100号記念セミナー
山岡洋一
翻訳の過去・現在・未来

 以下は2010年8月28日に開催された「翻訳通信」100号記念セミナーでの発言に大幅な加筆と訂正をくわえたものである。

 
はじめに
 過去3年間に、当初は金融市場が、やがて経済全体が猛烈な危機に見舞われ、100年に一度の危機だといわれました。翻訳関係者にとっても他人ごとではな く、収入面で打撃を受けた人が少なくなかったのではないでしょうか。

 出版業界はすでに、10年以上にわたって不況が続いていたうえ、経済危機で雑誌の広告収入が激減し、リストラに追い込まれた出版社もありました。翻訳書 の売れ行きも落ちたようです。そのうえ出版点数の増加が続いているため、1点当たりの売上が落ち、印税収入に依存している出版翻訳者には厳しい状況になり ました。

 産業翻訳はいつもながら分野によって違いがあるとはいえ、全体的に大きく落ちこんだといえるようです。企業などが発注する分量が減ったうえ、競争の激化 で単価が下がり、二重に打撃になった翻訳者が少なくないとみられます。

 100年に一度の危機だという見方が正しいのであれば、こういう時期もあると諦めざるを得ないように感じられますが、そうとばかりはいえません。危機と いうのはいつも、名もなく貧しく見苦しいものにとって好機でもあります。弱い立場のものは危機の際にとくに打撃を受けるからこそ、精神を集中して考えるよ うになり、それまで目の前にあっても気づかなかった新しい機会を見つけられるのでしょう。危機だからこそ張り切るべきだともいえるのです。

 それに、翻訳という分野に限っていうなら、過去100年になかったといえるほどの機会が生じています。100年に一度の機会を逃す手はないと思います。 翻訳の未来にどのような機会が開けているのか、その機会をどう活かすべきかを以下で考えていきますが、その前に少し遠回りをしなければなりません。翻訳の 未来を考えるにはまず、過去がどうであったのか、翻訳がどこからきて、どこまできたのかを知らなければなりません。ですが、日々の仕事と生活に追われてい ると、時代の移り変わりといった点はなかなかみえてきません。そこで、まずは過去のある時点をとって、そのころに翻訳がどうであったかを振り返り、過去と 現在を考えるヒントとしてみましょう。

 私事で恐縮ですが、翻訳ではじめて収入を得たのはほぼ30年前です。そのとき、産業翻訳の英和で400字詰め原稿用紙1枚当たりの単価が1000円だっ たと記憶しています。当時はまだ原稿用紙を使っていたのです。新人の翻訳者にとって1000円の単価が高いか安いかは一概にはいえませんが、いまでも、ベ テランの産業翻訳者が400字当たり1000円の単価で仕事をしているケースは少なくないようなので、参考のために記しておきます。

 ときどき行っていた翻訳が専業になったのは25年前です。当時勤めていた小さな会社で翻訳部門に配属されたときです。この部門は主に企業から翻訳を受注 し、在宅翻訳者に依頼して仕事をこなしていました。このときの上司が口癖のように、「翻訳者は数年たつと筆が荒れて使えなくなる」といっていたのを思い出 します。いまではたぶん、少なくとも真剣に翻訳に取り組んでいる人にとっては理解しにくいことでしょうが、これが当時の実態でした。

 個人的にも当時、これでは筆が荒れると実感したことがあります。ある日の夕方、その上司に呼ばれて、たった2ページだから明日の朝までに訳してくれと、 英語の文書をわたされました。読んでみると、原子力発電所の原子炉内部で核分裂がどのように起こっているのかを論じているようでした。原子力というのはそ のとき、まったく知らない分野でしたから、内容を理解することなど、まったくできません。そこで、定刻で仕事を終え、帰宅することにしました。途中で大き な書店により、原子力関係の辞書を2点、ようやく見つけて買いました。自宅で未明までかかって翻訳しましたが、当然ながら、意味がさっぱり分からないま ま、構文解析を行い、それらしい訳語をあてはめていくしかありません。内心忸怩たる思いをしながら提出したのですが、何日かたって顧客に褒められたという 話を聞き、愕然としました。もっと勉強してほしいといわれるのならともかく、しっかり訳せているというのですから。これを続けていればすぐに手を抜くこと を覚え、筆が荒れてくるのは目にみえています。

 いまの時点になって振り返ってみると、こういうことが起こる理由ははっきりしています。当時、翻訳者には専門分野という感覚があまりなかったと思いま す。英語の翻訳者なら英和も和英もこなすのが当然だったし、どの分野の翻訳でも引き受けるのが当然でした。辞書さえあればどんな分野の翻訳でもできるとい うのが常識でした。なぜこれが常識だったかというと、翻訳調という規範がきわめて強い力をもっていたからです。この規範のもとでは、翻訳者に要求される点 は明確でした。構文解析を間違いなく行い、決められた訳語(辞書に記された訳語)を使って、原文の語句を漏れなく一対一対応で訳していくことでした。原文 の意味を考える必要はなく、意味がさっぱり分からなくても翻訳はできるとみられていました。

 これが規範だというのは、この公式に違反した翻訳者に対して、厳しい制裁が課されたからです。出版翻訳なら、編集者から声が掛からなくなります。産業翻 訳の場合には顧客に怒鳴られ、違反がはなはだしいと判断されれば、発注を打ち切られます。当時、翻訳営業の担当者は、菓子折をもって顧客に謝りにいくのが 仕事のうちかなり重要な部分を占めていたほどです。

