翻訳講義 (4)
 山岡洋一

明晰 な訳文を書くために

 
 前回には構文解析について説明しました。原文を正確に読むことは翻訳の出発点です。とくに原文の文法構造を正確につかむことは、翻訳の基礎の基礎であ り、この点で間違いが多いようでは話になりません。

 ですが、これは出発点にすぎません。翻訳の質は最終的に訳文の質で、つまり日本語の質で判断されます。そこで今回は、日本語の質を高めるために考慮すべ き点をとりあげます。前回までの講義にしたがって、フランクリン・ローズベルトの第1期大統領就任演説の第1〜第4パラグラフについて、訳文を改定しても らいましたので、今回は改定された訳文をさらにどう改良すべきかを考えていきます。みなさんの翻訳からいくつかの例をあげますが、いずれも改定後のもので す。

構文の複雑な原文の訳し方
 まずとりあげるのは、原文の構文が複雑な場合の訳し方です。第1パラグラフの第4センテンスとその訳例をあげます。

原文1
So, first of all, let me assert my firm belief that the only thing we have to fear is fear itself―nameless, unreasoning, unjustified terror which paralyzes needed efforts to convert retreat into advance.

訳例
1.1 ですからまず初めに、我々が恐れなければならない事はたったひとつの恐怖、つまり後退から前進へと転換する為に必要な取り組みを麻痺させる、名状しがた い、理屈に合わない不当な恐怖感そのものである、という私の確固たる信念を主張させていただきたい。
1.2 そしてまず、真に恐れなければならない唯一のことは、後退を発展へと変えるために必要な努力を無効にしてしまう、恐れそのもの(つまり名状しがたく、不合 理で正しくない恐怖)であるという信念を私に述べさせてください。
1.3 では、まず最初に、私の確固たる信念を主張させて下さい。その信念とは、我々が恐れなければならない唯一のものは、恐れそのものであるということです。表 現しがたく、理屈に合わず、筋の通らない恐怖。これは、後退を前進へと転換するために必要な努力を麻痺させるのです。

 まず、原文の構造を確認しておきましょう。このセンテンスは大きく4つの部分に分けることができます。

@ So, first of all, let me assert my firm belief
A that the only thing we have to fear is fear itself
B ―nameless, unreasoning, unjustified terror
C which paralyzes needed efforts to convert retreat into advance.

 ここで、@が主節、Aは接続詞のthatに導かれた名詞節であり、beliefと同格で、その内容を説明しています。Bはダッシュにみちびかれていて、 fearの言い替え、Cはterrorを先行詞とする関係代名詞、whichを主部とする関係詞節です。主節があって、その中の目的語をthat以下で説 明し、その節の補語をダッシュ以下で言い替え、さらにそれを説明する節が後ろにつくという形になっています。少し複雑な構造になっていますが、複雑すぎる ことはなく、訳し方を考えていくのに最適だと思われます。

 そこで3つの訳例をみていきましょう。これは改定版から選んだものです。第1回訳文の全員分を読み、優れた翻訳を参考にして改定したわけですから、どの 訳もかなりよくなっています。ですが、全員の訳が同じになったわけではなく、訳し方にかなりの違いがあることが分かるはずです。言葉の選択という点でも工 夫の余地はありますが、その点は無視して、前述の4つの部分をどのような順番で訳しているのかをみていきましょう。

 まず1.1は、@-A-C-B-A-@という順番に訳しています。1.2は若干の違いがあり、Bを括弧内で処理していますが、順番としては1.1と同じ です。まずは頭の部分を訳し、つぎにいちばん後ろを訳して、前に戻ってくるという訳し方です。これは英文和訳で常識になっている訳し方です。

