳分野である。元請の実力もよく知っているが、当社が全力を挙げて勝てない相手ではない。早めに情報をキャッチしていれ
ば、絶対とれたのに…。
臍をかむ思いとはこのことか、と頭でぼんやり考えながら、とぼとぼと帰社した。
反省:
@情報を張り巡らすのに、労を惜しまないこと。
A同業・関連他社とは、なるべく喧嘩をしない。
(5)失敗実例 その3
例V 受け入れ態勢が整っていなかった---M社、ローカライズの場
合
産業系出版社にいた○さんがM社に移り、しばらくドキュメント部門を統括していたことがある。当社が電子辞書の草分けであるのを覚えていて、どこかで再
会したときに、声をかけてくれた。
マニュアル日本語版製作の仕事は山ほどある。いちばん食い込んでいるε社などは単年で10億ほどの商いになっている、とのことであった。早速、当時当社
で一番コンピュータに詳しい社員だった某君を連れて、担当の△さんを訪ねた。
△さんは元別の外資系コンピュータ会社の広報社員で、当社に翻訳を発注してくれていた人だった。これは幸先よいと思うもつかの間、話にでてくる用語がわ
たしにはまるで分からない。某君もついてゆくのがやっとのようだ。
それでも○さんの紹介と、かねてからの知り合いだったよしみで、トライアル物件を出してくれた。某君は当社の翻訳者に翻訳適任者がいないのと当社のソフ
ト・ハードツールが満足できないのを嘆きながら、あるものは手作業であるものは知り合いのソフト技術者の手を借りて、なんとかこなしてくれた。
このトライアルは一応合格ということになったが、実作業段階となると進行管理者、翻訳者、必要ツール、いずれも当社には対応できるだけの用意がなく、も
しこの仕事を受けようとすれば莫大な費用と時間がかかり、会社の体質自体変えることになる。それだけの覚悟がわたしにはなく、結局この仕事は辞退した。
経営者、もしくはその周辺でコンピュータを熟知している者がいたら、この仕事は進めることが出来たろうと思うと、はなはだ残念だ。
反省:
@時流の仕事へ対応できるだけの知識は興味をもって学んでおかねばならない
A設備投資ができるだけの利益をつねに確保しておかねばならない
(5)失敗実例 その4
例W 誇り高く動かなかった---日本電子化辞書研究所の場合
日本電子化辞書研究所は政府が肝いりし、機械翻訳の実現を支援する英和・和英辞書作成のためだけにつくられた準公的団体。予算50億円をかけて、3年間
で数百万語の辞書を構築するというスケールの大きな話は、業界のみならず知的世界の話題になった。
このころまともに電子辞書とよべるのは当社がソフトハウスの東洋情報システムと共同開発した「電字林」ぐらいのもの。当然、そのノウハウをもっている
(ほんとうはたいしたことないが、一応の自負はもっていた)当アイディに相談にくるものと、思っていた。日は去り、月はゆくが、ぜんぜんお呼びがかからな
い。よく考えれば、壮大なプロジェクトといっても、しょせん官庁・大企業の出向者の寄せ集めによるもの。ちっぽけな一翻訳業者に、むこうから頭を下げてく
ることなどありえない。 結局、これはまるで接触せずに終わった。伝え聞くところによると、翻訳大手のμ社はじめ何社かが食い込み、結構な値段で、かなり
の額の仕事をこなしたという。
ちなみにこのプロジェクト、官主導のものが往往にしてそうであるように、失敗に終わった。辞書の目的が定まらなかったのと、ニーズを読みきれなかった、
技術の進歩のほうが先にいった、のである。電子辞書草分けの当社がコンサルティングで入っていれば、少しは世の役に立つ辞書が出来たのではないかと、税金
の無駄遣いをうらめしく思う。
反省:
@プライドを捨てよ
A実力を示せ
(5)失敗実例 その5
例X 工夫が足りなかった---G社、辞書プロジェクト第二期の場合
G社の機械翻訳プロジェクトが一段落し、次に機械翻訳用の辞書の構築の話が遅まきながら当社にきた。
先方の開発費用も随分とかさんでおり、第二期ともなると結果と予算という二重の問題が入ってくる。見積もりを提出したが、全然折り合わない。こちらの原
