翻訳についての断章
 山岡洋一

いま 翻訳に求められていること

  中堅の出版社の社長と話す機会があった。社長と部下の編集者はワインを飲み、酒に弱い翻訳者はウーロン茶を飲んで、翻訳物を中心とする出版 界の現状を論じ合った。こういう場ではいつもそうだが、このときも本が売れない、とくに堅い本が売れないという話になった。社長の話はこうだった。

「最近の若者は本を読まない、以前の大学生なら難解な本を喜んで読んだのに、いまでは少しむずかしい本はまったく読んでくれない、だからほんとうに読みや すくて分かりやすい本をだせと発破をかけているんですがね、なかなかうまくいかないもんです。編集の仕事をしていたときは気づかなかったが、採算に責任を 負うようになると、サプライ・ドリブンではだめ、デマンド・ドリブンでなければ出版は成り立たないと痛感します。いまは本を買うのがはじめてという読者 か、1年に1冊か2冊しか本を買わない読者が喜んで読んでくれる小説が狙い目だ、そんなことは世の中の動きをみていればすぐに分かるはず……」

 なるほど、セカチューのような本をだせ、というわけだ。少し前にはハリポタのような本を探せ、チーズのような本を探せと発破をかけていたに違いない。そ ういう社長の下ではたらく編集者が気の毒になってきた。そこで口をはさんだ。

「それって大変なことじゃありませんか、下戸に酒を売るような話で……、下戸でも贈答用とか、理由があると、年に1回か2回は酒を買うわけですけど……」

 しまったと思ったが遅かった。座がすっかり白け、編集者があわてて話題を変えるほどになった。これだから翻訳者はいけない。いつもひとりで仕事をしてい るから、適当に話をあわせる術を知らないのだ。もちろん、そんな翻訳者ばかりではないが。

翻訳主義
 帰りの電車のなかで頭に浮かんだのが、「翻訳主義」という言葉だ。変わった言葉だと思われるかもしれない。そう、変わった言葉だから、印象に残っている のだ。丸山真男と加藤周一の対談『翻訳と日本の近代』(岩波新書)の冒頭で、加藤が丸山に「お聞きしたいこと」のひとつとしてこう述べている。

加藤 …… 三番めが「なぜ翻訳主義をとったのか」ということ。今日の日本とは違って、なぜ、あれほど徹底して翻訳主義をとったのか、という問題です。(3ページ)

「翻訳主義」の意味が書かれていないので、話がどのように展開するのかが知りたくなる。答は43ページ以下にある。後に自由民権運動で有名になる馬場辰猪 (1850−1888年)が英語で日本語文法書を書き、明治6年(1873年)にロンドンで出版されたことを紹介してこう述べる。

丸山 …… 序文は、いま加藤さんのいった、なぜ翻訳主義なのかについて、答えている。じつは、これは森有礼に対する反駁なのです。
 森有礼は森有礼で、Education in Japanという、有名な本があります。『シリーズ・オブ・レターズ』、つまり彼の書簡のシリーズなのだが、ニューヨーク・アップルトンで一八七三年一月 に出ている。この序文で、英語を国語にしろという有名な議論を展開したのです。大和言葉というのは抽象語がないから、大和言葉に頼っていたのでは、とても 西洋文明を日本のものにすることはできない。それで、この機会にいっそ英語を採用しろという議論です。それに対する反駁がこの馬場の序文なのです。この序 文は非常におもしろい。もし、日本で英語を採用したらどうなるか、上流階級と下層階級ではまったく言葉がちがってしまうだろう、という意見を述べた。
加藤 あっ、それはすごいね。今でもインドの大きな問題の一つは、階 級間の深いみぞでしょう。その第一の要因が経済格差、第二の要因が言語。
丸山 すごいんだ。インドの例をちゃんと引き合いに出して、上下と も、国民は同じ言葉をしゃべらなければいけない、と言っている。(44〜45ページ)

 当時の後進国の多くが英語などの外国語を学び、外国語で西洋文明を学ぶ方法をとったのに対して、日本は徹底した翻訳主義をとった、つまり欧米の優れた書 物を徹底して翻訳し、母語で学ぶ方針をとったというのだ。その結果、「上流階級と下層階級ではまったく言葉がちがってしまう」事態を日本が避けられたので あり、この点と、欧米以外の国ではじめて近代化を達成できたこととの間に関係がなかったとは思えない。翻訳主義をとったからこそ、いまの日本があるとすら いえるかもしれない。

