震災の後に
山岡洋一

いま読みたい本、今後に読みたい本

 

 今回の震災は生活のあり方を考えるきっかけになったという点で、とても大きい出来事だったと思う。当然ながら、読みたい本、訳したい本もこれまでとは 違っている。今月号では、「いま読みたい本、訳したい本」をテーマに5人の翻訳家から寄稿をいただいた。それぞれ示唆に富む内容であり、翻訳者の立場では 訳してみたいと思える本、読者の立場でまさに読みたい本が紹介されている。

 以下では、自分がいま読みたい本と、数年後に読みたい種類の本をいくつかあげていく。

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 震災の直後、無計画停電に苦しみ、片づけても片づけても余震で崩れる本の山に溜息をついていたころ、無性に読みたくなったのが、子どものころから大好き な漂流物語だ。ライフ・ラインどころか、衣食住もままならない状況で生き抜いた物語を読めば、少しは強くなれるのではないかと思ったからだ。少年のころに とくに好きだったのは、たとえばベルヌ著『十五少年漂流記』だが、大人になってからはダニエル・デフォー著『ロビンソン漂流記』が圧倒的に面白いと感じ た。労働によって衣食住をいかに確保するかに焦点をあてているし、17世紀の英国にあらわれた近代的な生き方、考え方を見事に描いているからだ。この小説 は実話に基づいているので、ドキュメンタリーの性格ももっている。『ロビンソン漂流記』は子どもの読み物だと思っている人が多いだろうが、そんなことはな い。吉田健一の名訳(新潮文庫)を読むよう勧めたい。

 デフォーは、いまでは一般には『ロビンソン漂流記』の著者として知られているだけだろうが、イギリス近代を代表するジャーナリストであった。ジャーナリ ズムはデフォーからはじまったといえるほどである。たとえば、『ペスト年代記』があり(平井正穂訳『ペスト』中公文庫)、1665年のペスト大流行をテー マとするドキュメンタリーである(ただし、執筆は1722年なので、想像力で補った部分もあるだろう)。これも、いま読みたい本のひとつだ。

 過去何年かに読んだ漂流物語には、危機におけるリーダーシップという観点で素晴らしい本があった。マーゴ・モレル、ステファニー・キャバレル著『史上最 強のリーダー シャクルトン』(高遠祐子訳、PHP研究所)である。南極探検の途上で漂流し、全員生還を達成したシャクルトンのリーダーシップを描いた本 だ。アーネスト・シャクルトン著『エンデュアランス号漂流記』(木村義昌、谷口善也訳、中公文庫BIBLO)も面白い。

 原発危機と無計画停電のさなかに読み返したくなった本に、エイモリ・ロビンス他著『自然資本の経済』(佐和隆光、小幡すぎ子訳、日本経済新聞社)があ る。ロビンスはソフト・エネルギー・パスの提唱者であり、分散型で循環型のエネルギー政策を長年にわたって主張し、開発してきた。ロビンスが設立したロッ キー・マウンテン研究所は、マラソン選手の高地トレーニングで有名なコロラド州にある。アスペン近くにある研究所と私邸では、省エネ技術を駆使して、真冬 でも熱帯植物が生い茂っているという。日本のある企業では震災直後に節電のため、雪が降るなかで暖房を止め、社員がダウンジャケットを着て仕事をしていた そうだが、我慢我慢の方法をとらなくても、節電と省エネは可能なようだ。

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 原発危機も余震も少しは落ち着いてきたように思えてくると、将来を考えるようになった。今後読みたい本は何か。さまざまな本が思い浮かぶのだが、いちば ん読みたいのは、今回の大震災を大きな視野で描くドキュメンタリーだ。今回の震災は複合的であり、すべてを扱うのは難しいかもしれない。たとえば、津波、 原発事故、サプライ・チェーンの混乱と修復などのうち、ひとつに焦点を絞る必要があるだろう。それでも、選んだテーマについては全体像を描く視点が欲し い。

 たとえば津波についていうなら、何年後か何十年後か何百年後かは分からないが、忘れたころにまたやってくるのは間違いない。後世のために記録を残すこと は是非とも必要なはずである。信じがたいほどの悲劇があり、果敢に戦った英雄がいた。その記録を後世まで読み継がれる形で残して欲しいと切望している。

