私的ミステリ通 信 (第3回)

仁木 めぐみ

ミス テリー神秘の国エジプト


  暑中お見舞い申し上げます。8月配信の第3回は「夏休みエジプト特集」です。エジプトの灼熱の大地と、神秘をたたえるナイル川に思いをはせ て、日本の夏の蒸し暑さをしばし忘れていただければと思います。

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 エジプトとミステリー。これほど相性のいい言葉もなかなかないでしょう。エジプト・ツアーのパンフレットには必ず神秘、冒険、ロマン、謎といった言葉が 踊っていますし、ピラミッドやスフィンクスなどの歴史的建造物は見る人の好奇心をいやでもかきたてます(・・・・・・と言っても実は私はエジプトに行った ことがないのですが)。
 エジプトは、映画の舞台にもよく選ばれ、最近でも『スター・ゲート』や『ハムナプトラ』など、エジプトを舞台にした映画はシリーズものになるほどの人気 です。私事で恐縮ですが、昨年、江戸東京博物館で開催された「古代エジプト文明展」を見に行ったのですが、会場は老若男女、あらゆる人で込み合っていまし た。古代エジプト文明の謎については、誰もが興味津々なのでしょう。

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 しかしエジプトを神秘の国であることには、実はピラミッドが作られた頃よりもだいぶ後の時代のエジプト人の意志も深くかかわっています。西欧の人々は日 本人以上に古代エジプト文明には強烈にひきつけられていますが、これは西洋文化の源、古代ギリシア・ローマ時代から始まっていることです。
 古代ギリシア・ローマ時代、エジプトはすでに観光地でした。神秘の国エジプトを見ようと張り切ってやって来たギリシア・ローマ人たちは、自分たちの国よ りもはるかに古く、はるかにスケールの大きな文明の遺跡に度肝を抜かれたのです。
 ヘロドトス、プルタルコス、ストラボンなどそうそうたる人々もエジプトに行き、畏怖と感動に身を震わせたのです・・・・・・しかし! 彼ら善良なるギリ シア・ローマ人たちが信じ、後世の西洋世界に伝えたエジプトの伝説は、ほとんどが当時のエジプト人ガイドらが並べた嘘八百だったのです。
 その荒唐無稽さたるや尊敬してしまいそうなほどです。あの「イソップ物語」の作者であるギリシャ人イソップとエジプトのファラオはある娼婦を取り合って いたが(イソップもびっくりでしょう)、その娼婦の墓があのピラミッドだと言っていたり、なんでもないただの古い家を哲学者プラトンが住んでいた家だと 言って、書斎を公開(!)したり、ホメロスはエジプトの神官の息子なのだと語ったり(イソップもプラトンもホメロスもみんなギリシア人で、おそらくエジプ トには行ったこともないでしょうし、時代も全くあいません)、まさに時空を超えたでたらめを並べていたのです。
 あの『英雄伝』を書いた偉大なるプルタルコスなど、かわいそうにエジプト人の言うことをすっかり信じ込んでしまい、エジプトの神々は実はギリシアの神々 と同じだったという『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(柳沼重剛訳、岩波書店)という本まで書いてしまいました。
 これらはみな当時のエジプト人が、大挙してやってきては大金を落としてくれる観光客をカモにするために口からでまかせに言ったことなのです。無邪気に感 動していたギリシア・ローマ人たちにとって、エジプトは現地に行って話を聞けば聞くほど、謎に満ちた神秘の地となっていったのでした。

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 そしてギリシア・ローマ人たちのエジプト好きは西洋世界に脈々と受け継がれていきます。そして時は流れて二十世紀、エジプトがイギリスの植民地となって いた時代、また新たなるエジプト考古学ブームが興り、あの有名なツタンカーメンのミイラの発見につながったのでした。
 1922年、ハワード・カーターによるツタンカーメンのミイラの発見は一大センセーションを巻き起こし、さらに発掘に続いて次々とおこった関係者の謎の 死(これについては自然死と思われるものも多く、信憑性はいささか疑わしい)は、「ファラオの呪い」としてヨーロッパ中を震撼とさせました。
 その「ファラオの呪い」を事件を念頭において書いたのではないかと思われるのが、カーター・ディクスン(言うまでもなくジョン・ディクスン・カーの別名 です)が1945年に発表した『青銅ランプの呪』(後藤安彦訳、創元推理文庫)です。
 エジプトから持ち出した者には必ず呪いがかかると言われている青銅のランプをイギリスに持ち帰った令嬢が忽然と姿を消してしまうという、「人間消失」も ののミステリで、おなじみのヘンリ・メルヴィル卿が探偵役として活躍します。怪奇的な雰囲気を盛り上げながらも、どこかからりとして読後感のいい、カーら しいミステリです。
 カーの作品は最近も書店にもたくさん並んでいるのですが、この『青銅ランプの呪』は現在、邦訳の入手が困難になっているようで残念です。