 たとえば、構文解析を間違えれば、誤訳だとされてもっとも厳しい制裁を受けます。何でもない言葉、たとえば原文のveryの訳語が見あたらない訳し方を すると、訳抜けだとされます。A, B, and Cを「甲、乙、丙」と訳すと、「甲、乙及び丙」でなければいけないといわれます。辞書に記されていない訳語を使うと、「意訳」だとされて減点されます。接 続詞のbutを「そして」と訳すととんでもない誤訳だとされます。要するに、翻訳調は翻訳のスタイルであるだけでなく、強制力をもった規範として、翻訳者 に対して強い力をもっていたのです。

 この時代には、翻訳者は翻訳調の規範に縛られており、数年もたつと筆が荒れて使えなくなるなどといわれていたわけですが、収入という面ではまずまず恵ま れていたように思います。翻訳は当時もいまもプロの仕事ですから、翻訳者の間で収入の差が大きいという現実があります。そこそこの高収入が得られる翻訳者 がいる一方で、生活費を稼ぐのに苦労している翻訳者がいるのです。しかし1980年代半ばには、翻訳者は稼ぎすぎにならないよう注意すべきだといえる状況 がありました。新進の翻訳者が一流の翻訳家に助言を求めたところ、稼ぎすぎてはいけない、3000万円以上稼いではいけないといわれたという逸話があるほ どです。

 当時もいまも、質の高い翻訳ができるとみられるようになるのは容易ではないのですが、当時は翻訳者としての評判が確立すれば、働きすぎ、稼ぎすぎを心配 しなければならないほど仕事があったといえます。その背景には、逆説的ではありますが、翻訳が職業として確立していなかったという事情があったのだと思い ます。当時の翻訳調の翻訳は、「知識人」になるための教育を受けたものにとって、できてあたりまえだとみられていました。昔の武士なら剣術や馬術ができて 当然だったように、昔の商人なら読み書きそろばんができて当然だったように、「知識人」なら翻訳ができて当然だったのです。しかし、翻訳の技術はもっと高 級な仕事のために使うべきであり、生活費稼ぎの手段にするなど、もってのほかだとされていました。翻訳というのは、頭をかきながら、「すみません」といわ なければならない仕事でした。わたしなども、「翻訳なんかやっていないで自分で書けよ」とよくいわれたものです。そういうわけで、翻訳者になる人は少な かったといえます。数年もすれば筆が荒れて使い物にならなくなるなどといわれながら、その数年間にうんと稼いで、つぎの仕事を探すのが普通だったともいえ ます。

 いまでは状況がまったく違います。翻訳は短期間にうんと稼いでつぎの仕事に移っていく性格ではなくなっています。長く続けるほど面白くなっていく仕事に なったのです。収入面で有利だとはいえないものの、面白さとやりがいという点ではめったにないほど素晴らしい仕事になりました。翻訳調の軛から解放され て、翻訳が本来もっている力が発揮されるようになりました。だが、これはまだ第一歩にすぎないと思います。翻訳は今後、文化という観点で日本の社会にもっ ともっと貢献するようになると思います。

 いまの時点にたって振り返るからいえることですが、1980年代半ばという時期は、日本の翻訳の歴史で分水嶺になったように思います。そうなったのは、 大きな危機があったからです。1985年9月22日のプラザ合意をきっかけに、円高ドル安が急激に進みました。ドルが240円前後から150円前後まで急 激に下落しました。その結果、1986年にかけて日本経済は激しい円高不況に見舞われています。このときの危機感は、何年かの後には滑稽だと思えたほどで した。日本経済は先進国ではアメリカについで輸出依存度が低いのですが、にもかかわらず、輸出が経済を支えているという見方が強いという現実があります。 日本はエネルギーと食料を輸入に依存しており、輸出が減少すれば、これらを輸入できなくなり、経済が成り立たなくなると信じられているのです。そこで、円 高ドル安が急速に進んだとき、輸出産業が壊滅して、街に失業者が溢れると予想されました。滑稽なほどの危機感がバネになって日本経済は急速に回復し、振り 子が逆に振れすぎて空前の好景気になり、バブルになります。不況から好況への転換にあたってカギになったのは、いわゆる「円高メリット」でした。

 円高不況では産業翻訳も打撃を受けています。それまで、産業翻訳は輸出企業を主な顧客にしていました。電子機器、機械、プラントなどの輸出に伴って、膨 大な取扱説明書の翻訳が必要になったからです。当然ながら、日英など、外国語への翻訳が中心でした。当時は日本人の翻訳者が外国語に訳し、それを「ネイ ティブ」のチェッカーがチェックする方式をとっていました(「ネイティブ・チェッカー」というと聞こえはいいのですが、たいていは日本まで流れ着いた流れ 者で、日本語は片言程度だし、肝心の英語力も心許ないという人が大部分でしたが)。猛烈な円高で輸出産業が打撃を受けると、外国語方向への翻訳需要が急減 し、産業翻訳業界は猛烈な不況に見舞われました。

 しかしこの危機のなかで、翻訳には新しい機会が生まれています。第1に、円高になって海外の製品や資産が半値で買えるようになり、製品輸入と海外資産の 購入がブームになりました。その際に発生するのは、英日など、日本語方向への翻訳です。顧客も、外資系など、それまでとは性格がかなり違う企業が中心にな りました。

 第2に、円高不況を乗り切って自信を取り戻したとき、日本社会に大きな変化が起こったように思います。幕末以来、150年近く続いた欧米崇拝の呪縛がこ のとき解けたのでしょう。円高にひかれて、日本に仕事を求めにくる外国人が飛躍的に増えました(アメリカやイギリスなどから、日本語ができる翻訳者が大量 に押し寄せ、日英翻訳の主力になったのもこのころです)。円高で海外旅行が増えたことから、欧米が身近になりました。こうして国際化と国際交流が進んだ結 果、まだ見ぬ理想の社会として欧米を崇拝する見方が消えたのでしょう。