 つぎに、1.3をみてみると、順番が大きく違っています。@-A-B-Cと、前から後ろに、原文通りの順番に訳しています。これは英文和訳の常識からは 外れていますが、通訳、とくに同時通訳で一般的な訳し方です。同時通訳では、前から順番に訳していくしかないからです。たとえば1.1のように訳そうとす ると、let me assert my firm beliefの部分を最後に訳すわけですから、この部分はまだ訳していないことを覚えておかなければなりません。つぎにwhich paralyzes needed efforts to convert retreat into advanceの部分を訳すときには、そのひとつ前にあるnameless, unreasoning, unjustified terrorもまだ訳していないことを同時に覚えておかなければなりません。このような訳し方では記憶能力に負担がかかりすぎるので、前から順番に訳して いくしかないのです。

 英文和訳では後ろから前に訳し、同時通訳では前から後ろに訳していきます。翻訳ではどうでしょうか。翻訳の際には原文が手元にあるわけですから、同時通 訳の場合とは違って、記憶力の制約を気にする必要はありません。ですから、前から後ろに訳していかなければならないわけではないといえます。そして、翻訳 にあたって英文和訳の訳し方を使わなければならないとする理由もありません。ですから、翻訳にあたっては自由に表現を考えていけばいいのです。場合によっ て、前から後ろ、後ろから前のどちらの方法も使いますし、どちらでもない訳し方を使うこともあります。どのような方法を使っても、原文の意味を読者に伝え るために最善を尽くせばいいのであって、それ以外に制約条件はありません。

 別の例をみてみましょう。第1パラグラフの第1センテンスの途中からと、その訳例です。

原文2
I am certain that on this day my fellow Americans expect that on my induction into the Presidency I will address them with a candor and a decision which the present situation of our people impels.

訳例
2.1 私は、仲間であるアメリカ国民の皆さんが、大統領就任式において、私が国民の現状況を駆り立てる誠実と決心を持って演説することに期待していると 確信しています。
2.2 そして、私は確信しています。今日、この日に、大統領就任にあたって、誠実さと国民全員の現在の状況が期待する決意を持って、あなた達に演説する ことを期待していると。

 この原文もやはり、接続詞や関係代名詞によって、大きく4つの部分に分かれています。

@ I am certain
A that on this day my fellow Americans expect
B that on my induction into the Presidency I will address them with a candor and a decision
C which the present situation of our people impels.

 ここにあげた2つの訳例がどのような順番で訳しているかをみてみましょう。2.1は@-A-B-C-B-A-@です。英文和訳型の典型的な訳し方だとい えます。2.2は少し違っていて、@-A-B-C-B-Aです。@をはじめに訳しきっていて、最後に戻ってくる方法をとっていないところが、2.1との大 きな違いです。部分的にではあっても、前から後ろに訳す方法をとっているといえます。

前から訳す理由
 以前は翻訳というと、英文和訳式に後ろから前に訳していくのが常識でした。このために、問題が起こっていました。今回の例では原文のセンテンスが大きく 4つに分かれているにすぎないので、じつのところ、前から訳そうが後ろから訳そうが、それほどの違いはないともいえますが、英文ではもっと構造が複雑に なっていることも少なくありません。そのときに後ろから前に訳していく方法をとると、訳文が複雑になりすぎて、理解が難しくなるという問題がでてきます。

 実際のところ、英文のセンテンスがたとえば例2のように接続詞や関係代名詞によっていくつもの部分に分かれているとき、構造が複雑だというのは、英文和 訳式に訳そうとしたときに訳文の構造が複雑になるという意味であって、英文の構造自体が複雑であるとはかぎりません。例1でも例2でも、@からCまでの各 部分はそれぞれ独立してひとつの意味を伝えています。@からCまで、順番に読んでいけばそれで全体の意味が容易に理解できるようになっています。どこにも 複雑な点はないといえるはずです。ところが、これを英文和訳式に理解しようとすると、とたんに複雑な構造になるのです。

