私的ミステリ通信 (第10回)
仁木 めぐみ
事実
は小説より・・・・・
ご無沙汰しておりました。「私的ミステリ通信」です。三ヶ月ほどお休みさせていただきましたが、再開させていただきます。
ミステリ・ファンは驚かされることが大好きです。奇抜な発想、大胆な構成、新しい趣向はいつも歓迎されます。エドガー・アラン・ポーに始まるミステリの
歴史は、そうした驚きの連続だったといっても過言ではないでしょう。その歴史の中で、1946年に新しい趣向をひっさげてデビューした作家がいました。ア
メリカの女流作家、パット・マガーです。
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それ以前のミステリ界にももちろんいろいろな趣向はありました。例をあげると大御所エラリー・クイーンは趣向をこらすのが大好きで、たとえば『ローマ帽
子の謎』(井上勇訳 創元推理文庫ほか)を始めとするいわゆる「国名シリーズ」には、必ず「読者への挑戦状」というのが登場します。これは探偵エラリー・
クイーン(作者と同名の登場人物です)が、推理を披露する前に、作者エラリー・クイーンから「ここまでに手がかりは出そろったので、どうぞ犯人を当ててみ
てください」という読者あてた挑戦状なのです。
こういう茶目っ気を愛するミステリ界に現われたマガーが新鮮だったのは、今まで誰もがミステリと言えば「犯人探し」のストーリーだと思っていた中で、犯
人は最初からわかっている「被害者探し」のミステリを書いたからなのです。
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そのものズバリの題名『被害者を捜せ』(中野圭二訳 創元推理文庫 原題はPick Your
Victim)は発表と同時に大評判になりました。内容を簡単にご紹介しましょう。事件の舞台はワシントンですが、語り手ピートはアリューシャン列島にい
ます。時代は第二次大戦中で、ピートは海兵隊員としてアリューシャン列島に送られてきました。隊員たちは暇をもてあまし、活字に飢えています。そこに隊員
の一人に実家から小包が送られてきます。彼らは中身の缶詰より詰め物に使われていた新聞紙の切れ端に夢中になりました。切れ切れの記事をまわし読みしてい
ると、その中にピートが出征まで四年間勤めていた家事改善協会<家善協>で殺人事件が起こったという記事があったから大変です。記事は途中が破れていて、
犯人は会長で、被害者は役員だとしかわかりません。くわしい状況はわかりませんし、<家善協>には役員が十人もいるので話はややこしいのです。ピートから
それを聞いた隊員たちは、暇つぶしに被害者あての賭けをしようということになります。ピートが同僚のシーラに事情を尋ねる手紙を書き、返事が届くまでの間
に、ピートが知っている限りの状況をみなに話して、それぞれが推理をするというのです。
こうしてピートが語ることになった<家善協>の内情というのはかなり込み入っています。女性たちに家事の能率化や改善を提案するというこの協会の設立者
である会長ポールは、やり手の起業家で、快活な人物ですが、かなりの女好きです。ピートはポールが殺人を犯すとは信じられません。そして問題の役員たちで
すが、ゴシップ好きでひがみ屋のホイッブル、ポールの秘書であり長年の愛人であるアン、ポールの幼馴染で、少年時代にポールの過失で片目の視力を失ったレ
イ、有名な家事評論家であるバーサなどなど、それぞれにひと癖もふた癖もある人物ばかりです。ポールの女性問題をめぐるトラブル、役員同志の競争心、そし
て会を乗っ取る計画など、ピートが勤務していた四年の間に、人間関係はこれ以上ないというほどもつれていたのです・・・・・・。
世間から隔絶され、暇を持て余しているむくつけき男たちが、「家事改善協会」の細かなゴタゴタにおとなしく耳を傾けている様はなかなか微笑ましいものが
あります。<家善協>の紛糾具合と対照的であり、また全体の雰囲気を明るくする役割も果たしています。新聞紙が破れていて被害者の名前がわからないという
のは、「被害者探し」に必然性を出すのに十分で、しかもユーモラスな、なかなか心憎い設定です。
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マガーは『被害者を捜せ!』から5年間、年に1冊ずつ新しい趣向のミステリを発表し続けました。犯人&被害者探し、探偵探し、目撃者探し、そしてもう一
度被害者探し・・・・・・。その後もサスペンスや本格やスパイものなどのミステリを発表し続けますが、こうした犯人探し以外の趣向の作品を発表したのはこ
の初期の5年間だけでした。現在この5作はすべて邦訳が出ているのはうれしいかぎりです。
初期の作品からもう1冊紹介しましょう。被害者&犯人探しの『七人のおば』(大村美根子訳 創元推理文庫)です。2作目であるこの作品でマガーはさらに
その持ち味を発揮しています。
