翻訳教育
白川 貴子
大学における翻訳授業を振り返る
1. はじめに
初めての訳書が刊行されたのはおよそ10年前、それから毎年数点ずつ、英語またはスペイン語で書籍の翻訳に携わってきた。ノンフィクションでは堅い内容
のものから一般向けの柔らかいもの、フィクションは文芸作品、短編集やミステリーなど、いろいろなジャンルを手がけてきたが、翻訳作業は相変わらずたいへ
んで奥が深い。
今年は4月から獨協大学で翻訳の授業を担当し、全14回の講義を終えて一区切りがついたところである。翻訳の指導方法はいろいろあると思うが、このクラ
スでは実践の現場で経験してきた翻訳を中心に、先ずは翻訳の心構えを身につけてもらうことを目標とした。翻訳を学ぶのは初めてという学生が大多数だったせ
いか、最後に提出させたレポートの先入観にとらわれない素直な感想や意見には、教師としての筆者も大いに刺激を受けた。そこで、この紙面をお借りしてその
内容をご紹介したいと思う。授業内容については反省すべき点も多いが、今後の翻訳と翻訳教育を考えるためのご参考になれば幸いである。
2. 翻訳クラスの学生による期末レポート(学生番号順に一部を抜粋。引用箇所は原文のまま)
提出を課したレポートは、翻訳の授業で学んだことを踏まえ、
@ 翻訳にあたって大切と思うこと
A 翻訳をするために、今の自分にとって必要と思うこと
B 理想の翻訳とは
を、A4サイズのレポート用紙3枚以内にまとめるように指示をした。
学生A(3年生、女性、英語学科異文化コミュニケーション専攻)
・
今まで翻訳にあたって大切なことは、どれだけ正確に間違いなく作者の言うことをそのまま相手に伝えられるかということだと思っていました。しかし、(中
略)作者の言わんとすることをしっかりと理解したうえで、自分なりに、自分なりの言葉で訳すことが大切なのではないかと思う。というのも、翻訳時点で、原
作があったとしても、それとは違う新しい本が生まれるのだと考えるようになったからであります。同じ文章でも、訳す人によって訳し方も変わって様々で、一
語一句にとらわれるのではなく、自分の翻訳した本をどういった人に読んでもらいたいのか対象者をしっかりと定めて、そこにいかに自分なりに、自分の個性を
出し、いかに伝えやすくするかが必要だと思うようになりました。
・
きっちりとした英語の基礎力が、翻訳には不可欠だと思います。それを身につけた上で必要なことは、いかに多くの本に触れるか、これにつきると思います。
・
私の理想の翻訳は、原本作者の言いたいことを、伝えたいことを、細かなニュアンスを正確に読みぬき、それをまた、自分らしく自分の言葉で翻訳することであ
ります。(中略)私は、どんなに難しい内容であっても、誰にとっても親しみやすい翻訳がしたいです。
学生B(3年生、女性、英語学科異文化コミュニケーション専攻)
・
授業中に『山の音』やレポーターの英文〔注 筆者の訳書を使用〕を実際に訳してみて、原文の一番言いたい部分を自然な日本語で表現することが一番大切であ
ると感じました。そのためには英語の文法や単語を知っていることは勿論ですが、日本語の表現力も大切なのではないかと思います。
・
私が一番感じたことは、自分の英語・日本語力の乏しさでした。(中略)私は翻訳するのに十分な語学力や文章力や知識、そして他人に分かる言葉で伝えようと
する意識が足りなかったのではないかと感じています。
・ 理想の翻訳は、『日本文の語句の exact English
equivalentを見つけ出し、それを原文の意味の重点が移動せぬよう配置し、しかも原文の情緒や雰囲気を、全体の調子で再現し得るよう努力する、す
なわち原文と均質な訳文をつくる』こと。〔注 参考に配布した資料の佐々木高次著『和文英訳の修行』からの引用。〕
学生C(3年生、男性、英語学科言語専攻)
・
翻訳においては双方の言語に精通していることは必ず必要である。また翻訳にはこの他にもさまざまな知識が必要である。それは翻訳を行う言語の文化的背景や
習慣、その国の常識や自分が翻訳する文章が書いてある内容の専門的知識(もしビジネス関連であるなら英語圏のビジネスの方式と日本のビジネスの方式の違
い)である。
・
翻訳のために自分に必要だと思うことは、英語と日本語の言語知識である。英語だけでなく日本語の知識もまだまだ足りていない。さらに英語圏の文化や習慣、
常識などを身につけていけることが理想である。(中略)翻訳をするにあたって今の自分の能力、知識で十分だと言える能力は何一つないと思う。
・
自分の思う理想の翻訳とは、原文の細かなニュアンスまでもうまく表現できることである。(中略)その国の文化的背景や知識などもできる限り汲み取ってそれ
をできるだけ原文が壊れないように翻訳した文章の中に入れていくことができればさらにすばらしい翻訳だと思う。
学生D(3年生、男性、英語学科文学専攻)
・
翻訳にあたって大切と思うことは自然な日本語に訳すことである。やはり英語を日本語に訳す時、だいたいは直訳になってしまう。(中略)その語彙の意味、
ニュアンスを深く理解することで正確に訳すことができる。だが、これは簡単なことではない。書き手の訳し方によってその訳された作品が固いものになったり
柔らかいものになったりする。語彙、文章の並び、そして作品の理解が翻訳にあたって大切なことではないでしょうか。
・
翻訳のために今の自分に必要と思うことは、やはり英語の文章に触れる機会を増やすことだと思います。しかし、的確なわかりやすい日本語に訳すためには日本
語の本もある程度は読まないといけないと思いました。正しい日本語と正しい英語を両方理解しないといけない。でなければちんぷんかんぷんな訳になってしま
