翻訳の歴史
山岡洋一

「アメリカ独立宣言」の翻訳(3)

 
原文の語と訳文の語の対応
 第1段落の長いセンテンスを対象に、訳し方の特徴をみていきたいと思います。

 原文の第1段落は以下の通りです。

When in the Course of human events, it becomes necessary for one people to dissolve the political bands which have connected them with another, and to assume among the powers of the earth, the separate and equal station to which the Laws of Nature and of Nature's God entitle them, a decent respect to the opinions of mankind requires that they should declare the causes which impel them to the separation.

 この文を読んでいくとき、たとえば以下の部分に分けて、頭から順に理解していきます。

@When /Ain the Course of human events,/Bit becomes necessary /Cfor one people /Dto dissolve the political bands /Ewhich have connected them with another, /Fand to assume /Gamong the powers of the earth, /Hthe separate and equal station /Ito which the Laws of Nature and of Nature's God entitle them, /Ja decent respect to the opinions of mankind requires /Kthat they should declare the causes /Lwhich impel them to the separation.

 ここでは13の部分に分けましたが、もっと大きい単位で分けることも可能です。この13の部分をどのような順番で訳し、それぞれの語をどう訳したのかを 示したのが、資料1です(1ページに収めるために、 13種の訳のうち8つだけを対象にしました)。1から13までの数字の行に書かれた数字は、各部分の訳出の順序を示しています。数字の行の下には、それぞ れの部分にある単語を左端の列に示し、各単語にどのような訳語を使ったかを各欄に示しています(やはり1ページに収めるために、原文の単語のうち冠詞は省 略しています)。空白になっているのは、原文の単語に対応する訳語が確認できないか、2語以上で訳されている部分です。たとえば、Iの原文と福沢諭吉訳、 倉持千代訳をみてみましょう。

原文
to which the Laws of Nature and of Nature's God entitle them
福沢諭吉訳
物理天道ノ自然ニ従テ
倉持千代訳
自然及自然の~の法則が彼等に賦與する

 倉持千代が原文の一語にほぼひとつずつの訳語を割り当てているのに対して、福沢諭吉が原文の個々の語にこだわらず、この部分全体の意味を日本語で表現し ていることが分かるはずです。このため、倉持訳の列では、ほとんどの欄に単語が入っていますが、福沢訳の列では、すべての欄が空白になっています。

 訳出の順番も面白いのですが、それ以上に面白いのは、原文の語と訳文の語の対応です。表のいちばん下の行に、対象とした61の語のうち、訳文で一語が対 応しているものの数を示しました。これをみていくと、福沢諭吉訳では全体の61語のうち10語にすぎず、中村正直訳では9語にすぎません。ところが明治半 ばの高橋正次郎訳では33語に飛躍し、戦後の宮田豊訳ではなんと、61語のうち48語で対応する訳語があるという結果になっています。

 宮田豊訳で、空白になっている欄、つまり、原文の語にひとつの訳語が割り当てられていないものをみていくと、it、toなど、文法的な役割をもつ機能語 がほとんどで、意味をもつ内容語はrequiresだけです。さらに、原文の品詞と訳文の品詞を比較していくと、ほぼすべて、同じ品詞で訳されていること が分かります(品詞が違っている場合には、訳語の右に△をつけましたが、宮田豊訳で△がついた語はありません。英語の形容詞を「名詞+の」で訳した例はあ りますが、翻訳調の訳し方の原則にしたがっているので、△はつけていません)。

 この表をみると、明治半ばの高橋正次郎訳からあきらかに、翻訳のスタイルが変化したことが分かります。福沢諭吉や中村正直は原文を一語ずつ訳していく方 法はとっていません。原文の固まり(チャンク)ごとに、意味を理解し消化したうえで、日本語で書く方法をとっています。高橋正次郎からは、原文の一語一語 に訳語をつけて、つなぎの言葉をくわえていく方法をとっています。そして原則として、原文が名詞であれば名詞の訳語を使い、動詞であれば動詞の訳語を使 い、形容詞であれば形容詞か、「名詞+の」を使うようにしています。

 この表では、原文の単語を基準に、訳文に対応する訳語があるかどうかをみていったわけですが、これとは逆に、訳文の単語を基準に、原文に対応する語があ るかどうかを調べていく方法もあります。そうやって調べていくと、福沢諭吉訳では、ごく一部の単語だけが原文の語と対応しているのに対して、宮田豊訳では 逆に、訳文に使われている語のうち、内容語のすべてが、原文の語と対応していることが分かります。余分なことは何も書いていないといえます。

