一期は夢よ
天才翻訳家、仁平和夫
夭折、といえば人は笑うかもしれない。52歳といえば、孫がいても不思議でない歳、落語の世界ならご隠居さんの歳ではないか。だが、翻訳の世界で50そこそこはいかにも若い。洟垂れ小僧とはいわないまでも、せいぜい尻が青い若造にすぎない。これから20年が勝負のとき、ほんとうに活躍できる時期だ。その年齢で、仁平和夫はひとり静かに死んでいった。
「藤子不二雄のようですね」といわれたことがある。そう思われるのも当然なほど、いつもふたりで出版翻訳に取り組んでいた時期がある。山岡名義で、ふたりの連名で、仁平名義で、いくつもの本を翻訳した。
いつもふたりで仕事をしていたことがじつは、ひとつの点で重い足枷になっていた。仁平和夫の翻訳だけは名訳として紹介できなかったのだ。仲間褒めではないかといわれれば、返す言葉がない。だから、仁平に勝るノンフィクション翻訳家はいないと思ってきたが、仁平の翻訳に注目するよう勧めることはできなかった。
だが、思いも懸けない形で足枷がはずれた。死んでいったものの業績を伝えるのは生きているものの義務だから、仲間褒めだとされるいわれはなくなった。だから何度でもいう。仁平和夫の翻訳は最高だと。
いつも一緒に仕事をしていたといっても、似た者同士ではない。翻訳のスタイルはまるで違う。共訳のときには、わずか1歳だが年長のわたしに合わせてくれていた。1995年ごろ、藤子不二雄流をやめてひとりで翻訳に取り組むようになって、持ち味が活きるようになった。だから、仁平和夫が本来の力を発揮した期間は、5年と少ししかなかったことになる。
仁平和夫の強みは軽妙な文体にある。翻訳というと無味乾燥な文章になるのが通り相場だが、仁平は読んで楽しい訳文を書く。ノンフィクション出版翻訳の文体に、おそらくははじめてエンターテインメントの要素を持ち込んだのが仁平和夫だ。
本人は自分の文章を軽薄と表現していた。だが、その文章が薄っぺらだとはだれも思わないだろう。ごく普通の日常的な言葉に磨きをかけて、経営など、一見日常から離れたことがらを語っていく。落語の名人芸にも通じる文章だ。そして、別冊として発行した『仁平和夫小論集』を読めば、軽妙な文章の背後に、翻訳に対する確固とした姿勢があることもわかるはずだ。
出版翻訳家としての経歴をまとめておきたい。
仁平和夫が出版翻訳ではじめて名前をだしたのは、クーン著『投資銀行』(日経BP社、1990年、絶版)である。その後、ウッドワード著『大統領執務室』(文藝春秋社、1994年、絶版)などの共訳があった。
仁平単独の名義でだしたものとしては、スレーター著『進化する経営』(日経BP社、1994年)が最初であった。この本は『ウェルチ リーダーシップ・31の秘訣』とタイトルを変え、文庫化されて日経新聞社から出版され、いまでも増刷をつづけている。この時期にはもう一点、バーカー著『パラダイムの魔力』(日経BP社、1995年)があり、やはり、いまでも増刷を続けている。動きの早い経営の分野で、刊行から1年を超えて読まれつづける本はめったにない。まして8年にもわたって増刷がある本は数えるほどしかない。内容もさることながら、仁平和夫の翻訳の良さが読者に受け入れられてきた証拠だろう。
仁平和夫が持ち味を発揮しはじめたころの訳書としては、カプラン著『シリコンバレー・アドベンチャー』(日経BP社、1995年)がある。鮮烈な翻訳だ。諸君、帽子をとりたまえ、天才があらわれた、と言いたくなる翻訳であった。立場上、そうはいえなかったのだが。時期がわずかに早かったため、それほど話題にならなかったが、あと2年か3年後に出版されていれば、爆発的に売れたはずである。
つぎに、仁平和夫の名前を出版翻訳関係者に印象付けた本が出版された。コネラン著『ディスニー7つの法則』(日経BP社、1997年)だ。これは文句なしのヒット作、いまでも増刷を続け、20万部を超える大ヒットになっている。ディズニーの顧客サービスの秘密を小説仕立てで紹介した経営書、仁平にぴったりの原作であり、翻訳も見事というしかない。
1998年には、『トム・ピーターズの起死回生』(TBSブリタニカ)が出版されている。翻訳の質という点で代表作とすべきものだと思うので、別項で扱うことにする。芝居の言葉でいうなら、トム・ピーターズははまり役だった。その後も『ブランド人になれ!』『セクシープロジェクトで差をつけろ!』『知能犯のプロになれ!』の三部作がいずれもTBSブリタニカから2000年に刊行されている。
仁平和夫にとって事実上最後の仕事になったのが、2001年秋刊行の『ジャック・ウェルチ わが経営』(日経新聞社)である。不可能とも思えるほど短期間に上下2巻の本を訳すために4人の翻訳家のチームを作り、自分は裏方に回ってなんとか刊行にこぎつけた。
翻訳家仁平和夫の素晴らしさは、いつも裏方に回る姿勢から生まれているのだろう。それが必要なら、翻訳チームのなかで裏方に回る。ひとりで翻訳をするときも、原著者を活かす裏方になる。だから、一点ごとに文体が違う。仁平和夫の翻訳は素晴らしいというと、本人はたぶん、素晴らしいのは原著者で、原著者に恵まれて幸運だったというだろう。