後書きの後書き
山岡洋一
『ケインズ説得論集』を訳して
ケインズは師のアルフレッド・マーシャルを追悼したエッセーで、経済的事実は一時的なものなので、経済学者は体系書の執筆を避けて、そのときどきの経済
問題を扱ったパンフレットを書き飛ばすべきだと書いている。時評こそが経済学者の本来の仕事だというだけあって、ケインズの時評はみごとである。ケインズ
といえば誰でもすぐに『雇用、利子、通貨の一般理論』(1936年)という体系書を連想するが、それ以前に書かれたパンフレットもじつに面白い。
「訳者あとがき」に記したように、ケインズの時評集である『説得論集』を訳したいと思ったのは何よりも、デフレについて考えるヒントが得られるからであっ
た。インフレについては多数の経済学者がさまざまに論じているが、デフレについて真っ正面から論じた経済学者はごく少ないのだ。デフレとはどういう現象な
のかが分からなければ、1990年代後半以降の経済の流れが分かるはずがない。その点でケインズの『説得論集』は貴重な本だと思う。
しかしそれだけではない。たとえば「孫の世代の経済的可能性」(1930年)がある。100年後の世界、つまり2030年ごろの世界の経済的可能性につ
いて考えた小論である。2030年まではあと20年にすぎない。だから、この小論はケインズがわたしたちの時代について考えたものなのである。そう思って
読むと、じつに興味深いはずだ。「結論として、大きな戦争がなく、人口の極端な増加がなければ、百年以内に経済的な問題が解決するか、少なくとも近く解決
するとみられるようになるといえる」とケインズは論じている。このケインズの予想は当たっているのか外れているのか。外れているという意見もあるだろう
が、個人的にはかなりの程度、当たっているように思う。そしていま、当時と同様に悲観論が強まっているのは、逆説的だが、そのためではないかと思えてなら
ない。
また、「自由放任の終わり」は、ぞくぞくするような傑作だと思う。ケインズの『説得論集』には一部しか収められていないので、訳書ではレナード・ウルフ
とバージニア・ウルフによってホーガース・プレスから出版されたパンフレット(1926年)の全文を収録した(左下の右側にこのパンフレットの内表紙を示
した)。自由放任の思想はいまも死に絶えてはいない。だから、たったいまの世界を読み解くために、この小論を読んでおくべきだと思う。
ケインズの『説得論集』は1931年に出版されている。このため、大恐慌が深刻になった時期の時評は残念なことに収録されていない。そこで1933年に
出版されたパンフレット『繁栄への道』を収録した。1936年の『一般理論』につながる点で、重要な論文である。パンフレットにはイギリス版とアメリカ版
があるが、乗数理論をある程度詳しく論じたアメリカ版を訳すことにした。
『ケインズ説得論集』は日本経済新聞出版社から、2010年4月20日に出版された。間村俊一氏の装丁で美しい本に仕上がっている。書店で眺めていただけ
れば、そして気に入っていただければ幸いである。
(2010年5月号)