 これがまさに、翻訳調の特徴なのです。英文和訳の方法を考えてみればすぐに分かるはずです。たとえば、to which the Laws of Nature and of Nature's God entitle themという部分を訳すとき、Lawsの訳語、Natureの訳語、andの訳語、Nature'sの訳語、Godの訳語、entitleの訳語、 themの訳語をひとつずつ考えていき、つぎに、訳語の並べ方とつなぎの言葉を考えていくはずです。

 なぜこのように考えていくのか。この点を論じはじめれば、本1冊でも終わらないと思うので、要点だけを示しておきます。

 第1に、明治の時代には、欧米の文化を急速にとりいれるために、大量の翻訳を必要としたので、福沢諭吉や中村正直のスタイルからの脱却が不可欠だったと みられます。福沢諭吉や中村正直はまさに、この時代を代表する巨人であり、天才です。欧米がはるかに遠かったこの時代に、原文の意味を読み取って、見事な 日本語で表現するというのは、天才にしかできなかったことでしょう。しかし、ごく少数の天才だけに頼っていては、翻訳を大量に行うことはできません。そこ で、天才に頼らなくてもいい方法を考える必要があったはずです。

 第2に、日本には漢文読み下しの長い伝統があります。中国語で書かれた文章を対象に、語を読む順序を返り点などで示し、若干の機能語をくわえたのが漢文 読み下しです。これに似た方法を欧米の言語からの翻訳にも適用できないかと考えたとき、翻訳調のスタイルが生まれるのは自然でしょう。

 第3に、漢文読み下しの伝統がなかったとしても、19世紀末のこの時期に欧米の文化を学んだ結果、原文の単語のひとつずつに訳語を割り当てる方法が採用 された可能性が高いようにも思えます。19世紀は近代科学思想の全盛期にあたっています。近代科学の発展の基礎になった思想では、そう考えるのが当然だと みられるからです。

 近代科学の基礎には、いくつかの考え方があります。そのひとつに、世界を機械のようなものだとみる考え方があります。大きく複雑な機械を部品に分解し、 部品のそれぞれを調べ、組み合わせ方を調べていけば、全体が理解できると考えます。この考え方は、機械論と呼ばれています。また、森羅万象を原子という最 小単位まで分解し、その組み合わせによってすべての現象を説明しようとする考え方もあります。この考え方は、原子論と呼ばれています。どちらも、複雑なも のごとを要素に分解して理解しようとするので、要素還元論とも呼ばれます。この見方を言語に適用すれば、最小単位が単語だと考えるのがごく自然です。そし て単語という最小単位を組み合わせる方法が文法だということになります。翻訳に適用すれば、個々の単語で使う訳語を決め、文法にしたがって訳語を組み合わ せていくのが翻訳だということになります。高橋正次郎以降の翻訳、とくに宮田豊の翻訳をみれば、まさにこの考え方に基づくスタイルがとられていることが確 認できるはずです。

 翻訳調は、一見、合理的で効率的な方法だと思えます。近代的で科学的な方法だと思えます。

 それにしても、と思います。それにしても、翻訳調にかけた日本人の執念はすさまじかったと。英和大辞典を眺めてみると、すさまじさが実感できるはずで す。数十万の見出し語のほぼすべてに、丁寧に訳語がつけられているのですから。後に触れる理由で、見出し語は単語とは限らず、連語や成句もありますが、そ のほぼすべてに訳語がつけられているのです。例外は派生語の一部で、たとえば-ly adv.とか-ness n.とかしか書かれていない場合もありますが、その数はそれほど多くありません。数十万とうのは、英和大辞典だけの数です。これ以外に分野別の各種辞書が あり、最近では電子辞書やインターネットの辞書もあります。これらをすべて合計し、単語と連語、成句を合計すると、たぶん、1000万を超える語に訳語が つけられているはずです。福沢諭吉の時代には、たとえばrightのような語でも訳語に苦労したことが「独立宣言」の訳から分かりますし、単語帳のような 英和辞典がいくつかあっただけだといいます。その後150年ほどの間に、翻訳調の翻訳に必要なインフラが徹底して整備されてきたのです。

