翻訳講義 (3)
山岡洋一

構文解析

 
 前回に引き続き、フランクリン・ローズベルト大統領の第1期就任演説を素材に、翻訳について考えていきます。

 まずは、皆さんの訳文から、違いが目立った点をいくつか取り上げます。最初に取り上げるのは、皆さんの訳し方がほぼ半分ずつに分かれていた部分です。第 1段落の長い長い第1センテンスの一部です。まず原文をあげ、つぎに訳文をあげます。訳文は典型例ですから、何人かの訳を組み合わせて作っている場合もあ ります。

1. ... I will address them with a candor and a decision which the present situation of our people impels.
1.1 ……私が率直に、そして人々の現状が駆り立てる決意を持って大統領就任演説を行うこと……
1.2 ……国民の現在の事態において必要とされる率直さと決意をもって私が演説すること……

 ここで問題になるのは、a candor and a decision which ...の部分、とくにandで何と何を並列しているかです。

 つぎは第2段落の第2センテンスです。原文は第1センテンスからあげますが、訳で問題なのは第2センテンスです。今度は半分ずつではなく、2.1が8割 ぐらい、2.2が2割ぐらいでしょうか。

2. In such a spirit on my part and on yours we face our common difficulties. They concern, thank God, only material things.
2.1 幸運なことに、共通の困難は物質的なことにのみ関連しているだけなのです。
2.2 さいわい、彼らが心配しているのは物質的なものだけだ。

 ここでは2つの違いがあります。第1に、theyが何を指しているのか、第2に、concernの意味です。

 もうひとつ、第3段落の最初のセンテンスを取り上げます。ここでは皆さんの訳にかなりのばらつきがあります。代表的なものを2つだけあげます。

3. More important, a host of unemployed citizens face the grim problem of existence, and an equally great number toil with little return.
3.1 さらに重大なことは、多数の失業者が生活の残酷な問題と、また膨大な低賃金労働と格闘している点です。
3.2 さらに重大な問題は大勢の失業者たちが存続の危機に瀕していることと、同様に多くの国民が低賃金の重労働を強いられていることである。

 ここで問題になるのは、1.と同じandによる並列の処理ですが、それ以外にもいくつかの問題が絡んでいます。

 前回、翻訳には正解はないという話をしました。翻訳家10人が同じ原文を訳したとき、10通りの訳ができ、どれもいうならば「正解」だということもある と。なぜかというと、翻訳とは原文の意味を理解した結果を母語で書く仕事であり、原文の理解の仕方、つまり原文の解釈が違えば、訳文が違ってくるのが当然 だからです。原文の解釈が十人十色なら、訳文も十人十色になります。しかし、10通りの訳がどれもいうならば「正解」だということもあるというのは、裏を 返せば、何人かの訳はどこかが間違っている可能性もあるということです。別に驚くようなことではありません。翻訳家は当然ながら完璧を目指して努力してい ますが、たまには間違えることもあります。ですが、間違いが多い場合には問題です。翻訳という仕事は、言語を共通項とする共同体としての民族を代表して、 他の民族から優れた知識や技術、考え方、感情、情報などを学び、学んだ内容を母語で伝える仕事です。ですから、翻訳を行う際には、間違いを極力減らす必要 があります。そのために何をすべきかがこの講義の大きなテーマであり、そのひとつとして、今回は構文解析を取り上げます。

文法はなぜ必要か
 翻訳の目的は、原文の意味を母語で伝えることです。したがって、原文を読んで意味がすぐに分かるのであれば、文法は不要です。この点は母語について考え てみればすぐに分かります。皆さんのほとんどは日本語が母語だと思うので、日本語で書かれた文章を読むときのことを考えてみましょう。難しい文章を読ん で、意味がよく分からないというとき、日本語文法の本を開いてみようと思うでしょうか。そういうことはまずないはずです。中学高校のときに国文法を学んだ はずですが、たとえば五段活用だとか、サ行変格活用だとかの言葉は忘れても、読み書き聞き話すことに何の支障もないはずです。だから文法の必要性など感じ ないのが当然です。

 同じことは皆さんの大部分にとって外国語である英語にもいえると思えるはずです。読んで意味が分かれば文法は不要ではないか、それに聞き話すときに文法 のことなど考えている暇はないではないかと。たぶん、こういう考えから、いまでは英文法はすっかり人気がなくなっています。中学高校でもそれほど教えてい ないし、大学でも英文法を専攻しないかぎり、授業もないといった状況になっているようです。

