翻訳今昔物語
山岡洋一

翻訳者にとって一寸先 は……

 
 歳のせいか、何かのきっかけがあると、昔のことを思い出す。そんななかから、翻訳のいまは昔の物語を紹介しよう。体のいい自慢話ではないかと思える点も あるだろうが、ご容赦いただきたい。

 20年ほど前、それまで勤めていた翻訳会社を飛び出し(追い出され、というほうが正確だろうが)、産業翻訳から出版翻訳に仕事の重点を移そうと考えた。 はじめはもちろん、ろくに仕事もないので、市場を調査することにした。自分にできそうなのは経済、経営、政治などの分野なので、この分野でどういう翻訳書 が出版され、誰が翻訳を担い、翻訳の質はどうなのかを調べようと思ったのである。

 1990年代初めのこの時期はある意味で、経済・経営書の黄金期だったと思う。アメリカでいくつも素晴らしい本が出版されていたからだ。その背景になっ たのは、1980年代のアメリカ経済の激動であった。そのなかで経済・金融・経営などについての考え方が大きく変わった。いま、われわれがアメリカ流だと みている考え方の多くは、この時期に登場している。たとえば、金儲けはいいことだという見方、市場の力は至上だとする見方、長年の取引関係や人間関係より ドライな取引を重視する考え方、転職を当然とする考え方などはどれも、この時期に登場している。いや、正確にいうなら、1930年代の大恐慌のときに捨て 去られていた見方が、この時期に復活している。こうして登場した新たな見方、新しい人間像、新しい種類の取引などをテーマとする本がつぎつぎに出版されて いたのだ。

 こうした本はエコノミスト誌やビジネスウィーク誌などで大きく紹介されたので、まずは原著で読み、翻訳書が出版されると原文と訳文をじっくり比較するこ とが多かった。

 1990年代初めというと、エンターテインメント小説の分野では専業の翻訳者がたくさん活躍していたし、質の高い翻訳も多かった。だが、ノンフィクショ ン分野、とくに経済書や経営書の翻訳を専業の翻訳者が依頼されることはめったになかった。一流の学者や評論家の名前で出版されるのが常識だったのだ。だか ら、出版社に営業に行ってもけんもほろろということが少なくなかった。そこで、翻訳書の質を調べ、自分に任せてもらえればもっと質の高い翻訳になると主張 しようと考えた。だから、原文と訳文の比較にあたっては真剣だった。何しろ、一家の生活がかかっているのだから。

 まずは、一流の学者の訳で出されている一般読者向け翻訳書を検討した。正直なところ、悲惨な翻訳だった。訳文にはどのページにも論理の通らない箇所があ り、当時の言葉を使えば、誤訳だらけの欠陥翻訳だったのだ。これを訳した人は経済についても経済学についても何も分かっておらず、英文を読む力もかなり弱 いというのが正直な感想であった。一翻訳者が著名な学者に対して何をいうかと一喝されかねない感想だが、当時、訳者は名前だけというのがある意味で常識に なっていた。実際に訳したのはもう少し前なら弟子の大学院生あたりだったろうが、このころには大学院生すら翻訳を敬遠するようになっていたので、たぶん、 出版社が手配した下訳者なのだろう。

 一流の学者が訳した経済学の有名な教科書を調べてみたが、やはり同じ印象だった。下訳者任せで元訳者は読んでもいないのだろうと思った。じつは何年か後 に、その学者の訳書を担当した編集者と親しくなり、正直な感想を話したことがある。意外なことに、下訳者任せにはしていないとのことだった。毎晩、晩酌を 楽しみながら翻訳をしているというのである。手書きの原稿をわたされるので、本人が訳しているのは確かなのだそうだ。これは衝撃的だった。そして、学者が 使う翻訳調という翻訳スタイルの問題点を考え直すきっかけになった。

 それはともかく、当時も訳者紹介に「翻訳家」と書かれる人が経済書・経営書を訳している例がいくつかはあった。このような訳者は直接の競争相手になるの で、どこに強みがあり、どこに弱点があるのかをしっかり見極めようと考えた。

 そうした翻訳書のひとつは、アメリカ金融業界の内幕を笑い飛ばしたもので、原著を読んですっかり惚れ込んでいた本だ。だが、皮肉たっぷりの笑いというの は、いってみれば知性の最高峰を示すものなので、書ける人はめったにいないし、まして翻訳できる人がそういるはずがないと思っていた。自分にはこの本で勝 負するだけの力はまだないとも自覚していた。ところが驚くなかれ、しばらくして訳書が出版されたのである。訳者は小説の翻訳家で、ユーモア小説の翻訳に定 評があるとの触れ込みだった。一読して深く失望した。ふざけてみせることはできる。笑ってみせることもできる。だが、原著者とは違って、生真面目な文章で 読者を笑わせることはできない。少し考えれば分かるが、当たり前なのだ。金融業界の常識をしっかりと調べたうえで訳そうという姿勢がなかったことは、訳文 をみればすぐに分かる。常識が分かっていないのだから、笑いを伝えることなどできるはずがない。