☆結婚してイギリスにやって来たばかりのサリーは夫ピーターと幸せに暮らしています。しかしある日、アメリカの友人からきた手紙を読んで、サリーは驚きま
す。その手紙には「あなたのおばさんが夫を殺して逮捕された」という意味のことが書かれていたからです。その友人の文章がとりとめないせいで、どのおばが
殺人の犯したのかがわかりません。何せサリーにはおばが七人もいて(考えただけでもくらくらするような設定ですよね)、しかも全員結婚しているのですか
ら! 妊娠中であるサリーは自分にも生まれてくる子供にも殺人者の地が流れているのだろうかと悩みます。夜も眠れずに悩むサリーからピーターは、サリーが
イギリスに来るまでの一家の事情を聞きます。
サリーは幼い頃に事故で両親を亡くし、母親の姉クララの家で育てられました。母親は八人姉妹の次女で、資産家フランクと結婚している長女クララが、姉妹
とその夫たちを取り仕切っています。お堅いオールドミスの女教師テッシー、二人の子供を抱えて離婚し、後に再婚するアグネス、アルコール中毒のイーディ
ス、潔癖で繊細で男嫌いのモリー、美人で遊び好きなドリス、フランクに甘やかされ、ぜいたく三昧に育ったジュディ。七人姉妹といえば、それだけでかしまし
いものを、この姉妹はそれぞれに個性的なので、さらに事態は大変です。しかし体裁や世間体をおそろしく気にする長女クララは、この個性的な妹たちをみな常
識的な結婚の枠におさめようとするため、一家ではいつも恐ろしい争いが繰り広げられています。テッシーの婚約者バートを、奔放なドリスが奪いそうになりま
すが、クララは恐るべき強引さでバートを説き伏せ、そのまま結婚させます。のちにドリスがバートと駆け落ちしようとした時も、ドリスの求婚者マイクルと手
を組んで、阻止します。嫁姑関係が原因でアルコール中毒になったイーディスが逃げ出した時は、頑として夫のもとに送り返しましたし、男性を近づけなかった
モリーが少しでも気を許した男性がいたと見るや、一気にその男性、トムと結婚させてしまいます・・・・・・。サリーが引き取られてから大人になるまでの
間、おばたちはそれぞれに無理を抱え、人間関係はいつも一触即発だったのです。
犯人と被害者の名前は翌日、ピーターがアメリカの新聞を調べに行ってわかります。答えはあまり意外ではありませんが、サリーを通して語られるおばたちの
描写は、同じ女性として読んでいても、迫力があり、鬼気迫るものさえあります。そしてこの作品でもまた、『被害者を捜せ!』と同じように、語り手サリーと
ピーターの幸せさと明るさが全体を救っています。
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未訳の作品を二冊紹介しましょう。どちらも「〜探し」という趣向のものではありませんが、よりマガーらしさを発揮させた読み応えのある本格ミステリで
す。
まずDeath in a Million Living
Roomです。エンタープライズという雑誌の調査係メリッサは、TV番組の実情の取材を命じられ、人気コメディアン、ポッジ・オニールの番組にリハーサル
から密着することになります。人気番組を取材できて、人からはうらやまれますが、実はメリッサが取材対象をこの番組を選んだのには個人的な理由がありまし
た。番組の司会、デイブ・ジャクソンとはジャーナリズム学校時代に同級生でした。メリッサは学校時代、一度だけデイブにデートに誘われましたが、会話が盛
り上がらず、しかもデイブは見え透いた言い訳をして早々に帰ってしまったという過去がありました。そのことに傷ついていたメリッサは「エンタープライズ」
誌という看板を背負ってデイブの前に登場し、今度は自分からふってしまおうと目論んでいたのでした。
1951年ですから、番組はもちろん生放送です。前日のリハーサルに行き、学生時代より気さくになったデイブと再会したメリッサは自分の子供っぽいたく
らみが恥ずかしくなります。しかも取材であることを周囲に伏せておいたために、デイブのガールフレンドと間違われ、動揺します。そして番組を創り上げてい
く現場は想像もつかないほど厳しいものでした。ポッジとコンビを組む女性コメディアン、スコッティは、すべての台本を書き、事実上ポッジの一挙手一投足を
支配しています。ポッジの元妻でもある彼女は、ポッジだけでなく、現場にいる全員を我が物顔に仕切り、辛らつな言葉を投げかけ、ポッジと仕事をしたいと近
寄ってくる人間をみな近づけません。
そんな中、リハーサル中の事故でスコッティが怪我をします。意識を失っている彼女が運び出されるやいなや、スコッティは明日出演できないだろうからと、
スコッティが抜けた穴に自分の企画をいれようと、人々はやっきになります。主役のポッジの意見も聞かず、その夜のうちに翌日の生放送の台本がすべて書き換
えられました。その議論が行われている間、メリッサは所在なげにしていたポッジから、自分はとても面白いコメディアンだと言われているが、すべてはスコッ
ティに言われるままにやっているだけで、実は自分の何が面白いのかわからないと告白されます。
