翻訳の現状
山岡洋一

過渡期の翻訳

 
 毎朝、事務所でパソコンの電源を入れた後にのぞいてみるサイトがいくつかあります。そのひとつ、水野的の「翻訳通訳研究」(http: //blog.goo.ne.jp/teki-mizuno/)に、気になる記事がありました。今年はじめて事務所に行ったときにみた記事で、「中野好夫訳『闇の奥』について」と 題されています。コンラッドの『闇の奥』の新訳をだした藤永茂さんという方のブログの話がでていて、岩波文庫の編集者の「権威主義には驚かされる」という のです。リ ンクされているブログをみると、こう書かれていました。

……私が初めて『闇の奥』を読んだのは1972年、再読は2002年、どちらもカナダ 生活の中での読書経験で、岩波文庫の中野好夫訳を見たのはその後でした。渡加直前に『シェイクスピアの面白さ』(新潮選書、1967年)に接して以来、中 野好夫さんのファンであった私は、『闇の奥』の翻訳文の語学的な面での疎漏さに驚きました。そのことを文庫の編集者の方に直接申し上げたのですが、その方 の反応に更に驚かされました。「英文学の大御所が自ら満足を表明されている訳業に門外漢がいちゃもんを付けるとは何事か」というご返事でした。……

 なるほど、水野的が「権威主義には驚かされる」というのも当然だと思えます。しかし同時に、何かがおかしくはないかという疑問が残ります 。

 何かがひっかかるのは、いくつかの理由があるからですが、そのひとつ は、藤永茂のブログにでてくる逸話とその感想です。中野好夫は大学の授業で学生が質問にまともに答えられないと、「君は新制か、じゃあ仕方がない、……旧 制だというと、なにX高か、……じゃあ仕方がない」と切り捨てたといいます。そして、「私の関心は……差別を受けた学生に向かいます。……差別される側に 身を置く者が差別者側にない感受能力を研ぎすますことがあります」と書かれています。一見、まったく正しい指摘だと思えるのですが、中野好夫が具体的に、 どのような学生に何をしたのかを考えると、藤永茂の見方は何とも奇妙だと感じます。これは東京帝国大学から「帝国」の2字が削られて間もないころ、文学部 英文科の授業の話です。その点を考えると、これは教師が「ダメ学生をいじめる」話ではないし、このときの学生が「差別される側」であるはずがないと思えま す。エリート意識にこりかたまった学生の鼻をへし折った話のはずです。誰にも負けないと思っていた英語力が、実際にはいかに劣っているかを思い知らせたの ですから、「いじめ」ではありえないのではないでしょうか。

 まず、「文庫の編集者の方に直接申し上げた」という点が気になります。岩波文庫の編集者に直接に話ができる機会など、並の翻訳者にはめったにないはずで すから。少し調べると、すぐに謎がとけます。藤永さんなどと書いてはいけない、藤永教授と書くか、藤永茂と書くべき方なのです。量子化学という分野の世界 的権威で、京都大学教授を経て、カナダのアルバータ大学の教授になり、現在はアルバータ大学名誉教授です。岩波書店からも『分子軌道法』などの著書が出版 されています。だから、岩波の編集者と話す機会もあるのでしょう。なお、調べたかぎりでは、出版翻訳は『闇の奥』の新訳がはじめてのようなので、その時点 では、「門外漢」だったのでしょう。

 この経歴を知ると、逆の場合はどうなのだろうと考えてしまいます。逆というのは、たとえば経済や金融、経営関係の翻訳を細々とやっている人間が、何かの 折りに岩波書店の編集者と話す機会があったとして、藤永茂の『分子軌道法』は数学的な面で疎漏なのではないかといったとすればどういう反応が返ってくるの かです。翻訳者がなぜ数学の話をするのかといわれるかもしれませんが、経済や金融、経営という分野はいずれも数値を扱うので、たとえば、幾何級数と算術級 数といった数学の概念をつねに扱っています。だから、数学というのは馴染みのある分野なのです。そんなこともいいながら、『分子軌道法』には問題があると いったとすると、どういう反応が返ってくるでしょうか。「大御所の著書に門外漢がいちゃもんを付けるとは何事か」とすらいってもらえないのではないでしょ うか。そして、その話をブログに書いたりすれば、誰も「権威主義に驚かされる」などとはいってくれず、あきれられるだけになるのではないでしょうか。

 誰が考えても、門外漢が量子化学の大家の著作に文句をつけるなどということが許されるはずがありません。ですが、英文学の大家の翻訳に文句をつける人 に、門外漢が何をいうかというと、権威主義だと非難されます。翻訳に興味をもっているのであれば、これはなぜなのかを考えてみるのも無駄ではないように思 います。