 英和の組み合わせほど辞書が整備されていることは、世界的にみても、めったにないのではないかと思います。

 前述のように、翻訳調の翻訳に必要なものは、辞書と文法知識です。辞書が徹底して整備されてきたため、翻訳に必要なのは、文法知識だけだといえます。明 治以降の英語教育が文法を重点にしていたのも、不思議だとはいえません。文法中心の英語の試験で好成績をとれる人が大学に進学し、専門家になって、それぞ れの分野で翻訳を行いました。これが明治からほぼ100年にわたって、日本の教育の姿だったのです。

 この努力が一因になって、日本が急速な近代化を達成できたのはたしかな事実だと思います。明治の時代にはとても理解することなどできないと思えた欧米の 技術や思想が、100年後には日本語という母語で、かなりの程度まで理解できるようになっていました。翻訳調は偉大な成果をあげてきました。この点を忘れ てはならないと思います。

 しかし、翻訳調によって失われたものもあります。翻訳調によって何が失われたかを考えるには、高橋正次郎や宮田豊の訳と、福沢諭吉や中村正直の訳を比較 してみれば感じとれるはずです。そう、冷静に分析する前に、感じとることが重要です。

 翻訳調によって失われたもので、まず気付くのは、訳文のリズムです。福沢諭吉訳と宮田豊訳を比較してください。

福沢諭吉訳
人生已ムヲ得サルノ時運ニテ一族ノ人民他國ノ政治ヲ離レ物理天道ノ自然ニ従テ世界中ノ萬國ト同列シ別ニ一國ヲ建ル時ニ至テハ其建國スル所以ノ原因ヲ述ヘ人 心ヲ察シテ之ニ布告セサルヲ得ス

宮田豊訳
 人間の出来事の趨勢において、一国民にとって、彼らを他国民に結びつけていた政治的覊絆を断つて、自然の法と自然の神の法とによって与えられる独立平等 の地位を世界の列強間に占めることが必要となる場合にあっては、人類の意見に対してそれ相当の尊重を払うには、彼らは、自分たちが分離を余儀なくさせられ る理由を、宣明しなければならない。

 前にも触れたように、福沢諭吉訳は音読を想定しています。そこで、音読してみると、心地よいリズムがあることに気付くはずです。そして、頭に残りやすい 名文であることにも。リズムがあることと、記憶しやすいことの間には、強い関係があります。リズムのある文章は頭に残りやすく、リズムのない文章は記憶し にくいのです。福沢諭吉の時代には、欧米でも日本でも、文章は記憶されやすいように書かれていました。いまの時代、本はベストセラー・リストでの地位を競 い、書店の陳列スペースという限られた資源を奪い合っていますが、福沢諭吉の時代には、人間の記憶能力というもっと限られた資源を奪い合っていました。記 憶されない文章は消えていき、記憶される文章が生き残ります。

 リズムがあり、頭に残りやすい名文は、普通の会話に使われる言葉とはスタイルが違います。会話体ではなく、文章体だといえるでしょう。ですが、黙読用の 文章ではありません。音読用ですから、音声を伴っています。そして、必要に応じて、そのままの形で演説や講演に使って、話し言葉になったかもしれません。

 これに対して宮田豊訳は、これはもう完全に黙読用の文章体です。リズムがなく、記憶に残りにくい文章です。普通はこれを口語体といい、昔の文語体とは 違っていると考えますが、じつのところ、このままの形で話し言葉として使うことはできません。口語とは大きくかけ離れた文体なのです。

 いまの日本語はかなりの程度まで翻訳調、とくに口語体翻訳調によって作られてきていますので、日本語が力強さを失った一因は、翻訳調にあるとも思えま す。

 それがどうしたという意見もあるでしょう。翻訳調のお陰で、日本人は母語である日本語で、欧米の進んだ文化を学べるようになったのです。この成果と比較 すれば、言葉のリズムが失われたことなど、ごくごく小さな問題にすぎないではないかという意見です。しかし、翻訳調で失われたものはそれだけではありませ ん。もっと大切なものが失われたと思います。何が失われたかをみるために、もうひとつの例をみてみましょう。

構文の訳し方
 イギリス国王の罪状を並べた部分の終わり近くに、以下のセンテンスがあります。

   He is at this time transporting large Armies of foreign Mercenaries to compleat the works of death, desolation and tyranny, already begun with circumstances of Cruelty & perfidy scarcely paralleled in the most barbarous ages, and totally unworthy the Head of a civilized nation.

