翻訳についての断章
山岡洋一

翻訳とアニマル・スピリット

 
 もうかなり前になるが、真夏の暑さに耐えかねてはじめて軽井沢に行ってみた。第1印象は繁華街のような人波と意外なほどの暑さであった。高原だからか直 射日光が厳しく、汗が噴き出す。避暑地ではなかったのかと不満だった。ところが、昼食後に訪れた旧軽井沢は嘘のように涼しかった。そうか、これが軽井沢か と思ったのを覚えている。軽井沢はその後も数回しか行っていないので、ほとんど何も知らない。それでも、軽井沢という地名に騙されないだけの知恵は身につ けたように思う。旧軽が本来の軽井沢なのだ。それ以外はいってみれば、全国にある何とか銀座のようなものなのだ。だから、軽井沢がどういうところかを知り たければ、周辺にある何とか軽井沢を除外して、旧軽井沢について考えるべきである。

 同じことが翻訳にもいえる。日本の翻訳には栄光の歴史がある。だから、いまでは翻訳と呼ばれているものはじつに広範囲にわたっている。翻訳について考え るときにはまず、分類学が必要になるほどだ。言語別にみれば、外国語から日本語への英日翻訳、仏日翻訳、独日翻訳、中日翻訳などなどがあり、日本語から外 国語への翻訳には日英翻訳、日仏翻訳、日独翻訳、日中翻訳などがある。用途別には出版翻訳、産業翻訳(実務翻訳)、映像翻訳などがある。分野別には文芸翻 訳、ノンフィクション翻訳、技術翻訳などがある。こうやって分類していくと、翻訳は多種多様だということになり、全体の特徴をつかむのは難しくなる。まし てや、本質を理解することなど不可能に近くなる。翻訳とは何かを知りたければ、まずは本来の翻訳に対象を絞るべきだ。

 では、本来の翻訳とは何か。日本の翻訳のうち栄光の歴史を築いてきた部分は、幕末・明治以来、欧米の進んだ文化を取り入れるために行われてきたものであ る。言語別には欧米の言語から日本語への翻訳であり、用途別には主に出版翻訳である。分野は広範囲にわたっているが、欧米文化の精髄の部分であることは確 かだ。これが日本にとって本来の翻訳なのであり、翻訳の本質を考えるのであれば、まずはこの部分に焦点をあてるべきだ。

 欧米なら、たとえばルターによる聖書の独訳やティンダルによる聖書の英訳が本来の翻訳にあたるのだろうが、いずれも500年近く前のことだ。日本の場合 は150〜200年前に本来の翻訳がはじまり、その後も続いてきた。だから翻訳の本質を考えるとき、日本の方がはるかに有利だといえる。柳父章の著作をは じめ、日本に優れた翻訳論が多いのは、偶然ではないと思う。

 そこで、幕末・明治以降の本来の翻訳に対象を絞って、翻訳の本質を考えていきたい。本格的な翻訳論を展開することはまだできないので、ヒントになりそう な点を指摘するだけにしておきたい。

 本来の翻訳が欧米から進んだ文化を学ぶことを目的としているのは明らかだ。「学ぶ」ことが目的なのである。だが、ここで指摘しておきたいのは、「学ぶた めに翻訳する」ことが、まったく正しい選択だったにしても、合理的な選択だとはいえない点である。合理的どころか、ある意味で非合理的だといえるとも思え るのである。非合理的であるのは悪いことではない。合理的な計算からは冷静で落ち着いた行動が生まれるが、非合理的な感情からは常識外れのエネルギーが生 まれうるからである。そして、翻訳には並外れたエネルギーが必要である。

 非合理的だというのはこうだ。第1に、ルターやティンダルの場合とは違って、幕末・明治の翻訳者は原著を理解できているわけではなかった。理解できない から翻訳して学ぼうとしたのである。「学ぶ」というのはそもそもそういうものなのだ。学ぶ対象が理解できていれば学ぶ必要はない。理解できていないから学 ぶのである。では学ぶ対象をどうやって選ぶのか。理解できていないもののなかから、学習対象を合理的に適切に選ぶことができるのだろうか。できるはずがな い。いまは理解できていないが、学べば理解できるはずだし、素晴らしく価値が高いものに違いないと信じて選択する。

