翻訳批評

池央耿訳『南仏プロヴァンスの12か月』

山岡洋一

 
  正月には琴が似合う。和服が似合う。そして何故か、池央耿(ひろあき)の文章が似合う。『南仏プロヴァンスの12か月』(河出書房新社)を読んでみたくなる。

 本の内容は題名に言い尽くされている。南フランスはプロバンス地方の様子を1か月ずつ12の章で紹介した軽いエッセーだ。当然ながら第1章は「1月」と題されている。その冒頭部分を、池央耿の訳とピーター・メイルの原文で紹介しよう。
 

 新しい年は昼食で明けた。
 毎年のことながら、大晦日というのは気が重い。泣いても笑ってもあとわずか、越すに越されず越されずに越す年の夜とあって、人々は無理にも陽気にふるまい、真夜中ともなれば乾杯の声もしきりにキス御免の無礼講だが、あの土壇場の空騒ぎはうんざりだ。というわけで、数マイル離れたラコストのレストラン<ル・シミアーヌ>の主人が馴染みの客に料理六品とピンク・シャンパンの昼食をこてなすと聞いた私たち夫婦は、これこそ一年のはじまりを祝うにふさわしい耳寄りな話といそいそ出かけて行ったのだ。

The year began with lunch.
 We have always found that New Year's Eve, with its eleventh-hour excesses and doomed resolutions, is a dismal occasion for all the forced jollity and midnight toasts and kisses. And so, we heard that over in the village of Lacoste, a few miles away, the proprietor of Le Simiane was offering a six-course lunch with pink champagne to his amiable clientele, it seemed like a much more cheerful way to start the next twelve month.


 何度読んでも笑ってしまう訳だ。「泣いても笑ってもあとわずか」とか「越すに越されず越されずに越す」とか「いそいそ」などの原文がいったいどうなっていたのか、興味津々探してみると、なんとどこにもないのだ。英語でいえばout of thin air、何もないところから、いかにもそれらしい表現をひっぱりだしているのだ。

 翻訳者はたいてい、亡霊に恐れ戦きながら仕事をしている。こう訳せば誤訳だと言われないだろうか。訳抜けだと言われないだろうか。原文から飛躍しすぎていると言われないだろうか。実際にはたいていは誰も何も言ってくれないのが現実なのだが、それでも戦々恐々としながら仕事をしているのが普通だ。

 池央耿はそんな小心翼々とした姿勢を毛ほどもみせない。原文は素材にすぎず、どう料理するかは訳者の勝手でしょうと言わんばかりに、自由に言葉をあやつる。だから、こういう訳文ができる。だから、何度読んでも笑ってしまう。

 池央耿の訳を読むと、翻訳者はもっと自由になっていいのだと思えるようになる。自由に訳した結果に文句をつける人がいたら、原著と違うと言うのだったら、原著を読んでくださいと言えばいいのだ。いまどき、ピーター・メイルの平易な英文が読めない人がいるとは思えない。でも、この原文を英文和訳のように、一語一句に忠実に訳したら、無味乾燥で読めたものではないのではないか。だから、おもしろおかしく訳したまでだ。そうする自由が訳者にはあるはず。原著と訳書は別の作品なのだから。そう居直ればいい。

 もちろん、こう居直るからには、訳文が日本語としての完成度の高いものになっていなければならない。原文のものとはおよそかけ離れた文体で訳すにしても、少なくとも訳書全体で破綻がなく、内容とあっていなければならない。

『南仏プロヴァンスの12か月』はその点で成功した希有な例なのかもしれない。この本の内容は、ピーター・メイルにとっては田舎の話だが、日本の読者にとってはおフランスの話だ。おフランスにはおフランスにふさわしい文体がある。池央耿の文体は、日本の読者にとってまさにこの内容にぴったりの文体だったのだろう。だから読者に支持された。

 池さんが訳すと何でも池節になると、ある翻訳者が笑っていた。そう、何でも池節になる。池節が内容にあわなければ、途中で放り投げたくなる訳書ができあがる。あっていれば、『南仏プロヴァンスの12か月』のように最後まで楽しく読める訳書になる。原文の文体を日本語で見事に再現するのが、翻訳家の理想像だろう。だが、池央耿のように、自分の文体を押し通す訳者がいてもいい。池節にあう本を見つけ出せる優秀な編集者がついていれば、楽しい本ができあがるのだから。

2003年1月号