名訳

須藤 朱美

上田公子訳『将軍の娘』


  端整な美女といえば、どなたを思い浮かべますか。原節子、吉永小百合、夏目雅子など、銀幕を彩る華やかな麗人たちは時代を経てもなお語り継 がれ、そのたおやかさは永遠に失われることがありません。翻訳の世界にもそういった憧れに似た感情を抱かせる訳書が存在します。その例としてまっさきに名 を挙げさせていただきたいのがネルソン・デミル著、上田公子訳の『将軍の娘』です。

 『将軍の娘』は猟奇殺人の犯人を解明していくデミルお得意のミステリー・サスペンスです。わたくしはこういったジャンルの物語が苦手な性質で、積極的に 読む機会はあまり多くありません。しかし『将軍の娘』はそのしなやかな訳文のおかげで殺人事件の重々しい一種独特の雰囲気が一蹴され、サスペンスが苦手な 読者でも嫌悪感を抱かずに読める稀有な作品になっています。

『将軍の娘』を読むと、最初は「原文に即した素直な訳だな」という印象を受けます。ところが詳しく検証していきますと、「単なる直訳」とは一線を画する、 相当な技術を消化している翻訳であることがわかります。では実際に訳文をみていきたいと思います。

ピンとこないのか、笑う気分ではないからか、シンシアは新聞を読みつづけている。新聞 は“スターズ・アンド・ストライプス”。こんなものはいまどき誰も読まない。少なくとも人前ではそうだ。(ネルソン・デミル著上田公子訳『将軍の娘』文春 文庫上巻p12)

Either she didn’t get it or she wasn’t in a smiling mood, because she continued to read her newspaper, the Stars and Stripes, which nobody reads, at least not in public.  
(原文ペーパーバック版p3)

 上の訳文を読んでまず気づくのは、まえから順に訳されていることです。<because>の訳出は、後半の副詞節を[理由・根拠]に訳して から、前半の主節について言及するのが一般的です。つまり訳文では、主節と副詞節の位置が逆転することになります。しかし『将軍の娘』にはそういった画一 的な翻訳は見当たりません。訳文は原文とほぼ同じ順序で読者に情報を提供しています。

英語の文章は左から右へ読み進めるごとに次々と新情報を提供する性質を持っています。そのため読者は吸い込まれるように物語に没頭することができます。と ころがその英文を日本語に翻す場合、修飾関係を明確にしているあいだに、新情報がポンポンと飛び出す英文脈の流れを損なうことが少なくありません。すると 読者は物語の流れを楽しみながら把握することができなくなります。翻訳書がつまらないと言われる所以はこの辺りにあるのではないでしょうか。しかし『将軍 の娘』にはそういった不満を抱く部分がありません。もし例に挙げた原文を直訳したら、

少なくとも人前では誰も読まないスターズ・アンド・ストライプスという新聞を読んでいたことから判断すると、彼女はその冗談が分からなかったか、笑いたい 気分じゃなかったかのどちらかだ。

と、ひどく冗漫な訳文になるでしょう。言わんとしている内容に間違いはありません。しかし言わんとしている温度が明らかに原文とは異なります。これでは読 者にストーリ展開の楽しさを味わってもらうことができません。

この一文は「because she continued to read her newspaper=主節の内容を主張する根拠」、「, the Stars and Stripes,=カンマによる挿入」、「, which nobody reads=関係代名詞の非制限用法による補足」、「, at least not in public=副詞句による補足」が次々と主節に意味を付加する形になっています。原著を読んでいると、まるでだれかが話しながら説明してくれているよう な印象があります。この英文の温度を台詞で伝えるとしたら、こんな言葉になるのではないでしょうか。

彼女は冗談が分からなかったのか、笑いたい気分じゃなかったのか、そのどちらかだったんだよ。だって新聞をずっと読んでてさ、その新聞というのがまたス ターズ・アンド・ストライプスだったんだもの。そんな新聞、いまどき読んでいる人なんていないでしょう。ましてや人前でさ。

 この訳は原文の「内容」と「温度」を伝えることには成功していますが、口語の印象が強く、活字になる地の文としては耐えられません。上のふたつの試訳を みてみますと、この原著を読み物として訳すのがいかに難しいかがおわかりになると思います。