い、直訳になってしまう。(中略)分からない単語にあたったとしても英和辞書に頼るのでなく、ちゃんと英英辞書を引いて英語の理解をきちんと深めたい。
(中略)意外だと思ったのは同じ英文学作品でも人によってとても自由活発に訳されていることだ。なるほど、人の心に訴えかけ、ハートフルな訳を作り出すの
には、想像力が豊かでないといけないのかもしれない。翻訳に答えなどない。それ故に自分にとって上述したことが必要なのかもしれない。(中略)英語を話さ
ない日本人にとって英文学作品は訳者によって最終的に生き返るのである。
学生E(3年生、男性、英語学科国際コミュニケーション専攻)
・
英文の意味がわかることと、きれいな日本語訳が作れるのとでは全く違うのだということに気づかされた。(中略)日本語は古文の時代から主語を省略する癖が
あり、何度も同じ主語で「〜が(は)」と繰り返して書くと稚拙な印象になってしまう。そこに自分で創意工夫が必要だった。また一文が様々な修飾語で長く
なっている文章はどのようにして日本語に直していけばいいかに頭を悩まされた。英語では一文でも、日本語ではある程度句点で切って複文にする方が読みやす
いのではといろいろ考えた。
・
翻訳には正解がない。訳し方は人それぞれである。(中略)原著は一つなのに訳本が複数あり、その中で好きな訳と嫌いな訳があるというのはとても不思議なこ
とである。翻訳において大切なことはここにあると思う。つまり、原著の内容を十分に網羅しつつ、多くの読者に好かれる訳をすることである。翻訳の本質はこ
こにあると思う。
・
文の英文和訳に関する力不足を感じた。(中略)むしろ、英文和訳において大切なのは日本語力なのだなとつくづく感じた。(中略)英語をきれいな日本語に直
すことは難しい。原因をさかのぼれば中学一年生の初めて習う英語の授業に起因してくると思う。(中略)「これはボールですか」「いいえ、これはりんごで
す」なんて笑ってしまう会話もあったりした。英語をひたすら直訳に直し、単語ごとに意味を区切って日本語でつなぎ合わせる作業を中学から高校にかけてして
きたため、英語を自然な日本語に直すという練習が出来てこなかった。もちろん言語習得の初期の段階では外国語を母語で訳す際は直訳の方が効率は良いだろ
う。ただ、それだけでは翻訳の目指す日本語訳は出来ない。翻訳を目指すには英語の学習だけではなくそれ相応の勉強が必要なのだなと思った。
・
原著は一つであってもその訳書は翻訳者の数だけある。(中略)どれが良くて、どれが間違っているというのはある一定以上をいけば後は主観の問題で、ようは
どれが自分の好みに合うかというところに収斂していくのだと思う。ある一定という境界線は書く文章の意味を訳者がきちんとおさえているかどうかという問題
であって、プロの訳者としては当たり前のことに過ぎない。そこから先の頭にある物語をどう日本語に置き換えるかがプロの翻訳者の腕の見せ所なのだと思う。
その中で多くの読者の支持を得られたものこそが理想の翻訳であると思う。
・
昔から英語を好きになってどんどんと勉強するようになった高校生の頃、訳本を読むことに抵抗を覚えるようになってきた。それは本物ではなく偽物を、オリジ
ナルではなくコピーを見ているような感覚があったからである。しかし、今はそれでよいと思えるようになった。訳本は翻訳者の頭を通した一つの作品であり、
それらの中から自分の好きなものを選ぶのも文学などを楽しむ上での一つの楽しみ方なのではないかなと思いました。
学生F(3年生、女性、英語学科言語専攻)
・
翻訳をする際には言語的知識だけでなくそれぞれの国について知っていることが大切なので、各国の文化についての知識が必要だと思う。(中略)また、翻訳を
する時に、外国語を学ぶことに集中しがちだが、外国語だけでなく、正しい日本語表現や日本文の読解力などを身につけることも大切だと思うので、日本語につ
いても勉強するべきだと思う。
・
原文を忠実に再現できることが理想の翻訳だと思う。“忠実に”というのがすごく難しいところだと思うが、(中略)単語によって意味はさまざまだろうし、同
じ意味でもさまざまな言い方があるだろうし(中略)、「アメリカ人が書いているから、こういう表現だ。それを日本人が書くとこういう表現になる」というよ
うに翻訳する国の人になりきれるくらい、表現の仕方などを把握していると原文と同じものができるのではないかと思う。
学生G(3年生、女性、英語学科文学・文化専攻)
・
私が大切だと思う事は、まず一つ目に、読み手のことをよく考えるということである。(中略)二つ目に、原文の特徴を生かした訳にしなければならない。特に
フィクションなどは、物語の雰囲気であったり、言葉の言い回しであったりが大きな魅力の一つであるため、訳した時にその魅力が損なわれてしまわないよう注
意が必要である。
・
私が理想とする翻訳とは、「原文の持ち味を生かした翻訳」である。ただ単に物語の内容が伝われば良いというものではなく、原文を読んだ時と日本語訳を読ん
だ時に、読み手が同じ印象を感じられる訳になっている事が理想で、例えば原文で読んだ時にはこの場面は温かい印象を受けたのに、日本語で読むと冷たい印象
を受ける文章になっている、などと言う事があると、本の作者が意図した「作品」が訳された本を読んだ者には伝わっていないという事になってしまう。原文を
訳す際にしっかりと作品を理解し、作品に含まれている感情や情景を一つ一つ正確に作者の意図どおりに描写していけるようにしたい。
・
翻訳をするために今の自分に必要だと思うことは、もちろん単語の勉強、文法の勉強などの日々の基礎的な学習に加え、様々な本を読んで翻訳のセンスを磨いて