 ちなみに、藤永茂がなぜ、中野好夫の訳について、「語学的な面での疎漏さに驚きました」と書けたのかを考えると、その直前にある「カナダ生活の中での読 書経験」という点と無関係ではないように思います。学校教育にはもちろん、いい点もあるわけですが、とくに大きな問題として指摘できるのは、ほとんどの人 に英語と数学への劣等感を植えつけることだと思います。幾何級数と算術級数の話を聞いて笑った人は幸運です。劣等感を植えつけられなかった証拠だからで す。念のためにつけくわえるなら、幾何級数とは1、2、4、8、16のような等比数列、算術級数とは1、3、5、7、9のような等差数列、どちらも数学と いうより算数に近いものです。「カナダ生活」は、学校で英語への劣等感だけを植えつけられた人にとって、「幾何級数」と同様に、魔法の言葉のように響くの ではないでしょうか。

 話を戻して、他の分野ではどうなのかを考えみましょう。それぞれの分野にくわしい人に向かって、素人がつぎのようなことをいったとします。そのときの反 応が、翻訳の場合に近いか、量子化学の場合に近いかを考えてみましょう。

(1) 松坂君は大リーグで活躍しているけど、腕の振り方に問題があるのではありませんか。
(2) マイルス・デービスの演奏は、音楽的に疎漏ではありませんか。
(3) いまの学校はろくに勉強を教えないで、生活指導だとか行事だとかばかりに力をいれていて、教育という観点でおかしくありませんか。
(4) 力のない人を首相に選ぶなんて、政治家として問題があるのではありませんか。

 このように考えていくと、素人がこういう意見をだしたときに馬鹿にされる分野もあれば、そうでもない分野もあることが分かるはずです。量子化学に近いの は、プロ・スポーツや音楽など、翻訳に近いのは教育や政治などではないでしょうか。

 翻訳とは大きく違う分野のなかでは、スポーツの世界が典型でしょう。この世界では、一流とされている選手が一流の実力をもっていることは誰でも知ってい ます。たとえば、松坂投手の球を打てるなどとは、誰も考えていません。ゴルフ自慢の人でも、一流のプロ・ゴルファーに勝てるなどとは考えていません。学問 の世界でも、前述の量子化学をはじめ、自然科学の分野であれば、素人が一流の人の業績に文句をつけられると考えている人はいないはずです。権威ある学者 は、権威にふさわしい実力をそなえているはずだとみられています。

 これに対して、教育や政治の分野では、素人であっても、一流の人たちに自由に文句をつけられるようになっています。素人が批判したときに「門外漢がい ちゃもんを付けるとは何事か」といおうものなら、何という権威主義だと反論されます。

 これは分野の性格のためなのでしょうか。そうとは思えません。たとえば政治の分野に関していうなら、今の日本ではおそらく、素人が自由に悪口をいえるで しょうし、そのときに「門外漢は黙っていろ」といわれることはまずないはずです。民主主義なのだから、国民が政治について発言するのは当然だという意見も あるでしょうが、ここで問題にしているのはそういう点ではありません。国民の代表として選ばれた政治家が尊敬されているかどうかです。たとえばアメリカで は、普通は政治家が尊敬されているようです。日本でも、一昔前には政治家が嫌われることはあっても、あなどられたり、見くびられたりすることはあまりな かったように思えます。実力があることは認められていたように思えるのです。

 学校の先生もそうです。以前は、学校の先生は絶対といえるほど権威をもっていました。いまや少なくとも首都圏では学校で勉強を教えてもらえるとは考えら れていないように思えます。勉強したければ塾に行くのが当然だとされているようなのです。大学に入っても、ダブル・スクールが珍しくもないのですから、学 校の権威は地に落ちたともいえます。

 翻訳に関しても、以前は自然科学に似ていたように思います。たとえば中野好夫が典型ですが、東京大学文学部英文科の看板教授、英文学の大御所ですから、 その翻訳に文句をつける人など、一昔前にはまずいなかったはずです。岩波文庫の編集者の発言は何とも漫画的だと思えますが、それは21世紀になってからの 発言だからです。時代錯誤の何ともおめでたい発言だと、笑ってしまうのです。

 ついでにいうなら、以前なら東京大学名誉教授、名古屋大学名誉教授、京都大学大学院教授といった肩書の経済学者が訳した古典の翻訳に、肩書のない一翻訳 者が文句をつけることなど、考えられなかったはずです。翻訳という世界で、以前の権威が通用しなくなっているのはたしかだと思えます。