 これをどう訳しているか、幕末の福沢諭吉訳と、翻訳調の典型ともいえる宮田豊訳を比較してみましょう。

福沢訳(1866年)
英国王殺人滅国ノ暴政ヲ遂ケント欲シ方今ハ外國ノ大兵ヲ雇テ我国ニ送リタリ其不義惨酷往古ノ夷狄ト雖ドモ爲サル所ニテ豈文明ノ世ニ出テ人ノ上ニ立ツ者ノ挙 動ナランヤ

宮田訳(1956年)
 彼は、最も野蛮な時代にも殆んど比類のない全く文明国民の支配者に価しない残虐と不実との限りを尽くして既に始められた殺戮・荒廃及び暴政の諸行為の仕 上げをするために、今、外国傭兵の大部隊を輸送中である。

 この2つの訳を音読してみましょう。その際にひとつだけ注意すべき点があります。福沢諭吉訳では前述のように句読点が使われていませんが、句点が入るは ずのところ、読点がはいるはずのところは明確です。だから、その部分で息継ぎをして音読するべきです。これに対して宮田豊訳では、句読点が使われていま す。句読点は文中のどこで息継ぎをすべきかを指示するものですから、宮田豊の指示にしたがって読んでいくべきです。

 どうでしょう。何よりもまず、宮田豊訳が読めないことに気付くのではないでしょうか。これでは息が続かないので、音読できないのです。音読できないとい うのは、じつに大きな問題であり、この翻訳の欠陥をはっきりと示しています。しかし、この点だけを強調すると、揚げ足取りだとみられかねません。そこでつ ぎに、どこか適当なところで息継ぎをして、もう一度、福沢諭吉訳と宮田豊訳を音読してみましょう。何かに気付くでしょうか。

 おそらく、福沢諭吉訳からは意味が鮮明に伝わってくるのに、宮田豊訳は何を主張しているのか、どうもよく分からないという印象を受けるはずです。宮田豊 訳は音読を想定していないと思われますので、音読の結果で訳の善し悪しを判断するのはいかがなものかという意見もあるでしょう。そこで、音読はやめて、黙 読してみましょう。黙読すると、福沢諭吉訳と宮田豊訳の鮮明さの違いがますますはっきりするとも思えます。宮田豊訳は正直のところ、判じ物のようで、いっ たい何を主張しようとしているのか、謎が深まるばかりではないでしょうか。

 たとえば、「殆んど比類のない」はどこにつながっているのでしょうか。「ない」は形容詞であり、終止形か連体形です。終止形とは考えにくいので、連体形 だとすると、どれかの体言を修飾しているはずです。「比類のない文明国民」なのでしょうか。「比類のない支配者」なのでしょうか。「比類のない残虐と不 実」なのでしょうか。「比類のない殺戮・荒廃及び暴政」なのでしょうか。「比類のない諸行為」なのでしょうか。「比類のない外国傭兵」なのでしょうか。こ のように、各語のつながりをひとつずつ考えていくと、頭が痛くなってくるのではないでしょうか。

 原文は明快です。明快な原文を福沢諭吉はおなじように明快な日本語で訳し、宮田豊は曖昧模糊とした日本語で訳しています。なぜそれほど印象が違うのか は、原文に戻って訳し方を確認するとよく分かるはずです。原文は以下の構造になっています。

@ He is (at this time) transporting large Armies of foreign Mercenaries
A to compleat the works of death, desolation and tyranny,
B already begun with circumstances of Cruelty & perfidy
C scarcely paralleled in the most barbarous ages,
    and
D totally unworthy the Head of a civilized nation.