 しかし、翻訳にあたっては文法の知識が不可欠です。構文をしっかり理解できなければ、翻訳はできません(もうひとつ、英文を書くときにも文法知識が不可 欠です)。どうしてなのかと思われるかもしれませんが、理由は簡単です。読んですぐに意味が分かればたしかに構文解析の必要はないのですが、読んですぐに 意味が分かるのであれば、じつのところ、翻訳の必要はないのです。これがいまの時代には翻訳の原則になっています。原則ですから、もちろん例外はありま す。顧客に読んでいただくために翻訳が必要だったり、子供のために翻訳が必要だったり、さまざまな理由で読めばすぐに分かる文章が翻訳されています。しか し翻訳の本来の姿、原則はこうではない。読んだだけではなかなか理解できないほど難しいから、翻訳が必要になるのです。

 一読しただけではなかなか理解できない外国語の文章を読み解こうとするとき、最大の武器になるのが文法です。この点は文法というものの歴史を考えても明 らかです。日本で国文法が発達したのは江戸時代ですが、これは江戸時代になると、平安時代とそれ以前の古典がなかなか読めなくなっていたからです。源氏物 語すらなかなか読めず、それ以前の古事記や万葉集ではほとんど読めなくなっていた。そこで、発達したのが文法です。ヨーロッパでも、文法が発達したのは、 ラテン語や古代ギリシャ語の古典を読むためでした。中世になると、これらは日常の言語ではなくなっていましたので、読めばすぐに分かるというわけにはいか なくなっていました。古代の言語で書かれた古典を読み解くために、文法が必要になったのです。

 読めば意味が分かるのであれば、文法は不要です。読んでも意味がなかなか理解できないから、文法が必要になるのです。そこで、文法は、文章の形を手掛か りにして、意味を考えていきます。形から入るのが文法です。文章は目の前にあり、その形をみていけば意味が読み解けるのですから、文法というのは便利なも のです。

例外が多い英文法
 もっとも英文法の場合、以下で何度もその話がでてきますが、形だけでは判断がつかない点がいくつもあります。例外が多すぎるのです。

 例をあげましょう。これは英語は苦手という大学生から聞いた話です。家庭教師で中学生を教えていて、英語の品詞が分かっていないことに気づいたのだそう です。自分の経験では品詞を意識するようになって、英語がだいぶ読めるようになったので、中学生に品詞を教えることにしたそうです。英文和訳の問題の冒頭 から、これは定冠詞だろう、つぎが名詞で、その次が動詞で、つぎが名詞で、という調子で教えていったのですが、すぐに品詞の分からない単語があって止まっ てしまったといいます。どんな単語で止まったかというと、toなのです。その後に動詞があったので、to不定詞のtoなのですが、動詞がつぎにあるのだか ら前置詞ではないし、副詞というのも奇妙だし、というわけです。

 英文法ではどう考えているのでしょうか。結論をいえば、品詞という点では「定説はない」、いいかえれば、「よく分からない」ということです。

 これが典型ですが、英文法のいわば基礎にある品詞という概念すら、どうも頼りなく感じられます。例外が多すぎて、法則といえるかどうか疑問のように思え るのです。たとえば、bookという単語をみると、普通は名詞ですが、そのままの形で動詞にも形容詞にもなります。たぶん、英語で使用頻度の高い語を 100なり1000なり選び出して、それぞれの品詞を調べていくと、ひとつの品詞でしか使われない単語はむしろ例外なのではないでしょうか。たとえば theなら定冠詞だけだろうと思うと、副詞としても使われますし、heは代名詞だろうと思うと、名詞としても使われるのです。使用頻度が多い語、つまり文 章のなかで大部分を占める語が、形が変わらないまま、品詞が変わるのですから、形を手掛かりに意味を考えていくという文法の基本が成り立ちにくくなってい るといえます。

 例外が多すぎる法則というのは一般には、法則としてどこかに欠陥があると考えるべきです。いずれ、天動説に対する地動説のような斬新な理論があらわれ、 例外を最小限にとどめて、英語という言語の法則性を見事に説明してくれるようになるのではないでしょうか。

