名 訳

須藤 朱美

アラン・ターニー訳『THE THREE-CORNERED WORLD』

 「文体と思想は切り離すことができない」と、ある文章家が述べています。思想を心に思い描くときは言葉を使って思い浮かべるものです。だから 思想は言葉の影響力を逃れられません。表現が変わると、当然のごとく思想も変わります。つまり文体を変えずに表現される内容を変えることはできないという のです。

だとすれば翻訳とはいささか困難を極める作業でありましょう。書かれている内容はそのままに、文体どころか言語そのものを違えてしまおうという試みなので すから。とはいえそう嘆いていてもはじまりません。そこでこの「文体と思想は切り離せない」という法則を逆手にとり、少々気取って演繹的に考えてみます と、言語が変わっても文体を真似れば、より原著と等価の内容を読み手に伝えうるのではないかと思えてきました。わたくしの考えがここまで漂流してきたと き、ふとアラン・ターニー氏の英訳が思い浮かびました。氏の訳文はどこをとっても原著と文章のタッチが似ています。そのため脳裏にぱっと原文が思い起こさ れるのです。

Going up a mountain track, I fell to thinking.
Approach everything rationally, and you become harsh.  Pole along in the stream of emotions, and you will be swept away by the current.  Give free rein to your desires, and you become uncomfortably confined.  It is not a very agreeable place to live, this world of ours. 
(アラン・ターニー訳、THE THREE-CORNERED WORLD、ピーター・オーウェン・リミッテッド社p7)

 初めて目にしたとき、わたくしはどこかでこの文章を読んだことがあるような感覚にとらわれました。声に出して読んでみますと、一層馴染みのある感じが 漂ってまいります。文章を一読して原著にお気づきになった方もおられるでしょう。そう、これは『草枕』冒頭部分の英訳です。

山路を登りながら、こう考えた。
知に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。(夏目漱石著『草枕』新潮文庫p5)

 俳句のリズムで語られる、筋のない物語『草枕』は写生文としての完成を体現した作品と言われております。三十になる画工が山に入り、宿をとり、描くモ チーフを見つけるというのが物語の大まかな展開です。物語に抑揚を与えるような事件はひとつとして起こりません。「余」なる主人公の思考が時間とともにゆ るやかに流れていくのを読者が追いかけていくという小説。もしこれが俳句的な文体で書かれていなければ、日本情緒の持つ閑雅な雰囲気を表現することはおそ らくできなかったでありましょう。筋という、一般に小説の核となりうる要素を持たない『草枕』は、この文体あってこその作品と言えるような気がします。ゾ ラに傾倒する自然主義が盛んだった発表当時の文壇の潮流と、『草枕』はひどくかけ離れています。漱石自身、「天地開闢以来類のない」とこの作品を形容して いるほどです。

筋でなくリズムに重きがある文章を訳すのであれば、やはり訳文にもそのリズムを反映させられるかが鍵となるでしょう。ターニー氏の訳文には弾むような短い センテンスが並んでいます。まず二行目から<命令法〜and…/〜すれば…>の構文が三つ続きます。はじめに<Approach><Pole> <Give>という動詞の原型があります。ポンポンと歯切れがよく、読みやすさを覚える魅力的な書き出しです。また、「智」「情」「意地」にあたる <rationally><emotions><desires>がどれも<,and>の直前にあることで、三語の意味あいがぐっと心に残ります。この冒 頭三文を読んでいると、英語でありながらまるで漢詩を読んでいるときのような音の抑揚を感じます。漱石の書いた冒頭文のリズムが訳文にのりうつったような 印象さえ受けるのです。では、この後に続く文章を例に挙げて検証していきましょう。

    When the unpleasantness increases, you want to draw yourself up to some place where life is easier.  It is just at the point when you first realise that life will be no more agreeable no matter what heights you may attain, that a poem may be given birth, or a picture created.(訳本p7)

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。(新潮文庫p5)

