おすすめしたいカナダの小説
武舎るみ
アルメニア人大虐殺を知っていますか

 
原題
The Hunger 184頁(Dundurn、1999年)
Nobody's Child 244頁(Dundurn、2003年)
Daughter of War 210頁(Fitzhenry & Whiteside、2008年)
五冊完結予定のシリーズの既刊三冊

著者 
マーシャ・フォーチャック・スクリピック(Marsha Forchuk Skrypuch)
カナダのオンタリオ州在住の作家。1996年に絵本の処女作、1999年にヤングアダルト小説の処女作を発表、現在までに合計12冊を出版している(既訳 書は「スクリパック」名の『希望の戦争』)。ウクライナ系カナダ人。

 このシリーズの主要登場人物のひとりであるポーラは高校一年生。歴史の授業で「自分のルーツを調べなさい」という課題が出る。それをきっかけに、第一次 世界大戦下、トルコ政府が「民族浄化」を唱えてアルメニア人の大虐殺を行った事実を知る。しかもよく考えてみると、近所に住んでいる祖母は大虐殺が行われ ている最中にトルコで生まれたはずだった……
 こうしてポーラのルーツ探しの旅が始まるが、それは生死をかけた拒食症克服の旅でもあった。無理なダイエットを続けて拒食症が悪化した結果、心肺停止の 状態になってしまったポーラは、臨死体験の中でいつのまにか1909年のトルコに来ており、曾祖母のマータと一体になって大虐殺を「体験」することにな る。現代を生きるティーンエイジャーが祖母の出自を追体験する形でこの大虐殺を詳しく知るようになるわけだが、地理的にも時間的にも遠い歴史上の出来事 と、現代カナダのティーンエイジャーとを結びつけているのが、主人公の抱える拒食症という現代の病だ。
 その拒食症に焦点を当てた導入部の第一作The Hungerでは、主人公のポーラが臨死体験のおかげで手にした知恵を頼りに、家族の意味や絆を「頭」ではなく「体」で実感、理解し、拒食症の地獄からな んとか生還を果たす。
 第二作Nobody's Childはポーラの曾祖母マータの姉マリアムの目を通してアルメニア人大虐殺そのものを描き出している。ここでは1909年に曾祖母マータとその姉マリ アム、それに弟オニーグの三人が両親を虐殺されて孤児となるところから始まり、姉マリアムがトルコ人のハーレムに売られたのち、紆余曲折を経て妹マータと 再会するまでを追っている。
 第三作Daughter of Warは第二作を受けて姉妹の「その後」を語るとともに、妹マータの婚約者ケヴォークがマータと別れ別れになってしまってから再会するまでの苦難の旅を描 いており、ポーラの祖母ポーリーンはここで誕生する。
 さらに著者は第四作と第五作も計画しているそうで、第四作ではトルコ人家庭の養子にされた弟オニーグの視点から当時の状況が語られる。オニーグの見方は 姉二人とはまったく異なり、実の家族に「捨てられた」と思い込んでいて、大虐殺についてはトルコ人の目線で書かれるものと思われる。最後の第五作では、著 者は現代に戻ってポーラやポーリーンのその後を追跡したいと言っている。
 著者はウクライナ系カナダ人だが、多民族からなる「人種のモザイク」の国カナダの国民として、同胞のアルメニア系カナダ人にも共感の目を向け、実際に大 虐殺を目撃したりトルコから追放されたりした人々の子孫にインタビューを重ねてこのシリーズを書いた。類似書としてはデーヴィッド・ケルディアン著『アル メニアの少女』(評論社、1990年 http://www.hico.jp/sakuhinn/1a/aruminiano.htm) があるが、これは少女期にトルコからの追放を体験した人が渡米し成人して産んだ息子が、母から聞いた話をもとに著したノンフィクションで、The Hunger でも、ポーラが図書館で見つける本として紹介されている。
 日本ではアルメニア人大虐殺はナチスドイツによるユダヤ人大虐殺ほどは知られていない。インターネットで検索してみたところ、たしかにアルメニア人大虐 殺そのものを解説しているサイトや、欧米各国の政府や人々の反応について解説しているサイトが1,500件以上ヒットした(たとえばこの出来事を人々に知 らせようとしているアルメニア系アメリカ人のロックバンドのことや、タヴィアーニ兄弟が監督してアルメニア人一家の虐殺を描いたイタリア映画『ひばり農 園』(2007年)のことを紹介しているサイトなど)。しかしアルメニア系の住民がいる欧米諸国に比べれば、日本での認知度ははるかに低い。スクリピック のこのシリーズも、世界の「これから」をになっていく世代であるカナダのヤングアダルトに、この歴史的事実をフィクションの形で語り継ごうとするものだ。 スクリピックはカナダ各地の小中学校を精力的にまわって自作を課題図書とする読書会を開き、生徒たちとディスカッションを続けている。こうした読書会で、 本シリーズも取り上げていると思われる。そんな本シリーズを日本語に訳して、日本のヤングアダルトにもぜひ読んでもらいたいものだ。私は翻訳関係の教材作 りが縁で著者と知り合ったが、このシリーズの理解や翻訳に関しては協力を惜しまないと言ってくれているので、本格的に翻訳に取り組むことになれば様々な情 報を提供してくれるだろう。
 このシリーズはフィクションとしても非常に読み応えがあると思う。地道な取材を重ねて書かれたスクリピックの「歴史もの」は、どれも残酷なほどリアルで 迫力に満ちている。ノンフィクションとはまた違って、ヤングアダルトの読者は同世代の少女を主人公にした物語に引きこまれ、登場人物に感情移入をしながら 読み進み、出来事をより鮮烈に体験するのではないだろうか。

