翻訳講義
山岡洋一
翻訳
のマーケティング
前回に引き続き、翻訳という仕事の現状について話していきます。今回は少し視点を変えて、翻訳の仕事をとるにはどうすればいいかを取り上げ
ます。経営の言葉を使えば、翻訳の営業とマーケティングについて考えていきます。
まずは当たり前のことを確認しておきます。営業とマーケティングの方法は商品と市場の性格によって違います。たとえば消費者向けの商品なのか、企業向け
の商品なのかで違いますし、お役所向けの商品ではまったくといっていいほど営業の方法が違います。競争相手が多いか少ないかでも違いますし、競争相手とほ
ぼ同じ商品をほぼ同じ価格で売る場合と、競争相手とは商品も価格も違う商品を売る場合とではまったく違ってきます。
翻訳の場合にはさまざまな分野があり、商品と市場の性格が違いますから、翻訳という仕事のすべてに通用する営業とマーケティングの方法があるわけではあ
りません。産業翻訳と出版翻訳では営業とマーケティングの方法が大きく違いますし、産業翻訳、出版翻訳のそれぞれにある多数の分野ごとに、営業とマーケ
ティングの方法が違っています。このような事情があるので、翻訳という仕事のすべてに通用する魔法の法則があるわけではありません。
翻訳者のなかで、営業が問題になるのは個人事業主の場合でしょう。たとえば一般企業の社内翻訳者の場合、別の面では苦労が絶えなくても、営業で苦労する
ことはないのではないでしょうか。このため、以下では個人事業主の翻訳者の営業に的を絞ります。
営業というのは個人事業主の翻訳者にとって、悩みのタネになることが少なくありません。個人事業主という立場上、自分で自分を売り込まなければならない
からです。営業の達人であっても、自分を売り込むのはむずかしいといいます。売り込むものが商品(つまり物)であれば、あるいは人でも他人であればじつに
巧みに営業ができる人でも、自分を売り込むのはむずかしいというのです(もっとも、どの世界にも仕事はできなくても自分を売り込むことだけは上手という人
がおり、翻訳の世界にもそういう人がいますが)。翻訳者はそもそも営業が不得意という人が多いのに、よりによって、いちばんむずかしい営業をする必要に迫
られることになります。
半面、個人でできる仕事の量には限度があるので、せいぜい4社か5社の顧客があれば、もっと正確にいうなら4人か5人の翻訳発注者なり編集者なりに信頼
してもらい、継続的に仕事を発注してもらえるようになれば、それ以上に顧客を開拓する必要がなくなるのが普通でしょう。個人で営業し、個人で翻訳するから
不利だという面もありますが、逆にだからこそ有利だという面もあるのです。
以上を前置きに、翻訳の営業とマーケティングについてもう少し詳しくみていきます。
翻訳者への道
翻訳学習者向けの雑誌や本を読むと、翻訳者への道が懇切丁寧に解説されていることがあります。翻訳学校で学び、実力がついたら、産業翻訳ならエージェン
ト(つまり翻訳会社)のトライアルを受けて、登録翻訳者になる。出版翻訳ならまずは下訳の仕事をし、実績を積んだら自分で翻訳を受注できるようになる。そ
う書かれています。要するに翻訳の学習から仕事の受注まで、決まった階段があり、一歩ずつ着実に上っていくものだとされています。
そういう道筋を通って実際に翻訳者になった人もいます。出版翻訳でいうなら、いわゆる「翻訳学習者」のうち何百人かにひとりぐらいは、たしかにそういう
階段を上って翻訳者になっています。ですから、階段らしきものがあること自体を否定しようとは思いません。ですが、この階段らしきものについては、注意し
ておくべき点がいくつもあります。
まず一般的で抽象的な話をするなら、翻訳という仕事には正解がないという性格があります。同じ原文を10人が訳せば、10通りの訳ができます。たとえば
『翻訳通信』第2期第19号(2003年12月号)の「翻訳は面白い」で、ルイス・キャロル著『不思
議の国のアリス』の冒頭部分について、7種類の訳を紹介しています。ほとんどが文庫本で簡単に入手できるので、比較してみるとよく分かると思います。この