翌日、新しい台本のリハーサルをしているとそこにスコッティが現われます。杖をついている彼女は、この状態でも演技できるように、台本を書き換えてきて
いて、自分はちゃんと出演すると宣言します。落胆する人々を尻目に、結局ポッジとスコッティのコンビで番組は始まり、ジュースの生コマーシャルの最中に、
打ち合わせどおりスコッティが飲もうとしたジュースを、突然ポッジが取り上げて飲み、カメラの前で倒れ、息絶えます。ジュースには毒薬が混入されていまし
た。犯人が狙ったのはスコッティなのか、それとも・・・・・・。
生放送中の殺人というのは当時とてもセンセーショナルな設定だったことでしょう。物語の後半まで殺人は起こらないのですが、そこまでの緊張感の盛り上げ
方がうまく、飽きずに読まされてしまいます。ポッジを取り巻く人々はみな個性的な野心家ばかりですし、特に支配的なスコッティの行動には読んでいて恐ろし
さと苛立ちを感じますが、語り手メリッサの健全さが読者に安心感を与え、デイブとのロマンスの初々しさが全体を明るく中和しています。
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もう1冊、Murder Is Absurdをご紹介しましょう。こちらは演劇界を舞台にしたミステリです。
ブロードウェイの舞台女優サバンナ・ドレイクは、脚本家レックス・ピアソンと結婚します。美女と才人という人もうらやむ組み合わせでしたが、間もなく
レックスが自動車事故で半身不随になってしまいます。事故以来心を閉ざしてしまったレックスとの生活に疲れたサバンナを支えたのは、独身時代からずっと舞
台で相手役をつとめていた俳優であり、レックスの親友でもあるマーク・ケンデルでした。
レックスとサバンナはマークのすすめで海辺の別荘に住むようになりますが、ある日、サバンナとマークが呼び寄せた客と共に海岸でバーベキューをしている
間に、レックスは崖から車椅子ごと墜落して死んでしまいます。警察は将来をはかなんだ自殺として処理しましたが、マークはレックスが落ちた崖にかかってい
た縄ばしごをひそかに処分し、サバンナにもはしごのことは口外しないようにと告げます。しかし後にマークは、レックスとサバンナの幼い息子ケニーがそのは
しごのことを覚えているかもしれないと不安になるのでした。
そして十七年後、レックスの事件の後サバンナと結婚していたマークはまた不安に襲われます。ケニーが脚本家としてデビューすることになったのですが、そ
のデビュー作がどうもハムレットを下敷きにしたものらしいからでした。ハムレットといえば、母と結婚するために父を殺したおじに復讐する王子の話。ケニー
は何かを見たのだろうか、父の死に疑問を持っているのか、自分を疑っているのだろうか。いてもたってもいられなくなったマークは、半ば強引にケニーの作品
に出演することにします。マークは芝居が上演される小さな町におもむき、慣れない現代演劇の世界で苦労しながら、少しずつケニーと打ち解けていきます。十
七年間互いに近寄ることのなかった二人でしたが、俳優と脚本家として、義理の父と息子として、言葉を交わし始めるのです。しかしそこにサバンナがやってき
て事態は一変し・・・・・・。
最初の章でレックスの死が語られますが、真相は結末まではっきり明かされません。マークが殺したのか、それともはしごを処分しただけなのか。そもそも
レックスの死は自殺なのか、殺人なのか。ちなみにペーパーバック版の裏表紙には「・・・・・・十七年後、ある人物が自殺する結果になる」と書いてあるの
で、読者は誰が自殺するだろうと思いながら読むことになります。
謎以外の部分では、演劇界の様子がじっくりと書き込まれていて読みごたえがあります。またサバンナという強烈な存在感を持った女性もの描写も見事です。
マガーは常人には考えられないようなエネルギーを持った女性を、ある意味容赦なく描きますが、このあたりは現代のミステリ作家エリザベス・ジョージを思
わせるものがあります。もちろん時代が半世紀も前ですので、書かれている内容はおとなしめですが、描き出されている女性像は時代を超えて普遍的なのだと思
います。この描写力がマガーを趣向だけでは終わらないミステリ作家にしたのでしょう。
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第5作の『四人の女』の献辞を見るとマガーが四人姉妹だったことがわかります。また『七人のおば』の献辞は「六人の姉妹を持つ母と/七人の姉妹を持つ父
に」です。つまりマガーには小説の中より多い、なんと13人ものおばがいたのです! 『七人のおば』のサリーもびっくりの女系家族といえるでしょう。マ
ガーがその作品に個性的な女性たちを数多く登場させ、その描写がいきいきしていたのは、身の回りにたくさんの女性がいたおかげかもしれませんね。
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パット・マガーの作品リストを翻訳通信のサイトに掲載しました。