 とはいえ、いまのところはそういう文法理論はまだ完成していないようなので、ごく普通の伝統文法で考えていくしかありません。伝統文法で教えられる点は どれも、かなり例外が多く、十中八九はこうだ、つまり、10%から20%は例外があるという話が多くなります。また、形を手掛かりに意味を考えていく文法 にはありうべからざることですが、意味を考えて判断するしかない場合もたくさんあります。そういう意味で頼りない面も多々ありますが、それでも翻訳にあ たっては、文法知識は不可欠です。

 以下では、冒頭にあげた例を手がかりに、とくに間違えやすい文法事項を取り上げていきます。間違えやすい部分というには、じつは、簡単そうにみえる部分 です。文の構造が一読した程度ではまったく分からない部分では、誰でも必死に考えますし、翻訳を行うからにはいくつかの文法書を用意しているはずですか ら、意外に間違えないものです。簡単そうにみえて、あまり考えずに訳す結果、間違えてしまう例をいくつかみていきます。

並列の処理
 前述の1.と3.に並列の処理の問題があります。まずは1.について考えていきます。もう一度、1.をみてみましょう。

1. ... I will address them with a candor and a decision which the present situation of our people impels.
1.1 ……私が率直に、そして人々の現状が駆り立てる決意を持って大統領就任演説を行うこと……
1.2 ……国民の現在の事態において必要とされる率直さと決意をもって私が演説すること……

 前述のように、ここで問題になるのは、a candor and a decision which ...の部分です。1.1と1.2では並列の処理が違っています。それぞれ、以下のように解釈しています。

1.1 a candor and (a decision which ....)
1.2 (a candor and a decision) which ....

 この2つのうち、どちらが正しいのでしょうか。まずは、英語の並列処理の原則を確認しておきましょう。誰でも知っているはずの点ですが、以下が原則で す。ちなみに以下をはじめとする文法事項では、柴田耕太郎著「翻訳講座  文法編」を参考にしています。未刊行の講義録を提供された柴田耕太郎氏に感謝します。

基本的な形
1, 2, 3, −, and N  (米語)
1, 2, 3, − and N  (英語)

基本的な形の例外
andの省略  −  リズム重視、または列挙の未完了 (andは列挙の終了を意味する)
1 and 2 and 3 and − and N −各部分の強調

並列の原則
同一の品詞、同一の形、同一の機能、同一の時制のものを結ぶ(少なくともこれが英文の 正しい書き方)

並列の例外
動名詞とto不定詞、単語と句、単語と節、句と節などが並列されることもある(悪文)

 翻訳にあたっては、原則にしたがって読み、意味上、矛盾がある場合に例外を考える

[例]
A and B of C
[原則]  (A and B) of C
[例外]  A and (B of C)

 以上の点を1.に適用するとどうなるでしょうか。1.は[例]に似ており、ofではなく、whichになっています。

[原則] (a candor and a decision) which ....
[例外] a candor and (a decision which ....)

 つまり、この部分は原則として、同一の形のもの、a candorとa decisionが並列され、両者を先行詞としてwhich以下がついているとみるべきです。これが正しく書かれた英文であれば、原則通りのはずです。前 述のように、十中八九これが正しいのです。形からは、そう判断すべきです。ところが、この原則にしたがっていない悪文もあり、形から判断した結果では意味 上、矛盾がある場合に、例外を採用します。この場合はどうでしょう。おそらく、原則通りに判断して、意味上の問題はないと思えるはずです。

 前述のように、皆さんの訳文ではほぼ半分が例外を採用していました。意味を考えたうえで、例外を採用したのでしょうか。そういう人もいるでしょうが、原 則と例外のうちどちらを採用するかを考えるのではなく、何も考えずに例外の方だと思い込んでしまうことが多かったのではないでしょうか。そうであれば問題 です。

 何も考えずに例外を採用したとき、その結果、正しい答えになっていれば幸運ですが、間違っていた場合には(十中八九間違いなわけですが)、二重にみっと もないということを覚えておくべきです。意味を取り間違えた点でみっともないだけでなく、andが「同一の品詞、同一の形、同一の機能、同一の時制のもの を結ぶ」という原則を知らないかのように思われてしまうのですから。間違えるにしても、例外と判断すべきものを原則の側だと判断して間違ったのであれば、 まだ救いがあります。ほとんど無意識のうちに例外を採用して間違えるのは最悪だと思っておくべきなのです。