 以上から、こういえるように思えます。第1に、ある分野で一流とされている人の実力なり業績なりを素人が批判したとき、「門外漢がいちゃもんを付けると は何事か」という反応が正当だとされる分野と権威主義だとされる分野があります。第2に、同じ分野でも、正当だとされるか権威主義だとされるかは、時代に よって変わってくるようです。そして第3に、権威あるとされている人がみな、権威にふさわしい実力を備えていると認められている場合には、「門外漢は黙っ ていろ」という反応が正当だとされるようです。これに対して、権威あるとされている人が権威にふさわしい実力をもっていないとみられている場合には、同じ 反応が権威主義だとされるようです。

 このように考えると、翻訳とそれに似た分野はある意味で、健全ではなくなっているのだといえるように思います。権威あるとされている人、一流の地位にあ る人が、権威にふさわしい実力、一流の地位に相応しい実力をもっていないとみられているわけですから、健全だとはとてもいえないはずです。なかでも翻訳の 分野は問題が深刻です。たとえば政治の分野では、いまの有力政治家の父親や祖父に力があったことは疑われていませんが、翻訳の場合には以前の権威者まで実 力が疑われているのですから。以前はこうではなかったのですから、なぜこうなったのかが問題です。たぶん、いちばん考えやすいのは、いまは古い権威が力を 失い、新しい潮流がまだ確立していない過渡期だというものです。

 どのような分野でも、過渡期というのは魑魅魍魎が跋扈する百鬼夜行の世界になります。当初、秩序と権威とかの言葉は古い秩序、古い権威を意味するので忌 み嫌われるでしょうが、やがて、新たな権威、新たな秩序が求められるようになるでしょう。一流の地位にある人が一流の実力を備えている、そういう状態が望 まれるようになるでしょう。新たな権威、新たな秩序が確立するのは、過去の権威、過去の秩序の問題点がはっきりと認識されるようになり、その問題点を解決 する新たな方式が確立したときでしょう。いま、翻訳に求められているのは、まさにそういう動きだと思えます。そういう観点から、翻訳の過去を考え、将来を 考えていくべきではないでしょうか。

社会的、歴史的な現象としての翻訳
 翻訳はいつでもどこでも社会的な現象であり、歴史的な現象です。社会と歴史という観点がなければ、翻訳について、意味のある考え方ができるとは思えませ ん。

 日本で翻訳がはじまったのは、江戸時代後期、18世紀後半です。有名な『解体新書』が出版されたのが1774年です。もちろんそれ以前にも、約1000 年にわたって漢文読み下しという形で漢籍の翻訳が行われてきたのですが、わたしたちが普通に考える意味での翻訳の出発点になったのは、『解体新書』だとい えるはずです。日本の社会と欧米の社会の接触が深化し、欧米の文化に優れた点があることに気づく個人があらわれてきたことが、翻訳の背景になったのでしょ う。

 当初に翻訳されたのは、医学書でした。医学のうち一部の分野で、欧米に優れた知識があることが認識され、それを学んで取り入れようとしたからです。その 後、幕末に入って軍事力の格差を痛感するようになると、まずは軍事書が翻訳され、明治維新以降には、軍事力の背景になった科学技術、思想などの分野でも、 大量の本が翻訳されるようになっています。

 この動きをみていくと、翻訳が行われるのは2つの社会が接触したときであり、それぞれの社会がもつ文化の違いが、翻訳を生み出す原動力になることがよく 分かります。自分たちとは異質な社会に接触し、相手の文化に優れている部分があることに気づいた側が、それを学び、取り入れるために行う方法のひとつが翻 訳なのでしょう。文化は水と同じように、高いところから低いところに流れていきます。だから、幕末以降、日本と欧米の接触が爆発的に拡大したとき、日本で は大翻訳時代がはじまりますが、欧米で日本語からの翻訳が大がかりに行われるようになったという話は、寡聞にして知りません。

 この点から、翻訳が行われるのは彼我の文化に落差があるときであり、落差が大きいほど翻訳が活発になるとも思えます。落差が大きいほど、翻訳の質が高く なり、少なくとも、翻訳を行おうとする熱意が高くなるという意見もあります。明治初めの翻訳熱をみると、たしかにそうだと思いたくなります。

