私的ミステリ通信 (第5回)
仁木 めぐみ
江戸川乱歩と海外「探偵小説」
今年も読書の秋、そして神保町古書店街の古本まつりの季節がやってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。今回のテーマは「江戸川乱歩」で
す。江戸川乱歩は日本人の作家ではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここでとりあげるのは乱歩の小説ではなく、評論など海外ミステリに
関する活動のほうです。乱歩はいわずと知れた日本推理小説界の大御所でしたが、日本の翻訳ミステリ界に大変な貢献をした人でもあるのです。
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いきなり私事で恐縮ですが、私が大人の本を読めるようになったのは1980年代の初めでした。ミステリ好きな方の多くがたどった道だと思いますが、小学
校中学年の頃に子供用のシャーロック・ホームズに出会い、江戸川乱歩の少年探偵団を読み、その後は学校の図書室で児童用の世界推理小説全集をむさぼるよう
に読みました(あれはものすごいものだったと思います。何せウィリアム・アイリッシュの『幻の女』〔稲葉明雄訳・ハヤカワミステリ文庫〕からメアリー・ロ
バーツ・ラインハート『螺旋階段』〔ハヤカワミステリ文庫・沢村潅訳〕まであったのですから。後にこれは子供の頃に読んだあの話だ、と思うことが何度もあ
りました。しかしあの『幻の女』を“良い子”が読んでも差し支えないように、しかも面白みを損なわずにリライトした訳者の方の力量には頭が下がる思いで
す)。
やがてだんだんと文庫本でミステリを読めるようになり、たしか最初に読んだのはハヤカワミステリ文庫のアガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』
(清水俊二訳)だったと思います。クリスティ、クイーン、カーと区立図書館の棚に並ぶミステリを次々と読みながら、私はこう思いました。もっともっとたく
さん面白いミステリを読みたい! でもどこを探せばいいんだろう?
そんな時、私は同じ図書館の薄暗い書庫(目立つところにある文庫コーナーとはかなり離れたところにありました)を探検していて、ある本を見つけました。
それは江戸川乱歩『探偵小説四十年』(桃源社社など)です。
江戸川乱歩といえば、おなじみ名探偵明智小五郎と少年探偵団シリーズの生みの親です。先ほども書いたように、私にとってももちろんなじみのある名前でし
たが、それ以上に、大きな本の背表紙に金文字で書かれたタイトルが輝いて見えました。『探偵小説四十年』。「探偵小説」という古めかしい言葉が、なぜか私
の心をときめかせたのです。しかも四十年! 私はまだ本当の「探偵小説」を読み始めてから数ヶ月しかたたないのに、この人はもう(といってもこの本が書か
れた当時のことですが)、四十年も探偵小説にかかわってるんだ! いま思えば日本の探偵小説界の重鎮も重鎮、プロデューサー的存在でもあった江戸川乱歩に
対して、おそれ多く、失礼極まりない話です。知らないというのは恐ろしいことで、小学生時代の私はこのタイトルだけで乱歩を尊敬したのでした。
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『探偵小説四十年』の内容は、乱歩自身の半生や創作を回顧した覚書、英米のミステリの批評や感想などです。私はドロシー・セイヤーズの『ナインテイラー
ズ』(浅羽莢子訳・創元推理文庫/門野集訳・集英社文庫)、ロナルド・ノックスの『陸橋殺人事件』(宇野利泰訳・創元推理文庫)、ジョセフィン・テイの
『時の娘』(小泉喜美子訳・ハヤカワミステリ文庫)などの古典的な名作の存在を、みなこの本で知りました。ある意味私にとってこの本との出会いは、長年の
煩悩の始まりだったいえるかもしれません。
乱歩が評論活動をした時代にはちょうど英米ミステリの黄金期も含まれるので、日本では乱歩が初めて読んだという名作もたくさんあります。江戸川乱歩とい
う人は海外ミステリの日本への紹介に大変な貢献をした人物なのです。今日の翻訳ミステリ界の基礎を作ったと言っても過言ではないと思います。自身の創作で
すでに名をなしてから、英米ミステリの評論活動をした乱歩は本当にミステリが好きだったのでしょう。横溝正史(正史には多数の訳書があるのですが、そのう
ちの一冊にウィップルという作家の『鍾乳洞殺人事件』というミステリがあり、この作品からアイデアを得て『八つ墓村』〔角川文庫〕を書いたといわれていま
す)ら当時の人気作家と海外ミステリについて熱く語り合ったという記述も残っています。戦争中まったく情報が入らなくなっていた英米のミステリ界の状況