価のまた半分ぐらいの予算をほのめかされた。プロジェクト・チームも解散しており、また同じようなメンバーを集めるのにはこの予算ではムリと判断した。
結果は、わたしの友人のベンチャー起業家、○さんの会社がG社の意向に合う低予算で丸ごと仕事をかっさらっていった。低予算とはいえ、数年の積み重ねで
は5,6千万円の結構いい仕事になった、と当の○さんからあとで聞かされた。
楽な仕事に慣れすぎて、対応力が欠けていたのかなと、今にして思うところもある。
反省:
@情報は早めにキャッチする
Aどんな条件にも対応できるコーディネート力が必要
(6)営業トーク
「彼は能力ある営業マンであった。物を売るにせよ買うにせよ、相手にぴったり合う呼吸をすぐさま身につけてしまうのだ。年寄りには真面目にか
つ気をきかせ、金持ちには追従し、信心深い者にはしかつめに、弱いものには偉そうに、未亡人には危なげに、独身女性にはお茶目で小粋に振舞った」(ロアル
ド・ダールの短編『牧師のたのしみ』より)
いささか茶化し気味ではあるが、営業の極意はこの通り、まず「相手の望む人物に成り代わること」。この段階では、相手・状況によって変えられるよう、い
くつかのトークパターンを準備しておくとよい。
そして、お客が心を開き、自分を信用してくれるようになってから、徐ろに自分を出してゆく。これは楽しい作業だ。短時間で商品を、会社を、自分を知っても
らう。やりかたに定石はないと思う。自分が組み立てた話の流れにそって、論理的に、興味深く、売り込む。朴訥でも、早口でも、生意気でも、業者っぽくて
も、何でも構わない。要は、自分のやりかたで、誠意をもって語ることだ。
ちなみに私の一番多用したパターンは、営業っぽく下手に出て、話の途中からコンサルタントに変身する手法だ。仕事を出してやるという顔でいた見込み客
が、途中でそわそわし出し、しきりに渡した名刺に目をやりだす。「おたく」と呼んでいたものが、「柴田さん」と呼ぶようになれば、しめたもの---御発注
間違いなし!
要点
@とっかかりには演技も必要。
A最終的には誠意と商品知識。
Bトークの準備なしに営業はできない。
(7)営業ツール
・その業種の翻訳実績例---見せて、信用してもらうために
・相手先企業のデータ---ちらちら目をやって、熱心さをアピールするために
・業界の話題記事---話を向けて、教えを乞い一体感を醸すために
[自分用]
・自分が作った翻訳物、編集物、製作物など---実績を知ってもらうために
・自分が感銘した翻訳小説・エッセイ・業界物語など---仕事姿勢を理解してもらうために
・自腹の範囲で差し上げられるアクセサリー、しおり、絵葉書など---印象づけるために
その他、場合により、当社製作物、翻訳図書、制作ビデオ、国際会議写真集など、臨機応変に持ってゆく。
こうした気遣いのひとつひとつが、営業実績の差につながってゆくことを心せよ。
(8)顧客のメンテナンス
@足繁くうかがう
A季節の挨拶を出す
Bニューズレターを送る
C近況をEメールで送る
D別荘をご利用いただく
Eたまには個人的につきあう
Fノベルティ・グッズを差し上げる
G電話で御用聞きする
H相手の得意そうなことで相談にうかがう
I当社に遊びに来てもらって、お茶でもご馳走する
…
ほかにもいろいろ考えられるだろうが、要は
・仕事があればまず声を掛けていただけるようにしておくこと
そのためには、スキンシップが必要だ。いかにインターネット時代といっても、会って顔を見たり、電話で声を聞いたりすれば、それだけ親近感も増そうとい
うもの。
Eメールだけでのやりとりでは、絶対に顧客は落ちてゆく。
誠意をもって、常にレギュラー顧客との接触をはかるよう心がけることが大切である。
ね、営業が一番大切というのがわかったでしょ。
でも、営業が上手くて訳が悪い出版翻訳者が散見されるのは、悲しむべきこと。もし謙虚な編集者がいれば、私のところに尋ねてきて欲しい。翻訳者の実力を見
抜く方法を伝授して差し上げよう。