 ここで、BはAの下線部分を修飾し、CとDが並列されて、Bの下線部分を修飾しています。福沢諭吉と宮田豊が原文の5つの部分をどの順番で訳しているか をみてみましょう。

福沢訳(1866年)
@英国王
A殺人滅国ノ暴政ヲ遂ケント欲シ
@方今ハ外國ノ大兵ヲ雇テ我国ニ送リタリ
B其不義惨酷
C往古ノ夷狄ト雖ドモ爲サル所ニテ
D豈文明ノ世ニ出テ人ノ上ニ立ツ者ノ挙動ナランヤ

宮田訳(1956年)
@彼は、
C最も野蛮な時代にも殆んど比類のない
D全く文明国民の支配者に価しない
B残虐と不実との限りを尽くして既に始められた
A殺戮・荒廃及び暴政の諸行為の仕上げをするために、
@今、外国傭兵の大部隊を輸送中である。

 福沢諭吉は、原文の5つの部分をほぼおなじ順序で訳しています。この結果、原文とおなじように、明快な文章になっています。これに対して、宮田豊訳は英 文和訳で教えられる順番に忠実にしたがって、後ろから前に訳す方法をとっています。その結果、曖昧模糊とした文章になっています。

 この点から、後ろから前に訳していく方法に大きな問題があることが分かります。原文の順序というのは当然ながら、原文を読むときに理解していく順序で す。原文の論理の流れを示す順序、自然な順序であるわけですから、訳文でこの順序を変えると、論理の流れがみえにくくなるのは避けられません。ですから、 原文の順序を変えることなく訳していくのが、翻訳の理想だといえます。頭から順に訳していくのは容易でないこともありますが、福沢諭吉訳を読むと、この方 法をもっと取り入れるべきだと痛感します。しかし、問題はそう単純ではないとも思います。この点は、「翻訳通信」2008年8月号(第2期第75号)「翻訳講義(5) 明晰な訳文を書くために」で触れていますの で、参照ください。

 もうひとつの点として、訳文を原文と対照しながら読んでいくと、訳文だけを読んだときとは、ずいぶん印象が違うのではないでしょうか。謎が解けて、なん だそうだったのかと納得できるのではないでしょうか。

 たとえば、「殆んど比類のない」が何を修飾しているかは、疑問の余地なくあきらかです。「残虐と不実との限り」を修飾しています。しかしそう分かるの は、原文を読んだからです。原文では、andが何と何を並列しているかはあきらかだし、CとDが何を修飾しているのかもあきらかです。ですが宮田豊の訳文 では、訳文だけから判断するのであれば、「殺戮・荒廃及び暴政の諸行為」であってはならないという理由は明確ではありません。このように、修飾と被修飾の 関係が明確ではない文章、いいかえれば曖昧な文章になっていることを確認しておきたいと思います。

 訳文だけを読むとさっぱり理解できなかった部分が、原文と対照しながら読むと理解できるようになる。これが翻訳調なのです。まさに、「原書ニ對照スル 人」のための翻訳、これが翻訳調です。翻訳調は、原文と対になってはじめて意味をもちます。単独では成り立たない。これが翻訳調なのです。

 前述のように、翻訳論は原子論など、19世紀の科学思想に基づいているとみられます。そのため、合理的で、科学的で、効率的な方法だと思えます。言語を 分解していくと、単語という最小単位がみつかります。この単語を分類したものが品詞です。単語にはそれぞれ意味か機能があります。いくつかの単語を組み合 わせると句や節、文ができます。組み合わせの方法を決めているのが文法です。句や節、文の意味は基本的に、個々の単語と組み合わせ方によって決まります。 したがって、個々の単語で使う訳語を決め、文法にしたがって訳語を組み合わせていけば、翻訳ができると考えます。

 いくつか例外があります。たとえば成句というものがあります。単語の組み合わせのなかには、個々の単語の意味を文法規則にしたがって組み合わせる方法を 使ったのでは、意味を誤解しかねないものがあり、これを成句といいます。たとえば、土砂降りを表現するとき、日本語では「バケツをひっくり返したような」 といい、英語ではcats and dogsといいます。どちらも成句といえるはずです。

 連語も例外のひとつです。2つの語を組み合わせたとき、個々の語の意味を組み合わせた場合とは少し違った意味をもつものが、連語と呼ばれています。この 場合、意味の違いはたいてい、意味範囲の限定という形であらわれます。たとえば、civilという言葉もrightという言葉も、意味範囲がかなり広い語 ですが、civil rightsという組み合わせでは、意味範囲が狭く限定されます。

 このような例外があるので、個々の単語に使う訳語を決め、文法規則にしたがって組み合わせるだけで翻訳ができるわけではありません。成句や連語について は、特別に訳語を決めておく必要があります。しかし、この例外も、基本原則を揺るがすわけではありません。原子論ではたとえば、水素と酸素が化学反応を起 こすと、まったく性格が違う水になります。成句や連語はこれに似たものにすぎないと考えられます。