代名詞の処理
 つぎに2.の代名詞の処理についてみていきましょう。もう一度2.をみてください。

2. In such a spirit on my part and on yours we face our common difficulties. They concern, thank God, only material things.
2.1 幸運なことに、共通の困難は物質的なことにのみ関連しているだけなのです。
2.2 さいわい、彼らが心配しているのは物質的なものだけだ。

 1.の並列の処理では、例外を採用するべきだと主張する余地がないわけではありません。しかし2.の代名詞の処理の場合には、2.2は間違いだと断言で きます。代名詞の処理に関するかぎり、2.1が正解です(言葉の選択などでは、まだまだ工夫の余地がありますが)。

 代名詞には解釈が難しい場合がたくさんありますが、普通はじつに単純です。代名詞は基本的に名詞の繰り返しを避けるために使われるもので、ひとつ前にで てきた名詞を受けるのが通常です。ですから、代名詞がでてきたら、その前に遡っていって、その代名詞に置き換えられる名詞を探せばいいのです。もちろん、 theyの場合なら、単数の名詞ではありえません。複数形の名詞か複数の名詞のはずです。そうやって探していって、最初に見つかった言葉を指していると考 えれば、十中八九正しいのです。またしても十中八九で、例外が少なからずあります。たとえば意味上、最初の語では矛盾があり、いくつか前の語を指している ことがありますし、前ではなく、後ろにある語や文を指す場合もあります。また、文法書をみると、代名詞の特殊用法がいくつも指摘されています。それでも、 これが原則であることはしっかりと確認しておくべきです。

 この原則にしたがって原文をみていくと、このtheyの前にある複数の名詞は、まずはdifficultiesです。その前にはdaysがあり、複数扱 いのpeopleがありますが、このpeopleを指すと考えるのは無理です。なぜかというと、第1に意味上、これは過去の時代の国民だからですが、第2 に、theyを主語とするセンテンスの動詞がconcernであり、受動態ではなく能動態だからです。受動態であれば人を主語にとり、2.2の訳文にある 「心配する」といった意味になりますが、能動態の場合はものやことを主語にとり、意味が違ってくるからです。この点は英和大辞典など、大きな辞書で確認し ておいてください。もうひとつ、theyには世間一般の人を指す特殊な用法がありますが、この場合に特殊な用法だと解釈できないことは、動詞が concernであることから明らかです。

 2.2が典型ですが、代名詞の処理は意外に間違えやすいものです。なぜ間違えやすいかというと、英語と日本語で代名詞、とくに人称代名詞の性格が大きく 違うからです。以下をみてください。

代名詞が指すもの
日本語
太郎の話だが……彼1 ……次郎……彼2 ……三郎……彼3 ……
「彼」はいずれも太郎を指すことが多い
英語
John .... he1 .... Richard .... he2 .... Bill .... he3 ....
he1はJohn、he2はRichard、he3はBillを指すのが原則

 このように、日本語と英語では代名詞の使い方が違うので、日本語の感覚で英文を読んでいると、間違えることが多いのです。

 上のtheyの場合にはもうひとつ、人称代名詞という印象が強いという問題があります。人ではなく、ものやことを指す場合がかなりあるので、注意が必要 でしょう。

語の繰り返しの避け方
 もうひとつ、代名詞に関連して、日本語と英語にはかなり目立つ違いがあります。英語の代名詞は基本的に、同じ語の繰り返しを避けるための方法のひとつと して使われます。この点を確認しておくと、英語の代名詞の性格が理解しやすくなりますし、その他にも、日本語の感覚で読んだときに死角になりやすい点がい くつかあることも理解できるはずです。

 英語で同じ語の繰り返しを嫌うという点は、たぶん、英文ライティングを学んだ人なら、たたき込まれてきたはずです。同じ語を繰り返し使うと、教養のない 文章だとされるのです。日本語にはない感覚ですから、日本人が英文のライティングを学ぶときに、真っ先にこの点を指摘されるのが普通でしょう。