 しかし、事実をみていくと、それほど単純でもないといえるように思えます。当時の日本の社会や文化は欧米と比較して、大きく遅れていたという先入観があ ります。しかし、客観的にみて、日本の文化が全体として遅れていたかどうかは疑問です。たとえば当時、江戸の人口はおそらく100万人を超えていて、世界 でも一二を争う大都市だったといいます。これだけの人口を支えられるほど経済が発達していたわけですし、そのうえ、欧米の大都市と比較して、衛生状態がよ く、平均寿命も長かったといいます。識字率が欧米の主要都市より高く、出版がさかんに行われていました。こういう条件がなければ、異質な文化に触れたとき に、翻訳が行われるとは思えません。

 極端な例を考え、たとえばペリーが来航したときに、日本の社会と文化が縄文時代と変わっていなかったと想定してみましょう。その場合には、翻訳が行われ たはずがないといえるのではないでしょうか。

 前述の水野的の「翻訳通訳研究」で最近、クワインの「翻訳の不確定性」について言及されていました。クワインはアメリカの哲学者で、翻訳理論の面では、 「翻訳の不確定性」「根源的翻訳」という2つの概念が有名です。その著書を読んだのは随分前なので、記憶が曖昧になっていますが、たしか、文化人類学者が フィールドワークを行っていて、未開民族のインフォーマントとともにいるとき、兎が飛び出してきて、インフォーマントが「ガバガイ」か何かの言葉を発する 場面を想定し、この言葉の翻訳が可能かどうかを論じていたように思います。

 これを読んだときに、正直にいうと、翻訳とは無関係だと思ったのを覚えています。文化人類学者が未開の民族の集落に赴いたとき、異質な2つの社会が接触 したわけですが、「現地人」の側にも、文化人類学者の側にも、わたしたちが考えている意味での「翻訳」を行う動機は生まれないと思うからです。「ガバガ イ」の意味を考えているとき、文化人類学者は翻訳をしようとしているのではなく、研究しているだけです。猿の研究やハムスターの研究と同じで、未開人の研 究を行っているだけです。また、文化人類学者を受け入れた未開人の側も、未知の文化に触れたわけですが、翻訳を行おうとする人はいないはずです。

 ペリー来航のときに日本の社会と文化が縄文時代から変わっていなかったとすれば、クワインの例は、「ガバガイ」ではなくて、「オイシソウ」になっていた かもしれないと思います。

 2つの社会が接触し、文化の落差が大きかったとしても、大きすぎた場合には翻訳は成立しないはずです。また、自分たちの文化の方がはるかに優れていると 感じた場合にも、翻訳を行う動機は強くならないはずです。いくつかの部分で相手の社会の文化がかなり進んでいると感じられたときにはじめて、翻訳を行う動 機が生まれるのではないでしょうか。そのとき、客観的にみれば、文化の全体的な水準がそれほど低くはないことも条件になると思えます。文字の文化が発達し ていて、識字率がある程度高く、出版が盛んなことが条件になるように思えます。また、言語共同体としての民族という意識があることも、翻訳という手段をと る際に不可欠な条件だと思います。

 異文化の力に触れたとき、言語を共通項とする共同体としての民族について、誇りと自信がなければ、翻訳を行う動機は生まれません。異文化に触れ、憧れた 個人がいたとして、いちばん自然なのは、外国語を学び、外国語でその文化を学ぼうとすることではないでしょうか。そして、可能であれば、個人として自分が 生まれ育った社会を捨て、相手の社会の一員になりたいと望むのではないでしょうか。そう考えると、翻訳が成立する条件はかなり厳しいといえるかもしれませ ん。この点でも、翻訳は社会的な現象だといえます。

日本の翻訳はどこまできたのか
 もっとも、2つの社会が接触したとき、翻訳が行われるのは文化の落差が大きすぎず、小さすぎない場合だなどといえるのは、『解体新書』から200年以 上、ペリー来航から100年以上が経過した時点で振り返ってみているからです。とくに幕末に、欧米社会との接触が日本社会にとって衝撃的だったのは、それ が軍事的脅威という形をとったからです。文化の落差だけならともかく、軍事力の格差は放置しておけません。当時の世界をみると、欧米各国が世界のほぼ全域 を植民地にしており、日本はごく少ない例外のひとつだったのですから。

 18世紀後半、極東の果てにある日本ではまだ世の中が平和だった時期に、ヨーロッパの解剖書が優れていることに驚嘆した何人かの医師が翻訳を行って『解 体新書』を出版し、いまわたしたちが考える意味での翻訳がはじまりました。それからほぼ100年にわたって蘭学が少しずつ発展するようになり、医学の分野 を中心に、翻訳が行われていきます。当時はまだ、翻訳はごく細い水流のようだったといえます。医学やその基礎になる自然科学の分野では、日本のヨーロッパ の落差はかなり大きかったので、流れは急だったでしょうが、水量がそれほど多くなかったのはたしかでしょう。