 その点が翻訳に与えた影響を示す逸話を紹介しましょう。1980年代後半のバブル期に、外資系メーカーの翻訳発注担当者から聞いた話です。少し前まで、 製品パンフレットの翻訳は直訳調でないと営業部門から文句がでたのだそうです。せっかく舶来品を売っているのに、バタ臭くない文章ではありがたみがないと いわれたそうです。ところがいまでは(1980年代後半には)、直訳調の文章だと顧客が読んでくれないと営業部門からすぐクレームがつくようになっている というのです。

「舶来品」とか「バタ臭い」とかは、いまでは死語に近い言葉ですが、25年ほど前にはまだ生きた言葉でした。舶来品を無条件にありがたがる風潮があり、そ のために、バタ臭い文章、つまり翻訳調の文章がもてはやされていました。1980年代半ばの円高不況を契機に日本社会ははるかに成熟し、欧米崇拝の風潮が 薄れています。欧米にもアジアにも日本にも、良いものがあり、悪いものもあると考えるようになっています。それともに、翻訳調がもてはやされることもなく なったといえるでしょう。

 産業翻訳は社会の動きにじつに敏感に反応するので、以上の2点の機会はいずれも、まずは産業翻訳にあらわれています。しかしすぐに出版翻訳にも影響を与 えるようになったとみられます。第1に、それまで産業翻訳では日英などの外国語への翻訳が高級で、英日など、日本語への翻訳は低級だとみられていました。 英日は日英ができない初心者の仕事だとされていたのです。このため、産業翻訳者が出版翻訳に進出するのは心理的に抵抗感があったはずです。ところが、バブ ル期以降、外国語への翻訳は外国人の翻訳者が担当することが多くなり、日本語への翻訳が日本人翻訳者にとって仕事の中心になると、こういう抵抗感が薄れて います。1990年代以降、産業翻訳から出版翻訳に進出する翻訳者が増えたのは、このような背景があったからだと思います。

 第2に、出版翻訳のなかでもノンフィクション翻訳の分野はそれまで、翻訳家という以外に肩書きをもたない翻訳者にとって進出が難しい分野で、主に学者や 評論家が訳者になっていましたが、翻訳調の衰退とともに、担い手が変わっています。学者訳を読者が受け付けなくなったため、翻訳調とは違うスタイルを使え る翻訳家の出番が増えたのです。いまでは、フィクション、ノンフィクションを問わず、一般読者向けの翻訳書を学者や評論家の名義で出版するケースはむしろ 例外的になっていますから、出版翻訳をめぐる環境は一変したといえるでしょう。

翻訳の過去 ― 翻訳調とは何だったのか
 では、規範として強い強制力をもっていた翻訳調とは何だったのか。この点については、「翻訳通信」で何度もとりあげてきました。少し違った角度からこの 点を取り上げたものに、2009年12月から日経ビジネス・オンラインに連載した「古典を読んでもさっぱり分からなかった人へ」があります。まったく誰も予想していなかったのですが、アクセ ス数とコメント数がサイトのベスト10に入った連載です。無料の読者登録が必要ですが、一読いただければ幸いです。

 そこに書いたことですが、翻訳調とは何かを考えるうえでいちばん参考になるのは、誰でも知っている英文和訳の方法です。英文和訳というのは、翻訳調を学 校で教えるために簡易化したものだからです。英文和訳の方法は、中学1年で学んだことを思い出せば、理解できるはずです。たとえば、以下のように教えられ なかったでしょうか。

"Are you a girl?"=「あなたは少女ですか」

 これが典型だという理由はいくつかありますが、とくに重要な点は決まった訳語を使って、決まった訳し方で訳していることです。ここで、youは「あな た」、girlは「少女」と訳すように教えられます。誰が誰に対して、どのような場面で、なぜこう質問したかは一切考えず、こんな質問をしては失礼ではな いかとか、馬鹿にされないかとかはちらっとでも考えず、決められた通りに訳すよう教えられるのです。

 "Are you a girl?"というセンテンスはもちろん、教育用に作られたもので、まったく馬鹿げているといえます。12歳か13歳の男の子や女の子に教えるのに適切な センテンスだとはとても思えません。これだけで英語の授業が嫌いになり、成績が悪くなる生徒がいても不思議だとは思えません(わたしもそのひとりでしたか ら)。ですが、このセンテンス自体は、英語で使われるはずがないとはいえません。試しにインターネットの検索サイトで検索すると、"are you a girl"というフレーズで数百万の用例があることが分かります。たいていは、"Are you a girl or a woman?"など、前後に何かがついているのですが、それでも用例があるのは確かです。そして、どのような人がどのような人に対して、どのような状況 で、なぜこう質問するのかを考えてみると、いくつかの案が頭に浮かぶはずです。

 思い浮かばないとするとおそらく、girlという語のイメージがよく分からないからではないかと思います。翻訳者なら、この語のように、中学1年か2年 で学ぶ基本語こそ、難しいことを知っているはずです。語義の範囲が広いので、理解するのが簡単ではないのです。だから、基本語は何百回でも何千回でも辞書 を引き、コーパス(全文データベース)で用例を調べて、意味を理解しようと努めます。このgirlについても、英和や英々の辞書を引いて、イメージをつか むよう努力してみてください。そうすれば"Are you a girl?"というセンテンスが使われる状況をいくつか思い浮かべられるようになるはずです。

 では、「あなたは少女ですか」はどうでしょうか。こんな日本語はないと断言しても、そう間違いではないと思います。日本語擬(もど)きであって日本語で はないといえるのではないでしょうか。どのような人がどのような人に対して、どのような状況で、なぜこう質問するのかを考えてみると、そう簡単には答えが 思い浮かばないはずです。

