私的ミステリ通信 (第8回)
 仁木 めぐみ

シャー ロック・ホームズの基礎知識

  ほとんどの方がどこかで一度はホームズのストーリーに触れたことがあるのではないでしょうか。子供の頃、ジュブナイル版で読んだという方 も、中学や高校の英語の教科書で読んだという方も多いと思います。また、イギリス、グラナダTV制作のドラマで見た方も、コミック化されたホームズを読ん だ方もいらっしゃるかもしれません。ホームズの冒険に胸を躍らせた記憶というのは、かなり多くの人が持っていることと思います。特にミステリファンにとっ ては、ミステリに興味を持つきっかけという大切な存在だったりします(かくいう私もそうです)。小学校の図書室で、シャーロック・ホームズは明智小五郎と 人気を二分していた気がします。「赤毛連盟」、「踊る人形」、「まだらの紐」・・・・・・あなたが最初に読んだのはどの作品だったでしょうか?
 今年の1月6日はシャーロック・ホームズの150回目の誕生日のようです。この節目の年を記念して、世界各国でホームズのファンや研究者(シャーロッキ アンといい、ベーカー・ストリート・イレギュラーズという正式な団体もあります)が様々なイベントを開催しています。ちなみに日本では、「ミステリマガジ ン」誌4月号(2月25日発売)で「ホームズ150回目の誕生日」という特集が組まれています。全作品解題などもあるので、興味のある方はご覧ください。
 そこで、というわけではありませんが、私的ミステリ通信第8回、第9回はシャーロック・ホームズ特集でいきたいと思います。

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 シャーロック・ホームズはいうまでもなく、アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)が創造した探偵です。ドイルの作品の記述から計算すると、ホームズは1854年生まれになるようです。ところで生年はいいとしても、誕生日は どこに書いてあったかな?と思った方、そう、ドイルが書いたホームズ譚(canon正典あるいは聖典といいます)にはそんな記述はありません。後世のとあ るシャーロッキアンが勝手に決めてしまっただけです(まさに早い者勝ちです)。このシャーロッキアンという人々はなかなかユニークで、ホームズの正典を精 読し、分析、研究しているのですが、シャーロック・ホームズは実在したという前提に立って大真面目に研究をしているのです。もちろんこれはお遊びであり、 本当にそう信じ込んでしまっているわけではありません、念のため。正典には書かれていないホームズの前半生や、正典の矛盾点などを探求し、そこから隠され た真実(?)を探っているのです。
 中でも私が感動した労作はW・S・ベアリング=グールドの『シャーロック・ホームズ―ガス灯浮かぶその生涯』(小林司・東山あかね共訳 講談社)です。 正典に載っている事柄も、それ以外のことも含めて、ホームズの生涯を年代順に整理してあり(正典は事件発生の時間の順には発表されていません)、ホームズ の両親のこと、出身校のこと、ワトソンは何度結婚したのかなど、シャーロッキアンにとってはおなじみの問題に、作者はすべて判断をくだしているのです。巻 末の年代表、原題と邦訳との対照表などの付録もとても役に立つ(ただし邦訳は1977年に出ていますので、もちろんそれ以降の資料は載っていません)すぐ れものです。また、付録Zのシャーロッキアン度検定問題集はご愛嬌です(と言っても、とても難しくて歯が立たないのですが)。
 ここで、ベアリング=グールドに習って、あなたのシャーロッキアン度チェックをしてみたいと思います。ただし、なにせ「私的ミステリ通信」なので、出題 傾向および採点基準は飽くまで「私的」なものですが、どうぞご容赦ください。クイズを楽しみながら、ホームズの生涯を俯瞰していただければ幸いです。

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 以下の十問に答えてみてください。(文中の題名は便宜上、すべて延原謙訳の新潮文庫版に典拠しています)

1.ホームズの「伝記作者」、ワトソン博士のフルネームは?
a. ジェームズ・ワトソン
b. ジム・K・ワトソン
c. ジョージ・ワトソン
d. ジョン・H・ワトソン

2.ホームズのデビュー作、『緋色の研究』で、ホームズとワトソンが初めて出会った場所は?
a. 病院
b. アフガニスタンから帰ってくる船の上
c. スコットランド・ヤード 
d. 殺人現場