 幕末以降、欧米の軍事的な脅威が実感されるようになると、事態は一変します。翻訳の流れは爆発的に太くなります。ごく細かった水流があっという間に大瀑 布になったようなものです。

 このときには医学や軍事技術に止まらず、ほとんどあらゆる分野で、国をあげて欧米との格差を埋めるために努力するようになり、そのための手段のひとつと して、翻訳に取り組むようになっています。たとえば明治の初めに確立する学校教育制度は、全国から優秀な学生を選びだし、翻訳者として育成することを目的 のひとつとしていました。明治から大正を経て昭和の初めまで、とくに優秀な学生が大学に残り、それぞれの分野の学者として、翻訳に取り組む仕組みが作られ ていました。中野好夫はそういう学者のなかでも、後期を代表する人物のひとりだったのです。

 この壮大な翻訳のドラマはいつか終わりがくることがはっきりしていました。欧米との間に軍事力の格差があり、その背景に文化の落差があると意識したこと が出発点であり、その落差を埋めるための方法のひとつとして翻訳に取り組んできたのですから、欧米との違いがなくならないまでも、落差が縮小したと意識さ れるようになったとき、翻訳のドラマは終わるはずです。そのように意識された時期は何度かありましたが、最終的には1980年代に、欧米に追いつくために 翻訳が必要だという見方がほぼなくなったのではないでしょうか。18世紀後半に細々とはじまり、19世紀後半に爆発的に拡大した翻訳のドラマは、20世紀 後半には当初の目的を達成していたのだと思います。

 20世紀後半のどこかの時点で、大規模な式典がひらかれても不思議ではなかったように思います。日本の近代化に寄与してきた多数の翻訳者を顕彰し、翻訳 のひとつの時代が終わったことを確認するための式典です。もちろん、そんな式典は開催されませんでした。そして、当初に重視された軍事力の格差、戦後に脅 迫観念になった経済力の格差、その背景にある文化の落差など、欧米とのさまざまな格差をそれほど意識しなくてもよくなった幸せな時代を生み出すのに、翻訳 がどれほど重要な役割を果たしてきたのかは、ほとんど意識されることがなくなりました。

 そのため、翻訳のひとつの時代が終わったことはいまだに十分に認識されていないように思います。とくに明治半ば以降、100年以上にわたって続けられて きた翻訳の方式が、当初、何を目的に作られたのかは、ほとんど意識されないままになっています。翻訳のひとつの時代が終わり、新しい時代にふわさしい新し いスタイルが求められていることも、ほとんど意識されないままになっています。要するに、日本の翻訳がいま、過渡期にあることがあまり意識されていない状 況にあるように思います。

 1990年代には、いまから考えれば翻訳のひとつの時代が終わったことを象徴する動きが、目立たないながらもいくつか起こっています。

 そのひとつは、ほんの数年間でしたが、翻訳学習が大ブームになったことです。大ブームの中心になったのは翻訳学校です。翻訳学習者が数万人に達し、その ほとんどが出版翻訳を目指して、翻訳学校に授業料を払ってしました。出版翻訳というのは当時もいまも、多くても数百人が活躍できる程度の規模しかなく、そ のうち生活費を稼げる人はおそらく数十人しかいない世界ですから、そこに何万人もの人が殺到したのは、異様としかいえません。そのうえ、少し前まで、出版 翻訳を担っていたのはたいてい、大家、大御所、碩学などと呼ばれている学者か、将来を嘱望されている若手か中堅の学者でした。ひとつ前の時代の常識からす れば、翻訳ならできるだろうと考える人が何万人も翻訳学校に殺到するのは、輪をかけて異様だとしかいえないことでした。ブームは短期間で終わりましたが、 このとき、出版翻訳家への道を夢見た人たちは、翻訳のひとつの時代が終わったことを敏感に感じ取っていたのでしょう。

 もうひとつ、1990年代には翻訳家という肩書の人が出版翻訳を担うのが常識になってもいます。それ以前には出版翻訳の主流は学者か専門家で、翻訳家と いう肩書で活躍できるのは、エンターテインメント小説などの一部の分野にかぎられていました。ところが1990年代の10年間に、ほぼどんな分野でも、翻 訳家が翻訳を担うのがごく普通になったのです。翻訳家とは要するに、それ以外に肩書のない人間です。学者ではなく、ある分野の専門家でも評論家でもなく、 翻訳以外にはさしたることをしていない人間です。翻訳と学問・研究の分離がこの10年に急速に進みました。これも、翻訳のひとつの時代が終わり、新しい時 代がはじまったことを示す現象なのでしょう。

