翻訳についての断章

山岡洋一

巨人の腰にぶらさがる

 
 翻訳の実務にたずさわる立場からいうなら、どういう翻訳を目指すべきか、翻訳はどうあるべきかといった点は、本来、考えをめぐらせるまでもない自明の理 だといえます。一流の翻訳をよく観察し、徹底して真似られるようにすればいい。これだけであって、これ以外の点は考えるだけ無駄というものです。馬鹿の考 え休むに似たりなのです。

 こういう話をすると、おそらく、すぐに疑問がわいてくるはずです。一流の翻訳とはどういう翻訳なのか、誰の翻訳なのか、一流の翻訳と一流でない翻訳をど う見分ければいいのかといった疑問です。本来なら、この疑問に対する答えも考えるまでもないほどはっきりしています。世の中で一流とされている翻訳が一流 の翻訳です。世の中で権威があるとされている翻訳が一流の翻訳なのです。

 この点は、違った分野について考えていけばすぐに理解できるはずです。たとえば、スポーツの分野で、一流の野球選手とはどういう人か、一流のテニス選手 とはどういう人かという疑問をもつ人がそうそういるとは思えません。プロ野球や大リーグ、ウィンブルドンなどで活躍している選手が一流であることは誰でも 知っています。

 翻訳でも四半世紀ほど前には、一流の翻訳とはどういう翻訳なのかと疑問をもつ人はそれほど多くはなかったと思います。一流の大学の有名な教授が訳して、 一流の出版社から出版されているのが一流の翻訳だとされていたのです。こういうと権威主義的だったのですねといわれるかもしれませんが、そんなことはあり ません。大リーグという一流の場で一流の成績を残している有名選手が一流の野球選手だというのと同じで、世間の健全な常識が健全な常識として通用していた というにすぎません。

 ですが、四半世紀ほど前ですら、この健全な常識を疑う声はかなりあったように思います。一流の大学の有名な教授が訳して、一流の出版社から出版されてい る翻訳書がほんとうに一流なのか、じつは支離滅裂で酷い翻訳なのではないか。そういう話をはじめて聞いたのは、もう四十年近く前のことです。ですから翻訳 を職業にするようになったとき、世間で一流とされている翻訳を真似る方法ではうまくいかないかもしれないと考えていました。そして、世間で一流とされてい る翻訳がほんとうのところは一流でない可能性があるのなら、世間が納得するような肩書や経歴などがまったくない状態で翻訳に取り組んでも、思わぬ機会が開 けるかもしれないとも考えていました。

 ですから、世間で一流だとされている翻訳とは違う方向を目指してはいたのですが、そのころには、これを真似ればいいという手本が、少なくとも手近には見 当たらない状況でした。いわば手さぐり状態で前に進むしかなかったのです。

 しかし人は誰でも運に恵まれることがあるようで、あるとき、思わぬところに一流の翻訳があることに気づきました。ある意味で、権威とは対極にあるともい える部分、翻訳家という肩書しかない人が訳したエンターテインメント小説のなかに、ほんとうに素晴らしい翻訳があることに気づいたのです。

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 なかでも衝撃的だったのは、村上博基訳のル・カレ著『スマイリーと仲間たち』(ハヤカワ文庫)でした。冒頭の第1段落を読んだだけで、これはすごいと 思ったのですが、原文と比較したとき、驚きは倍加しました。訳文と原文はこうです。

 一見関係のないふたつの出来事が、ミスター・ジョージ・スマイリーを、そのあやぶま れた引退生活からよびもどすことになった。最初の出来事の背景はパリ、季節はうだるような八月、例のごとくパリジャンが、灼けつく日ざしと、バスでくりこ む団体観光客に、街を明け渡すときであった。

Two seemingly unconnected events heralded the summons of Mr. George Smiley from his dubious retirement.  The first had for its background Paris, and for a season the boiling month of August, when Parisians by tradition abandon their city to the scalding sunshine and the bus-loads of packaged tourists.