を、日本中に知らせたいという気持ちも持っていたようです。
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乱歩には暗い土蔵の中でろうそくをともして執筆していたといわれています。床にはいつくばって鬼気迫る顔で書いているのを見てしまった編集者がいる、と
いう話も伝わっています。どこまでが真実でどこまでが「伝説」なのかはわかりませんが、自邸の土蔵を書斎にしていて、そこで執筆していたというのは本当で
す。しかもこの土蔵の中には内外の探偵小説の膨大なコレクションが納められていました。まさに宝庫というべき土蔵です。
「幻影の蔵 江戸川乱歩探偵小説蔵書目録」(山前譲・新保博久著・東京書籍)はそのコレクションの完全なリストです。邦訳本はもちろんのこと、ペーパー
バック、ハードカバーを問わず洋書もたくさんあります。和書も洋書も今では手に入らない貴重なものばかりです。洋書は戦後、進駐軍が放出したものを大量に
買い集めたそうです。英米では日本よりさらに絶版、品切れになるのが早いので、今は読めなくなっている作品もたくさんあり、うらやましい限りです。
乱歩は膨大な原書の一冊一冊の背表紙にまるで図書館のようにラベルを貼り、アルファベット順に並べて管理していました。几帳面な性格をしのばせると同時
に、ミステリへの愛も感じさせるエピソードです。書き込みのある本も多く、いまや二重に貴重なコレクションになっています。
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乱歩の評論や海外ミステリに関するエッセイ集は他にも多数あります。書下ろしではなく、雑誌に書いた原稿を集めたものが多く、重複して収録されている文
章もあります。残念ながら現在は絶版になっている本が多いので、ここでは現在新刊でも買える『海外探偵小説作家と作品』(早川書房)という本を紹介させて
いただきます。ちなみに『探偵小説四十年』は今は絶版になっていますが、最近配本が始まった光文社の江戸川乱歩全集の第28・29巻として近日中に刊行さ
れるようです。
『海外探偵小説作家と作品』は題名の通り、作家ごとに海外ミステリを紹介している本なのですが、主に乱歩が書いた解説をまとめたものです。前書きを見る
と「私は早川ポケット・ミステリー叢書の解説を昭和二十八年に十一冊、二十九年度四十六冊、三十年度五冊、合計六十二冊執筆している」とあります。いかに
海外ミステリの紹介に深くかかわっていたかがわかります。
収録作家は九十一人で五十音順に並んでいます。そのラインナップはなかなかバラエティに富んでいて、カー、クイーン、クリスティはもちろん、エバハー
ト、ラインハートといった現代ではあまりかえりみられていないHIBK派(=もし知ってさえいたら派。この派については回をあらためてくわしく書かせてい
ただくつもりです)あり、スピレイン、チャンドラー、ハメットといったハードボイルドの「古典」ありと、乱歩の「守備範囲」の広さとその当時の時代性を感
じさせ、興味深いものがあります。
内容は、もとが解説ですので、作家の略歴やちょっとしたエピソードが紹介されています。たとえば『スイートホーム殺人事件』(ハヤカワミステリ文庫・小
泉喜美子訳)や『時計は三時に止まる』(創元推理文庫・小鷹信光訳)などの作品があるクレイグ・ライスの項では、ライスが「タイム」誌の表紙を飾ったこと
と共にライスの生い立ちと半生がかなり詳しく書かれています。
ライス夫人の経歴は非常に風変りである。父は画家であつたが、母と共にほとんど本国
を外にして、欧州は勿論、印度などにも永く住み、日本にも来たことがあるという放浪的性格の持主であつた。母は本国に帰ってクレイグを生み落とすと、嬰児
を親戚のもとに預けたまま、外国の父のもとへ帰つてしまったので、クレイグは親戚の手で大きくなったのだが、その預かり主の一家がまたはなはだ放浪的で、
アメリカ各州を転々として移り住んだ。こういう遺伝と環境の中に人となつたライス夫人が彼女自身一個のボヘミアンであつたことは寧ろ当然である。
乱歩は案外ゴシップ好きだったのかもしれませんね。大御所が身近に感じられます。
また、黄金期のイギリス四大女流作家の一人で、『幽霊の死』(服部達訳・ハヤカワミステリ文庫)などで知られるマージェリー・アリンガムの項では、
・・・・・・ニューヨークタイムズの書評誌にのつた写真は、近影らしく、すつかり痩せ
ていい姿になっている。前の丸々とした顔と違つて面長になり、につこり笑つている目が可愛らしく、中年の色気みたいなものが感じられる。概して女流探偵作
家には美人が多い。クリスティーなどは昔はなかなか色つぽい美人だつた。若い頃のセイヤーズも色気はないが、智識的ないい顔だったし、「時の娘」のジョセ