 英文和訳ではこのような日本語擬きを使うように教えられます。意味を考えてはいけない、状況を考えてはいけない、そういうことは考えずに、決められた通 りに訳すように教えられるのです。外国語を学ぶと、母語の世界から外国語を眺めると同時に、外国語の観点から母語を眺めるようになって、言語に敏感になる はずです。英文和訳では逆に、言語に鈍感になるよう強いており、まったくもったいないことだと思います。

 ではなぜ、このような訳し方を教えるのか。英文和訳が翻訳調に基づくものであり、翻訳調では意味や状況を考えることなく、決まった訳語を使って決まった 訳し方で訳すことになっていたからです。翻訳調で訳すとき、意味や状況は考えないのです。なぜかというと、翻訳調の翻訳は「原書」を読むための参考資料 だったからであり、その際に原文の意味が分からないのが当然の前提だったからです。

 翻訳調の特徴を図1にまとめました。翻訳調では、読者は「原書」を読んで意味を考えるべきだとされていました。ですが、「原書」は「難解」であり、簡単 に意味が分かるようなものではありません。そこで、参考資料として翻訳が用意されます。翻訳は構文と語句という原文の表面がどうなっているかを示すもので あって、これだけで原文を理解できるようにはなっていません。このため翻訳にはかならず訳注がついており、たいていは解説もついています(解説は訳書とは 別に刊行される場合もあります)。翻訳と訳注と解説がセットになって、「原書」を読む読者を支援する仕組みになっていました。

図1

 翻訳調は明治半ばに、理解することなどとてもできないほど進んだ欧米の文化をとりいれるための手段として広く採用されました。明治政府は急速な近代化を はかるために、翻訳によって欧米の文化を吸収する政策(翻訳主義の政策)をとり、この国策にしたがった翻訳で主流になったスタイルが翻訳調だったのです。 翻訳調はいわば、新興国型の翻訳スタイルだったといえます。

 このため、科学技術、社会科学、哲学など、論理を扱う分野が翻訳調の主戦場になりました。また、翻訳調による翻訳を支えるために、中学以降の外国語教育 や辞書などの大量のインフラが作られました。外国語教育で翻訳調の手法が教えられ、英和などの辞書に翻訳調で使える訳語の一覧が記載されました。

 翻訳調、英語などの外国語教育、英和などの辞書はいってみれば三脚椅子の脚のような関係にあり、ひとつの脚が折れれば、全体が倒れる関係にあったので す。

 翻訳調の目的は、急速な近代化を達成することにありました。明治以降、100年以上を経過したいまでは、翻訳調という手段を使って、日本の社会が所期の 目的を達成したのは明らかだと思います。翻訳主義と翻訳調が失敗だったなどとは誰にもいわせない、これが翻訳者として当然の立場だと思います。翻訳調には 栄光の歴史があるのです。近代化の達成という目的を達成したうえ、その過程でいまの日本語を作ってきたのですから。

 しかし、所期の目的を達成した栄光のときに堕落がはじまっているのが世の中のつねです。翻訳調も例外ではありません。いまの時点で振り返ってみると、戦 後の高度経済成長期が終わるころにはすでに、翻訳調の堕落がかなり明確になっていたと思います。第1に、分からないのが当然だという感覚が薄れたことか ら、翻訳調の「難解な」訳文が知ったかぶりの手段になりました。"Are you a girl?"なら、ある程度は意味や状況が理解できるのに、「あなたは少女ですか」では意味や状況がほとんど理解不可能なように、翻訳調の訳文を読んで も、たいていの人は意味が理解できません。人は「普通の人には理解できないことを理解できるように振る舞いたがるものだ」とアダム・スミスが書いています が(『国富論』第4編第9章)、まさにその通りの状況になったのです。

 第2に、戦後の高度経済成長期のころから、一流の学者や研究者が翻訳の仕事を敬遠するようになっています。日本が新興国の段階を抜けだして先進国の一角 にくわわったとみられるようになると、学者や研究者が翻訳を本業だとは考えなくなったのです。ところが、読者が一流の学者・研究者による翻訳を求めていた ため(あるいは、出版社がそう信じていたため)、出版翻訳は下訳者に依存するようになりました。当初は主に助手や大学院生が下訳を行っていましたが、やが て翻訳を敬遠する傾向が広まったため、学生や翻訳学習者を起用するようになってきました。論理を扱う分野ではとくに、この傾向が顕著になっています。当然 ながら翻訳の質は低下します。翻訳調の翻訳が一般読者に嫌われるようになったのは当然でした。

 翻訳調の主戦場は論理を扱う分野であり、それ以外の分野、たとえば文学などには以前から翻訳調ではない翻訳スタイルの潮流があります。この点がとくに顕 著なのがエンタテインメント小説の分野です。いわゆる純文学と古典小説の翻訳が学者の領分だったのに対して、エンタテインメント小説は出版翻訳のなかで唯 一、他に肩書きをもたない翻訳家が扱える分野でした。この分野では原書を読むための参考資料として訳書を求める読者がいるとは考えにくいので、訳書だけを 読む読者を想定した翻訳が可能です。そういう背景があって、翻訳調に代わる翻訳スタイルがまず発達したのは、エンタテインメント小説の分野だったといえま す。

翻訳の現在 ― 飛躍のチャンス
 翻訳の歴史という観点から現状をみてみると、おそらく、翻訳調という規範の強制力が衰えたことが最大の特徴でしょう。いいかえれば、翻訳調に代わる規範 がまだあらわれていない空位の時期になっているといえるはずです。いくつかの翻訳スタイルがあらわれてきていますが、規範といえるほどの力をもったスタイ ルはまだ登場していません。「読みやすく分かりやすい翻訳」が合い言葉になっていますが、いってみれば、翻訳調は読みにくく分かりにくかったという泣き言 のようなもので、規範といえるほど要件が明確になってはいません。