 しかしながら訳者は原文の「内容」と「温度」を日本語の活字本として耐えうる文章で訳出しています。このような翻訳の仕方は、一見まえから直訳していく のと変わらぬことのように思えます。しかしそれはまったくの誤解で、このような極上の翻訳はそう簡単にできるものではありません。

『将軍の娘』の訳文には以下の4点の特徴が見受けられます。

1、前から訳すことで英文と同順に情報提示する
2、冗漫にならない簡潔な日本語にする
3、原文と同じ温度を保つ
4、活字にして耐えうる文章で書く

2、3、4は翻訳と英文和訳とを区別する重要な条件です。けれども1は翻訳者の裁量に任されることが多く、必ずしも翻訳に必要な条件ではありません。た だ、原文は左から右へ読まれますので、当然物語の流れも同じように左から右へと流れていきます。原書と等価の訳を心掛けた場合、まえから順に訳すことがで きれば、読者の意識を妨げることのない翻訳書により近づくでしょう。ただ日本語と英語とは文構造がまるで違いますので、おなじ順序で訳していくことは極め て難しいものです。意識の流れが原文と等価であることのまえに、内容が正確に、おもしろく伝わることのほうが優先されますので、意識の流れにまで着目する ことは、わりと後回しにされる要素でしょう。ところが驚いたことに『将軍の娘』は原書の流れに逆らわずに、きちんとした日本語で翻訳されています。まえか らきちんと訳していきながら、美しい日本語で書き、なおかつ読者におもしろいと感じてもらう温度を保ってもいるというのは並みの翻訳者の力量ではありませ ん。

さて、もう1つ例を挙げてみていきたいと思います。

それはさておき、わたしはCID特別チームの一員である。このチームは、こういうこと ばを使うのはいささかおもはゆいが、一種のエリート集団で、何がわれわれを特別にしているかというと、全員が逮捕と有罪判決の好記録を持つ長年のベテラン であることだ。(上巻p17)

Anyway, I’m part of a special CID team, a sort of elite unite, though I hesitate to use that word.  What makes us special is that we’re all long-time veterans with good arrest and conviction records.(原文ペーパーバック版p6)

日本人の作家がこの内容を伝えようとしたら「こういう言葉を使うのはいささかおもはゆいのですが、このチームは一種のエリート集団で、何がわれわれを…」 と書くでしょう。この論理展開のほうか日本人には馴染みやすいからです。しかし訳者はあえて原文のままの語順で訳しています。<, though I hesitate to use that word.>の部分は、英文脈で頻繁にみられる< , 〜 , >の挿入の形をそのまま日本語に導入して「、〜 、」で処理されています。このように日本語に馴染んでいない論理展開が多用されると、たいてい読者はその論理展開にしこりを感じるでしょう。ところが『将 軍の娘』を読んでいても不思議とわだかまりを感じることなく、きちんと情景が浮かんでくるのです。

注目すべきは<hesitate>を「おもはゆい」と訳している点です。<hesitate to do>は「〜するのをためらう」と辞書にでています。しかし原文は単に「言うのをためらう」というだけでなく、「自分で言うのもどうかと思うが、説 明のためにあえて言及する必要がある」というニュアンスを含んでいます。このニュアンスは「言うのをためらうが…」という訳では伝えきれません。訳者は <hesitate>を「おもはゆい:(ほめられすぎたりなどして)照れくさい/『新明解』」という和語で訳しています。この一言で読者は、 感覚的にニュアンスをつかむことができるのです。

不慣れな英語的論理展開で書かれていたとしても、ニュアンスを感覚的に理解することで読者は違和感なく読み進めることができます。そしてそのニュアンスを 正確に読み取れるのは、訳者が原著を読みこなして、ぴたりとあてはまる訳語を選択しているからに他なりません。正確に英語を読み解く力がなければ、ここま で思い切った訳語をあてることは怖くてできないでしょう。こういう訳文をみますと、やはり英語をきちんと読み解く力がある訳者は土壇場で力を発揮できるの だなと痛感いたします。

さっと一読したときは簡単に直訳しているかのように感じられる『将軍の娘』。この本は努力の痕跡を残さない精緻かつ端整な、一級の読み物です。これこそま さに、翻訳の理想の形のひとつだとは言えないでしょうか。映画史に名を刻んだ端整な名女優たちのように、『将軍の娘』は翻訳史に燦然と輝き、翻訳者が憧れ てやまない一冊となることでしょう。

(2003年12月号)