吉田健一訳『ロビンソン漂流記』
ロビンソン・クルーソーの物語ならたぶん、誰でも知っている。しかし、知っているのは絵本や子供向けの脚色版で読んだからで、原作を読み通した人は少ないのではないだろうか。もったいないことだ。原著は刊行が1719年というから、もう300年近くも読みつがれてきたことになる。300年という時の試練を経てきた本が面白くないはずがない。吉田健一訳で『ロビンソン漂流記』(新潮文庫)を読めば、思いもしなかった魅力を発見できるに違いない。
本書の最大の魅力はもちろん、孤島への漂流という物語の面白さだが、それだけではない。波瀾万丈ではない部分、つまり孤島での日常生活を詳細に描いた部分がじつに面白いのだ。デフォーはこの本で「資本主義の精神」を見事に描いたと、何人もの経済学者が論じているほどである。たとえば、こういう部分がある。
私は私の現在の境遇について真剣に考え始めて、それを書いてみた。それは、私の後に来るものに見せるためではなく、そういうものがいるとは思えなかったが、毎日同じことを考え続けて、気を滅入らせたくないからだった。そしてその頃は私の理性が私の失意に打ち克つようになり、私はできるだけ私自身を慰めて、私の境遇のいいことと悪いことを比較し、境遇としてはまだ増しなほうであることを明らかにしようとした。私は次のように、帳簿の貸方と借方と同じ形式で、私の生活で楽なことと辛いこととを並べてみた。(吉田健一訳『ロビンソン漂流記』新潮文庫*、75ページ)* 1998年の改版後のものを使った。それ以前の版とはページと表記に若干の違いがある。
この後に悪いことと良いことがそれぞれ6項目、左右に並んでいる(訳本では上下に並んでいる)。悪いことの第1には「私は救出される望みもなく、この絶島に漂着した」、良いことの第1には「しかし私は生きていて、船の他の乗組員は全部溺死した」と書かれている(同75〜76ページ)。
何度読んでも、思わず笑ってしまう。複式簿記の考え方を応用して現状を分析しようとしているのだから。
原著についてはこれぐらいにして、翻訳について触れていこう。新潮文庫版の解説と奥付をみると、翻訳は1950年、初版発行が1951年である。訳者の吉田健一は1912年生まれだから、40歳にならないころの訳だ。そして当時の首相は父親の吉田茂だ。時代が違うといえばそれまでだが、50年前には首相も偉かったが、首相の息子も一流だったのだ。
それはともかく、吉田健一訳の特徴をみていこう。すぐに気づくのは、日本語で書かれた小説だと言われても違和感がないほどの文章で訳されていることだろう。戦後間もなくのこの時代には、本来楽しみのために読む小説すら、学術論文であるかのように、研究の対象として読まれ、訳されることが多かったので、吉田健一が小説を小説として読者に届けようとしている点は注目に値する。
こういう姿勢は、ごく小さな点にあらわれている。たとえば、以下の部分をみてみよう。
この旅行で、私は多くの愉快な発見をした。低地には野兎や、狐に似た動物がいた。しかしこれは私がそれまでに他所〔よそ〕で見たのとは、だいぶ種類が違っていて、何匹かを撃ったが、食べる気にはなれなかった。しかし無理に食べようとする必要もなく、獲物は豊富で、しかも美味なもの、殊に山羊と、鳩と、海亀が多かった。これに、私が持ってきた乾葡萄を加えると、私のようなものがロンドンにいてもあり付けないような食事をすることができた。……(同128ページ)
何ということもない文章だと思えるかもしれないが、たとえば、1995年に出版された以下の訳と比較してみるといい。
……ことに山羊と鳩と亀の三種類は豊富で、それに葡萄を加えれば、レドンホール市場でも、人数の割合からいえば、私よりもみごとな食卓をととのえることはできなかったであろう。……(鈴木建三訳『ロビンソン・クルーソー』集英社文庫、152ページ)
「レドンホール市場でも」というのは、いってみれば正しい訳だ。原著にはこう書かれているからだ。
... especially these three sorts, viz. goats, pidgeons, and turtle or tortoise; which, added to my grapes, Leaden-hall Market could not have furnished a table better than I, in proportion to the company; ... (D. Defoe, Robinson Crusoe, Penguin Classics, p. 122)