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 ツタンカーメンのミイラが発見された頃、つまり二十世紀の前半といえば、それはまさに本格ミステリ黄金期の真っ只中でした。カーのみならず、他の黄金期 の巨匠たちも、当時タイムリーだったエジプトという舞台を見逃してはいません。
 エラリー・クイーンの国名シリーズの中の一冊『エジプト十字架の謎』(井上勇訳、創元推理文庫/『エジプト十字架の秘密』宇野利泰訳、早川文庫)は、残 念ながらエジプトが舞台ではありませんが、アガサ・クリスティはエジプト旅行中のイギリス人たちの間におこる殺人を描いた『ナイルに死す』(加島祥造訳、 ハヤカワミステリ文庫)を書きました。これは日本でも公開になった映画『ナイル殺人事件』の原作です。
『ナイルに死す』は考古学者である夫に同行し、毎年のように中東を旅していたクリスティが、当時のエジプト(にいるイギリス人たち)の雰囲気をいきいきと 伝えたミステリです。
 事件は美人で巨額の財産を持つ令嬢が、新婚旅行先のエジプトのナイル・クルーズの船の上で殺されるというものです。はなやかな舞台設定としっかりとした 人物描写で最後まで落ち着いて読ませてくれるミステリです。
 事件の謎自体はそれほど意外性のあるものではないのですが、イギリスの上流階級の人々のある意味無邪気で、ある意味鼻持ちならない実体を、舞台をエジプ トに据え、ベルギー人の探偵ポワロを配することによって、くっきりと浮かび上がらせているところは、クリスティの面目躍如という感じです。もちろんクリス ティはイギリス人なわけですから、この自己洞察のするどさには頭が下がります。
『オリエント急行殺人事件』(長沼弘毅訳、創元推理文庫/中村能三訳、ハヤカワミステリ文庫)や『メソポタミアの殺人』(高橋豊訳、ハヤカワミステリ文庫 /『殺人は癖になる』厚木淳訳、創元推理文庫)など海外を舞台にしたミステリを多く描いたクリスティは旅が大好きだったのでしょう。『ナイルに死す』には こんな前書きがついています。

『ナイルに死す』は私がエジプトから帰ってすぐに書きあげたものです。いま読み返しても、自分がふたたびあの遊覧船に乗ってアスワンからワディ・ハルファ まで旅をしているような気持になります。・・・・・・(中略)・・・・・・自分では、この作品は“外国旅行物”の中で最もいい作品の一つと考えています。 そして探偵小説が“逃避的文学”だとするなら、(それであって悪い理由はないでしょう!)読者はこの作品で、ひとときを、犯罪の世界に逃れるばかりではな く、南国の陽差しとナイルの青い水の国に逃れてもいただけるわけです。(加島祥造訳)

 まさにその通りです。“それであって悪い理由はないでしょう!”だから安心して日々の憂さを忘れ、ナイルの水の上を漂うことにしましょう。

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 どうせエジプトに“逃避”するなら、いっそのこと時間も飛び越えてしまいたい、そう思われる方には、古代エジプトの事件の謎を究明するミステリもありま す。
 キャロル・サーストン(Carol Thurston)のThe Eye of Horusは、紀元前十三世紀の「殺人事件」の謎を現代のアメリカ人女性が解明するミステリです。医学専門のイラストレーター、ケイトは、最近発掘された ミイラを描く仕事を依頼されます。そのミイラは女性で、生前に肋骨と左腕が折られ、足の裏の皮膚を切り取られた他殺体であり、しかも両足の間には男性の頭 蓋骨が置かれていたのです。このミイラに何故かとても心を惹かれたケイトは、その死の真相を調査し始めるのです。
 題名のEye of Horus(ホルスの目)はエジプトの神ホルスの目を具象化した図のことで、古代エジプトでは医学のシンボルになっていました。ストーリーは古代の部分と 現代の部分が並行して進行していきます。古代の部分は青年医師テンレの日記という形になっていて、ミイラになった女性、ネフェルティティの娘アセットの短 い生涯を、アセットを愛したテンレの目を通して語っています。一方、現代の部分ではケイトが古代の事件の真相に近づいていく過程と、恋愛に臆病なケイトが 調査を通じて医師マックスと知り合い、ためらいながらも愛情を育てていく様子が描かれています。アセットとケイト、テンレとマックスのイメージが重なり合 い、時空を超えた二組の男女の心が少しずつ近づいていく様子を交互に語っているところは、なかなか秀逸です。
 アセットが生きた時代はツタンカーメンからラムセスT世まで、つまり宗教改革や政変があいついだ頃でした。ネフェルティティ、ホレムヘブ、ラムセスなど オールスター・キャストが登場するところも魅力です。美しく冷たいネフェルティティなど、性格設定はやや“お約束”どおりですが、権謀術策うずまく権力闘 争はこの作品のもう一つの核になっています。
 また、この時代は人間らしい文化が花開いた時代でもあったので、自分を信じ、前向きに生きたアセットには似つかわしい時代だったと言えるでしょう。
 作品の結末についてはここでは詳しく語ることはできませんが、読後感は感動とカタルシスに満ちていた、とだけ申し上げておきましょう。