翻訳調と二重構造
 だが注意しておくべき点がある。日本でも翻訳主義の結果、上流階級と下層階級では言葉が微妙に違う状況が生まれているのである。この点は 柳父章が『近 代日本語の思想−翻訳文体成立事情』(法政大学出版局)で指摘している。翻訳によって西洋文明をとりいれていくにあたって、日本語の文体が変化したと論じ ているのだ。翻訳によって「主語」が作られ、「文」が作られ、文末語が作られ、要するに翻訳調というべき新しい文体が作られたという。

 翻訳調は当初、蘭語、英語などの学習のために作られ、翻訳に使われた文体だ。身近なところでは、学校英語の英文和訳で使われる文体だと考えればいい。柳 父がこの本で指摘しているのは、この文体が翻訳以外の文章に使われ、近代日本語が作られたという点である。つまり、翻訳のために「英文和訳調」とも呼ぶべ き文体が作られ(実際には独文和訳や仏文和訳などにも使われるのだが)、それが翻訳以外の文章に使われるようになったのである。「英文和訳調」で翻訳され た知識を、日本語で解説し、理解し、日本に適用するために使われたのが「翻訳調」だということもできるだろう。

 翻訳調についての柳父の指摘でとくに面白いのは、「第一章『主語』は翻訳で作られた」(1ページ以下)で1889年(明治22年)の大日本国帝国憲法が 翻訳調だと論じている点だ。たとえば、明治憲法の冒頭部分はこうだ。

第一条 大日本国帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依り之ヲ行フ

 このように、明治憲法の条文のほとんどが「〜ハ」ではじまっており、たとえば五箇条の御誓文の「広ク会議ヲ興シ、万機公論ニ決スへシ」とは文体がまるで 違うと論じ、「大日本国帝国憲法のこの異常な日本語文体は、翻訳の結果として出現した」(7ページ)と、柳父章は指摘する。この翻訳調が法律、教育、学術 論文などに使われるようになり、さらには小説でも使われるようになって、「現代口語文」と呼ばれるようになったという。柳父はこう指摘する。

 翻訳による変化は、歴史的にみれば、偶然であり、突然である。言葉にとって、それ は、強圧的な変化である。人々はやがて、それに慣れる。しかし、歴史的な伝統が、それによって一挙に変わるものではない。歴史の伝統、言葉の伝統というも のを考えるとすれば、その変化はもっとゆるやかであろう。外圧的な変化は、伝統的な流れとは、かなり次元の違ったところで起こっているようである。そこ に、いわば文化の二重構造が造られていく。その構造もまた、外圧による変化とともに、容易に崩れることはないだろう。(126〜127ページ)

 翻訳主義の結果、「文化の二重構造が造られ」たことになる。「現代口語文」という名の翻訳調文章体を使う「知識人」と、正真正銘の口語を使う庶民という 二重構造である。

 最近の若者は本を読まない、以前の大学生なら難解な本を喜んで読んだのに、いまでは少しむずかしい本はまったく読んでくれないと出版界は嘆いている。二 重構造という観点からこの現状をみると、何かがみえてくるはずだ。

世代間の違いなのか
 じつのところ、若者が本を読まなくなったというのは決まり文句であり、決まり文句のつねとして、誰もまともに論証していないように思える。だからほんと うのところは分からない。若者というときに無意識のうちに対象にしているのは大学生だろうが、たとえば大学進学率が10%ほどだった1960年代と、 50%になったいまとを比較すれば、大学生のうち本を読む人の比率が下がったとしても、少なくとも出版界にとって深刻な問題になるほどかどうかは分からな い。60年代に大学生のうち50%が読書好きだったとすると、いまの大学生の90%が本をあまり読まないとしても、読者層の比率は変わらないことになる。 だが、その点はさておいて、若者がたしかに本を読まなくなったとして、話を進めていこう。

 若者が読まないとされているむずかしい本とはまさに、英文和訳調で訳されたか、翻訳調で書かれた本である。いまでも、翻訳書のかなりの部分は英文和訳調 で訳されているし、法律家や官僚、研究者や学者が書く文章も大部分が翻訳調で書かれている。その一方で、話し言葉は文章体からますます遠ざかるようになっ ている。柳父章が指摘した文化の二重構造はまだ消えていない。消えていないどころか拡大しているように思える。若者がむずかしい本を読まなくなったとすれ ば、この二重構造が「知識人」と大衆という形であらわれていると同時に、中高年と若者という世代間の対立という形でもあらわれていることになる。

