宮脇孝雄訳『死の蔵書』
なりきり度 | = | ★★★★★ |
日本語表現力 | = | ★★★★ |
感銘度 | = | ★★★★ |
著者のジョン・ダニングはニューヨークはブルックリン生まれ。高校も卒業しないまま競馬場の厩務員、新聞社の雑用係、フリーライター、ラジオの脚本家などを経て、憧れの作家になった執念の人。ラジオ番組の脚本を書いていただけのことはあり、原著はきわめて読みやすく、音読すると気持ちのよいリズム感がある。古書というマニアックな世界を描いて、少しも嫌みのないところが好感がもてる。みずからも古書店を営む著者ならではのリアリズム、古書そのものの醸し出す謎めいた雰囲気、そうした要素が血なまぐさい事件と巧みに絡み合って第一級のミステリーに仕上がっている。
原著と翻訳を読んで第一に感じたのは、訳者が著者になりきっているということ。訳者の原著に対する理解度は半端なものではない。あたかも、原著をすべて消化して、日本語で読み聞かせてくれているかのような訳である。そのため、適宜二文を一文にしたり、文脈上明らかな箇所は訳出しなかったり、あくまで意図をくみ取って日本語に置き換えたり、といった初心者には真似のできない芸当が随所にみられる。両者を読んだときの「感じ」「雰囲気」が非常に似かよっていて、そこが宮脇訳の一番の魅力ではないかと思う。
"When you buy something unique, and pay twice what it's worth, it's a great bargain. It took me a long time to learn that. Some people never learn it. George Butler never has. Now it's the only way I operate."
全編、この語をこう訳すとは!という驚きに満ちているのだが、いくつか例をあげてみたい。
There's no discrimination-----they are all first editions-----and when people try to go highbrow on me, I love reminding them that my as-new copy of Raymond Chandler's Lady in the Lake is worth a cool $1,000 today, more than a bale of books by most of the critically acclaimed and already forgotten so-called masters of the art-and-beauty school. There's nothing wrong with witing detective stories if you do it well enough.
(寝起きに同棲相手から今後の二人の関係について問いつめられそうになって)
その話に深入りするつもりはなかった。哲学論議は日が昇ってからにしたい。
I didn't want to get into it. It was just too early for a philosophical
discourse.
「本なんて、燃やされたりしないかぎり、どこにあっても同じだわ」
As long as they're not destroyed, the world's no worse off.
When I came into the kitchen, I saw that she had set a table for two.
原著を理解しつくしているからこそ、多少のはしょりすぎ、入れ込みすぎの箇所があるものの、日本語訳だけを読む読者にとってはありがたく、明解にして明快な翻訳であるといえる。
総合的にみて、巧い!と思わせる訳であり、翻訳書の出来は翻訳家の筆ひとつにかかっているということを改めて感じさせる名訳である。