 幕末から明治初期にかけては時代を代表する天才が翻訳に取り組んだのだが、なぜ欧米の文化を学ぼうとしたかは明らかである。当初は医学や軍事という技術 の分野で、やがてはもっと広範囲な分野で、欧米が圧倒的に進んでいる事実を突きつけられて衝撃を受けたからだ。もっと客観的に全体像を確認していけば、た しかに欧米が圧倒的に進んでいる面があるにしても、そうとも言い切れない面もあることに気づいたかもしれない。だが、当時はそんな余裕はない。全体像を理 解することなど、とてもできなかったのである。だから、闇雲に学ぶしかない。学ぶということはそもそもそういうものなのだ。

 幕末には、敵と戦うにはまず敵を知らなければならないという合理的な考え方もあったように思える。だが明治に入ると、そのような合理的な計算よりも、欧 米への無条件の憧れが強くなったとみられる。衝撃と無条件の憧れは、何かを必死に学ぼうとするとき基本になるものである。非合理的ではあるが、合理的な計 算を超えた何かがなければ、人は命がけで何かを学ぼうなどとはしないものだ。

 以上は「学ぶ」という行為にかならずついてまわる非合理性である。だが、「学ぶために翻訳する」という選択は、別の意味でも非合理的だといえるはずであ る。

 この点は、たとえば一時期のMBAブームをみてみればよく理解されるはずだ。大手、中堅の金融機関や企業が毎年、何人かの優秀な若手をアメリカの一流ビ ジネス・スクールで学ばせるのが常識になっていた時期がある。この分野の教育ではアメリかが圧倒的に進んでいるとみられていたし、日本企業の国際化(いま の言葉ではグローバル化)を進めるにはMBAを取得した幹部の育生が不可欠だとみられていたからだ。その結果はどうなったか。優秀な若手社員を派遣した金 融機関や企業にとっても、MBAを取得した若手にとっても、苛立ちが募る結果になったことが少なくないようだ。若手は、2年間の留学を終えて帰国したと き、ビジネス・スクールで学んだ理論を社内で活かせない現実にぶつかる。アメリかと日本では企業や経営、社会、文化が違いすぎるからだ。そこで、MBAを 武器に転職をはかる人が多かった。外資系か海外に新天地を求めたのである。金融機関や企業にとっては将来の経営幹部になる人材を奪われ、新卒採用以来の投 資がすべて無駄になるわけだから、とんでもないことであった。

 これに似た現象には、たいていの開発途上国がぶつかっている。教育は開発に不可欠だから、貧しい国でも力をいれている。ところが、教育の最終段階として 優秀な若者を先進国に留学させると、戻ってこないことが多いのだ。いわゆる頭脳流出が起こるのである。これでは教育投資が無駄になる。だが若者にとって は、留学して学んだ優れた知識を活かせる状況が本国にないのだから、留学先に永住したいと考えるのは当然である。

 ところが幕末・明治に日本から留学した若者の多くは先進国に永住するのではなく、日本に戻って、留学先で学んだことを翻訳という方法で国内に伝える道を 選んだ。その際にぶつかった困難は、昭和末期から平成初期にかけてMBAを取得した若者がぶつかった困難とは比較すらできない。何から何まで違う。社会や 文化、技術や知識はもとより、言語の性格まで違っていたのである。そのなかで翻訳という方法をとって欧米の文化や知識を丸ごと学ぼうとしたのは、個人とし ては非合理そのものの選択であったはずだ。そして、この非合理な選択があったから、いまの日本があるのである。

 幕末・明治の先達はなぜこのような方法を選択したのか。2つの強烈な感情があったからだと思える。一方には前述のように、欧米への無条件の憧れがあっ た。これは逆にいうなら、自分たちは遅れているという強烈な思いであった。他方には、やはり強烈な民族意識があったはずである。個人としての合理的な計算 をすべて無視し、「学ぶために翻訳する」方法を選び、あえて困難な道を歩もうとしたのは、民族意識が強烈だったからに違いない。翻訳するというのは、言語 共同体としての民族全体が先進的な文化や知識を学ぶためという目的がなければ、意味をもたないからだ。個人が学ぶためであれば、翻訳する必要はない。