 中高年の立場からは、世の中で学ぶ価値があるもの、学ぶべきものはかなりの部分、むずかしい本に書かれている。だから、若者がむずかしい本を読まないの は由々しき事態であり、こんなことでは日本の社会や文化の将来は暗いとすら思える。出版社の経営が成り立たなくなるといった程度の話ではないのだ。だが 「いまどきの若者は……」という嘆きは何千年も前から繰り返されてきたという。だから、これもそのひとつにすぎないのであれば、とくに心配する必要もな い。いまどきの若者もいずれ中高年になるのだから、むずかしい本を読む必要があることに気づいて、必死に読むようになるはずだも思える。

 しかし、話はそう簡単ではない。明治時代に翻訳調が確立してからごく最近までの100年間、二重構造のうち翻訳調文化の側を担ってきたのは、つねにその 時代の若者だったからだ。翻訳者や著者もたいていは若かったし、英文和訳調や翻訳調の本を喜んで読む読者は若者が中心であった。そして伝統的文化を担うの が中高年であった。当たり前である。外国の武力に接して真っ先に危機感をもつのは若者だ。外国の未知の文化に憧れるのも若者である。どの時代にも若者は外 国の文化を学びたいという意欲をもち、年をとるとともに伝統の世界に戻っていく。だから、文化の二重構造は、翻訳調文化を支持する若者と、伝統的文化を好 む中高年の世代間対立としてあらわれるのが自然なのだ。

 ところがいま、大酒飲みが焼酎やワインを飲むように教養書をむさぼり読み、未知の世界に憧れてむずかしい本を読んでいるのは中高年、とくに引退して時間 をたっぷり使える高齢者のようだ。大酒飲みの老人がいまの若者は酒もろくに飲めないと嘆いているのである。何かがおかしくないだろうか。

翻訳調の変身
 柳父章は翻訳調について、「漢字、漢文訓読受容以来の異文化受け入れ構造を継承していたとも考えられる」(同上169ページ)と述べ、以下のように論じ ている。

 漢字によるこのような理解の方法は、異文化の意味の理解という問題を考えると、一般 には必ずしも非合理な、非能率なことではない、とも私は考える。異文化の意味は、それが高級な成果であればあるほど、簡単には分からないのがむしろ当然で ある。簡単に分かっては困るとも言える。漢字表現は、多分に意味不明なところを不明なままに伝達する形を採ってきた。……意味は完全には分からないままに とにかく受容し、やがてしだいに理解していく、と言うよりも、新たな意味をそこにつくり出していく。それは、一般に異文化の出会い、異文化の受容、相互理 解の過程にとって、実はたいてい必然的な事実であったのではないか。(同上194ページ)

 異文化に出会い、異文化に憧れたとき、あるいは、自国を守るために異文化を理解しとりいれる必要に迫られたとき、「意味は完全には分からないままにとに かく受容」する手段として使われたのが英文和訳調であり、翻訳調である。そのかぎりでは、翻訳調文化は好奇心が旺盛で、背伸びして未知のものを知りたいと 願う若者に相応しいもののはずである。中高年が担い手になるはずがない。だが、翻訳調の役割はそれだけではない。

 翻訳調は異文化をとりいれるための手段として使われてきたが、同時に支配のための手段としても使われてきた。その典型が法律文だろう。法律文体が翻訳調 であることは、前述のように、柳父章が大日本帝国憲法を例にみごとに指摘している。そして民法、刑法などの法律がすべて翻訳調で書かれ、その結果、たとえ ば官界や学界などで、翻訳調が文章の規範になった。官僚や学者は法律に似た文体、つまり翻訳調が格調の高い高級な文体だと考えた。この感覚はいまでも変 わっていない。この点はお役所の文書や学者が書く論文を読めばすぐに気づくはずだ。いわゆる堅い文章になっている。このため、官僚や学者が書く文章は、 「簡単には分からないのがむしろ当然」で、「簡単に分かっては困るとも言える」ものになっているのである。誰にとって。もちろん庶民にとって。

 翻訳調は、官僚や政治家、学者が書く文章の規範という意味ではあきらかに、中高年を担い手とするものだ。若者文化になるはずがない。若者が翻訳調の文章 を喜んで読むとすれば、それは、「簡単に分かっては困るとも言える」ほど進んだ異文化に憧れ、それを学びたいと熱望しているときだけだろう。