翻訳の現状
 では、翻訳の現状はどうなっているのでしょうか。翻訳の世界では、絶対の権威とされていた人の作品に対して、素人が「語学的な面での疎漏さに驚きまし た」といい、それをとがめた編集者が逆に、権威主義だと非難される状態になっています。これはまさに、古い権威が崩れ、新しい権威が確立していない過渡期 にあるからこそ起こっている現象です。翻訳のひとつの時代が終わったためでしょうが、その点がどのようにあらわれているのでしょうか。どのような過渡期な のでしょうか。過去の権威のどこが問題だとされ、その問題をどう解決すればいいのでしょうか。

 その点を考えるヒントとして、「翻訳通信」の2008年3月号でも取り上げた間宮陽介訳ケインズ著『雇用、利子および貨幣の一般理論』に関する書評をみ てみましょう。2008年3月2日付けの日経新聞に、東京大学経済学部の井堀利宏教授による書評が掲載されています。

 書評というのはたいていそうですが、この場合にも井堀利宏が論じているのはほぼ、『一般理論』という本の意義についてです。それが岩波文庫に入ったこと の意味も強調されていますが、翻訳についてはそれほど論じられていません。それでも最後に、「本書は、既存の翻訳と比較すると、はるかに平易な日本語訳に なっている」と書かれています。

 インターネットで発表されたいくつかの書評をみても、既訳と比べて「読みやすい」、「分かりやすい」といった表現が目立ちます。これはいったいどういう ことなのでしょう。

 たぶん、「翻訳通信」2008年3月号で取り上げたいくつかの例を読んで苦労された方(あるいは読む気にもなれなかった方)ならお分かりだと思います が、間宮陽介の訳文は既訳と比較して、「平易」にも「読みやすく」も「分かりやすく」もなっていないと思います。間宮陽介訳の上巻全文をケインズの原文、 塩野谷父子の訳文と逐一比較しましたから、この結論には自信をもっています。ではなぜ、井堀利宏をはじめ、何人もの人が、「平易」、「読みやすい」、「分 かりやすい」と評しているのか。

 理由はおそらく単純です。古典の新訳というとき、これがいまの読者の先入観になっているのです。「読みやすさ」「分かりやすさ」こそがいま、古典の新訳 に、そして翻訳一般に求められているものです。だから、古典新訳を批評する際に、こう書いておけば安全なのです。評者はよく考えもせず、安易な決まり文句 を使っている。そう考えるのがおそらく、事実に近いのだと思われます。

 問題はなぜ、読者がこともあろうにケインズの『一般理論』のような古典に「平易さ」「読みやすさ」「分かりやすさ」を求めているのかです。カレーの専門 店に行って、甘くて食べやすいカレーが欲しいなどといってはいけない。これが常識というものです。読みやすく分かりやすい本が読みたいというのなら、ケイ ンズの『一般理論』なんぞ読んではいけない。これが常識というものです。そういう本が読みたいのなら、読みやすく分かりやすく内容のない本が書店にいくら でも並んでいます。およそ品格というもののない「著者」がしゃべりちらしたことをライターが文章にした本、馬鹿による馬鹿のための馬鹿な本が、いくらでも 並んでいます。古典を読むのなら、ましてケインズを読むのなら、読みやすさや分かりやすさを求めてはいけない。本物の知性による本物の著作がもつ重み、難 しさをしっかりと受け止めて、頭が爆発しそうになるまで考え抜くべきです。そうやって、世の中の動きを見抜く頭脳を鍛えるべきです。甘くてやわらかい食べ 物がほしいなどと駄々をこねていては、まともな大人になれません。

 ですが、この風潮を嘆いていてもはじまりません。いま読者は、読みやすく分かりやすい翻訳を求めているようにみえます。たとえば読者にアンケートをとれ ば、そういう結果がでるはずです。これが翻訳の現状、さらにいうなら、出版の現状です。

 これが現状なら、読者の求めに応じて、「読みやすく分かりやすい」翻訳とやらを目指す方法もあります。原文から離れてもいいのであれば、いくらでも読み やすくできるし、分かりやすくできるのですから、これは何とも簡単な方法です。また、これが現状だというのなら、時代の流れに背を向ける方法もあります。 出版は多品種少量生産を特徴とする産業ですし、どの時代にも主流を嫌う人はかならずいるので、読みやすくも分かりやすくもない翻訳を行っても、それを喜ぶ 読者はいるはずです。