原著にはLondonとは書かれておらず、Leaden-hall Marketと書かれている。だが、Leaden-hall
Marketは1715年のイギリスの読者にとって意味をもつ言葉だったのだろうが、1950年の日本の読者の立場で考えてみると、「レドンホール市場」という言葉は何の意味ももたない。吉田健一はイギリスの大学で学んだのだから、Leaden-hall
Marketを知らなかったとは思えないが、読者の立場を重視してさらりと「ロンドンにいても」と訳す。こういうちょっとした工夫によって、それも読者の立場を考えた工夫によって、吉田健一の訳は楽しんで読める文章になっているのだ。
ちなみに鈴木建三はこの部分に「ロンドンのレドンホール街にある食料品市場」という割注をつけている。英和辞典にもそう書いてあるので、蘊蓄を披露したことにはならず、読者を興ざめさせるだけになる。
もうひとつ、鈴木訳の「人数の割合からいえば」も、意味がよく分からない。「レドンホール市場でも、人数の割合からいえば、私よりもみごとな食卓をととのえることはできなかったであろう」とは、どういう意味なのか。「レドンホール市場」だから分からないのであれば、「築地市場でも」か「デパ地下でも」と読みかえてみるといい。分かるような気がしないでもないが、やはり分からない。
原文を読むと、ああそうかと思える。原文のうちin proportion to the companyの部分を「人数の割合からいえば」と訳しているのだ。このcompanyを「人数」と解釈したのだ。原著は1719年に出版されており、日本でいうと近松門左衛門の『国性爺合戦』と同じころの作品だから、いまの英語の感覚で読むととんでもない間違いになる可能性がある。このcompanyの意味も「人数」で正しいのかどうか、よほど検討しないと分からない。だが、companyにはもともと「ともに食事をする人」という意味があるので、無茶な解釈ではないように思える。そこで、「人数」と考えると、「レドンホール市場で(デパ地下で)買い物をしても、私一人の食卓にここまで豪勢な料理を並べることはできないだろう」といっているとも考えられる。
だが、そう考えられるのは、訳文からではなく、訳文と原文を対象させてみたときである。訳文からは、いったい何を書いているのだろうという疑問が起こるだけだ。
そこで吉田訳をみてみる。「私のようなものがロンドンにいてもあり付けないような食事をすることができた」とある。英文和訳という観点からは対応がはっきりしない訳だ。だが、上述の「私一人の食卓に」を「私のようにひとりで食事をするしかないものに……」とするのはごく自然だし、そこから「私のようなものが」までは、小さな飛躍にすぎない。
しかし、ここで当たり前のことを確認しておくべきだろう。翻訳は対訳ではない。原著と訳書を並べて読む人は英語か英文学の学習者か研究者であって、本来の読者ではない。だから、原文の一語一区をどう訳してあるのかは、読者にとって問題ではない。重要なのは、訳文を読んで、意味が分かるかどうかである。
そのような観点から、吉田訳と鈴木訳を比較してみると、どちらがいいかははっきりしている。鈴木訳は英文和訳という観点では正確なのかもしれないが(間違いである可能性も捨てきれないが)、訳文を読んでも何が書いてあるのかがよく分からない。吉田訳は英文和訳という観点では若干曖昧で、対応を判断しづらいが、読めば分かる文章だ。読者の立場で、吉田訳を選ぶのが当然ではないだろうか。
吉田健一は以上のように、対訳としての「正確さ」を追求するのではなく、小説を楽しもうとする読者に親切な文章を書く姿勢をとっている。ごく少数、馴染みのない単位(たとえば液量の単位のクォートなど)に割注を付けているが、それ以外には訳注らしい訳注はない。本文だけで読者が理解でき、楽しめるように工夫されている。その後に出版された訳が意識的にか無意識にか、原書講読用のような印象になっているのとは大違いだ。
だが、これができたのは、一流の文章家・評論家であり、十分な学識をもっていたからであることを指摘しておくべきだろう。実力のないものが下手に真似すれば、読者に親切な文章のつもりが、幼稚な文章になるだけだ。