 この場合は小説の翻訳家が経済・経営分野に進出した例だが、「翻訳家」の肩書きでノンフィクション関係の訳書が多い人が一人だけいた(一人しかいなかっ たのだ)。経済や経営の分野の訳書も少なくない。この翻訳家が活躍しているのだから、学者でも評論家でもない自分にも可能性はあるはずだと思えた。そこ で、いくつかの訳書と原著を買って、検討した。結論からいうなら、この人の訳も悲惨で、これなら負けるはずがないと思えた。

 いまでも覚えていることがある。ある訳書で「千ドル札」という言葉がでていた。ドル紙幣は百ドル札までのはずなので、この訳語はどう考えてもおかしい (実際には過去に千ドル札が発行されたことがあるが、ほとんど流通していない)。それに文脈にも合わない。原著をみると10-Kと書かれていた。Kは通 常、千を意味するので、1万ドルならまだしも、千ドル札というのはいくら何でもありえない。当時、金融関係の翻訳を5年もやっていたので、10-Kが何を 意味するかは知っていた。顧客の担当者に質問などすれば、「馬鹿、10-Kも知らないのか、アメリカ版のユーホーだよ、なに、ユーホーも知らないのか」な どと怒鳴られかねないから、必死になって調べて覚えていた(因みに、ユーホーとは「有報」であり、「有価証券報告書」の略である。株式公開企業が政府に提 出する年次報告書と半期報告書であり、当時は大蔵省印刷局が発行していた)。

 いまなら、インターネットで検索すればすぐに分かるのだが、当時はまだこの武器は使えなかった。それに、どの辞書を引いても、専門用語の辞書ですら、 10-Kが見出し語になっている例はなかったはずだ。なぜかというと、正式にはForm 10-Kだからだ(Form 10-Kは年次報告書、Form 10-Qが四半期報告書だ)。原文には10-Kとしか書かれていなかったので、訳者が分からなかったとしても不思議ではない。では何が問題なのかと思える かもしれないが、じつはこの本には前半で同じ言葉が使われていて、そこでは正しく訳されていた。前半で正しく訳していたのに、後半になってとんでもない間 違いをしているのである。

 ふつう、翻訳者はこういう間違い方はしない。翻訳には強い学習効果があるので、10-Kのように変わった言葉を一度、正しく訳した後に、同じ本のなかで つぎにでてきたときに間違えることはまずない。ではなぜ間違えるのか。理由はたぶん簡単だ。この「翻訳家」は翻訳を行っていないのだろう。何人かを下訳者 として使い、おそらくはチェックもしていない。だから、下訳者のうち一人が正しい訳をしていても、別の人が間違えたときに修正されないままになる(少し調 べて、この「翻訳家」がまさにそうしていることが分かった。翻訳プロダクションの社長のような立場にあるのだ)。

 産業翻訳のうち、慣れ親しんできた部分では通用しない姿勢だとも思った。こんな間違いをすればすぐに顧客から電話がかかってきて怒鳴られる。掃きだめに Iのような女性が営業部門にいて、そういうときには菓子折をもって謝りに行ってくれた。たいていはうまく処理してくれたが、そうはいかないこともあった。 無理偏に怒鳴ると書いて顧客と読むといいたくなる世界だったからだ。たとえばあるとき、日本を代表する金融機関の担当者から電話があって、いきなり怒鳴ら れた。翻訳に重大な間違いがあったというのだ。「低価法」と訳されているが、原文はlower of cost or market methodではないか、market methodはどこにいったという。怒っている顧客には頭を下げるしかないので謝っていたら、ますます激高して、こうのたまわった。この書類は巨額の取引 を検討するための資料だ、この誤訳で損失がでたらどうしてくれるんだというのだ。我慢しきれなくなって思わず声を荒げた。「低価法」というのが正しい訳語 です、もっと勉強してください……。この一言で、大切な顧客を1社失うことになった。

 一寸先は何とか、板子一枚下は何とか、翻訳とはそういう世界だと思っていたので、出版翻訳の世界は何とも悠長だと感じた。これなら負けるわけがないと自 信をもち、経済・経営分野の出版翻訳の質を飛躍的に高めて、ハードルを上げてやろうと考えた。産業翻訳の世界では質の低い翻訳をだしていればいずれ顧客に 嫌われ、価格だけを武器に新たな顧客を開拓せざるをえなくなる。安かろう悪かろうの翻訳で食いつなぐしかなくなり、いつか姿を消していく。出版翻訳でも同 じ仕組みがはたらくようにしてやろうと考えたのである。