 もう少し複雑な例を紹介しましょう。

例3
  The object of this Essay is to assert one very simple principle, as entitled to govern absolutely the dealings of society with the individual in the way of compulsion and control, whether the means used be physical force in the form of legal penalties, or the moral coercion of public opinion. (J.S. Mill, On Liberty)

  この論文の目的は、用いられる手段が法律上の刑罰というかたちの物理的な力であるか、あるいは世論の精神的強制であるかいなかにかかわらず、およそ社会が 強制や統制のかたちで個人と関係するしかたを絶対的に支配する資格のあるものとしてひとつの極めて単純な原理を主張することにある。(塩尻公明・木村健康 訳『自由論』24ページ、岩波文庫、1971年)

 原文は少し細かく分けると、以下の7つの部分に分かれています。

@  The object of this Essay is  
A  to assert one very simple principle,
B  as entitled to govern absolutely
C  the dealings of society with the individual
D  in the way of compulsion and control,
E  whether the means used be physical force in the form of legal penalties,
F  or the moral coercion of public opinion.

 これに対して訳文は、@-E-F-E-C-D-C-B-A-@になっています。明快で論理的な原文から、千鳥足のように迷走していて、理解しにくい訳文 が生まれています。

 この訳文が理解しにくい理由のひとつは、読者の記憶に負担がかかりすぎることです。「この論文の目的」が何なのかは、最後まで読まなければ分かりませ ん。だから、この部分がまだ完結していないことを覚えておかなければなりません。同時通訳者が後ろから前に訳そうとするとぶつかるのと同じ点が、読者に とって問題になります。翻訳の際には手元に原文があるし、何といってもスピードがきわめて遅いので、記憶力の制約を気にする必要はないのですが、読書のス ピードははるかに速いので、この点が問題になります。

 このような点を考えると、前から順に訳していった方が明晰で論理的な訳文になると思えるはずです。このため、いまでは翻訳にあたってはなるべく前から順 に訳していく方法をとるべきだという考え方が主流になってきています。

後ろから訳す理由
 しかし、英文和訳で後ろから前に訳していく方法がとられているのは偶然ではありません。英文和訳の方法は明治中期以降に確立した翻訳方法を基礎にしてい ます。そして、明治中期以降に後ろから前に訳していく翻訳方法が確立したのは、根拠があるからなのです。それを示す例を2つあげます。

例4
  The flow of the river is ceaseless and its water is never the same.  The bubbles that float in the pools, now vanishing, now forming, are not of long duration:  so in the world are men and his dwellings. (Anthlogy of Japanese Literature from the Earliest Era to the Mid-Nineteenth Century, Donald Keene, Grove Press, 1960)
 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみか と、またかくの如し。(鴨長明『方丈記』)

例5
 The months and days are the travellers of eternity.  The years that come and go are also voyagers.  Those who float away their lives on ships or who grow old leading horses are forever journeying, and their homes are wherever their travels take them.(ドナルド・キーン訳『対訳 おくのほそ道』、講談社インターナショナル、1996年)
 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。(松尾芭蕉『おくのほ そ道』)

 これはどちらも日本語で書かれた古典を英訳した例ですが、逆の方向に、つまり英語から日本語に翻訳すると考えたときにどうなるかをみてみましょう。

 翻訳する例4の英文のうち、The bubbles that float in the poolsの部分を日本語に訳そうと考えたとき、前から訳すのが正解でしょうか、それとも後ろから訳すのが正解でしょうか。以前に翻訳には正解はないとい う話をしましたが、この場合は例外です。もともとの原文は日本語で書かれているのですから、この部分は、「よどみに浮かぶうたかたは」と、後ろから前に訳 していくのが正解です。

 例5のThose who float away their lives on ships or who grow old leading horsesにも同じことがいえます。「舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は」と、後ろから前に訳していくのが正解なのです。

