エッセイ 震災後読書日記
 若林暁子
無隣庵日乗
 
3.11 実家の母と長電話中、母の「あ、これは大きい! 切るわよ」という叫び声で電話が切れた。ん?大きい?と考えたその瞬間、揺れだした。猫の無事 を確認し、窓と玄関扉を開け放ち、外に出た。家の前の道路から、音を立てて落下するわが家の屋根瓦、今にも折れそうに揺れる電信柱、近隣のガレージから走 り出しそうに弾む車を、呆然と見ていた。もうダメだ、これでおしまいなのだ、と思った。もちろんそれでおしまいではなかった。始まりだった。

3.12 本棚が倒れ、部屋中に本が散乱している。余震が怖くて片づけられない。もう本なんか要らない、全部処分してやる!と、いまいましく思う。

3.13 非常用リュックの中身を点検する。ふと、本の一冊でも入れておこうと思い立つ。ほとんどの本は絵空事で、この危機的状況に対抗する力などない。 あれしかない、と『鴎外随筆集』を手に取る。「遺言」を読んだら力がわいてきた。状況はどうあれ、気分だけは「生きるか死ぬか」の瀬戸際だったが、びくび くしている暇はないと覚悟を決める。

3.15 原発がいよいよ危ない。核分裂生成物について調べられるだけ調べる。PCのお気に入りバーがすっかり様変わりした。地震、風向、放射線量が辞書 や銀行のサイトより大事。新刊で買ったまま本棚で眠っていた『世界で一番美しい元素図鑑』を熟読。気が紛れた。『原子核物理入門』を注文。

3.17 大規模停電に備えておにぎりを作り、ろうそくを用意する。首都圏の人間も電気のない暮らしくらい体験しないと。『縄文人になる!』を読む。

3.21 気象庁の地震情報と茨城県の放射線監視サイトばかり見ている。ほしいのは一次情報で、御用学者や役人やマスコミが編集した情報ではない。こう なったら携帯電話に線量計をつけてほしいくらいだ。少なくとも避難地域の世帯には線量計と防護服くらい配給すべき。上智大学の雨宮慧教授の講義をテレビで 観た。「命は神によって与えられるもの、受け取るべきもの――命の木に触れると破綻がおこる」「自分の欠けを、神の力に頼るのではなく自分の力で解決し、 埋め合わせようとすることが原罪であり、神の力があってはじめて人間は完全になる」。神を自然に置き換えると、まさに今回の原発事故にぴたりとあてはま る。『旧約聖書』を読む。

3.24 揺れていないのに揺れているように感じる。血圧が高い。三陸のどこかの被災地では、ドラム缶で薪を燃やして暖をとり、手製の水洗トイレ、風呂な ども作っていた。男性は漁師、女性も海産物で生計を立てている集落だったという。頗る健全な笑顔に胸を打たれる。利便性とカネに群がる人々でできあがった 都会にはない健やかさを見た思い。『古代史の論点2 女と男、家と村』『忘れられた日本人』を読む。

3.27 リビアへの欧米の攻撃が映画のように思える。人間相手の闘いならいくらでもやめられるのに。人類には天災と戦争と伝染病という天敵が用意されて いて、繁栄して増長すると大量死する。宇宙人からみたら、さぞかし奇妙な種と映るだろう。

3.31 震災後はじめて着物を着る。江戸川橋まで所用。桜が咲いていた。『原子核物理入門』を読む。数式ばかりで文字のところを拾い読みする程度。文系 人間はまるで原始人だとあらためて思い知る。

4.2 震災後はじめて、テレビをまったくつけなかった。庭の草取り、散歩。ハクレン、ボケ、ミモザ、ドウダンなどが咲いていた。季節が移り変わるのを見 るとホッとする。書評を読んで買った『古事記神話の謎を解く』。お上の文書に捏造はつきもの。

4.4 久々に普通の生活。傍目には普通でも、どこか内部で緊張状態が続いていた。ボランティアに行きたいと思う。『アースデモクラシー』を読む。

4.7 終日家に篭もり、常備食をつくる。夜、長い揺れ。震度三とは思えなかった。純粋な恐怖と、被災地のことを思う気持ちとで、発作的に涙が出た。

4.11 夕方五時過ぎから分刻みで地震。心臓が痛い。避難所で泣き叫ぶ子どもの心境。自粛のよしあしではなく、安心して活動に没頭し、楽しむことができ ない。何か方策を考えないと、動けない。

4.12 地震が怖いのではなく、人工物の揺れる様やきしむ音が怖いのだと気づき、日中は仕事道具をもって公園に出かける。空、鳥、樹木、草、大地しか目 に入らない。快適。揺れても気にならない。夜、友人にすすめられた『断腸亭日乗』を読む。荷風も関東大震災後、樹下に野宿している。

4.28 美容院。先生がこだま和文のCDをかけてくれる。アシスタント君は笠間市の出身。原発事故についていろいろ知りたいというので、帰宅してから週 刊誌を差し入れる。テレビよりはましだ。

5.1 『隠される原子力・核の真実』を一気に読む。さまざまな疑問が解けた。原発推進派はもちろん、恩恵にあずかりたい人は、この本を読んでからにして ほしい。時すでに遅しではあるが――。

(2011年5月号)