 なぜ衝撃的だったかというと、翻訳ではないのではないかと思えるほど質の高い日本語で書かれていながら、原文にきわめて忠実で、一語一句が丁寧に訳され ていたからです。

「こなれた訳文」などといわれる翻訳は、それまでにもみてきましたが、たいていは、訳しにくい語句を省略するなどの方法をとっていて、いうならば豪傑訳の 一種だというべきものでした。ですが、原文から離れて好き勝手に書いてもいいのであれば、翻訳は簡単です。翻訳が難しいのは原文があるから。原文に忠実に 訳すのは翻訳者としてあたりまえの責務だと思うのですが、忠実に訳そうとすると、当時の権威ある翻訳のように、日本語にならなくなる。原文を読んだ方が楽 だと思えるような訳文ができあがります。翻訳に取り組むなかでこのジレンマを痛感していたので、いうならば肝心要の点から逃げているにひとしい「こなれた 訳文」なんぞがいいと思うはずがありません。村上博基の翻訳は、「こなれた訳文」とはまったく異質でした。好き勝手に書くのではなく、原文に忠実に訳し て、しかも、原文の意味を見事に伝え、日本語としての質の高い文章になっているからです。翻訳という作業はそもそも綱渡りのような曲芸に等しいと思うので すが、村上博基訳はいうならば、両手を後ろ手に縛ったまま綱渡りをしているような奇跡的な訳文だと思いました。

 たとえば、his dubious retirementを「そのあやぶまれた引退生活」と訳し、by traditionを「例のごとく」と訳し、bus-loads of packaged turistsを「バスでくりこむ団体観光客」と訳す。当時はまだ、辞書にない訳語を使うと「意訳」だといわれかねなかった時代なので、英和辞典などない かのごとくに、自由自在に日本語を使いこなす訳文は、まさに驚きでした。このときの驚きから、「辞書にない訳語の辞書」が必要だと思うようになり、「翻訳 訳語辞典」(DictJuggler.net)を作成することになるのですが、それはまだ先の話です。

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 こういう名訳があるのだと気づくと、じつはエンターテインメント小説の分野には、一流の大学の有名な教授が訳して一流の出版社から出版されている翻訳書 とは、まったく違う伝統があることがみえてくるようになりました。

 村上博基の翻訳でいえば、1960年代の終わりに訳されたマクリーン著『女王陛下のユリシーズ号』という極め付きの名訳があります。他の翻訳者に目を向 ければ、芝山幹郎のキング著『ニードフル・シングズ』や土屋政雄のイシグロ著『日の名残り』などがあります。こうした翻訳を原著と対照させながら読んでい くと、まさに真似すべき一流の翻訳家が、数は少ないが何人かはいることが分かってきました。

 もちろん、経済・経営などの硬い分野の翻訳を行っているわけですから、村上博基らの翻訳を文字通りの意味で真似るわけにはいきません。たとえば、 dubiousを「あやぶまれた」と訳す機会はまずめったにないのです。ですから、真似ができるのは基本的には翻訳についての考え方、姿勢といった部分だ けです。この部分を真似るためには、優れた翻訳家の訳文と原文を比較対照するだけではだめです。いうならば、具体例から抽象的な理論を導き出す作業が必要 です。

 この点でもある日、幸運に恵まれました。酒井邦秀著『どうして英語が使えない?』(ちくまライブラリー、後にちくま学芸文庫)という本に出会ったので す。当時、知り合いの翻訳者のなかで、著者はいわば、伝説の翻訳家とでもいうべき人として尊敬されていました。それで、この本がでたときに是非とも読むべ きだと勧められたのです。読んでみて、驚きました。やはり、第1段落から、これはすごいと思える本でした。

 英語のwaterの意味は「水」ではなく、headの意味は「頭」ではありません。 また、a fewは「二、三の」ではなく、of courseは「もちろん」ではありません。

 この「翻訳通信」で論じていることにうちかなりの部分は、酒井邦秀著『どうして英語が使えない?』を種本としています。たとえば一対一対応への批判は、 この本から学んだものです。この本に出会ったことで、村上博基らの名訳に示されている具体例から、経済・経営などの分野にも適用できる考え方、戦略を考え られるようになったのです。