 この考え方が正しければ、そして、個々の単語で使う訳語が正しく、文法理論が正しければ、翻訳調の翻訳はみごとな日本語になるはずです。ところが実際に はそうなっていない。なぜそうなっていないかというと、翻訳調の前提になっている考え方が間違っているからと考えるのが自然でしょう。つまり、翻訳調は合 理的でも効率的でも科学的でもない、訳語を工夫し、文法理論を改めても、翻訳調でまともな日本語が書けるとは期待できないと考えるべきでしょう。言語とい うものは、最小単位である単語を文法規則で組み合わせるという形ではできていないのでしょう。

 以上の点から、翻訳調で何が失われたかをもう一度考えてみましょう。翻訳調で失われたものはリズムだけではありません。原文が明快であり、福沢諭吉訳も 明快なのに、翻訳調の宮田豊訳ではたとえば、「殆んど比類のない」が何を修飾しているかが曖昧になっている。この点から、翻訳調のために、もっと大切なも のが失われたといえるはずです。翻訳調で失われたもの、それは論理性です。「殆んど比類のない」が何を修飾しているかが曖昧だというのは、論理性の欠如を 示しているとしかいえません。

 まったく明快で論理的な原文から、宮田豊訳のように曖昧模糊とした訳文が生まれるのですから、翻訳調で論理性が失われたという結論は避けがたいのではな いでしょうか。翻訳調は論理を伝える文章に適していないという結論は避けがたいのではないでしょうか。

 この結論が正しければ、日本語の将来を考える際に、重大な意味をもちます。なぜかというと、たぶん誰でも感じ取っているはずですが、日本語で論理的な文 章を書くとき、文体の基礎になっているのが翻訳調だからです。

 たとえば法律というのは論理がきわめて重要な分野ですが、法律関係の文書には独得の文体が使われています。法律の文体の基礎がどこにあるかを考えると、 翻訳調だとみるのがごく自然です。また、自然科学、社会科学、人文科学を問わず、論文には独特の文体が使われていますが、その基礎が翻訳調にあるとみるの も、ごく自然です。日本語の論理的な文体は、翻訳調を基礎にしているのですから、翻訳調が論理を伝える文章に適していないとすれば、日本語を鍛え直すこと が是非とも必要だといえるはずです。

 日本語はもともと論理を伝えるのには適していないという見方もあります。感情を伝えるには適しているが、論理を伝えるには適していないのだと。この見方 では、翻訳調によってようやく、日本語で不十分ながら論理を扱えるようになったということになります。翻訳調に欠陥があるのは確かでも、それ以前の日本語 と比較すればはるかに論理的だということになります。ほんとうにそうなのでしょうか。

 福沢諭吉や中村正直の訳と、口語体翻訳調の訳を比較してみれば、答えがえられるはずです。福沢諭吉や中村正直は、明快で論理的な原文の内容を、明快で論 理的な日本語で表現しています。幕末・明治の翻訳から学ぶべき点は、何よりもここにあります。翻訳調によって、不十分ながらも日本語に論理性を取り入れら れるようになったのではありません。翻訳調によって、日本語の論理性がかなりの程度、失われたのです。リズムを失い、力強さを失ったこと以上に、論理性と いう点で問題をかかえるようになったことの方が重要だと思います。幕末・明治の翻訳に学んで、日本語に論理性を取り戻すよう努力すべきだと考えます。

最後に ― 翻訳の社会性と歴史性
 福沢諭吉訳について、「名文だが原文に合わない」などと批判した人がいます。誤訳があるというわけです。翻訳調の時代には、誤訳が強迫観念になっていま したから、いかにもその時代らしい批判です。

 福沢諭吉訳や中村正直訳に学びたいというとき、幕末・明治の翻訳が完璧だったなどと考えているわけではありません。もっと一般的に、原点に戻る方法をと るとき、原点には何の問題もなかったと考えているわけではありません。原点に何らかの問題があったからこそ、その後に現在にいたる道筋がとられてきたので す。翻訳についていうなら、福沢諭吉や中村正直の時代の翻訳でぶつかった問題を解決するために、翻訳調が採用されてきたのは、間違いのない事実でしょう。 その結果、翻訳は大きく前進してきたのだし、日本の社会も大きく前進してきました。この点を忘れてはなりません。しかしいま、翻訳調が社会に受け入れられ なくなってきたのも事実です。翻訳調が必要とされた時代は終わり、翻訳の新たな方向を探らなくてはならない時期がきています。だから原点に戻って、今後に どのような方向をとるべきかを考えてみようというのです。今後の方向は、翻訳調の長所を活かしながら、幕末・明治の翻訳の良さを取り入れたものにすべきで しょう。