 そのなかでも新しい翻訳スタイルに共通する特徴があらわれてきています。原文の意味を伝えることを重視する点です。原文の意味を伝えるというのは翻訳で ある以上、当然のことだと思えるかもしれません。たしかに当然です。ですが、翻訳調は原文の意味ではなく表面(構文と語句)を伝えることを目的としていま した。"Are you a girl?"を「あなたは少女ですか」を訳すのはそのためです。ですから、翻訳調を否定してあらわれた新しい翻訳スタイルが意味を伝えることを共通の特徴 としているのは、理に適ったことなのです。

 意味を伝えるという原点に戻ったとき、翻訳という仕事の性格は様変わりします。数年たつと筆が荒れるというのは過去の話になりました。原子炉内部の核分 裂を説明する文書を翻訳した話をしましたが、そのときに使ったのは典型的な翻訳調のスタイルです。このスタイルで訳したとき、疲労感だけが残る結果になり ますが、それは自分の訳が正しいという確信がもてないからです。構文解析には最善を尽くしていますが、間違っている可能性もあります。訳語の選択にも辞書 をみて、最善を尽くしていますが、こちらは間違っている可能性がかなり高いとみるべきです。ですが、どこが正しくどこが間違っているかを判断する材料は翻 訳者はもっていません。意味を伝えることを目的としたとき、この問題は比較的簡単に解決します。訳文を読んで意味が通じているかを考えればいいのです。も ちろん、そのためには翻訳を通じて、原子力なら原子力という分野に詳しくなっていなければなりません。その条件があれば、訳文を読んで意味が通じない部 分、意味が分からない部分を探していくと、構文解析の間違いや訳語の選択の間違いに気づけるようになります。

 自分が書いた訳文を見直して間違いに気づくというのは、それほど簡単なことではありません。他人の訳の間違いならすぐに気づくのに、自分が書いた訳文の 間違いにはなかなか気づかないものです。自惚れなどの性格の悪さが障害になるのですね。しかし、この技術が少しずつでも身についていくと、翻訳という仕事 の魅力は飛躍的に高まります。フィードバックのループができて、好循環になります。このため、意味を伝えることを目的とする翻訳には学習効果が高いという 特徴があります。おそらく、翻訳者ならみな、よく知っていることだと思いますが、翻訳を行えば、外国語の読解力、母語の執筆能力、内容の理解力が高まって いきます。

 原文を読んで意味を理解できなければ訳文は書けません。書けたとしても意味の通じない訳文になるので、訳文を見直したときに気づくこともあります。たと えば原文の構文解析を間違えたとします。構文解析というと大層なことのように思えるかもしれませんが、「ゆとり教育」前の高校で教えられた文法で解決でき るのが普通です。もっと高度な文法理論を必要とすることはめったにありません。間違いが多いのはandで何と何が並列されているのか、代名詞が何を指して いるのか、関係代名詞の先行詞は何なのかといった単純な点です(単純だからこそ難しいのですが)。こうした点で間違えると筋が通らなくなることが多いの で、間違いに気づく可能性が高くなります。こうしたフィードバックを繰り返していると、構文解析力が自然に身についていきます。

 語句の意味を理解できていないことによる間違いもよく起こります。学校英語では前述の「girl=少女」のような組み合わせをたくさん教えられますが、 言葉というものはこうはできていません。英語のgirlが日本語の「少女」と同じであるなどということはありえないのです。英語の単語とその訳語を丸暗記 するという方法では翻訳はできません。翻訳を行うには、たとえばgirlという単語がどのようなイメージをもっているのか、いいかえれば、どのような範囲 の語義をもっているかを知らなければなりません。原文の語句から直接に訳語を導きだす方法は翻訳調では正解ですが、これでは意味を伝える翻訳は不可能で す。原文の語句、そしてもっと大きな単位であるセンテンスやパラグラフが伝えるイメージ(意味)を理解し、文脈に相応しい日本語表現を探すという手順を踏 みます。語句の意味を理解できていない場合、原文を理解できないか、訳文がおかしくなるので、辞書やコーパスを使って意味を理解しようと努めます。こうし たフィードバックを繰り返していると、語句の意味に対する理解が自然に深まっていきます。

 翻訳は「語学」の仕事だというのが一般的なイメージですが、これはまったくの間違いだと思います。翻訳調の時代にはたしかにそういう面がありましたが、 いまでは翻訳者はみな、母語(目標言語)で勝負しています。翻訳とは母語での執筆の仕事であり、外国語はそのために必要な補助的手段のひとつでしかありま せん。母語で明晰な文章、美しい文章、原文の文体や味を伝える文章が書けなければ、質の高い翻訳はできないのです。翻訳者は翻訳を行うなかで、つねに表現 に苦しみ、適切な表現を探しています。訳文を見直し、原文に立ち返って、母語の表現を磨いていきます。こうしたフィードバックを繰り返していると、日本語 の執筆力が自然に高まっていきます。

 翻訳者はたいてい、専門分野の知識をほぼすべて、翻訳を行うなかで学んでいます。参考文献などを読んで学ぶ部分も多いのですが、圧倒的な部分は原文から 学んでいます。翻訳を行ったことがあれば実感しているはずですが、翻訳では通常の読書とは桁が違うほど細かく、深く原文を読み込みます。だから、内容を細 かく、深く理解できるのです。理解が間違っていれば、訳文が書けないか、訳文の見直しのときに筋が通らない文章になっていることに気づく場合が多いので、 原文を読み直し、参考文献にもあたって、納得できるまで考えます。こうしたフィードバックを繰り返していると、内容の理解力が自然に高まっていきます。