いくという事だ。(中略)そしていろいろな国の土地や気候であったり文化であったり、生活様式であったりといった情報を知る必要もある。例えばアメリカの
田舎について描写されている文を読んだ際に、アメリカの田舎がどのようなものなのかという予備知識がなければそれを思い描く事が出来ず、なぜ作者が舞台に
アメリカの田舎を選んだのかなどという事も理解できない。そしていろいろな文章を何度も何度も自分なりに訳してみるという実践も必要である。(中略)個人
の感覚に偏ってしまわずなるべくいろいろな人からの意見があると、更に良い。
学生H(3年生、女性、英語学科国際コミュニケーション専攻)
・
よい翻訳者というのは翻訳作業を終えた後必ず、自分の翻訳に落ち度がないか確認するのではないだろうか。常に自分の翻訳を客観視できる目を持つというのは
とても大切であり、自分以外の他者の存在を常に意識することは、翻訳には非常に大切だと思う。
・
私に必要だと思うことは、文章力の向上である。(中略)そこで、どうすれば文章力が向上できるか考えてみた。第1に優れた文章で書かれた書物を沢山読むこ
とである。(中略)第2にまめに文章を書く機会を持つことである。(中略)また、文章の繋がり具合を常に意識したい。他人の文章を読むときも、自分自身の
書いた文章を読むときもその繋がり具合に主語と述語がうまく繋がっているかどうか、助詞の使い方が適切かどうか、常に目を光らせたい。日々これを実践する
のとしないのでは長い目で見れば、大きな差が生じてくるのではないだろうか。私は筋道の通った文章を書くにはこれらが不可欠であると考える。
・
私が思う理想の翻訳は、「読みやすい翻訳」である。しかし、「読みやすい翻訳」を文字通りに受け止めると、幼稚な日本語で書かれている方がいいということ
になりかねない。原文の味わいや微妙なニュアンスをすべて取り去り、理解が難しい部分をはしょって簡単にすれば、たしかに文字通りの意味での「読みやす
い」文章になるがそれは理想の翻訳とは言えない。
・
英文和訳型の翻訳は原文に忠実な翻訳を目指していた。だが、原文そのものに忠実に訳そうとしたのではない。原文の構文と単語の訳し方として英文和訳で教え
られている方法を忠実に守って訳そうとしたのだ。その結果、英文和訳型の翻訳では、原文に忠実といいながら、原文とは似ても似つかぬ訳文ができるのが普通
だ。つまり、原文に忠実に訳すという目的を達成できないのである。問題はここにあるのであって、原文に忠実に訳すという目的にはない。「原文に忠実に訳
す」というのは、いってみれば同義反復である。訳すという以上、原文に忠実でなければならない。これに対して「読みやすい翻訳」は、自己矛盾に陥りかねな
い。文字通りの「読みやすさ」を追求すれば、一部の例外を除いて、翻訳ではなくなる可能性がある。「読みやすい翻案」になりかねない。だから、「読みやす
い翻訳」に代わるものとして、新しい言葉が必要なのだと思う。そのような観点から、理想の翻訳とは、「読みやすい翻訳」にかわり、「原著者が日本語で書く
とすればこう書くだろうと思える翻訳」であるのではないだろうか。
学生I (3年生、女性、英語学科国際コミュニケーション専攻)
・
翻訳にあたって大切だと思うことは、もちろん正しく訳すことだと思います。しかし、正しく訳すとは、ただ直訳するというわけではありません。正しく訳すに
あたって、前後のつながりをよく考えたり、その文を作った著者の背景、意図などを読み取ったりして訳すことが重要だと思います。それを可能にするには、や
はり言語能力は大前提です。しかし、言語能力だけでは、翻訳するのに限界があります。それには知識が必要です。むしろ、知識である程度の言語能力はカバー
できると思います。簡単なようですがこの知識とは、とても大事なことだと思います。本などを翻訳する時はその本の著者のことや内容などの基礎知識は最低押
さえておかないといい訳はできないと思います。正しく翻訳し、そしてその次に重要なことは相手にわかりやすく伝えるということだと思います。
・ 翻訳のために今の自分に必要だと思うことは、まず英語の単語や文法を正確に理解することだと思います。
・
理想の翻訳とは、その著者の意図していることを正しく、そして相手にわかりやすく訳すことだと思います。しかし、私が思うに100パーセント正しい翻訳は
ないと思います。いくらその著者になりきって訳したにしても、やはり微妙なニュアンスの違いは出てくると思います。その微妙なニュアンスを理解できるの
は、その張本人だけだと思います。ただ、その著者の微妙なニュアンスに近づくことは可能だと思います。そのためにその著者のことはもちろん、その本の研究
は重要だと思います。そうすれば、理想の翻訳に近づけると私は思います。
学生J(3年生、女性、英語学科国際コミュニケーション専攻)
・
英単語は一つ一つ日本語に訳すことができ、ある単語一語だけならば意味を理解することができるが、前後のつながりを考えることなく訳してしまうと支離滅裂
な文章が出来上がってしまう。(中略)通訳と違って即座に英語から日本語に直すわけでなく熟考するものでもあるのでもっとも適したフレーズを作り出すこと
が重要である。またいくら英語が得意で外国人とコミュニケーションがうまく取れたとしても翻訳後の言語(私の場合は日本語)に長けていなければ翻訳は成立
しない。(中略)いくら全世界で大人気著書であっても訳語によって世界観が大きく異なる。翻訳には英語を極めるだけでなく、日本語も研究する必要があると
思う。
・
普段からあまり書物を読むことがなく、いわゆる活字離れしているのでまずは日本語で書かれた小説、評論、自伝などを読み日本語の表現を身につけることから