 同じ語の繰り返しを避けるためにまず使われるのが、言い換えでしょう。英文ライティングの教師に、別の語に言い換えるよう求められ、そのためにシソーラ スを使うように指示されたはずです。シソーラスとは日本語でいえば類語辞典ですが、英語のシソーラスと類語辞典では、普及度がまるで違うようです。英語圏 では、文章を書くときになくてはならない道具として、シソーラスが普及しています。

 日本語ではどうでしょう。最近は優れた類語辞典がいくつか出版されていますし、とくに優れた類語辞典をインターネットで自由に検索できるようにもなって います。以前に紹介した翻訳訳語辞典が掲載されているサイト、DictJuggler.netに「類語玉手箱」があります。これは翻訳家の藤本直氏が30 年の歳月をかけて作成したもので、翻訳にあたってきわめて便利な辞書です。言葉の選択に迷ったときに使ってみてください。

 しかし日本語の類語辞典は、執筆を職業にしている人にはある程度知られているとしても、文章を書くときに必須の道具だといえるほどにはなっていません。 一家に一冊あるようなものではないのです。類語辞典がそれほど普及していない理由は簡単です。日本語では英語と違って、同じ語を繰り返し使うのを嫌わない し、同じことを別の言葉に言い換えると、無用の混乱を招きかねないとすら考えられています。

 もっとも、日本語でも同じ言葉の繰り返しを嫌う場合があります。たとえば、「その日の午前中に急に大阪に行くことになった」と書くと、近頃のお節介な ワープロ・ソフトでは、同じ助詞の繰り返しを避けるようにと注文をつけてくることがあります。また、「〜することができることになった」というように「こ と」を繰り返すのも、嫌われます。

 文法では語を内容語と機能語に分類することがあります。普通の名詞や動詞など、何らかの意味を伝える語を内容語といい、助詞など、文法的な機能だけを示 す語を機能語というのです。この分類を使うと、日本語では機能語の繰り返しを嫌う傾向があるのに対して、英語では内容語の繰り返しを嫌う傾向があるといえ ます。英語ではたとえば、ofとかheとかの言葉は何度でも繰り返し使えますが、たとえばmaterialといった言葉では、繰り返しを嫌って、何とか言 い換えようとします。

 英語で内容語の繰り返しを避けるために使われる方法が主に3つあります。第1に代名詞、代動詞などを使う方法、第2に別の内容語で言い替える方法、第3 に省略する方法です。内容語の繰り返しを嫌うことをよく意識しておかないと、とくに第2の方法がとられたときに読み違えることになりかねません。また、翻 訳の技法という観点では、英語の原文で内容語の繰り返しを避けた部分で、たとえば代名詞を使うか、別の語に言い替えた部分で、同じ内容語を使って訳すこと ができる点に注意しておくべきです。内容語の繰り返しを嫌わない日本語の性格をうまく活かすと、誤解されにくい文章を書くことができる場合が少なくないの です。

5文型
 以上を前提に、3.をみていきましょう。

3. More important, a host of unemployed citizens face the grim problem of existence, and an equally great number toil with little return.
3.1 さらに重大なことは、多数の失業者が生活の残酷な問題と、また膨大な低賃金労働と格闘している点です。
3.2 さらに重大な問題は大勢の失業者たちが存続の危機に瀕していることと、同様に多くの国民が低賃金の重労働を強いられていることである。

 ここでandが何と何を並列しているのかを考えていくと、一筋縄ではいかないことに気づくはずです。訳例の3.1では、the grim problem of existenceとan equally great number toil with little returnとが並列されていると考えています。ですがこの場合、an equally以下は名詞句でなければならず、number toilの部分のつながりが説明できなくなります。結局、3.2のように、a host of unemployed citizens face the grim problem of existenceとan equally以下とが並列されているとみるのが適切だと思えます。

 ですがその場合、an equally以下は節になり、an equally great numberが主部、toilが動詞だと解釈することになりますが、不定冠詞からはじまる単数形の主部にtoilという動詞がつくのは奇妙ではないでしょ うか。三単現のsがつくはずではないでしょうか。

 そう考えてみていくと、andの前の節も、不定冠詞からはじまる主部に対して、動詞がfaceであり、三単現のsがついていないことに気づくはずです。 これはなぜなのでしょうか。文法上の問題にはなかなか解決がつかないものもありますが、多くはなぜなのだろうと疑問をもったときに、問題の半分は解決して います。これは主語と述語動詞の一致の問題なのだろうと考えたとすれば、問題は大部分解決しています。ここで主部はa host of unemployed citizensですが、その中心はcitizensで、これをunemployedと、もうひとつ、manyに似たa host ofが形容しているのです。この場合、a host ofは量ではなく、数を意味しているので、複数扱いになります。