 要するに、翻訳の学習効果が高いのは、「分からない」ことに気づく機会が多いからだと思います。読解、訳出、見直しの各段階でさまざまな点が「分からな い」ことに気づかされます。これが糸口になって学習が進みます。どこが「分からない」かを認識する能力が翻訳の質を決めるともいえます。翻訳の世界には、 「分かると思うな、思えば負けよ」という格言があるくらいです。

 三脚椅子のあと2本の脚はどうなっているのでしょうか。英語教育についていうなら、翻訳調が衰退するとともに、訳読教育が崩壊しています。ある意味で当 然のことでしょう。明治以来の訳読教育は、翻訳調の翻訳者を育成し、選別することを目的としていたといえるのですから。

 訳読教育が崩壊した後の「ゆとり教育」で重視されているのは、いわゆるコミュニカティブ・アプローチです。英語で英語を教える直接法によって、主に日常 的な英会話を教えようとしています。文部科学省は「高等学校教育指導要領」で、英語の「授業は英語で行うことを基本とする」と規定し、「高等学校教育指導 要領解説」で、「訳読、和文英訳、文法指導が中心にならないよう留意する」と指示しています。受講者が母語で獲得した言語能力を無視して外国語を教える方 法は、植民地での教育の特徴でした。たとえばイギリスがインドなどで、日本が朝鮮半島と台湾でこういう教育を行っていました。ですが、植民地での教育は日 常会話に重点をおいていたわけではありません。論理的なコミュニケーション能力と思考能力を育成することも重視していたのです。宗主国の言語で教育を受け た人のなかから、独立運動を指導し、独立後の新興国を指導する政治家がでてきたことをみれば、この点は明らかだと思います。論理的なコミュニケーション能 力と思考能力の育成を軽視した教育では、国際舞台で活躍する人材が育ってくるはずがないと思います。

 いまでは、学校の英語教育で訳読や文法はタブー視されています。明治以来の訳読教育と文法教育は失敗だったというのでしょうか。そういうのであれば、ど こに証拠があるのかと問いただしたいと思います。19世紀半ばの新興国のなかで、日本がいち早く近代化を達成できたのはさまざまな要因が重なったからで しょうが、翻訳主義と翻訳調による欧米文化の吸収が寄与しなかったなどといえるのでしょうか。翻訳主義を背後で支えた訳読教育と文法教育が失敗だったなど といえるのでしょうか。

 訳読教育と文法教育への敵視は馬鹿馬鹿しいほどの勘違いと誤解に基づくものなのでしょうが、おそらくは目的を達成して堕落するようになった時期の翻訳調 や訳読教育への嫌悪感が出発点になっているのだと思います。訳読教育を嫌うお役人は、翻訳調が衰退した後、翻訳の学習効果が飛躍的に高まった事実を知らな いのでしょう。翻訳の学習効果はいまのところ、翻訳関係者だけが知っている秘密なのですから、文部科学省のお役人が知らないとしても不思議ではありませ ん。翻訳の学習効果はいま、翻訳関係者が社会に貢献できる点になっていると思います。

 もうひとつの脚である辞書についていうなら、紙の辞書の売上が急減して、新たな辞書の開発が困難になっているという問題があります。電子辞書が普及して いますが、出版社にとって電子辞書では単価が低すぎて、開発費を回収できるようにはなっていないようです。紙の辞書の再利用で少しばかりの追加収入が得ら れるだけというのが現実だと思います。

 現在の英和辞典は大部分、翻訳調の規範のもとで最適化されています。翻訳の新しい潮流で得られたノウハウに基づくなら、はるかに優れた辞書を開発するこ とができると思います。この点も翻訳関係者にとって大きな機会になる可能性があります。

翻訳の未来
 以上のような現状から、翻訳にはいま、大きな可能性が開けているといえます。この点がもっと顕著なのが、おそらく出版翻訳の世界でしょう。この世界に は、まったく新しい翻訳スタイルを開発する余地が充分にあり、それを受け入れる基盤が出版社にも読者にもあると思います。さらに、翻訳者が獲得したノウハ ウを学習と教育、辞書に活かす可能性が開けています。

 まず、新しい翻訳スタイルについてみていきましょう。現在、翻訳関係者の合い言葉になっているのは、「読みやすく分かりやすい」訳文、「こなれた」訳文 です。これは翻訳調が読みにくく分かりにくかったという反省(あるいは泣き言)を出発点にしていますが、危険な道でもあります。「こなれた訳文」にしよう とするとき、たいていは図2に示した過程をたどります。つまり、翻訳調のスタイルで訳した訳文を、意味の理解と日本語知識によって書き直していく方法をと ります。「暫定的な訳文」までを下訳者が担当し、その訳文を読んで元訳者(ときには編集者)が書き直していく場合もあり、その場合には伝言ゲームのように なって、読みやすく分かりやすいが、原文の意味を伝えるという点では問題のある訳文になる危険があります。原文のうち分かりにくく難しい部分を削除して分 かりやすくしようという誘惑にかられることもあるでしょう。

図2

 こうしたことの結果、原著への忠実性という点で問題のある訳書が少なくないので改めて強調しておきますが、翻訳というからには、原著への忠実性は何より も重要です。忠実性が保たれていない翻訳は、どれほど読みやすくても、どれほど名文であっても、翻訳としての価値は低いという点を強調しておきます。

 それと変わらぬほど重要なのは、読みやすく分かりやすい訳書がほんとうに読む価値があるのかという点です。読書の醍醐味はたとえば、それまでに考えたこ ともなかった難しい問題を考えるヒントを与えてくれることにあります。一読したぐらいではとても理解できない本こそ、読む価値があるのです。この原点を忘 れたとき、読書の魅力は急速に薄れていきます。だから、「読みやすく分かりやすい」訳文を追求するのは、じつはとても危険なことだと思います。