 原発事故も大きな視野からとりあげてほしいテーマだ。1945年8月6日に広島に新型爆弾が投下されたとき、陸軍と海軍はそれぞれ調査団を派遣して、原 子爆弾かどうかを確認している。そのうち海軍の調査団が海軍軍令部に無線で送った報告は、「原爆と思われる。対抗すべき手段なし。深甚なる考慮を希望す」 というものであった(原文は片仮名)。広島と長崎の原爆が決め手になって、日本は降伏することになった。ここから、アメリカの科学の力に負けたという見方 が生まれている。戦争に大義がなかったからでも、残虐行為などでアジアの人たちの支持を得られなかったからでもなく、科学が遅れていたために負けたという のである。ここから戦後復興にあたって、科学技術立国が合い言葉のひとつになった。そして、原爆の威力に畏怖した経緯から、科学のなかでもとくに、原子力 が大きな目標になった。原子力はエネルギーの問題をすべて解決する夢の技術だといわれてきた。この時代の雰囲気をよくあらわすのが、「科学の子」、鉄腕ア トムだろう。

 今回の原発事故は、原子力開発が科学技術の基本を逸脱した形で進められてきた事実を示した点で、衝撃的だった。一般の人が科学技術を信頼するのはなぜな のか。もちろん、これまでに目覚ましい成果をあげてきたからだが、それだけではない。科学技術というからには、批判と検証という科学的方法によって、客観 性と実証性をつねに追求しているはずだからでもある。たとえば、「原発は安全だ」という命題が正しいはずだと思えたのは、有名大学教授などの権威ある専門 家がそう主張していたからではない(そうであれば権威主義であって、科学ではない)。科学的方法によってつねにこの命題を批判し、検証してきたはずだから なのである。

 今回の事故で明らかになったのは、実際にはそうでなかったことだ。今回の大地震と津波は1000年に1度の規模で想定外だったというのは、まったく信じ がたい話ではないだろうか。1000年に1度、まったくランダムに起こる規模だとしても、原発の運転期間を50年とすると、その間に起こる確率は5%に近 く、原発事故の重大性を考えれば、桁が4つも5つも違うのではないかと思えるほど高い。しかも、そうした地震と津波が起こる可能性も、そのときに電源が喪 失して炉心溶融にいたる可能性も、以前から指摘されていたのだという。つまり、原発は安全だという命題に対する批判があり、客観的な事実に基づいて冷静に 議論し、検証する機会に恵まれていたのである。東電はこの機会をどう活かしてきたのか。

 どうやら、まったく活かさなかったというのが答えのようだ。東電をはじめとする原発関係者はこうした批判を無視するだけでなく、言論を封じる手段まで とってきたようだ。この結果、原発の危険性について論じることは一種のタブーになっていた。東電の側にもおそらく何らかの言い分があるのだろうが、批判と 検証という科学的方法を無視する結果になったのは否定しがたい事実だと思える。

 その結果、信じがたいほどお粗末な判断が下されてきたことが、今回明らかになった。たとえば、原発事故の際に使えるロボットの開発が、事故は絶対に起き ないからという理由で中止されていた。「想定外」の津波に備えた非常用電源は用意されていなかった。原発事故に備えたまともな避難計画も策定されていな かったようだ。原発周辺地域で放射線測定結果を日常的に住民に知らせてきた形跡もない。今回の大混乱はその結果である。科学の基本を無視したツケなのだ。 ジャーナリストなら、ドキュメンタリー作家なら、このテーマを是非とも取り上げてほしい。

 翻訳者という立場では、そういうドキュメンタリーが英語で書かれることがあれば、是非訳してみたいと思う。もちろん、ジョン・ダワーのように日本をテー マに優れた著書を書いた外国人は少なくないのだが、今回の大震災については、是非とも日本人のドキュメンタリー作家に書いてほしいと願っている。無名で、 貧しい若者のなかからそういう著者があらわれてくるよう期待している。優れた著書が書かれれば、すぐに翻訳されて、世界中の読者に読まれる可能性が十分に ある。

 日本語から外国語への翻訳は、それぞれの言語を母語とする翻訳者が行うべきであり、そうした著書があらわれても出番はないと思うので、いまの文明のあり 方を見直すきっかけになる本を翻訳したいと考えている。何を訳せばいいのか、いまは検討中であり、決定打になる本はまだ見つかっていない。そういう本が見 つかって報告できるようになればいいのだが。
(2011年5月号)