 この点が分かると、toilになっている理由も簡単に分かるはずです。an equally great numberは、a host ofの言い替えに近く、この後ろにあるべきof citizensが繰り返しを避けて省略されているのです。つまり、and以下は、an equally great number (of citizens)がS、toilがVの第1文型であり、with little returnはVを修飾する副詞句で、この全体がa host of unemployed citizens face the grim problem of existenceと並列されているのです。

 このように構文を分析し、原文の文型を矛盾なく解釈できる結論を探し出せば、原文の読みを間違えることは少なくなるでしょう。

 ですから翻訳にあたっては、主語、述語、目的語、補語といった点を確認する必要があります。もちろん、一読して意味が簡単に分かる場合には、こうした点 はほとんど意識しません。というより、主語や述語などが無意識のうちに判断できる場合には、意味が分かるというべきかもしれません。しかし、どうも疑問が あるとか不安があるとかの場合、センテンスの主語は何で述語は何で、目的語や補語がどうなっているかを確認することが重要になります。

 学校英語ではこれを5文型という形で教えています。中学高校のときに学んだはずです。SV、SVC、SVO、SVOO、SVOCという5文型です。

 この5文型という見方のもとになったのが、C. T. Onions, An Advanced English Syntax, 1903(C.T.アニンズ著、安藤貞雄訳『高等英文法』文建書房、1969年)です。1903年というと明治36年ですから、日本が英語教育法を積極的 に取り入れていた時期にあたります。当時の最先端だった文法理論がいまでも学校英語で教えられているわけで、時代後れだとする意見もあります。5文型には いろいろと問題もあるので、時代後れだとするのももっともだといえる部分がありますが、翻訳のためには役立つ方法であることもたしかです。

 翻訳にあたってなぜ5文型が役立つかというと、英語と日本語では構文についての考え方が大きく違うからです。英語では、SV、SVC、SVO、 SVOO、SVOCという順序はきわめて重要です。疑問文や倒置構文などで、S、V、O、Cの位置が変わることがありますが、それでも文中の位置はきわめ て重要です。これに対して日本語には、文中で各部分の位置をかなり自由に変えられるという特徴があります。この点をたとえば、三上章がこう指摘していま す。

……「甲が乙に丙を紹介した」の如きは動詞以外の三単位の順序が交換できる点でいわば 枝状をなしている。……
甲が\
乙に−  紹介した
丙を/
三上章著『現代語法序説』(くろしお出版)16ページ

 つまり、以下の書き換えが可能なのです。
甲が乙に丙を紹介した。
甲が丙を乙に紹介した。
乙に甲が丙を紹介した。
乙に丙を甲が紹介した。
丙を甲が乙に紹介した。
丙を乙に甲が紹介した。

 日本語の場合、助詞があるために、文中の各部分がどのような関係にあるかが明確になっていますが、英語には助詞にあたるものがなく、格変化もないので (ごく一部にはありますが)、SやO、Cの関係は位置によって示すしかありません。位置が違えば関係が変わり、意味が変わるのです。日本語と英語のこの違 いはきわめて重要です。日本語の感覚で英文を読んだときに盲点になりやすいのです。

 ですから、意味がどうもよくつかめないという場合、限界があることは認識しつつ、5文型の考え方で原文を分析してみるべきです。

パンクチュエーション
 この部分ではもうひとつ、第2段落第3センテンスンに6つあるセミコロンにも注意すべきです。

 英語では19世紀初めごろに規範文法が普及しています。規範文法とは、一読しただけではなかなか理解できない文章を正しく読解するための文法ではなく、 正しい文章の書き方を示す文法です。恥をかかない文章の書き方というわけです。この結果、たとえば語順やスペルなどがほぼ統一されたほか、コンマ、ピリ オッド、コロン、セミコロン、ダッシュ、括弧などの符号の使い方も、ほぼ統一されるようになりました(18世紀までは、これらの点にかなりばらつきがあっ たのですが)。