フィン・テイもクリスティーと似た顔立ちで悪くはない。アメリカのエバハートの若い時の写真は明治期のはすつぱな玄人女という感じの色つぽさをもつている
し、「鉄の門」のマーガレット・ミラーなどもなかなか美しい。
と、アリンガムの話から脱線して、今ならちょっとセクハラとも言われかねない、「ミステリ作家美人比べ」を書いていてご愛嬌です。
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翻訳ミステリに関する乱歩の業績としては全集の監修も忘れてはいけません。乱歩が監修や編集にかかわった全集は多数ありますが、その中でも全八十巻にお
よぶ世界推理小説全集(東京創元社)が一番大がかりなものでしょう。監修は乱歩のほかに植草甚一、大岡昇平、吉田健一といったメンバーが名を連ねていま
す。
第一巻はイズレイル・ザングウィル、ポーという推理小説の起源というべき顔ぶれで始まります。第二巻以降ドイル、ガストン・ルルー、チェスタトンと続
き、あとはクリスティ、クイーン、ヴァン・ダイン、クロフツ等本格ものから、モーム、ハメット、ジョン・バカンまで幅広い作品を収めています。並んでいる
題名を見ると、すばらしいとしかいいようがなく、ため息が出ます。私はこの全集を四冊だけ持っています。中学生の頃古本屋さんで買ったものです。全集とは
いうものの、コンパクトな装丁でデザインもすっきりとして可愛らしく、当時からお気に入りでした。あの時すでに大人だったら、まちがいなく全巻いっぺんに
買っていただろうと思います。
翻訳者陣では当時活躍していた翻訳家にまじって、西脇順三郎、木々高太郎ら作家の名前が散見できます。A.E
.W.メースンの『矢の家』を訳したのは、丸谷才一、中村真一郎とともに『深夜の散歩』(講談社文庫)という海外ミステリ評論集を出し(もともとはエラ
リークイーンズミステリマガジンに連載していたものです)、加田怜太郎のペンネーム(ダレダロウカという言葉のアナグラムです)で自身も推理小説を書いて
いた大のミステリ好きの福永武彦ですし、監修の大岡昇平もイーデン・フィルポッツの『赤毛のレッドメーン』を訳してます。メースン、フィルポッツともにミ
ステリ以外が本業の作家でしたから、原著者、翻訳者ともに文学者という興味深い組み合わせですね。
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さて、『海外探偵小説作家と作品』話を戻すと、乱歩はフィルポッツの項で『赤毛のレッドメーン』を手放しで激賞しています。ウィリアム・アイリッシュ
『幻の女』やロジャー・スカーレット『エンジェル家の殺人』(大庭忠男訳・創元推理文庫)とともに乱歩を夢中にさせた作品なのです。
『赤毛のレッドーメーン』は「英文壇の老大家」であるフィルポッツが六十歳を過ぎてから余技として書いたミステリです。乱歩はまずフィルポッツの経歴
を紹介し、それから『赤毛のレッドメーン』を詳細に解題し、その長所をほめています。実際に読んでからそんなに時間をおかずに書いた文章なのか、読み進む
につれて印象が変化していく様子がいきいきと書かれています。次第に引き込まれ、夢中になって読んでいる乱歩の姿が目に浮かんでくるような文章です。そし
て読後すぐの感想の後には、読み終わって「五日から十日」たってからの印象もあります。
・・・・・・読者の心に、又してもがらりと変わつた第三弾の印象が形造られてくるの
だ。万華鏡は最後の絢爛たる色彩を展開するのだ。物語のこまごまとした筋は一日一日と読者の記憶から薄らいで行く、謎の面白さもガンス大探偵の論理も、到
底永い命はない。だがそれと反比例して、何とも名状し難い「色彩」が刻々とその色合いを濃かにして、読者の暗黒な心の中に拡がって行く。それはたとえば
「眼花」と言われる瞼の裏のこの世のものではない絢爛たる色彩、闇の中の虹である。
さすが乱歩です。この熱烈なほめ言葉は、それ自体が一つの世界を作っているではありませんか。
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私が初めて『探偵小説四十年』を読んだ八十年代前半と今では翻訳ミステリを取り巻く状況はあまりに違います。クラシック・ブームが訪れ、黄金期の作品が
格段に手に入りやすくなっている状況は喜ばしい限りです。翻訳ミステリの普及につとめた乱歩の活動は、無駄になってはいなかったのです。
乱歩は作風に悩み、ある時期から小説の執筆をやめ、評論に力を入れるようになったといいます。「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」とは乱歩自身の言葉で
すが、小説を書くという本業が「うつし世」なのだとしたら、情熱をかたむけ、無邪気に楽しむことのできた海外ミステリは、乱歩にとっては「夜の夢」であ
り、「まこと」であったのかもしれません。