第1回翻訳コンテストの結果発表
山岡洋一
優秀作は選べなかった
残念だが、第1回翻訳コンテストは延長戦でも優秀作を選ぶことができなかった。前回よりも良い作品が多くなったが、飛び抜けた翻訳はなかった。そのなか
から優秀作なり佳作なりを選ぶとすると、減点法に頼るしかない。瑕疵の少ない作品を選ぶというのは気の滅入る作業だ。だから、今回は何も選ばないという方
法をとることにした。
今回、いくつもの翻訳を読んでいって、いちばん疑問に思ったのは、日本の現状をどう考えているのだろうという点だった。「失われた10年」という言葉が
あり、いまでは「失われた20年」になったといわれている。では、1990年以降の20年間に何が失われたというのだろうか。大蔵官僚と通産官僚を崇め奉
る見方なのか。万年与党と万年野党の二大政党体制なのか。建造物の耐震性や原発の安全性に対する信頼感なのか。違う。そんなことはいっていない。いってい
るのはたったひとつ、経済成長が失われたという点だ。だから、経済成長を取り戻すために、危機感をもって、思い切った対策を打つべきだというのが、「失わ
れた20年」の意味なのだ。
さらに、延長戦の締め切りが近づいてきたころ、大震災と原発事故が起こり、いわゆる計画停電もあって、エネルギーと資源を浪費する生活を反省する機運が
高まったように思う。
こうした状況を背景に、経済成長は良いことであり、成長が止まったのは危機だという常識的な見方を考え直してみたいと思うのは当然ではないだろうか。
「失われた20年」というが、ほんとうに大切なものが失われたわけではないのではないか。少子高齢化で人口が減少するのは、ほんとうに問題なのか。これら
は経済学の問題ではなく、もっと幅広い問題、いってみれば世の中をどうみるかという問題である。つまり、誰にとっても関心がある問題だ。
そのような観点にたったとき、課題にしたミルの文章は150年ほど前に書かれたものではあるが、今日的な意味をもっているといえるはずだ。常識とは違う
見方であり、たったいま、ぶつかっている問題を考えるうえでヒントになりうる見方だと。だから、何とか学びたいと考え、学んだ結果を読者に伝えたいと考え
る。これが翻訳の基本である。
こんな当たり前のことを書いたのは、全般に、うまく訳したいという気持ちが強すぎるように思えたからだ。もちろん、コンテストという性格上、読む際にう
まく訳せている作品を選ぼうという気持ちがはたらいているからなのかもしれない。だから、読む側に責任がある可能性もあるが、そんな問題を吹き飛ばすほど
力のこもった作品がほしかった。
延長戦という方法をとったことに問題があったのかもしれない。たとえば、前回、最上位にあげたEKさんは、前回の訳をかなり改訂した結果、かえって減点
対象が増えていた。文章を書くときは勢いで書く方が良い場合が少なくない。推敲するほど悪くなるという場合もある。今回の訳はそういう結果になったよう
で、残念でならない。もう一度、原文を細かく、深く読み、前回の訳にこだわらず、新しく訳し直した方が、良い結果になったかもしれない。
TSさんとMSさんの作品は丹念な推敲の結果、前回より良くなった部分が少なくなかったが、飛躍的に良くなったといえるほどではない。前回に名前をあげ
なかったENさんは、原文の読み違えが大幅に減っており、前回より良くなったという点ではいちばん目立ったが、それでも上にあげた3人の作品より優れてい
るといえるほどではなかった。
延長戦になって参加してくれた方のなかでは、NIさんの作品が良かった。次点か佳作に選ぼうかと迷ったのだが、2つの点で断念した。第1に、小さな問題
だが、「むしろ」という言葉が何度も不用意に使われていて、文脈を損ねている。第2に、第2節第1パラグラフで、itが何を指すのかが間違っていた。ある
意味ではこれも小さな問題だが、その結果、この段落の意味が読み取れなくなっているうえ、「定常状態」という言葉の意味が理解しにくくなっているので、決
定的な間違いだと判断した。
残念な結果になったが、この課題文については今後も投稿を受け付ける。うまく訳そうなどと考えず、ミルの主張を読者に伝えることだけを狙った真っ向勝負
の力作を期待している。
(2011年5月号)