 福沢諭吉や中村正直の翻訳には限界がありました。どういう限界かを考えるとき、翻訳というものの本来の性格を確認しておくべきです。日本の翻訳の歴史と いう観点から考えるなら、翻訳とは何よりも、はるかに進んだ欧米の文化を学ぶための手段のひとつです。翻訳は学ぶためのものなのです。いくつかの方法のう ち、翻訳を選ぶのはなぜなのか。たとえば、福沢諭吉や中村正直は欧米の文化が進んでいることに気付いて、まずはオランダ語を、つぎに英語を学び、外国語で 外国の文化を学ぶ方法をとっています。個人として、外国の優れた文化を学ぶのであれば、これが常識的な方法です。外国語を学び、外国語で学ぶ。これでいい のであって、翻訳の必要はありません。ではなぜ、外国語を学び、外国語で学ぶという段階からさらに、翻訳という段階に進んだのでしょうか。

 答えははっきりしています。福沢諭吉も中村正直も啓蒙思想家であり、教育者です。だから、個人でではなく、日本語という言語を共通項とする共同体で、欧 米の文化を学ぼうとしたのです。翻訳は、個人が学ぶための手段ではありません。翻訳は、言語共同体としての民族が、外国から進んだ文化を学ぶための手段で す。

 翻訳はこのような性格をもっていますから、翻訳者という個人だけでは成り立たちません。翻訳者がいて、読者がいて、両者をつなぐ出版社があって、はじめ て成り立つのです。そういう意味で、翻訳はかならず、社会性をもっています。そのため、福沢諭吉や中村正直がいかに偉大でも、読者の理解力に限界があれ ば、翻訳には限界があるということになります。

 前述のように、福沢諭吉はrightという簡単な言葉の翻訳にも苦労しました。これは、当時の日本社会に、この言葉で表現できる現実がなかったからだと 考えるべきです。そうした状況では、福沢諭吉は原文のうち、rightが使われている部分の意味を読者に伝えるのが、極端に難しかったはずです。読者の側 には、意味を理解するために必要な準備が整っていなかったのですから。

 福沢諭吉と中村正直にとって、当時の時代的な背景が翻訳にあたって、大きな制約条件になっていたのです。そして、翻訳者は翻訳にあたって、社会と時代の 制約を打ち破ろうとします。翻訳という手段を使って、言語を共通項とする共同体が、外国の進んだ文化を学ぼうとします。社会と時代の制約があって、読者に とって理解が難しいからこそ、学ぶ価値があるといえます。翻訳者は時代の少し先を進むのですが、それでも5歩も6歩も先を進むわけにはいきません。半歩か 1歩先を歩んで、読者の理解を促すしかありません。ですから、翻訳者は時代の制約をまぬがれることができないのです。この点をよく示すのが、中村正直の名 訳『自由之理』です。原著者のJ.S.ミルはsocietyをキイワードにしていますが、中村正直この語の翻訳に苦労した様子が、訳文から伝わってきま す。当時、ミルがこの語で表現しようとした現実が、日本にはなかったのでしょう。そうした状況では、中村正直ほどの巨人でも、翻訳に四苦八苦するのです。

 つまり、翻訳は社会性をもつと同時に、歴史性をもっているのです。翻訳の社会性と歴史性、この点を考慮することが、福沢諭吉や中村正直の翻訳の意義を理 解するうえで不可欠です。

 そして、翻訳調の意義と問題点を理解するためにも不可欠です。とくに、幕末・明治初期の時代からほぼ150年を経たいま、時代が大きく変わり、社会が大 きく変わって、もはや、翻訳調はその使命を果たし終えたのだと考えられます。明治の時代にはとても理解することなどできないとすら思えた欧米の技術や思想 が、いまでは日本語という母語で、かなりの程度まで理解できるようになっています。これほどの成果をあげてきた先達に感謝しつつ、つぎの時代に進むため に、翻訳調から脱却して、翻訳の原点に戻るべき時期がきているのだと考えます。

(2009年2月号)