始めなければならないと思う。
・
私にとって理想の翻訳とは人を引き付けることのできる文章を作ることである。(中略)逆に大胆な表現を使っていても人の心を打つことのできない文章はたく
さんある。人はみな違う個性をもっているのだからその翻訳者にしか伝えることのできない自分にあった表現や空気感を文章を通して伝えれば良いと思う。
学生K(3年生、男性、英語学科国際コミュニケーション専攻)
・
翻訳にあたり大切なのは、原文の中身を正確に訳すこと。しかし、それでは直訳と紙一重になってしまう。そこで大切なのは、これは日本語母語話者の場合だ
が、日本語で書かれている本、特に日本で名作とされている書物を古今問わずたくさん読み、日本語の表現力を養うことが大切だと思う。
・
翻訳において必要な英語力とは、特にいわゆるinputの力である。したがって私はまず、人様に読んでもらうことよりも、誰かに伝えられなくても良いか
ら、自分でしっかりと理解できる力が必要だと感じる。
・
「理想の翻訳」とは、何も原文の良さを再現するものではなく、「原作の作者がこの言語の母語話者(日本語なら日本人)だったらどういう表現をするだろう
か」という疑問を常に持ち続けながら翻訳された文章こそが、「理想の翻訳」の姿になると思う。しかし、そうだとしたらそのためにはその筆者自身に直接何度
も会って、その人の思想や今までの人生経験などの背景を知る必要があるだろう。「理想」なだけに、これは容易に成せることではないのだろう。
学生L(3年生、女性、英語学科言語専攻)
・
翻訳行為において、いかなる難解な言語であろうと、訳者が翻訳作業を繰り返し、諦めずに翻訳に取り組む姿勢を貫くことが、翻訳にあたって大切であると考え
る。
・
翻訳者は、外国の知識、つまりまだ日本にはもたらされていない未曾有の知識を、翻訳を担当することで、一番初めに知ることができる。これは一種の優越感の
ようなものであり、その知識に関しては一番の研究者になれるのである。このことから、翻訳者は絶えず新しい知識を求め続ける追求者であることが望ましいと
考える。
・
授業で「不思議の国のアリス」の文章の翻訳を学んだとき、実に多くの翻訳者が作り出した様々な翻訳書が存在するのに驚いた。調べてみると、(中略)一つの
文学作品がなぜあんなにもおびただしい数の翻訳書として長年出版され続けているのか不思議に思った。しかし、「アリス」の翻訳書には一冊として完全に他の
翻訳書と同じ文章はないし、翻訳者が定めた対象読者層が違う点を考えると、この膨大な翻訳書にも納得できる。なぜなら翻訳文学の面白さは、その翻訳者の選
んだ日本語の面白さを指すからである。(中略)原文を生かすのも殺すのも翻訳者の日本語である。したがって、翻訳された文章には翻訳者の文章の癖や文体が
反映され易いのである。作者側からしてみれば自分の作品が壊されるという心配な点であるかもしれないが、翻訳者の翻訳フィルターを通過することで、その異
国の作品が日本で受け入れられ易く生まれ変わると考えれば良いのではないだろうか。結局は、作者は翻訳者を信頼するしかないのであるが、翻訳者は翻訳を受
け持つ作品を深く理解し、尊重すべきものは翻訳作品にきちんと残して、慎重に翻訳することが大切であると考える。作品を理解する力は、翻訳者に要求される
最大の力であり、翻訳にあたって最も大切なことであると考える。
・
今の自分には、文章を直訳してしまう癖がなかなか抜けていないと感じる。(中略)その理由を考えてみると、受験英語の影響が大きいのではないだろうか。そ
もそも私の中に、受験英語は正確に訳出しなければ間違いであるというステレオタイプがあり、一語一句それこそカンマの位置やコロンの数も漏らさないよう
に、忠実に文章を訳す行為に慣れてしまった癖があると思わずにはいられない。(中略)物語や詩、文芸などには受験英語は通用しないと感じる。そのことか
ら、受験英語からもう一歩踏み出した、「翻訳のための英語運用能力」を身につける必要があると感じる。
・ 色々な人からの視点で自分の翻訳作品を評価してもらうことは、自分にはできない表現や日本語の面白さを発見できる貴重な行為であると実感した。
・
また、私は翻訳は理論的には限界があるが、翻訳行為(翻訳技術)には限界がないと授業を通じて学んだ。例えば、「パンダの食事は?」「パンだ」。のように
日本語はダジャレが好きである。これは一つの形式(音声・文字)が二つの実体を示しているが、翻訳・通訳においては二つの実体のうち一つしか保持できな
い。しかし、訳せないものを訳す工夫がある。それは学術用語など一義定義があるものに等価置き換えたり、理解されにくい文章には注をつけるなどの補足説明
をしたり、同様・類似の連想を喚起する記号表現を充当しながら変容適合したり、近接する意味を持つ語句で類似代用したりすることなどが挙げられる。(中
略)先人の翻訳家たちは、どんなに不可能な翻訳であろうと翻訳行為を可能にしてきた。私達も翻訳行為を追及していけば、理想の翻訳へ一歩ずつ近づけるので
はないだろうか。私も翻訳行為を極めていきたいと思う。
学生M(3年生、男性、英語学科国際コミュニケーション専攻)
・
まず、知識が大切だと思いました。例えば、クライスデールという馬について、それが、北海道の牧場にいそうな、ただの馬なんだ、とぼんやり想像するより
も、体重が九百キロもある、すきを引くような、とてつもなく大きくたくましい馬をしっかりと想像できるということは、There I was,
tiny Connie, surrounded by bulking horses.