 ここで『方丈記』と『おくのほそ道』を例にあげたのは、どちらもヨーロッパ言語からの翻訳で日本語が大きく変わる以前に書かれたものだからです。現在の 日本語の原型を作ったのは、夏目漱石、森鴎外らでしょうが、漱石は英文学者でイギリスに留学しているし、鴎外もドイツに留学していて、ヨーロッパの言語か らの影響を強く受けています。鴨長明や松尾芭蕉はそのような影響を受けていないので、『方丈記』や『おくのほそ道』は日本語の本来の形を示しているといえ るはずです。そして、日本語では、たとえば「うたかた」という語を「よどみに浮かぶ」という節で修飾しようとすると、前にもってくるのが自然なのです。こ れに対して英語の場合は、ドナルド・キーンの訳が示すように、関係代名詞を使って後ろにおくのが自然だといえます。

 したがって、関係代名詞の限定用法は後ろから前に訳すという原則が明治半ば以降に確立し、それが学校英語の英文和訳にも取り入れられたのは、日本語らし い訳文にするためだったのです。

後ろから訳したときの問題
 では、日本語らしい訳文にするはずだった訳し方で、例3のように理解しにくい訳文ができるのはなぜなのでしょうか。日本語らしい文章であれば、読みやす く理解しやすくなるはずではないでしょうか。

 例1の原文を図式化すると、以下のような構造になっています。

@ let me assert my belief
A that A is B
B        B is C
C            C is D

 英文和訳の原則通りに訳すと、訳文の構造は以下の図式のようになります。

@ わたしは
A Aは
C   Dであるところの
B               Cであるところの
A                            Bである
@ と主張する

 原文の論理構造はじつに分かりやすく明快です。これに対して、訳文の構造はまわりくどくなっています。つまり、The bubbles that float in the poolsなら、「よどみに浮かぶうたかたは」と訳せばいいのですが、英文ではこのように修飾の関係が一重だけで終わるとはかぎらないのです。二重、三 重、四重になっていきます。そうなるともう手に負えなくなります。いかにも翻訳調の文章になり、日本語らしく、読みやすく理解しやすい文章ではなくなる可 能性があります。

 いかにも翻訳調という印象を与える文章にしたくない場合には、前から後ろに訳していく方法を取り入れるのがいいでしょう。そのとき、何重にもなっている 修飾関係のすべてにわたって、前から後ろに訳していかなければならないわけではありません。日本語らしい素直な文章では、「よどみに浮かぶうたかたは」と いう形になるのですから。

 そこで、訳例1.3の最初の部分をもう一度みてください。前から後ろに順番に訳していく方法がとられています。

1.3
では、まず最初に、私の確固たる信念を主張させて下さい。その信念とは、我々が恐れなければならない唯一のものは、恐れそのものであるということです。

 ここで注目したいのは、「その信念とは」です。原文には、「その信念とは」にあたる語句はないと思えます。強いていえば、接続詞のthatに含まれてい る意味を表面にだしたといえます。いずれにせよ、前から後ろに順番に訳していくときには、ひとつのセンテンスをいくつにも切って訳すことになるので、この ような工夫によって各部分をつなぐことが不可欠です。その際には、原文をセンテンス単位ではなく、パラグラフ単位でみていくことも重要です。とくにつぎの センテンスとのつながりがどうなっているかに注目するべきです。

 そこで課題です。原文2の訳例2.1の順番だけを変えて、幾通りに訳せるかを考えてみてください。訳語はなるべく変えず(もちろん、納得ができない言葉 があれば変えてもいいのですが)、順番だけを変えるとどうなるかです。もう一度、原文と訳例2をあげます。

原文2
I am certain that on this day my fellow Americans expect that on my induction into the Presidency I will address them with a candor and a decision which the present situation of our people impels.