 ですから、原文にたとえばこのセミコロンが使われていれば、大部分の場合、正しい使い方で使われていると考えることができます。文法書などでパンクチュ エーションの使い方を調べてください。コロンやセミコロンは小さく目立たないので、気づかなかったり、無視したりすることがありますが、しっかりと確認し ておくべきです。

その他の間違えやすい点
 以上にあげたこと以外にも、文法事項で間違えやすい点がいくつかあります。

 ひとつは挿入です。第2段落第2センテンスのthank Godが典型であり、括弧、ダッシュ、コンマで囲うのが普通です。このthank Godのように短く、単純な挿入であれば間違えることはまずないでしょうが、ときにははるかに長い挿入もあるし、挿入のなかにまた挿入がある場合もありま す。挿入であることに気づかないと、構文をうまく理解できなくなる場合があります。

 否定も意外に間違えやすい点です。文否定か語否定かはそのひとつですが、文否定の場合に、動詞にnotをつけるのではなく、主語や目的語にnoをつける 場合があります。この形の否定については、英文法書を参照してください。たとえば江川泰一郎著『英文法解説』の§67と§99Dが役立ちます。今回の範囲 でも第4段落の第1センテンスと第2センテンスでこの方法が使われています。

 時制と仮定法も間違えやすい点です。日本語と英語では時の考え方が違い、仮定の表し方が違うからです。そのため、原文にある時制や仮定法を見落としやす いという問題がありますが、もうひとつ、見落とすことなく正確に読んだとして、それをどう日本語であらわすのかも問題です。たとえば、第4段落の第2セン テンスについて質問を受けましたので、その点について考えてみましょう。質問は以下のセンテンスと、前回に比較的優れているとして紹介した訳文に関するこ とです。

We are stricken by no plague of locusts.
われわれはイナゴの大群に襲われたわけではないのだ。

 この原文にはたしかに難しい点があります。前述のように、ここでは目的語にnoをつけた形の否定になっています。また、strickenというのはめっ たに使わない古い表現で、ふつうならstruckになります。しかし質問はareが分からないというものでした。なぜこのbe動詞が分からないかという と、優れているとされた訳文では「襲われた」になっているのに、原文は現在形だからというのです。「被害にあっている」と訳した人もいましたが、原文は現 在形であって、現在進行形ではないので、ますます疑問が大きくなるというのです。

 これはじつに面白い質問で、翻訳でたえずぶつかる問題をじつにするどく突いた問題だといえます。なぜかというと、「襲われた」という訳は正しいのかとい う質問ではなく、なぜこのbe動詞が現在形なのかという質問だからです。このような質問になった理由は、たとえば次のように訳文を変更すると理解できるは ずです。

われわれはイナゴの大群に襲われるわけではないのだ。

 これでは日本語になりません。だから、「襲われた」と訳しているのです。こう訳したとき、be動詞が現在形になっていることをとくに意識したかどうかは 疑問です。訳す前に原文を読んだときにはたぶん、現在形で書かれていることを確認したでしょうが、実際に訳す段階になると、もうその点は忘れて、理解した 意味を表現することだけを考えているはずです。だから、be動詞が現在形なのに、「襲われた」でいいのかと質問されると、答えにつまるのではないでしょう か。

 つまり、原文のこの部分が現在形であることをとくに強く意識しなければ、素直に「襲われた」と訳し、それで何の問題もないはずなのに、現在形であること を意識しだすと訳せなくなるのです。そのため、この原文は正しいのかが疑問になります。

 翻訳にあたって原文が間違っているとことはたしかにあります。原文を書いているのは人間なのですから、これは当然です。原文が間違っていることはたしか にある。しかし、翻訳で困ったとき、原文が間違っていると考えるのは、最後の最後の手段だと考えておくべきです。ふつうは読み方が間違っているのであっ て、原文は間違っていないのですから。まして、この原文のように重要な文書の場合には、何重にもチェックされているはずですから、原文の誤りはまずめった にないと考えておくべきです。それに、原文を読んだとき、この部分の現在形に違和感をもつことはないはずです。違和感をもつのは、翻訳をするとき、あるい は、他の人の訳文をみて、「襲われた」と訳されているのに気づいたときでしょう。ここで時制が問題になるのは、日本語への翻訳のときだけなのです。