の一文を考える上で、大きく差が出てきてしまうことだと思います。「テキストの文だけを追っていては全く理解できないのに訳せてしまう。しかし、どこかそ
の訳は薄っぺらいものだ」ということになりかねない。テキストがあって物事をしっかり頭の中で想像できることは重要だと思いました。
・
また、知識が大切だということに関連して、本文で描かれているシーンをしっかりとイメージできること、そして、話の内容を、全体を通して理解できることと
いうのも重要ではないかと思います。
・
翻訳には正しい答えがないということを理解しておくことも重要だと思います。(中略)クラス皆の訳を見ましたが、それぞれ表現が異なっていて、でも、文意
は伝わってくるし、間違っているわけではない。むしろそれぞれにおもしろさがありました。だから、訳はある程度までは自由に表現できてそこがまた翻訳の面
白さでもあると思います。
・
(中略)それが今の自分にできているかと言うと、当然そんなことはないと思います。一番困ることは知識がないということです。(中略)やはり、文法とか、
翻訳の技術を一生懸命覚えるよりかは、できるだけ多くのことを人生の中で、経験し、知識を得ること、また、その知識と、正しい文章の理解に基づいて話を一
貫してイメージできるように訓練するのが今の自分にとって、必要なことだと思います。
・
これから、僕はおそらく英語の勉強をずっと続けていくのだと思いますが、単に単語を単語帳を使って覚えるような勉強をするのではなく、経験に結びついた勉
強の仕方を取り入れていけばいいのではないかと思います。また、日本語に翻訳することに関しては、日本語の表現力を今以上に豊富なものにさせる必要がある
のは当然なことです。おそらく、多くの本を読む、たくさんの活字に触れるということはそのために必要なことだと思います。
・
理想の翻訳というものを考えるのであれば、それは、「原文を文法的に、または文脈的に正しく理解した上で、工夫を凝らして、自分が意図したような印象を読
者に与えられる文を書く」ということではないかと思います。文法的、文脈的に、間違いがあってはその翻訳は確実に欠陥です。だから、そこができているとい
う前提で、たとえば自分がこの文章を面白おかしく表現したいと思えば、その面白おかしさが読者にも伝われば、その翻訳は成功、理想的だといえます。(中
略)また、思い切った訳が、「面白い」と思ってもらえるような勢いのある翻訳も僕の中での理想です。
学生N(2年、女性、英語学科国際コミュニケーション専攻)
・
翻訳をするにあたって大切だと思うことは、「読む」ことであると考える。これだけでは当たり前なようなことに聞こえるが、ただ「読む」のではなくて、その
文章構成や文法、さらには文化や時代背景などを含めて「読む」のである。たとえば英語を日本語に訳す場合、その英語はどの国の英語であるのか、いつの時代
に書かれたものであるのか、どのような地位や人種の人によって書かれたものなのか、などがその文章の内容と関わってくることが多いはずである。
・
翻訳をするのに、「語学力」が必要なのは当然のことである。語彙や言い回しをもっと修得し、さらに「使い方」を理解することも大切である。今まで中学・高
校と英語を勉強してくる上で教科書を使って英語の基礎を学んできた。しかし大学に入り、ネイティブの先生による授業を受けるなかで、「使って良い英語とあ
まり良くない英語」というのがあることがわかった。(中略)このことを聞いて、今まで習ってきたものと、実際に使われるものとのギャップを感じ、とても刺
激を受けた。その先生は「文部省英語は時々危ない」という。このようなことを知らないと、翻訳をする上でも多くの語弊が生まれると思う。(中略)今まで
習ってきた英語・文法にとらわれすぎずに、ある程度おおらかに、噛み砕いて訳すようにすることが必要である。また、ついつい若者コトバを使ってしまうこと
が多く、日本語の語彙も少ないと思うので、日本語のほうのスキルアップも必要である。
・
今まで教科書やプリントなどの文章を訳す中で、とりあえず日本語にすることはできても、「この言葉、普段は絶対使わないなあ」と思ったり、英語における修
飾をそのまま訳して「『の』とか『で』多いなあ」と思ったりすることがよくあった。しかし、受験や試験などにおける「この文章を日本語に直しなさい」。で
はなく、「翻訳」をするようになった今、いかに文法に忠実であるかよりも、いかに読みやすく、内容が伝わるかが重要であると考える。
学生O(2年生、女性、英語学科異文化コミュニケーション専攻)
・ 訳文は原文の性質と同様であることが一番大切なことだと思う。
・
翻訳において自分に必要なのは、まず語彙や表現力や読解力としての日本語力をつけることだと思う。(中略)それから想像力も必要だと思う。原文の直訳をさ
けるためには、読んだ原文の内容を一度頭に描いてみることが必要であり、その描いた内容の状態を把握してからだと原文にとらわれず、より自然な言葉で訳せ
ると考えるからである。そのような日本語力や想像力を身につけるには読書が一番だと思うので、夏休みには本を読もうと思う。私は読書に時間がかかるので最