訳例2.1
私は、仲間であるアメリカ国民の皆さんが、大統領就任式において、私が国民の現状況を駆り立てる誠実と決心を持って演説することに期待していると確信して います。

 たとえば、以下があります。

2.1b
私は確信しています。仲間であるアメリカ国民の皆さんが、大統領就任式において、私が国民の現状況を駆り立てる誠実と決心を持って演説することに期待して いると。

2.1c
私は、仲間であるアメリカ国民の皆さんが、こう期待していると確信しています。大統領就任式において、私が国民の現状況を駆り立てる誠実と決心を持って演 説すると。

 ほかにもさまざまな訳し方があります。幾通りもの訳し方があることを念頭において、もっとも優れた文章を選ぶのが翻訳です。

パラグラフの論理構造を理解する
 翻訳にあたっては、原文をセンテンス単位ではなく、パラグラフ単位でみていくべきだという話をしましたので、パラグラフについて、少し触れておきます。

 英語のパラグラフにあたるのは日本語の段落でしょうが、段落に関しては論理構造という観点から考えることはあまりないように思います。段落が長い文章は 読みにくいという先入観があります。ですから、長くならないところで切っておこうとすることが多いようです。こういう感覚が強いため、翻訳書では、「読み やすく」したいということで、原文のパラグラフをいくつもにも分けていることがあります。これがいかにとんでもないことかは、パラグラフの論理構造を考え るようになると、あきらかになると思います。

 日本語の段落が長さを基準にしていることが多いとするなら、英語のパラグラフは論理を基準にしていることが少なくありません。ひとつのパラグラフでひと つの点を論じるのが普通です。1行で論じることができれば、1行で1パラグラフになりますが、かなりくわしく論じる必要があれば、1ページ以上にわたって 1つのパラグラフが続くこともあります。パラグラフの区切りは論理の区切りですから、翻訳にあたってパラグラフを切ったりつないだりすることには、きわめ て慎重になるべきです。原文ではかなり長いパラグラフを短く切っていくと、一見、読みやすい文章になるように思えますが、実際に読んでいくと、論理の流れ が理解しづらいという結果になることが少なくありません。英文のパラグラフはとても重要なのです。

 日本語の段落は、長くなりすぎないように切っておこうといった程度のものであることが多いため、英語のパラグラフについても、論理構造があまり意識され ないのが普通でしょう。学校英語で教えられたことはあまりないはずです。パラグラフの論理構造という点を教えられたことがあるとすると、たぶん、英文ライ ティングを学んだときでしょう。とくに論理的な文章を書く際には、パラグラフの論理構造をしっかりさせるように教えられるはずです。

 そういう観点から書かれた本のひとつ、篠田義明著『コミュニケーション技術』(中公新書)の74-79ページから、パラグラフ構造の典型例を示しておき ましょう。

(1) 並列型
Aとは…である。(総論)
    a1とは…である。(各論)
    a2とは…である。(各論)
    a3とは…である。(各論)

(2) 直列型
Aとは…Bである。(総論)
        Bとは…Cである。(各論)
              Cとは…Dである。(各論)
                       Dとは…Eである。(各論)

(3) 分析並列型
Aは…B、C、Dである。(総論)
    Bは…である。(各論)
        b1は…である。(各論)
        b2は…である。(各論)
    Cは……である。(各論)
        c1は…である。(各論)
        c2は…である。(各論)
    Dは……である。(各論)
        d1は…である。(各論)
        d2は…である。(各論)

(4) 分析直列型
Aは…B、C、Dである。(総論)
    Bは… aである。(各論)
        aは… bである。(各論)
        bは… cである。(各論)
    Cは… dである。(各論)
        dは… eである。(各論)
        eは… fである。(各論)
    Dは… gである。(各論)
        gは… hである。(各論)
        hは… iである。(各論)

 実際のパラグラフ構造はもっと複雑な場合もありますが、このような基本構造を頭にいれておくと、原文の構造が理解しやすくなります。そして、原文のパラ グラフの構造をしっかりとつかめれば、明晰な訳文を書く一助になります。具体例として、課題の第2パラグラフをみてみましょう。

原文6
In such a spirit on my part and on yours we face our common difficulties. They concern, thank God, only material things. Values have shrunk to fantastic levels; taxes have risen; our ability to pay has fallen; government of all kinds is faced by serious curtailment of income; the means of exchange are frozen in the currents of trade; the withered leaves of industrial enterprise lie on every side; farmers find no markets for their produce; and the savings of many years in thousands of families are gone.