3.ワトソンが依頼人と結婚することになった『四つの署名』にはどこの国の秘宝をめぐる事件か? 
a. アフガニスタン
b. インド
c. 中国
d. 日本

4.ホームズが「いつでも『あの女』と呼ぶ女性」は誰?
a. ヴァイオレット・ハンター
b. メアリー・モースタン
c. アイリーン・アドラー
d. ハドソン夫人

5.「赤毛連盟」で赤毛の男性限定の求人広告に応募して採用されたウィルソン氏がやらされた仕事は?
a. 過去十年分のタイムズ紙を書き写す
b. 百科事典をAから順に書き写す
c. 文学全集の朗読
d. 造花作り

6.「白銀号事件」の中のホームズのせりふです。「あの晩の犬の不思議な行動にご注意なさるといいでしょう」この「犬の不思議な行動」とはどんな行動で しょう?
a. 激しく吠えた
b. びっこをひいていた
c. 二本足で立った
d. 何もしなかった

7.「最後の事件」でホームズが宿敵モリアーティ教授と格闘した場所は?
a. スイス・ライヘンバッハの滝
b. サセックス州の海岸
c. ロンドン塔
d. テムズ川の快速船の上

8.「空き家の冒険」で、死んだことになっていたホームズが再びワトソンの前に姿を現わした時、どんな人物に変装していましたか?
a. メッセンジャー・ボーイ
b. 古本屋の老人
c. 浮浪者
d. ハドソン夫人

9.ホームズ・シリーズに「殺人犯」として登場していない動物は?
a. へび
b. 犬
c. ライオン
d. くらげ

10.ホームズの兄、マイクロフトがいつもいるクラブの名前は?
a. ソクラテス・クラブ
b. ユークリッド・クラブ
c. ディオゲネス・クラブ
d. アリストテレス・クラブ

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 解答と解説です。
1.正解はd. ジョン・H・ワトソンです。ドイルはワトソンの名前をジェームズ・ワトソンと言う実在の友人から借りて創作したのですが、一度だけうっかり間違えてワトソ ン夫人に「ジェームズ」と呼ばせてしまっています。
2.a. 病院です。ワトソンはある日、かつての勤務先である聖バーソロミュー病院の後輩スタンフォード医師から、今病院に来ているある人物が、一緒に間借りをする 相手(要するにルームメイトですね)を探していると聞くのですが、その人物こそホームズでした。そしてホームズは病院で何をしていたかというと、ヘモグロ ビンに反応して沈殿する薬品を発見したところでした。その場で意気投合した二人は、ベーカー街221番地Bのハドソン夫人の下宿に住むことになったので す。
3.b. インドです。依頼人メアリー・モースタン嬢の父モースタン大佐の行方を探るうちに、ホームズ、ワトソン、そしてメアリーの三人はインド・アグラ地方の秘宝 をめぐる殺人に巻き込まれます。そしてその謎が解明される頃には、ワトソンとメアリーの間に恋が芽生えていたのでした。
4.c. アイリーン・アドラーです。3はワトソンの恋の問題でしたが、今度はホームズをめぐる女性の問題です。「ボヘミアの醜聞」に登場する元オペラ歌 手アイリーンは、ボヘミアの国王の心を惑わせ、しかもまんまとホームズを出し抜いた魅力的で賢い女性です。ホームズは決して口には出しませんが、アイリー ンはある意味特別な女性として印象に残っていたようです。ちなみにa.ヴァイオレット・ハンターは「椈屋敷」に登場する聡明な家庭教師です。b.メア リー・モースタンとc.ハドソン夫人については、2、3の解説にそれぞれ登場済ですね。
5.b. 百科事典をAから順に書き写す、が正解です。この奇妙な仕事は実は、ある大きな企みのために、ウィルソン氏を勤務先から引き離しておくための口実だったの です。
6.d. 何もしなかった、です。このせりふはホームズがスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)のレストレード警部に向けて言ったもので、後に様々なミステリ作 品の中で何度も引用されることになった歴史的(?)な言葉です。レースを控えた競走馬白銀号の馬屋の番犬が、犯人が通った時になぜ吠えもせず、静かにして いたのかが手がかりになる、と言うのがホームズの真意です。
7.a. スイス・ライヘンバッハの滝、です。にせの手紙でワトソンをホームズから引き離したモリアーティ教授がホームズと一騎打ちした場所です。お互い互角の戦い でしたが、ホームズが日本のバリツ(武術?)を習得していたおかげで助かった、と後に語っています。しかし、モリアーティ一味の報復を恐れたホームズは自 分も滝に墜落して死んだことにしようと、ワトソンにも真実を告げずに身を隠してしまいます・・・・・・というのは、後で書かれたことで、「最後の事件」を 発表当時、ドイルはホームズものを書くのに嫌気がさしていて、ホームズを殺してシリーズを終わらせてしまおうと考えていたのでした。しかし、ホームズファ ンからの非難にたえきれず、とうとう「空き家の冒険」でホームズを復活させる羽目になるのです。
8.その「空き家の冒険」の問題です。正解はb. 古本屋の老人、です。ライヘンバッハでホームズが「墜落死」してから3年後のある日、ロンドンの人ごみでワトソンは古本屋の老人とぶつかってしまいます。 この老人はそのすぐあとにワトソンを自宅に訪ねてきます。本を売りつけようとする老人を追い返そうと思っていた矢先、老人の言うままに自分の後ろの本棚を 見て、また老人を振り返ったワトソンが見たものは、なんとにこにこ笑って立っているホームズでした! 驚きと喜びのあまり、ワトソンはなんと失神してしま います。息を吹き返したワトソンに、ホームズは驚かせたことと、ワトソンまでだましていたことをわび、今までのいきさつを語ります。それによるとホームズ はチベットからペルシャ、エジプト、フランスをまわり、ロンドンへ戻ってきたということです。
9.正解はc. ライオンです。「獅子のたてがみ」という作品がありますが、犯人はライオンではありません。あとの三つは人間の手先につかわれたり、あるいはその動物の本 能から人を殺しているのですが、作品名をあげることは、まだ読んでいない方に申し訳ないので、控えておきます。
10.正解はc. ディオゲネス・クラブ、です。ホームズの兄マイクロフトはイギリス政府の高官で、ホームズ以上にすばらしい頭脳を持っていますが、極度の怠け者で身体を動 かすことを好みません。自宅と職場とこのディオゲネス・クラブという三箇所を動しているだけで、他の場所には滅多に足を運ばないのです。そして問題のディ オゲネス・クラブというのは、とても風変わりなクラブです。ロンドン中の社交嫌いが集まっているクラブで、特別に許可された場所以外では決して話をしては いけないのです!