近はあきらめていたが、今一番自分に必要だと感じているし、翻訳以外に勉強などにも役立つと思うので一石二鳥だと思う。
・
理想的だと思う翻訳は、無理のない日本語で、訳文にありがちなぎこちなさがないものであり、文の運びがスムーズになっていると良いと思う。(中略)特に
フィクションはそうであると理想的だと思う。堅い文章でも自然な表現で原文につられず日本語の言い回しをして、且つ内容を的確に伝えられるものが良いと思
う。本の訳以外にも映画や歌詞の訳は要約された意訳で、同じ流れを作り出すものが良いと思う。
学生P(2年生、女性、英語学科国際コミュニケーション専攻)
・ 翻訳をするには大変な努力が必要ということが分かりました。
・
翻訳にあたって大切に思うことは、読者が理解しやすい訳文を作ることです。幼稚な言葉を使うというのではなく、読者の頭にすらすら入り、情景が浮かんでく
るような自然な日本語を作るということです。(中略)「そのことが私を喜ばせた」などのように、英文ではよく使われる文法でも、日本人にとっては馴染みの
ない文の形式が多用されているのも読者にとっては不自然で、理解しにくいのです。(中略)しかし、中には原作者が故意に、ややこしい言い回しを使っている
ということもあり得るので、その判断はとても難しいと思います。
・
翻訳の為に、今の自分に必要なことは、様々な経験を積むことです。今まで私は殺人事件の起きるミステリーばかり読んできました。しかしそれでは、ファンタ
ジーや童話、ホラーなど、あらゆるジャンルの本を訳す際に、その作品にぴったりの言葉の言い回しが思い浮かびません。そのため、日ごろから気にかけて色々
なジャンルの本を読んでおくべきです。また、本のジャンルだけでなく、実際の生活の中での経験も必要です。例えば、工場員の主人公の物語を訳すことになっ
た時に、もし自分がデスクワークしか経験がなければ、主人公がどんな労働環境で、どれほど体力的に大変で、どんな気持ちでいるのか分かりません。(中略)
経験者に話を聞くことも可能ですが、自分が実際に経験したことがあった方がはるかにリアルな描写が出来るでしょう。したがって、比較的自由の時間が多いこ
の大学在学中に、自分の好き・嫌いにかかわらず、好奇心をもって、様々な経験をするようにすることが必要です。無駄な経験など何一つないと思います。
・
私にとっての理想の翻訳とは、読者に「この本が外国人作家の本だなんて知らなかった」と思われる事です。それほど自然に読者の頭に入っていく描写をするに
は英語だけでなく、相当豊かな日本語が必要です。そのためには、様々な日本人作家の本をとにかくたくさん読み、上手な日本語の表現方法を盗み、色々な日本
語を吸収しておくことが大切だと思います。
学生Q(2年生、女性、英語学科国際コミュニケーション専攻)
・
ただ文を訳せばいいというわけでないのが翻訳なのである。(中略)文章は生き物なのである。内容によってはナチュラルに説明文を加える必要がある。(中
略)つまりまとめると、翻訳にあたって大切なのは、読み手の立場に立って言葉を選ぶことなのである。
・
そのためにまず今の自分に何が足りないのか考えてみよう。それは知識なのである。言葉のレパートリーが豊富だと、それだけ表現方法も豊かになり、伝えやす
くなる。そんな言葉の知識を身につけるには、新聞や本を読むことが大事だと思う。そして言葉の数を増やしたのなら、今度は翻訳の基本的なルールを知る必要
がある。
・
いちばん最初の段階から完成品を作ろうとしたり、はじめからさらりと翻訳しようとしたりしてはいけない。まず全体の文に目を通す。そこから原文に忠実に言
葉を足したり引いたりし、さらにその文章を客観的な目で読み返す。表現方法を変えても同じ意味で文に対して素直に訳せているか確認することも大事なのであ
る。(中略)このような点にも注意を払いながら、文章と向き合うことで自分色の翻訳ができるのだと思う。
・
理想の翻訳というのは、だれが、いつ・どこで読んでも意味が通じ理解できるものなのではないだろうか。翻訳によって意味のとらえ方も違ってくるため、少し
ニュアンスも変わってくるのはまれなことではない。しかしそれは言葉が生き物だからであり、どう育てるかで違いが生じるのだと思う。それもまた翻訳のいい
ところであり、大切にすべき部分ではないかと思う。
学生R(2年生、女性、外国語学部交流文化学科専攻)
・
翻訳にはさまざまな種類があることを知った。私にとってはどれも同じ方法で訳すものだとばかり思っていたのでとても驚いた。(中略)その中で私が重要だと
思った点はやはり、翻訳する前に頭の中でしっかりと内容を理解しておくことだ。いきなり冒頭から訳すのではなく自分の頭の中でストーリーを確実に入れてお
くべきだと感じた。そうしなければ筆者の意図する表現とは異なった文章が作成されてしまい、雑な文章となって意味の通る文章とは程遠いものになってしま
う。私は「The Eyes Trump the
Ears」〔注 筆者の訳書の一節〕を訳したときにその必要性を強く思った。一通り文章を読み込んだのであったが、完全に理解しきれていない文脈を見過ご