 欧米への憧れと民族意識という2つの強烈な感情はどちらも合理的だとはいえないものであると同時に、たがいに矛盾するものであることに注意すべだ。言語 共同体としての民族という観点では、一方は劣等感であり、他方は優越感なのだから。この矛盾が明治以降の日本の歴史を動かす要因になってきたし、日本の翻 訳の歴史を動かす要因にもなってきたと思える。たとえば異化と同化(foreignization vs. domestication)のせめぎあいも、この矛盾を考えれば理解しやすくなる。

 幕末・明治の人たちが欧米の先進的な文化や知識を翻訳という方法で学ぼうとしたとき、どのような困難にぶつかったのかは、柳父章の翻訳論で論じられてい る。語彙の面では、たとえばsocietyという語をどう訳せばいいかが分からなかった。この語で表現されている概念が日本にはなく、概念の基礎にある現 実が日本にはなかったからだ。そこで、まずは訳語を決めることにした。「社会」という語は、societyの訳語として作られた語であって、当初は原文の この部分にsocietyがあることを示す役割しか担っていなかった。

 また、日本語には文という概念がなかったので、センテンスを訳すために句点を作り、句点で区切られた文を作ることになった。日本語には主語がなかったの で、「〜は」で代用することにした。日本語には現在形、過去形がなかったので、「〜する」「〜した」で代用することにした。こうして、幕末・明治の翻訳で とられた異化戦略の結果、いまの日本語が作られてきた。江戸時代までのいわゆる古文と、現在のいわゆる現代文が違うのはかなりの部分、異化型翻訳のためな のである。

 翻訳のために作られた言葉や文体はすぐに、翻訳以外の文章でも使われるようになっている。その際にも欧米への憧れが大きな要因になったように思われる。 文明開化の時代なのだから、翻訳語や翻訳文体こそが新しい時代にふさわしいと思われたのだろう。

 その後、劣等感と優越感のうちどちらが強くなるかで、日本語についての感覚が変化し、翻訳についても考え方も変化してきた。最近では、日本社会が成熟し たことから、民族意識は弱まっており、劣等感と優越感という矛盾した感情も克服されてきているようだ。異化型翻訳の典型である翻訳調が規範としての力を 失ってきた背景には、このような意味での社会の成熟があると思われる。

 では、本来の翻訳の本質部分に非合理的な感情があることをどう考えるべきなのだろうか。おそらく、当然のことなのだと思う。

 他の分野の例をみてみると、経済はそもそも利害で動くものなので、合理的な計算に基づいているのが当然だと思えるはずである。そして、合理性が経済の基 本だという常識があるために、経済学も合理性を基本にしている。経済学が文系の学問だったのは過去の話であり、いまでは高等数学とまではいかなくても、あ る程度の数学が必須になっている。理系の人間にしか理解できないものになっているのである。だが、経済の基礎には合理性を超えた感情があることは、経済学 でも認識されている。

 その一例が、アニマル・スピリットである。ケインズが名著『雇用、利子、通貨の一般理論』で使った用語であり、企業の投資行動を決める要因だとされてい る。中央銀行が政策金利を引き下げ、その結果、企業が資金を調達するときの金利が下がっても、それだけで企業の設備投資が盛んになるわけではない。企業経 営者のアニマル・スピリットが衰えれば、設備投資は増えない。アニマル・スピリットとはまさに合理的な計算を超えた感情なのであり、経済ですら、これが決 定的な意味をもっているのである。

 翻訳は企業経営と比較すれば、合理性を重視しているとはいえない。経済や企業経営で非合理的な感情が重要なのであれば、翻訳でも合理性を超えた感情が重 要な要因になっていても不思議だとはいえないはずである。

 いまの翻訳に話題を移すなら、いわゆる翻訳調が嫌われているのは当然だと思う。だが、それに代わって登場したとされる「読みやすく分かりやすい翻訳」は どうなのだろうか。これがいま、ほんとうに好まれているのだろうか。個人的な感情をいうなら、「読みやすく分かりやすい翻訳」には翻訳調と変わらないほど の嫌悪感をもっている。幼稚な文章、精緻な論理を伝えられない文体がもてはやされているからだ。日本語の実力はこんなものではない、もっと美しいし、もっ と論理的なのだと思う。だから、「読みやすく分かりやすい翻訳」を超えるものを目指している。これもまた非合理的な感情なのであり、正しいかどうかはまっ たく分からないのだが。

(2010年12月号)