 翻訳者や編集者なら、まったく別の方向をとるべきだと思います。誰が何といおうと、是非とも読んでほしいと思える本を翻訳し、出版することを考えるべき だと思うのです。翻訳者はいたこであり、翻訳は口寄せだというと、神秘主義だと笑われるかもしれませんが、そういう面があるのはたしかです。翻訳の理論、 技術、技法、ツールなどは重要ですが、それだけで翻訳の質が高まるわけではありません。翻訳者にとって何よりも重要なのは、原著者と原著に対する敬意や熱 意、共鳴、共感です。自分はこの本を訳すために生まれてきたのだといえる本、この本の内容を是非とも日本の読者に伝えたいと思える本、そういう本を訳すと きに、翻訳者の力が最大限に発揮されます。読者に感動を与えられる本、読者が読書の素晴らしさを味わえる本が生まれます。

 そういう本を訳そうと思うのであれば、翻訳者は発注を待つだけの姿勢をとるべきではありません。仕事にはたいてい波がありますから、暇な時間を利用し て、いちばん訳したい本を訳していくのがいいでしょう。編集者は新刊だけを追いかける姿勢をとるべきではありません。出版から少なくとも数年たった本のな かから、素晴らしい本を探すべきでしょう。時間の試練を受けて生き残っているのなら、読みごたえがある本である可能性が高いからです。

 こういう観点で翻訳を行うのであれば、原著の文体や味を活かすために、新しい翻訳スタイルを開発することも可能です。翻訳調の縛りがほぼなくなったい ま、読者は新しいスタイルの翻訳を受け入れる姿勢をとっているとみられます。出版社の編集者も、もちろん個人差があるものの、新しい翻訳スタイルへの抵抗 はあまりないとみられます。翻訳調という規範が崩れたのはその意味で、ほんとうにありがたいことでした。この機会を活かさない手はありません。翻訳者に とって、新しい翻訳スタイルを開発する余地が広がっているのですから。

 翻訳者はまったく新しい翻訳スタイルを自分で開発しなければならないというわけではありません。新しい可能性を示す翻訳がいくつもあり、そこから学ぶこ とができるからです。わたしは翻訳という点で師匠についたことはありませんが、何人もの翻訳家から多くの点を学んでいます。出版翻訳では原著と訳書が出版 されているわけですから、これという翻訳に出会えば、簡単に学ぶことができます。弟子入りをお願いする必要もないし、お礼を差し上げる必要もない。訳書と 原著を買うだけで学べます。そうして学んだなかから、新しい翻訳スタイルの可能性を示す名訳を2つ紹介しましょう。

 第1は土屋政雄訳フランク・マコート著『アンジェラの灰』です。この本については、ちょっとした逸話があります。ある日、友人から電話がかかってきて、 『アンジェラの灰』を読んだ感激を伝えてくれました。経緯は忘れましたが、たぶん、その前にこの本を読むよう薦めたのだと思います。友人がいうには、通勤 電車のなかで読んでいて、涙が止まらなくなって困ったとのことでした。50がらみのおじさんが電車のなかで本を読みながら涙を流しているというのは、確か に絵になりませんから、困ったというのもよく分かります。では土屋政雄の翻訳がここまでの感動を与えたのはなぜなのでしょうか。

 おそらく、土屋政雄が訳すのではなく、書いているからなのだと思います。著者になりきる翻訳、これが『アンジェラの灰』の特徴なのでしょう。原著への経 緯、共鳴、共感に基づいて、原文の意味や内容から出発する翻訳なのだと思います。

 訳すのではなく、書く。これをモデル化すると、図3のようになります(なお、この図では何重にもわたるフィードバック・ループは簡略化して表現していま す)。翻訳調から完全に脱却し、原文の意味の理解を出発点にする翻訳が可能になるとも思えます。

図3

 第2は、これまでに何度も紹介した村上博基訳ジョン・ル・カレ著『スマイリーと仲間たち』です。最近、これほどの名著の名訳が絶版になっていると知って 衝撃を受けましたが、スパイ小説という分野であることが災いしているのでしょうか。村上博基の訳は原文の意味と表面のどちらにも忠実で、しかも美しい日本 語になっていることに特徴があります。原文の語句を漏れなく訳しながら、美しい日本語で原文の意味を伝えているのです。翻訳は日本語勝負ということをこれ ほどよく示す例は、あまりないのではないかと思います。

 村上訳は、翻訳調の良い部分、つまり原文への忠実性を重視する特徴を維持しながら、日本語としての質を高めていく方法をとっている点が印象的です。原文 から離れていいのであれば、美しい日本語を書くのはある意味で簡単です。しかしそれでは翻訳にならないともいえます。翻案であって、翻訳ではないのだと。 翻訳というからには、原文への忠実性を維持しなければならない。この点を村上博基訳から学ぶことができます。

 ここでは新しい翻訳スタイルの可能性を示す例を2つあげましたが、これ以外にもたくさんの可能性があるはずです。とくに若い世代の翻訳者が新しい翻訳ス タイルを開発するよう願っています。若い世代はわたしが若かったころとは比較にならないほど、外国語に接する機会が豊富です。このため、翻訳調を出発点に する必要がない人が多いはずです。そのなかから、まったく新しい翻訳スタイルを編み出す人がでてくるよう期待しています。

 教育に話題を移すと、ここにも大きな可能性が広がっているように思えます。翻訳の学習効果は現在は翻訳関係者だけの秘密になっていますが、これを学校教 育と生涯教育に使えば、無限ともいえるほどの可能性があると思います。学習効果が高いのは、教育効果が高いことを意味するからです。