 第1センテンスが総論です。このセンテンスの最後の言葉はdifficultiesです。そしてつぎの第2センテンスでは、difficultiesを Theyと言い替えたうえで、説明を加えています。篠田義明の分類では、ここまでは直列型です。「Aは……Bである。Bは……Cである」という形になって います。

 つぎの第3センテンスはセミコロンで区切られた8つの部分で構成されています。この第3センテンス全体は前の2つのセンテンスとどういう関係になってい るでしょうか。「Aは……Bである。Bは……Cである」を受けて、つぎにCの具体例をあげているのです。では、たとえば、taxes have risenと、our ability to pay has fallenの関係はどうなっているのでしょうか。原因と結果の関係だととらえた人が多かったのではないでしょうか。第3センテンスの8つの部分がいずれ もセミコロンだけで区切られていて、接続詞などが使われていない点に注目すれば、ここだけ因果関係だととらえるのは少し奇妙だと感じませんか。奇妙かもし れないと感じたのであれば、この8つの部分が単純に並列されていて、それぞれがCの具体例である可能性を考えてみるべきでしょう。

 ここで、少し注目しておくべき点をあげておきます。まずは、パラグラフの構造を確認しておきましょう。このパラグラフの構造は、以下のようになっていま す。

Aは…Bである。(総論)
    Bは…Cである。(各論)
       Cには… C1がある。(具体例)
           C2がある。(具体例)
           C3がある。(具体例)
           C4がある。(具体例)
           C5がある。(具体例)
           C6がある。(具体例)
           C7がある。(具体例)
           C8がある。(具体例)

 ここで、前述のように、Bは第1センテンスの終わりにあるdifficultiesと、第2センテンスの初めにあるTheyですが、Cは第2センテンス の終わりにあるmaterial thingsです。この点から、各センテンスの初めと終わりがとくに重要であることが分かります(第1センテンスの初めも、前の段落の終わりを受けた言葉 です)。これは偶然ではなく、センテンスで初めの言葉と終わりの言葉が重要な位置を占めていることは、それほど珍しくはありません。この2つのセンテンス は構造が単純なので問題はないのですが、もっと複雑な構造の場合には、前から訳すか、後ろから訳すかを考えるとき、この点を考えてみるべきです。たとえば 原文がこういう構造になっている場合です。

A is B
   which is C
         which is D.
                    D is E
                          which is F.
                                     F is H.

 原文がこのような構造になっているとき、訳文を英文和訳の公式通りにすると、つぎにようになります。

AはDであることろのCであるところのBである。
        DはFであるところのEである。
                FはHである。

 原文がまっすぐに進む構造であるのに対して、訳文が酩酊したような千鳥足になることが分かるはずです。翻訳にあたっては、原文のセンテンス単位に訳して いくことが多いはずです。センテンス単位でみたとき、前から訳そうが後ろから訳そうがそれほど違いがないと思える場合でも、つぎのセンテンスの訳文とのつ ながりを考えると、前から訳した方がいいというときがあります(もちろん、後ろから訳す方がいいときもあります)。ですから、翻訳にあたっては、センテン スではなく、もっと大きい単位で、少なくともパラグラフの単位で検討していくべきです。そして、前からでも後ろからでも訳せるように、技術を磨いておくべ きです。

 第1パラグラフと第4パラグラフの構造はもう少し複雑ですが、極端に複雑というわけではありません。論理構造を考えていくと、訳文をもっと改良できるは ずです。第1パラグラフから第4パラグラフまでを再度改定してください。

(2008年8月号)