 その後、酒井さんにお会いして、さまざまな点を直接に学ぶことができるようになりました。とくに『国富論』の既訳の批評会などで、アダム・スミスの原著 の読み方を学べたのは幸運でした。それがなければ、『国富論』の翻訳はできなかっただろうと思えるほどです。

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 以上にあげたのはみな、同時代の人たちですが、優れた翻訳とその背景にある考え方のルーツを探っていくと、巨人というべき偉大な翻訳家が何人かいること が分かってきました。たとえば、明治初期に活躍した福沢諭吉や中村正直は正真正銘の巨人です。この点、とくに中村正直については「翻訳通信」の2006年 12月号などで何度か取り上げていますので、詳しくは論じませんが、ミルのOn Libertyを訳した『自由之理』が自由民権運動の起点になったという事実を考えてみるだけで、偉大さが分かるはずです。中村正直はいまの感覚でいえ ば、訳したのではなく、ミルの原著を読んで解釈した結果を自分の言葉で書いています。だからこそ、当時の読者に感動を与えることができたのでしょう。

 中村正直がこの本のキーワードのひとつであるsocietyの理解に苦しんだのは有名な話です。この語に「仲間連中(即ち政府)」などのさまざまな訳語 をあてたことに対しては、明らかな誤訳だと指摘する人もいます。明治も中期以降になると、societyの訳語として「社会」が定着します。中村正直のよ うな「誤訳」は少なくなったといえるでしょう。また、原著を読んで解釈した結果を自分の言葉で書く手法は、不正確だとして嫌われるようになり、原文に最大 限に密着する翻訳方法、翻訳調で訳す方法が確立します。原文に忠実になった代わりに、中村正直の翻訳にみられたような力を失い、日本語としての完成度は低 くなります。これがその後、一流大学の有名教授が訳して一流出版社から出版される翻訳書のスタイルとして定着するようになります。

 一流とされている翻訳、権威があるとされている翻訳がじつは支離滅裂で酷い翻訳だというのは、プロ野球の人気チームが草野球のチームより弱いようなもの で、あってはならないことなのですが、それでも、いくつかの点を無視してはならないと思います。

 第1に、明治半ばに確立した翻訳のスタイルはその後、戦後の高度経済成長期までの間、欧米の進んだ知識を学ぶための手段として、重要な役割を果たしてき たことです。中村正直のような巨人が苦労したsocietyという概念を、いまのわたしたちが苦もなく理解できるようになっていることを考えるだけで、欧 米の知識を日本語で学べるようにしてきた人たちの偉大さが分かるはずです。いわゆる翻訳調のスタイルは、ある時期には合理的で適切なものだったのです。問 題は、このスタイルが作られたときの状況、このスタイルが合理的であるために不可欠な状況がなくなっても、使われつづけていることです。

 第2に、明治半ば以降も、たとえば明治大正期の森鴎外や戦後の吉田健一らの巨人がいて、原文に忠実に訳すという翻訳調の良さを取り入れながら、日本語と しての質の高い翻訳を行ってきました。少数派とはいえ、この伝統があったからこそ、前述の村上博基、土屋政雄、芝山幹郎らの名翻訳家が生まれたのだと思い ます。

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 このような話をしてきたのは、とくに若い学習者に単純な点を伝えたいからです。自分らしさを追求するのはやめた方がいいという点です。自分探しとか自己 実現とかがいま、若者の間で流行しているので、翻訳学習者にも同じように考える人が多いのでしょう。ですが、自分らしさを追求していけば、幼稚になり空疎 になるだけです。自己を実現したのでは目もあてられない結果になるだけです。それよりは福沢諭吉や中村正直、森鴎外、吉田健一といった巨人の作品を読んで みるべきです。巨人の伝統を受け継いだ名翻訳家の作品を味わってみるべきです。

 自分らしさなどない方がいい。自分なりの意見などない方がいい。背伸びをしても、何の役にもたちません。それよりも巨人に注目する方がいい。巨人の肩に 乗れないまでも、巨人に憧れ、巨人の腰にぶらさがることができれば、随分遠くを見ることができるようになるのですから。

(2007年7月号)