 誤解がないよう指摘しておきますが、ここで教育というのは、翻訳者育成を目的とする教育ではありません。翻訳を手段として一般教養を高めるための教育で す。翻訳者育成のための教育についていうなら、わたしは翻訳専業になった直後から行っていますので、25年の経験があります。この25年間に教えた人の数 はかなり多いのですが、そのなかで自慢できる弟子は5人ほどしかいません。その5人についても、仕事を紹介するという点ではたしかに寄与できたと思います が、わたしが教えたから翻訳の質が高まったといえるかどうかは疑問です。翻訳者育成というのは、25年をかけて5人程度というほど効率が低いのです。

 翻訳者はプロですから、育成するまでもなく、自分で実力をつけるものだと思います。先輩としてできるのは、優秀な新人を見つけだし、仕事を紹介すること ぐらいではないでしょうか。「翻訳通信」で今後、新人に発表の場を提供する方向を目指しているのはそのためです。

 したがって、翻訳の学習効果を教育に活かすというときに対象にしているのは、翻訳学習者ではありません。たとえば生涯学習では、翻訳を学びたいという受 講者ではなく、自然科学や社会科学、人文科学、文学などの幅広い分野のうちいずれかを学びたい受講者が対象になります。学習意欲が高く、時間に余裕がある 人が何人かのグループで1冊の本を訳していくと、ほんとうに勉強になるはずです。学習のために翻訳するのであり、出版を目標にするわけではないので、翻訳 権を心配する必要はありません。受講者がもっとも興味をもつ本を訳していけばいいのです。この際に重要なのは、翻訳調に陥らないようにすることです。受講 者はたいてい、学校英語で"Are you a girl?"=「あなたは少女ですか」型の訳し方を学んでいるので、この方式から抜けだし、意味を伝える翻訳を目指すよう指導する必要があります。誰が指 導するのか。翻訳関係者以外にはみあたらないように思います。

 学校でも、現在は訳読教育がタブー視されていますが、意味を伝える翻訳のノウハウを活かせば、翻訳が素晴らしい教育手段になるはずです。英語学習の手段 になるだけでなく、一般教養教育の手段にもなります。たとえば、経済学部の教養課程で、経済学の教科書を翻訳する授業を設ければ、教育効果が高くなるはず です。この方法はきわめて有望だと思うのですが、大きな問題があります。翻訳教育ができる教員が不足しているという問題です。英語の教員も経済学の教員 も、翻訳調の翻訳を教育することはできても、意味を伝える翻訳の教育、いいかえれば教育効果がとくに高くなると予想される教育はできないと思われます。で は誰が指導するのか。翻訳の実務を経験してきたものが最適だと思います。

 翻訳関係者なら誰でも知っている翻訳の学習効果を翻訳関係者だけの秘密にしておくのはもったいない話です。翻訳関係者はこのノウハウを活かして社会に貢 献することができるし、貢献すべきだと思います。翻訳関係者には教育という分野で、無限ともいえるほど大きな機会があるとわたしは信じています。

 もうひとつ、辞書に関していうなら、ここにも大きな可能性が開けています。翻訳調のために作られた英和辞典は、いまでは完全に時代後れになっています。 まったく新しい考え方に基づく英和辞典が登場してもいい時期になっています。

 新しいタイプの英和辞典が登場するには、克服しなければならない問題がいくつかあります。前述のように、電子辞書の普及とともに紙の辞書が売れなくな り、開発費の回収が難しくなっています。新しい英和大辞典を編集しようとするとおそらく、10億円を超える投資が必要でしょうが、これだけの金額を出版社 が投資するのは現状では不可能でしょう。違った仕組みか財源が必要になります。「翻訳通信」のサイトにリンクがあるDictJugglerは新しい辞書に 向けた一歩にならないかと考えて開発した「翻訳訳語辞典」など、いくつもの辞書を検索できるサイトですが、広告収入で経費を賄っています。もっとアクセス が増え、広告収入が増えれば、用例と訳語をさらに収集できます。現時点ではアクセス数と広告収入が2桁から3桁不足しています。

 もうひとつの問題は今後の翻訳と英語教育に必要な辞書の考え方が明確になっていない点でしょう。現時点ではインターネットの辞書がいくつか作られてい て、入力を着実に増やしているケースもありますが、基本的な考え方は旧来の英和辞典と変わらないように思います。用例の数を重視する人もいるでしょうが、 "Are you a girl?"=「あなたは少女ですか」型の用例をいくら増やしても意味がないと思います。文脈から切り離したとき、どんな用例も意味を失います。そのう え、翻訳調のスタイルで訳されていては、用例は役立たなくなります。

 新しい英和辞典はまず、訳語ではなく語義を示すものであること、パラレル・コーパス(英和対訳型の全文データベース)に基づくものであることが重要だと 考えます。この点でも、翻訳者が活躍する余地は大きいと思います。新しい考え方に基づく英和辞典を開発するにあたって、翻訳者が執筆の主力になる可能性も あります。たとえば、語義は本来なら日本語の世界から英語の語句がどうみえるかを執筆すべきですが、それにいたる第1段階として、英々辞典の語義を翻訳す る方法が考えられます。まさに翻訳者の出番になります。それに、辞書に関して、翻訳者に匹敵するほどのヘビー・ユーザーがそういるとは思えないという事実 もありますので、辞書の基本設計にあたって、翻訳者が活躍できる余地は大きいと思われます。

 過去25年ほどに翻訳をめぐる環境は様変わりしてきました。翻訳そのものについても、関連する教育や辞書についても、いまほどの機会が開けている時期は 過去100年になかったと思います。100年に一度の機会を活かすことができれば、これからは過去になかったほど面白い時代になるでしょう。しかしそのた めには、翻訳関係者はもっともっと学ばなければなりません。翻訳の学習効果をさらに高め、翻訳で何ができるかを世間に示していかなければなりません。その ために「翻訳通信」がささやかにでも貢献できればと願っています。
(2010年10月号)