……いちばん前の有蓋貨車につかまっていた兵士たちが飛び下りて、幅の広い引き戸を開 けた。すると中から死人や病人の猛烈な腐臭が吹き出してきたので、ケヴォークは倒れそうになった。貨車の中に人間が幾重にも積まれていたのだ。ほとんどが 女子供で、男は老人が二、三人混じっているだけだった。兵士たちは積み重なっている体を銃剣で突っついた。死体がいくつか地面に落ちたが、まだ死んで いない者もいて、鋭い銃剣で突っつかれると意識を取り戻した。 恐怖におののくケヴォークの目の前で、裸の女性が──肋骨が一本一本くっきりと見えるほどやせ細った女性が──よろよろと貨車から降りた。そして後ろに手 を差し伸べると、まだ生きている仲間が降りるのを助けた。少しすると後続の貨車の扉も次々に開けられていった。(Daughter of Warより)

 以上はアルメニア人の惨状を世界に知らせるための写真を宣教師たちから託されたケヴォーク(妹マータの婚約者)が、トルコ西部の港町スミルナを目指して シリア砂漠から危険な旅をする途中に目撃する恐ろしい光景だ。

……食べてはいけない食べ物が山積みになっているのを見たら口いっぱいにつば(・・) がわいてきた。アルミホイルの袋を破り、まだ熱い鶏肉を引きちぎって口に押しこむ。チョコバーの袋を開けようとして、油まみれの指がすべる。中にどろりと したキャラメルが入っている「キャラミルク」だ。袋が開くと、チョコバーをかじって中身をすすった。引き出しを開けて木のスプーンを引っつかみ、アイスク リームを大きくすくい取る。濃厚なチョコレートアイスが口のなかに広がると、ぞくぞくするような満足感が全身を駆け抜けた。次はチェリー・パイだ。(中 略)食べ物があっという間になくなったような気がする。はっと我に返り、その場の惨状に愕然とした。とけたアイスクリームの中には鶏の骨が、食卓や床には 空箱やよごれたサジがころがっている。
 なんてことしちゃったの? 両手は最高においしかった食べ物や飲み物がくっついてベトベトだ。ポーラは小さくうめくと、食卓をこぶしで殴りつけた。だめ じゃないの! なのにあのやぶ医者、私がやせすぎだなんて言って。これだけでも四、五キロは太っちゃうのに。(The Hungerより)

 これは第一作で描かれている拒食症の症状のひとつで、実際の患者に長期にわたって取材しながら書き進めたという。太るから絶対食べてはいけないと自分に 言い聞かせながらも、我慢の反動で極端な過食をしてしまっては無理矢理吐くという行為を繰り返す場面だ。
 大虐殺の惨状や摂食障害の症状だけではない。砂漠へ強制追放された人々が繰り広げる「死の行進」、難民キャンプの地獄、トルコ人のハーレムの様子、出産 の場面なども臨場感をもって描かれているので、読者は過去の歴史的な出来事でも、まるで目の前の現実のように「体験」させられることになる。
 ヒトラーはユダヤ人の大虐殺を実行するにあたり、ポーランドへ侵攻しようとする将校たちに向かってこう言ったそうだ。「ポーランド語を話す人種に属する 男、女、子どもを、慈悲や憐憫をまじえずに皆殺しにすべし。われわれにとって是非とも必要である領土を獲得するには、この方法をおいてほかにない。いずれ にしろ、今日だれがあのアルメニア人皆殺しを覚えているだろうか?」(前掲書 越智道夫訳『アルメニアの少女』より)。ヒトラーの蛮行は世界中の人々が 知っており、若い世代にも繰り返し語り継がれている。そのヒトラーが悪い意味で「手本」にしたアルメニア人大虐殺についても、さらなる周知が必要ではなか ろうか。若い世代が歴史に学び、現在と未来を生きるための叡智を身につける上で参考とすべきことのひとつではないだろうか。
 
(2011年2月号)