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  The Eye of Horusは時空を超えた感動巨編ですが、次はもう少しエンターテインメント性の高いシリーズものをご紹介します。
 リンダ・S・ロビンソン(Lynda S. Robinson)のメレン・シリーズです。舞台はツタンカーメン時代のエジプトで、主人公で探偵役のメレンは、年若き王ツタンカーメンの「目と耳」、つ まり密偵として様々な事件を捜査します。
 シリーズは現在第6作まで進んでいますが、残念なことに日本ではまだ一冊も翻訳が出ていません。作者のロビンソンは考古学の学位を持っていて、スザン ヌ・ロビンソンという別名で歴史ロマンスも書いているようです。
 メレンは温厚な人物ですが、ツタンカーメンが即位する前、先王のアクエンアテンに屈辱を味あわされたという過去もあります。そんなメレンが、陰謀のうず まく王家の中で健気に国を治めている少年王ツタンカーメンに抱く忠誠心と半ば保護者めいた愛情にはなかなかほろりとさせられます。また幼い頃からメレンが 養子として育てていて、いまやメレンの右腕になっているカイセンとの交情も心あたたまるものがあります。
 メレンやカイセンに限らず、登場人物の性格設定は現代的でわかりやすく、親近感をもてます。作者ロビンソンは考古学の学位を持っているというだけあり、 メレンやカイセンの日常生活の部分を丁寧に描いているおかげで、リアリティを感じられるせいもあるでしょう。
 1作目Murder In the Place of Anubisは、神聖なるアヌビス神殿で行われていたミイラの防腐処置に、よけいな他殺体が紛れ込んでいたことから始まります。折から神官たちがツタン カーメンに対する反乱をたくらんでいるといううわさがあり、政情は不穏です。メレンはツタンカーメンを守るためにも捜査に乗り出します。殺人、窃盗、横領 と現代にもある犯罪と共に、古代エジプトならではの犯罪も登場します。これはまだミイラにするためのちゃんとした処置をする前の死体を破壊し、魂が永遠に 再生できないようにするという殺人よりも恐ろしい犯罪なのです。
 2作目のMurder At the God’s Gate では、今度はある神官がツタンカーメン王の彫像のてっぺんから墜落死します。他殺なのか、事故なのか、それとも何かの呪いなのか・・・・・・。ちょうど ヒッタイト族がエジプト国境に迫り、ツタンカーメンと政敵アクナートンとの間の緊張も高まっていて、メレンはまたもや王と祖国を救うため、事件の謎を解か なければならないのです。
 シリーズ4作目までは、舞台が過去に設定されているという意味の歴史ミステリでしたが、5作目からはリチャードV世の真の姿を推理したジョセフィン・テ イ『時の娘』(小泉君子訳、ハヤカワミステリ文庫)の系譜に連なるともいえる、歴史の真実をさぐるミステリにシフトしています。
 それまではほぼ「一話完結」という形で事件の捜査にあたっていたメレンですが、5作目Drinker of Bloodと最新作Slayer of Godsでは、一貫して、先王アクエンアテンと妃ネフェルティティの秘密を追っています。アクエンアテンはなぜ突然首都を遷都し、一神教に宗教改革をしよ うとしたのか。そして過労と心労で死んだと言われているネフェルティティは本当は何者かに毒殺されていたのではないか。メレンは恐ろしい真相を知ります が、まだ18歳のツタンカーメンにどう告げるべきかと悩んだりもします。
 そして息子カイセンにも危険がおよび、メレンは愛する者たちを守るために戦わなければならなくなるのです。

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 エジプトを舞台にしたミステリはエリザベス・ピータースのAmerlia Peabodyシリーズなどまだまだ他にもたくさんあります。今年の夏、クーラーの効いた室内で壮大なロマンを楽しんでみてはいかがでしょうか。

 リンダ・S・ロビンソンの作品リストを翻訳通信のサイトに掲載しました。URLは以下の通りです。
http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/my/dt/lsr.html

(翻訳通信2003年8月号)