 それほど遠く、それほど進んだ異文化がいま、どこにあるのだろう。

 そう考えると、英文和訳調と翻訳調が作られた明治時代とは状況が様変わりしていることに気づくはずだ。

後進国型文体としての翻訳調
 明治時代には圧倒的に進んだ欧米文化を急速にとりいれる必要に迫られていた。日本が植民地にされないようにするには、それしか方法がなかった。圧倒的に 進んだ知識、しかも広範囲にわたる知識を短期間に受容し吸収する必要に迫られていたのだから、ひとつずつを理解したうえで、意味不明なところを解明したう えで訳す方法をとるのは現実的ではなかった。英文和訳調なら、訳語さえ決めれば、ひとまずは訳すことができる。たとえば原文にsocietyとあれば「社 会」と訳し、natureとあれば「自然」と訳していくことができる。こう訳したとき、訳者は原文の意味を理解していたわけではない。「意味不明なところ を不明なままに」訳したのである。この点については、柳父章が『翻訳とはなにか』(法政大学出版局)や『翻訳語成立事情』(岩波新書)でくわしく論じてい る。

 要するに、後進国だった日本が欧米先進国から急速に知識を受容するためにやむをえず使った手段が英文和訳調であり、それを消化するために使われたのが翻 訳調だったのである。だから、英文和訳調の特徴を一言であらわすのであれば、後進国型翻訳スタイルだということができる。

 英文和訳調と翻訳調はこのような性格をもつものなので、いまの時代にあわないことはほとんど自明なのだ。「簡単に分かっては困る」文章によって既得権益 を守ろうとする人たちの役には立っても、異文化の理解と受容という本来の目的には、もはやふさわしくないものになっているのである。

 少し違った視点からこの点をみると、英文和訳調という方法で進んだ文化を吸収してきたからこそ、いまの日本があるともいえる。だから、英文和訳調と翻訳 調を確立し、英文和訳調によって大量の翻訳を行ってきた先人は偉大である。偉大な人たちの苦労が実って、いまの日本は後進国型の翻訳を必要としないまでに 発達したのだ。英文和訳調と翻訳調は歴史的な使命を果たしおえたのである。

翻訳調からの脱却
 翻訳調が歴史的な使命を果たし、いまや欧米の進んだ文化をとりいれる方法としての意味を失ったことを、若者は敏感に感じ取っているはずだ。支配の手段と してしか意味をもたなくなった翻訳調に、若者は拒絶反応を示している。だから「むずかしい本」、つまり翻訳調で書かれた本や、英文和訳調で訳された本が売 れない。話し言葉の世界から翻訳調の世界に飛躍するための手段として好まれてきた教養書が売れない。若者はじつに健全な反応を示しているのだ。

 だが、若者が翻訳調の本を読まないからという理由で、「分かりやすく読みやすい本」、じつは内容がないから分かりやすいにすぎない本を売ろうとする出版 人が健全だとは思えない。未知の世界に興味を持たない若者というのは、形容矛盾といえるほどありえないことだ。子供は誰でも好奇心が旺盛だ。知識欲にあふ れている。好奇心と知識欲を大人が押しつぶさないかぎり、若者が未知の世界に興味をもたないわけがない。現状では若者が未知の世界を知ろうとしても、いか にも古臭く、権威主義的な翻訳調で書かれたか訳された本しかないので、需要が満たされない状況になっている。そういう需要を満たしてこそ「デマンド・ドリ ブン」といえる。ハリポタやセカチューのような本をだすのは後追いであり、ダボハゼである。泥鰌〔どじょう〕はそう何匹もいるものではない。

 欧米から学ぶべきことがなくなったわけでもない。欧米にかぎらず、世界のどの地域にも、日本が学ぶべきことはたくさんある。「簡単には分からないのがむ しろ当然である」といえるほど遠くはなくなっただけだ。意味が分からないままとにかく受容する必要がなくなっただけだ。だから、翻訳が不要になったわけで はない。それどころか、意味が分からないまま、英文和訳調で訳されてきた古典や名著をいま、意味を理解したうえで訳しなおす必要もある。

 いま求められているのは、ひとつには英文和訳調に代わる新しい翻訳スタイルだ。「意味不明なところを不明なままに」訳すのではなく、外国語で書かれた原 文の意味を母語で伝える翻訳のスタイルである。

 同時に、翻訳調に代わる文章体が必要になっている。官僚や学者が格調高いと考えている文体は、庶民を煙に巻くには便利でも、論理的な思考に適していると はかぎらないと思える。もともと「意味不明なところを不明なままに」訳すために作られた文体なので、意味を理解していなくてもそれらしい文章が書けるとい う性格をもっているからだ。

 近代日本語は翻訳で作られたという柳父章の指摘が正しいとすれば、翻訳は新しい日本語文体を作る役割も担えるかもしれない。日本語の論理性を活かして、 古今東西の知識をしっかりと吸収し、新しい知識を生み出せるようにする、そういう文体を作る役割も担えるかもしれない。

(2005年4月号)