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 楽しんでいただけましたか? 正解が1問〜3問だった方、ホームズ好きですね。子供時代、楽しく読んだ記憶がおありではないでしょうか? 4問〜6問、 ホームズ・ファンですね。きっと正典のほとんどを読破されたのでしょう。7問〜9問、ホームズ・マニアでしょう。周辺書や関連書が出ていないか、いつも チェックされているのでは? 全問正解した方、あなたこそ真のシャーロッキアンです!

 「空家の冒険」で復活したホームズは、またたくさんの難事件を解決した後、探偵を引退し、サセックスで養蜂業を始めました。「最後の挨拶」は、サセック スにいるホームズが国際問題という大きな事件に取り組む作品で、当時のヨーロッパの政治情勢を色濃く反映しています。
 ホームズ譚が後のミステリに与えた影響は計り知れないものがあります。名探偵がいて、その助手兼記録者がいるというスタイルのミステリはみな、ある意味 ホームズもののパスティシュだと言ってもおかしくはありません。ホームズは元祖名探偵というわけではないのですが、名探偵といえばホームズ、ホームズとい えば名探偵、というイメージはイギリスを飛び出して、世界各国に広まっています。日本では97、98年頃に複数の出版社から新訳の全集が出ていますし、そ れ以前の邦訳も簡単に手に入る状態にあり、今でもその人気は衰えていません。
 冒頭で触れたシャーロッキアンの人たちのように、研究と言う形でホームズへの情熱を表明する人々もいれば、自分自身の希望や、愛ゆえの風刺をこめて、自 由な形でホームズを発展(?)させたフィクションを書く人々もいます。今までに書かれたパロディ、パスティシュの量はとても膨大です(ホームズは女性だっ たとか、宇宙で事件を解決したなど、とんでもない設定のものもあります)。次回は「シャーロック・ホームズのムダ(?)知識」と題して、正典以外のホーム ズ、つまりパロディ、パスティシュを紹介してみたいと思いますので、どうぞお楽しみに!