 しかしこのどちらも、安易すぎる道を選ぶ結果になるのではないかと思います。翻訳や出版の仕事に誇りをもっているのなら、なぜこうなったのかを考え、脱 出の道を考えるべきです。「読みやすく分かりやすい翻訳」という表現で、読者がどのような問題にぶつかっていて、何をほんとうは求めているのかを考えるべ きです。

 そのときにおそらくヒントになる点が、井堀利宏の書評に書かれていました。『一般理論』の既訳について、「評者も大学院生の時に、翻訳書を片手におい て、難解な原書を悪戦苦闘しながら輪読した経験がある」というのです。これは何度も指摘してきた点ですが、古典の翻訳というのは少し前まで、「原書講読」 の際に「片手において」おくためのものだったのです。いいかえれば、翻訳書は単独で読むためのものではなかった。「原書」を読むのが基本であり、そのため の参考として出版されていたのが、翻訳書だったのです。翻訳が組織的に行われるようになった明治半ば以降、ほぼ100年にわたってとられてきたのが、この 方式でした。

 原文の語句と訳語の一対一対応、英文和訳式に後ろから前に訳していく訳し方など、過去の翻訳に特有の方式はすべて、「原書講読」のための参考という性格 によるものです。そもそも、訳書だけを読む読者のために日本語で原著の意味を伝えようとしたものではありません。訳書だけを読んで理解できると思ったとす れば、とんでもない勘違いだというべきでしょう。

 しかし、当時はいまと違います。たとえば井堀利宏が「翻訳書を片手において、難解な原書を悪戦苦闘しながら輪読した」のは1970年代でしょうが、わず か30年ほど前の当時でも、「原書」は高かったし、容易には手に入りませんでした。ですから、訳書を読んで、訳書だけを読んで、理解したいという人の方が はるかに多かったはずです。「単独で読むべからず、原書とあわせて読むべし」などと、表紙に大きな活字の警告文が書かれていた翻訳書はありませんから、た いていの読者は訳書だけを読むつもりで買ったはずです。そして、理解できず、深い失望を味わったのです。

 翻訳書を読んで理解できず、深く失望した人はたいてい、翻訳が悪いなどとは思わなかったはずです。人はたいてい、そこまで厚かましくはないものです。た いていの人は、勉強不足を恥じるか、頭の悪さを嘆いて両親をうらんだでしょう。そして、本を読むのなら、もっと分かりやすく読みやすい本がいいと考えるよ うになったのでしょう。

 つまり、読みやすく分かりやすい本がいいというのは、もともと、しっかりした本格的な本を読みたいという知識欲、学習意欲、向上心を出発点とする望み だったはずです。もともとは、本の内容の分かりやすさを求めていたのではなく、解読不能とも思える悪文をなんとかしてほしいと望んでいたはずです。翻訳書 を単独で読んで、理解できるように訳してほしいというのが読者の本音なのでしょう。たぶん、欧米と日本で文化の大きな落差があることを前提に行われてきた 翻訳から脱却してほしいというのが、読者の望みなのでしょう。翻訳と出版の仕事に誇りをもっているのなら、「読みやすく分かりやすい本」という言葉の背後 にある問題を認識し、解決するように努力するべきでしょう。

文化の落差が縮小した時代の翻訳
 18世紀後半に『解体新書』が刊行されて以来、200年以上にわたって、日本の翻訳ははるかに進んだ欧米の文化を吸収することを目的に行われてきまし た。いまではほとんどの分野で、欧米との落差ははるかに縮小しています。なかには逆転したと胸をはれる分野もあるでしょう。では、文化の落差が縮小するか なくなったとき、翻訳の必要はなくなるのでしょうか。そんなはずがないことは、周囲を見渡せばすぐに分かります。また、少し考えてみるだけですぐに分かり ます。たとえば、世界の人口はおよそ60億人、日本の人口はおよそ1億2000万人ですから、海外にはほぼ50倍の大きな世界が広がっているのです。学ぶ 対象、楽しむ対象が50倍あっても不思議ではありません。広い世界から学べるもの、楽しめるものを取り入れるために翻訳を行うのが、今後のありかたになっ ていくでしょう。分野別にみれば大きな落差はなくなっても、個々の著者や著書でみれば、学べるものはたくさんあるのですから。