していたため自分が思ったように文を組み立てることができなかったのだ。そのため不完全な私の文は意味不明な点が読み手に多く指摘され〔注 学生間で訳文
の批評をさせた〕、彼らを混乱させてしまった。自分の頭で文章の内容をつかみ、理解をした上で翻訳するという順序を守るべきだと感じた。
・
もう一つは、翻訳に対しての威力や集中力といった精神面も必要であるという点である。(中略)しかし先生の分厚くずっしりと重く、内容の濃い資料に目を通
したときに翻訳に対しての熱意が感じられた〔注 ゲラや著者とのやり取り、調査資料などを参考に回覧した〕。限られた時間の中、莫大なページ数の本を一つ
一つ訳していくことには相当な根性がなくては翻訳というものは成しえないであろう。私のようにすぐに力尽きてしまうのは翻訳においてはあってはならない行
為だと課題や授業を通して実感させられた。著者のため、読者のために力を注ぐ気持ちがなくては翻訳はできないのだとこの授業から感じた。
・
私にはまだまだ翻訳をするにあたって足りない部分がたくさんある。英語はある程度理解でき〔注 在外経験があると思われる〕、(中略)英語を読むことにお
いてはさほど不便を感じることはない。だがそれを理解し、日本語へ文を訳し、文と文との相性が不自然ではなくうまく流れるように訓練する必要があるのだ。
(中略)だからこそ、私の日本語力を伸ばしてもっと多岐にわたり表現をしてみたいのだ。そのためには今の私がやるべきことは一冊でも多く本を読むことだと
思い、この授業をきっかけにこれから本を使って私には絶対に思いつかない言葉の言い回しを学ぶことが必要だと感じる。(中略)また、世界のあらゆる背景も
学ぶべきだと考える。(中略)外国の方に日本の文化をうまく伝えられるかは翻訳者にかかってくるからこそ、世界の背景を知っておくべきなのだと考える。
・
翻訳は英語の知識だけではなく、日本語力、表現力や感性も兼ね備えるとてつもなく奥が深いものである。文章は練り続ければ練り続けるほど読み応えがあるま
とまったものができる。正しい翻訳など存在することがなく、同じ文章であっても人それぞれ異なってくるからこそ、翻訳は自分の力を存分に発揮できるから面
白い。さらに翻訳を通して日本以外の国の特徴を学ぶことができるのは素晴らしいことだと思う。
・ しかし私の文章は多くの人には指示〔注 支持〕されず、理想の翻訳にはまだまだ及ばないが、以前課題を訳し、クラスで投票結果を聞いたときに〔注 一
番好きな訳文を無記名で選ばせた〕たった一人でも自分の翻訳がいいと思った人がいた。私はそれだけでもうれしく思い、それは胸を張れることなのではないか
と考えた。まだ翻訳に触れて間もない私の雑な翻訳でも支持してくれた人がいるのは、これから翻訳の勉強をするうえで大きな糧となるだろう。
3.目標としたこと
翻訳クラスの受講にあたっては、TOEIC 600点以上もしくはTOEFL (iBT) 54点以上、(PBT) 480点以上、(CBT)
157点以上が履修条件であったことから、英語については全員が中級もしくはそれ以上の力を備え、過半数が翻訳を学ぶのは初めてだった。また、獨協大学で
は充実した英語学習のカリキュラムが組まれ、英語学科の学生をはじめとして受講生は日ごろから英文訳読方式の基礎力を鍛えられている。そこでこのクラスで
は、翻訳の土台となる心構えを身につけてもらうことを目指した。言い換えれば、英語教育を通じて学んできた「こういう単語・表現・構文はこういう日本語に
置き換える」式の自動的な発想を改め、メタ言語の視点から自分の責任において訳語を考え、訳文を作るという認識を得てもらうことを、第一目標とした。
時間の関係ですべてをカバーすることには限界があったが、具体的には以下のような点を取り上げたいと考えた。
- 翻訳は読み取った内容を咀嚼し、自分の言葉で表す作業であることを認識させる。(I am a cat
は「私は猫です」、「我輩は猫である」、「ネコなの、あたし」などになる。)
- 文の意味は文脈の中で考える、また部分にとらわれずに全体を把握して訳文を考える意識を持たせる。
- 原文の目的、ジャンルや対象読者に応じて訳語の選択や表現が変わってくることを認識させる。
- 英文は精読しなければ、漠然とした理解では訳せないことを認識させる。
- 訳文には全面的に責任を負う必要があること、分からないところは徹底的に調べるのが基本であることを認識させる。
- 自分の価値観をあてはめることの危険性を認識させる。(太陽に赤でなく白をイメージする国もある、リンゴは赤いと考えていない文化では、「リ
ンゴのような頬」はふっくらした頬を表すかもしれない、など)
- 言葉には文化の背景があること、一対一で意味が対応するとは限らない(辞書は絶対ではない)ことを認識させる。
- 英語では厳密に表現される情報(時制や前置詞が伝える場所・空間の概念、動きの種類、単数・複数、冠詞の使い分け、など)には、日本語にはそ
ぐわない場合があることを認識させる。(逆に、和文英訳の場合には日本語では曖昧な部分を厳密に表現することが必要になる。)
4. 授業の概要
最初に言語の成り立ちそのものを考えるための大きな枠組みを示し、次いで短文から始めて徐々に長い文章を使いながら、演習や宿題を通じて実践的に翻訳に