 字数に限界があるため、俳句は言葉に含みを持たせるという性質を持っています。原文の「引き越したくなる」というのも単に身体の物理的な移動ではなく、 精神や思想の状態までを含んでいます。それを訳者は<draw yourself up>や、<no matter what height you may attain>と表現しています。長くて難しい語句を用いずに、どこまでも意味を広げていく点が両者に共通している特徴です。短く平易な単語の連鎖により リズムが生まれるので、音の響きがとても心地よく感じられます。音に酔いしれながら文字としては表面に表れてこない意味を感じとっていく、それは俳句を吟 ずるときの感覚にぞくりとするほどよく似ています。

『草枕』の特徴で、もうひとつ挙げたいのが画家の視点で描かれているという点です。色彩表現や造形表現が鮮やかに描写されています。冒頭もやはり、抽象概 念であるのにもかかわらず、ありありと眼前に浮かぶ光景のような印象を受けます。ところが驚いたことに英訳を読んでいても、原文を読んだときと同じような 印象を受けるのです。

<Pole along in the stream of emotions>の部分はことさら情景が目に浮かぶように感じられます。訳文は原著とは言語こそ異なりますが、等価の「映像」を読者の眼裏に思い浮かべ させてくれます。なので訳文を読んだときすぐに、これは『草枕』の英訳だろうと察しがつくのです。俳句のリズムに乗せられながら、この色彩豊かな映像が思 い浮かんできます。ターニー氏がほかの訳者と一線を画していると思えるのはこういうところにあります。訳文を読んでいるだけで、原文が鮮やかに頭のなかへ 甦ってくるのです。まずリズムが同じです。そして喚起される映像も同じです。目で追う文字はアルファベットでありながら、まるでそこに日本の侘しくも美し い自然の情景が浮かび上がってきます。英語で書かれた文章を読んでいて、日本の風景が瞬時に思い浮かぶという読書体験は、わたくしにとって初めてのことで した。そしてこれ以後、いまだ二冊目には出会っておりません。
異なる言語であっても同じリズムと映像を読者に思い起こさせる、これこそ等価の意味を伝える翻訳と言えるのではないでしょうか。

『草枕』を翻訳するにはリズム感を持たせることと、情景を喚起させる文章であることが重要です。その二つの点でターニー氏の訳は、まさに神業ともいえる鮮 やかな等価の翻訳を実現しています。

 ターニー氏の訳本を開くと扉にこんな文句が記されています。

“An artist is a person who lives in the triangle which remains after the angle which we may call common sense has been removed from this four-cornered world.”  SŌSEKI

 表紙を開いて初めてこの文章を見たとき、「はて、どこかで読んだことのある文章だぞ」という気がしました。どこで読んだ文章だろうかと記憶の糸をたぐり よせていますと、ふと『草枕』の本文にこれにあたる一節があったような気がしました。

して見ると、四角な世界から常識と名のつく、一角を摩滅して、三角のうちに住むのを芸 術家と呼んでもよかろう。(p35)

物事をありのままにとらえるのではなく、そこから一歩進めて感情のあふれる部分を非人情の面持ちで客観的に見ることが芸術になると漱石は言っています。こ の部分が『草枕』の根になる思想だと判断し、ターニー氏は冒頭に引用しておられるのです。扉にこの部分を引用したこと、そして『草枕』の表題を『The Three-concerned World』にしたことについてターニー氏は前置きでこう説明しています。

「原題の『草枕』とは旅を意味する枕詞だが、それをそのまま『The Grass Pillow』と訳しても、訳書を手にする読者には言外の意味が理解し難い。そこでこの作品の核であろうと思う部分を本文から抜き出し、表題とした」

 このご配慮こそ、まさに非人情の境地。一歩離れた所から原文を眺め、必要なものを織り込み、必要でない部分を客観的に眺めて廃す。そうして極上の訳文を つくりあげていく。ターニー氏の『The Three-concerned World』は、訳書自体が独立した芸術作品として感じられる崇高な一冊なのです。