 それぞれの分野で、欧米が日本とは比較にならないほど進んでいるから翻訳する時代ではなくなっています。欧米で高く評価されているから、あるいは欧米で 最新の流行だから、文句なくありがたいと考える時代ではなくなっています。翻訳だからありがいと考える時代ではなくなっています。翻訳書も、日本語で書か れた本と同じ基準で判断して、よいものはよいと考える時代になっているのです。経済学でいえば、経済学という分野の全体で欧米との間に大きな落差がある時 代ではなくなりました。ですが、たとえばケインズの著作から学べる点が多いという事実が変わったわけではありません。イギリスを代表する経済学者だから偉 いのではなく、イギリス人だろうと何だろうと、偉いから偉いのです。そう考える時代になっています。読むべき本が日本語で書かれていれば、日本語で読めば いい。たまたま英語で書かれていれば、原著を読むか、日本語に翻訳されたものを読む。それだけの話であって、翻訳を特別扱いする理由はないのです。

 そのとき、翻訳が翻訳だからありがたがられた時代とは、訳し方が変わって当然です。何よりもまず、原書講読のための参考資料としての翻訳から脱却するこ とが重要だと思います。「翻訳書を片手において、難解な原書を悪戦苦闘しながら輪読」するような人はいないと考え、翻訳書が単独で役立つものになるように すべきでしょう。じつに単純な話です。単純な話ですが、簡単だとは思えません。

 とくに難しいのは、文体をどうするかだと思います。これまで権威あるとされてきた翻訳では、翻訳調という文体が使われてきました。この文体は明治時代に 確立し、とくに法律に使われたことから、一部の分野で翻訳ではない日本語にも深く浸透しています。法律を扱う司法の分野はもちろんですが、それより重要な のは官庁でしょう。官庁を支配してきたのは東大法学部の出身者ですから、これも当然だといえるかもしれません。官庁は以前、権威のなかの権威でしたので、 官庁の流儀を真似る動きが広範囲に起こっていました。文体もそうで、官庁の文体が産業界、学界などに浸透しています。こうした分野では、翻訳文体に近い官 庁の文体こそが、格調の高い高級な文体だという感覚がいまでも強く残っています。

 ですからいまでは、翻訳調の文体で訳している人が、原書講読の参考になるように配慮しているわけではないことが多いように思います。本人は格調が高い文 体で訳しているつもりなのです。いまの流行が「読みやすく分かりやすい訳文」であることはもちろん、意識しているでしょうが、そういう訳文を書こうとして いるとき、本人はこんな品のない文体は使いたくないのだが、と思いながら、専門家ではない読者におもねろうとしているのでしょう。これではうまくいくはず がありません。

 この点がとくに問題になるのは、論理を扱う文章だと思います。自然科学や社会科学、人文科学など、広範囲な分野で論理を扱う文章が翻訳されています。実 務の翻訳も大部分はここに入ると思うので、翻訳の全体のなかで論理を扱う文章は圧倒的な比率を占めているのではないでしょうか。翻訳の主戦場はじつはこの 部分なのだと思います。この部分では、翻訳調かそれに近い文体でなければ論理は扱えないという根強い感覚があります。ですから、翻訳調からの脱却がとくに 難しいはずです。

 ここで、いまなぜ「読みやすく分かりやすい訳文」が求められているのかをもう一度考えてみるのも無駄ではないと思います。たとえばケインズの『一般理 論』の新訳について、何人もの人が既訳と比べて「読みやすい」、「分かりやすい」と書いているのはなぜなのか。それは古典の既訳がほとんどの場合、一般の 読者にとって、つまり原書講読の参考のためではなく、翻訳書を単独で読もうとする読者にとって、理解しがたいものだったからです。翻訳調がほんとうに論理 を伝えるのに適した文体なのであれば、原書講読の参考のために訳されたのであっても、原著の論理は伝わるはずではないでしょうか。圧倒的に多数の人が理解 できなかったというのは、そして原著を読んでみたらはるかに分かりやすかったという人が少なくないのは、ほかでもない、翻訳調の文体が論理を伝えるのに適 していないことを示しているのではないでしょうか。

 おそらくそうなのだろうとわたしは考えています。翻訳調の文体も、それから派生した法律の文体も、官庁の文体も、学界で格調高いとされている文体も、じ つは論理を伝えるという目的には適していないのだと思うのです。そういう文体で書いていれば、さらにはそういう文体で考えていれば、論理的な思考が難しく なるのではないでしょうか。

 ですから、翻訳調から脱却して、論理を伝えるのに適した文体を作り上げることが不可欠だと考えています。うまくいくかどうかは、まだ分かりません。です が、そういう文体が確立されなければ、現在の過渡期から抜けだせないのではないかと思えてなりません。

(2008年4月号)