取り組ませた。授業では持ち帰って読むための参考プリントや補足説明を随時配布し、2回に1回の割合で宿題やレポート提出を課した。宿題の訳文は適宜添削
をし、クラスの全員にコピーを配布して無記名で批評を書かせるなど、自分の書いた文章を客観的に見直すことができるようにした。
全14回の授業は、概ね以下の構成とした。
第1回 オリエンテーション
Let’s sit in a chair
と言われて椅子に腰掛けた図を何人かに黒板に描いてもらい、英文が伝えている情報を把握するためには精読が必要(肘掛けを描いた学生は一人もいなかっ
た)、英語には必ずしも日本語訳には反映されない厳密な空間意識があるなど、翻訳は訳語を当てはめていくだけの作業ではないことについて、翻訳クラスで取
り上げる概要を説明。
第2回 文化と価値観
お花見の写真を見て日本人と外国人ではどのように捉え方が異なるか(ジョン・コンドンの『異文化コミュニケーション』より)などの具体例を交えながら、
エドワード・ホールのロー・コンテクストとハイ・コンテクスト文化の概念や、文化圏に応じて時制や空間概念とそれに対応する言葉が異なることなどを解説、
メタ言語の視点を獲得してもらうための講義を行う。
第3回 コンテクスト
文脈における意味、表現の問題を考える。またTime flies like an arrow
(光陰矢のごとし)や「黒い目のきれいな女の子」などの曖昧性を取り上げる。
第4回 演習
I am a cat. (私は猫です、我輩は猫である、ネコなの、あたし)など、短文を自分の言葉で翻訳する。
第5回 言葉と意味のずれ
辞書の限界を認識し、厳密に言葉を選んで訳す、辞書になければ自分で訳語を考えることなどについて、演習を行う。
第6回 調査、確認
訳文には全面的に責任を持つ必要を認識させ、単位の換算や訳語の選択などにグーグルを使いこなすためのテクニックを指導。
第7回 英文添削
短い英文の中にも膨大な情報が含まれていることを理解するために、すっきりした英文を書くための英文ライティングの考え方を講義。なぜ英文ではそのよう
な表現になるのかを認識させる。
第8回 翻訳演習(ノンフィクション・一般向け)
筆者の進行中の訳書から翻訳を演習。受身や主語など、日本語と英語の違いも考察。
第9回 翻訳演習(フィクション・いろいろな訳し方)
『不思議の国のアリス』のさまざまな邦訳を読み比べ、原著の一段落を翻訳する。無生物主語の訳し方なども解説。
第10回 翻訳演習(第9回の続き)
形容詞、副詞の訳し方や話法の訳し方なども取り上げる。
第11回 翻訳演習(フィクション・英文から日本語の原文を探る翻訳)
川端康成『山の音』のサイデンステッカー訳をもとに翻訳演習。日本語の力を見直してもらう。
第12回 翻訳演習(ノンフィクション・学術系)
既刊の訳書(『ヨーロッパの祝祭日の謎を解く』)の翻訳演習。フィクションとの違いを学んでもらう。
第13回 翻訳演習(実用文)
取扱説明書を正確に訳す演習を行う。
第14回 翻訳演習
翻訳にあたり注意すべき点その他の復習。
5. 翻訳クラスの省察
簡単な英文については質の高い柔軟な翻訳をするようになった学生もあった。構文は理解できてもそれを表現するための日本語の力が不足している学生が多
かったことから、日本語を磨くことによって翻訳の力も格段に向上すると思われる。
原文が伝える内容を逸脱しない限り自由に言葉を選んでもいいという安心感があったためか、はっとさせられるような斬新な表現もたくさん出てきた。このク
ラスでは時間的にその余裕がなかったが、今後は綿密に論理を読み解いて訳す必要のある英文などにもしっかり時間をかけて取り組めば、自由度の高い翻訳と厳
密な翻訳の違いを体得し、もう少しバランスのとれた翻訳ができるようになるのではないかと思う。
翻訳をするとはどういうことなのか、大まかな輪郭をつかんでもらうために、広範囲にわたる内容を詰め込んだ駆け足の授業になったが、これは反省すべき点
でもある。翻訳作業に丁寧に取り組む時間が少なすぎたため、さまざまなケースに対応できる翻訳の力をつけるためには、理論や理屈を離れてまだまだ実践を重
ねる必要があるだろう。
どれほど翻訳について学んでも、訳文を作ることができなければ意味がない。卵が先かニワトリが先かのジレンマだが、翻訳は甘くない、それでも楽しいと学
生たちに考えてもらうことができたとすれば、それは彼らが言語(この場合は英語)が好きで、それに情熱を注いでいるが故の自然な反応だろうと思う。その気
持ちがこれから翻訳を極めていく上での礎になってくれることを期待したい。
蛇足になるが、レポートで寄せられたもっと経験を積む、たくさん本を読む、文は生き物、原著者が日本語で書くように訳す、幼稚にならずに読者に伝わるよ
うに、など、意見や感想のほとんどは学生たちが自分で考え出したものである。教師が先導してそこへ向かわせるのではなく、「こういう翻訳を目指したい」と
自分で理想を定め、自ら意欲を湧かせて今後の翻訳に取り組んでもらいたいと考えたのだが、まるで「翻訳通信」を参考にしたのではないかと思わせるような、
原点に立ち返った発想に感心させられた。