 1990年代は失われた10年などといわれているが、出版翻訳者にとって悪い時代ではなかった。著名な学者や評論家が翻訳にかかわるのを嫌う傾向が強ま り、出版社が専業の翻訳者を起用してくれるようになったからだ。その結果、専業の翻訳者がノンフィクションの各分野で活躍するようになり、出版翻訳の質は 全体として大幅に高まったように思う。時代の風潮という追い風を受けて、個人的にも何とか、出版翻訳で生活していけるようになった。だが、出版翻訳のハー ドルを上げていい加減な翻訳家が活躍できないようにする目標が達成できたとは思えない。翻訳プロダクションのような仕組みで安易に翻訳に取り組む人がその 後も何人も登場している。

 プロダクション方式でとくに問題なのは、不案内な分野の翻訳を安易に引き受ける結果になることだろう。翻訳者にとって、不案内な分野の翻訳を引き受ける こと自体には何の問題もない。文系の翻訳者が数学や物理学や生物学などの分野で活躍している例はいくつもある。畑違いのはずの経済・経営分野で一流の翻訳 家になった人もいる。翻訳者は翻訳という仕事のなかで学んでいく。翻訳の学習効果はきわめて高いので、学歴や職歴はどうであれ、ある分野の翻訳に真剣に取 り組めば、その分野に必要な知識を急速に吸収できる。だから、不案内な分野の翻訳を怖がる理由はない。だが、その分野を真剣に学ぶ意思がないのであれば、 まして、下訳者に頼ろうとするのであれば、翻訳は板子一枚下に何があるか分からない世界であることを十分に承知しておくべきだ。

 鹿島茂が日本経済新聞2009年5月26日夕刊に「誤訳と口臭」というエッセーを書いている。ある翻訳書について大量の誤訳があるとの指摘があり、騒動 になったが、指摘した人の試訳の方が間違いだらけで、無性に怒りが込み上げてきたという。名指しはされていないが、誤訳が多いと主張した人、された人が誰 なのかは容易に分かる。問題の本と書評は読んだが、要するに嫉妬だなと感じたことを覚えている。この本の翻訳書を出版するのなら俺に依頼してくるのが当然 だろう、何であんなヤツに依頼したんだ……といっているように読めたのである。このとき、本来なら訳者を守るために静かに動かなければならない出版社が しゃしゃり出て、火に油を注ぐようなことをしたから大騒動になった。まったく馬鹿げた話だったのだが、その後に問題の本に誤訳が多いというのが一般的な認 識になったのだから、世の中は恐ろしい。

 下訳者を何人も抱えてプロダクション方式で翻訳書を量産している「翻訳家」は、こういう恐ろしさを知っているのだろうか。最近、といっても、もうかなり 以前になるが、そうした「翻訳家」の名前で出版された翻訳書に誤訳が多いという話を聞き、読んでみたことがある。はじめは、これならましな方ではないかと 思っていたのだが、ある部分から突然、箸にも棒にもかからないほど酷くなっていた。そこで下訳者が代わり、元訳者がろくに読んでもいないことがみえみえな のだ。インターネットで検索すると、そんな本でも推奨している人が何人もいた。原著が優れていたからだろうが、それにしても読者は翻訳者に寛大なのだ。だ が、寛大さに甘えてはいけない。翻訳者には日本文化の基礎の一角を担う使命があるのだから、読者に怒鳴られることはなくても、もっともっと質の高い仕事を するよう努力しなければいけないと思う。

 それより重要なのは編集者の姿勢である。原著の価値を見極めたうえで、翻訳者を選定するべきだ。どの分野でも一般読者向けの優れた本は少ない。そういう 本は貴重だし、何年も読み継がれる可能性があるのだから、下訳者任せの「翻訳家」に依頼したりしてはいけない。やむを得ず依頼するのであれば、その分野に 明るいフリーの編集者か翻訳者にチェックを頼むべきだ。そのために1か月か2か月、出版が遅れ、余計なコストがかかるかもしれないが、そうするだけの価値 はある。そして、わずかな手間を省いて質の低い本を出版していれば、本が売れなくなるのは当然である。本を殺すのは読者ではない。質の低い原稿を書いてい る執筆者や翻訳者であり、そして何よりも、質の低い本を出版しつづけている出版社だ。なかでも編集者の役割はきわめて大きい。執筆者・翻訳者と読者をつな ぐのが編集者の役割である。この仲介機能が弱くなれば、日本文化の基盤が崩れていきかねない。

(2011年3月号)