 翻訳のときになぜ、このbe動詞の時制が問題になるのかを考えていくと、じつに面白いテーマが浮かび上がってきます。本が1冊書けるぐらいのテーマで す。たとえば、英語の受動態と日本語の受身形の違いという問題もあります。話しはじめればきりがありませんから、いくつかの点だけを指摘しておきます。

 真っ先に考えておくべき点は、この「た」が過去を示すのかでしょうか。この点は、以下の3つの意味を少し考えればあきらかでしょう。

電車が来る
電車が来た
電車が来ている

「来る」は現在形で「来た」は過去形だという見方がありますが、実際の会話でどう使われるかを考えてみれば、この見方がいかに奇妙かがすぐに分かります。 「電車がなかなか来ないね」「もう来るよ」というとき、電車はまだ来ていないし、遠くに見えてもいません。はるか遠くに姿が見えたとき、実際に到着するま でにはまだ数分かかるとしても、「電車が来た」といいます。「来ている」というのはたとえば、改札口からホームに止まっている電車が見えたときでしょう。 要するにこの場合、「来る」も「来た」も「来ている」も、過去、現在、未来という時を示す表現として使われているわけではないのです。

 「た」が本来、過去を示す助動詞ではないことは、「今度お会いしたときにお話します」という表現をみてもあきらかです。この「た」が過去を示しているは ずはありません。

 ではなぜ、「襲われた」は過去だと感じるのでしょうか。英語教育で過去は「た」であらわすと教えられてきたからではないでしょうか。おそらく、日本語に は本来、過去、現在、未来という時制の感覚はなく、ヨーロッパの言語を学ぶようになって、過去形の訳語として、もともとは確認や完了をあらわす言葉だった 「た」を過去の表現に流用するようになったのでしょう。このため、「た」は過去をあらわすとはかぎらず、過去は「た」で表現するとはかぎらないのではない でしょうか。この点を確認しておくことは、翻訳にあたってきわめて重要だと思います。

 じつは、英語の現在時制、過去時制、未来時制も、時を示す表現だとは言い難い面があります。英文法書を読むと、現在時制には現在の事柄をあらわす場合 と、過去の事柄をあらわす場合と、未来の事柄をあらわす場合があると書かれています。過去時制にも未来時制にも、現在の事柄をあらわす用法があります。時 制とは何なのか、時を示すものなのか、疑問に思えてくるはずです。おそらくは、英語にも日本語と同じ問題があったのでしょう。英語の世界にも、当初は過 去、現在、未来という時間の感覚がなく、近代になって、他の表現を流用して、現在時制、過去時制、未来時制などが作られたのではないかと思います。英語の 時制に例外が多いのは、そのためなのではないでしょうか。

文法書をそろえよう
 とはいえ、翻訳を行うには、文法知識が不可欠です。原文を読んですぐに意味が分かるのであれば、文法知識の必要はないのですが、読んですぐに意味が分か るのであれば、じつのところ、翻訳の必要はないのです。原文を読んでも簡単には意味が分からないから翻訳が必要になります。ですから、翻訳を行うのであれ ば、文法が不可欠であり、文法書を何冊かそろえておくことが必要になります。

 いくつかの文法書を紹介しておきましょう。まず以上で参考にした文献をあげ、つぎに皆さんがそろえておくべき文法書の例をあげていきます。

参考資料
柴田耕太郎著「翻訳講座  文法編」(未刊行)
C.T. Onions, An Advanced English Syntax, 1904(アニアンズ著安藤貞雄訳『高等英文法』)

各人でそろえておくべき英文法書の例
江川泰一郎著『英文法解説』(金子書房)
安藤貞雄著『現代英文法講義』(開拓社)
安井稔著『英文法総覧』(開拓社)
堀口俊一・吉田劭著『英語表現文法』(聖文社)
レナード・デクラーク著安井稔『現代英文法総論』(開拓社)
村上陽介著『英語正読マニュアル』(研究社出版)
細江逸記著『英文法汎論』(泰文堂)

 最後に日本語文法の本をひとつだけ紹介します。

三上章著『象は鼻が長い』(くろしお出版)

 これは参照用においておく本ではなく、一度は読んでおくべき本です。日本語には主語はないと主張した本であり、翻訳を柔軟に行えるようにするために、必 読の本だと思います。

(2008年7月号)