7種類の訳のそれぞれについて、翻訳の質を批評することはもちろん可能ですが、どれかが正解で残りが間違っているということはできません。翻訳には正解が
ない。だからこそ翻訳は難しい。だからこそ翻訳は奥が深い。だからこそ翻訳は面白いのです。正解がない世界の面白さを知れば、翻訳者への道についても正解
を求めようとしないのではないでしょうか。皆が正解だという道があるのなら、その裏に行ってみようと考えるのもひとつの方法です。現に、ほんとうに優れた
翻訳者はたいてい、人の行く道とは違うところに、頂上のさらに上にいたる道を見つけ出しています。
もっと現実的な話をするなら、正解だとされている道を歩いて翻訳者になっても、いうならば便利屋さんとして、いいように使われる場合が少なくありませ
ん。産業翻訳では、少しは自信がある翻訳者なら断る仕事、たとえば単価が低いうえに納期がとんでもなく短い仕事ばかりを依頼されるようになりかねません。
出版翻訳では、便利な下訳者として、あるいは部数が少なく印税率が低い本の翻訳者として、タダ働き同然の仕事を続けることになりかねません。
じつのところ、産業翻訳なり出版翻訳なりで仕事をするようになっても、年間の売上が100万円にもならないという人が多いのです。産業翻訳では、ばらば
らな分野のばらばらな仕事をいくつも引き受けて、結構忙しく、ときには徹夜までして働いているのに、お小遣い程度の収入にしかならない翻訳者が多いようで
す。出版翻訳では、下訳の場合、以前は収入などないのが当たり前でしたし、いまでも、文字通りタダ働きということもあるといいます(「今度の本は売れな
かったから悪いけど払えないよ」といわれたという話があります)。また、何か月も休みなく働いて、ようやく自分の名前で訳書がだせても、印税収入が30万
円にもならなかったといった類の話をよく聞きます。
なかには、貧しく苦しい修業時代を経て、一流の翻訳家になった人もいますし、そういう経験談を得々として語る人もいます。ですが、そういう人はごくごく
稀です。いつまでも便利屋さんを続けている人もいますが、数年で見切りをつける人が多いようです。見切りをつける人が多い仕事なのに、翻訳者になりたいと
いう人はもっと多いので、産業翻訳でも出版翻訳でも、少なくとも翻訳者の数が不足して困るという状況にはならないようです。
要するに、労多くして功少なし、収入はというと最低賃金の何分の1かというほど少ない。そうなりかねないのが翻訳者の現実です。もちろん、これは翻訳者
の現実の半分でしかありません。視点を変えて翻訳を発注する側からみるなら、翻訳者とその予備軍は数が多いので、いくらでも安く使えるというのが現実の半
分、これに対して、安心して仕事を任せられる翻訳者は数が少なく、ましてほんとうに質の高い翻訳ができる人はごく少ないというのが現実の残り半分です。翻
訳学習者向けの雑誌や本で取り上げられるのは普通、残り半分の方だけでしょう。残り半分をみることも大切ですが、翻訳に時間と金をかけてみようと思うので
あれば、現実の全体をみておくべきです。現実のうち明るい面をみるだけでなく、暗い面もみておくべきです。正解だとされている道を歩いて翻訳者になって
も、便利屋さんとして使われるだけになる人の方がはるかに多いのだという現実をみておくべきです。
誤解を招かないようにいっておきますが、便利屋さんとして使われるだけになるといっても、便利屋さんとして使う側にそういう意図があるわけではありませ
ん。翻訳業界の人たちは、もちろん例外もありますがほとんどの場合、翻訳学習者に親切だし、新人を育てようと、親身になって世話をしてくれます。しかし、
世の中には親切すぎるからいけないという場合もあるように思います。翻訳者になるには実力が不足している人でも、熱心に学習しているのをみると、何とか手
助けしようとします。翻訳はプロの仕事ですから、ほんとうに実力のある人でなければ生き残れません。生き残れないはずの人に親切にするのは、じつは残酷な
のだと思うのですが、そう考える人は少ないようです。
翻訳業界の構造上の問題もあります。たとえば翻訳出版の大手であれば、1つの編集部で年に数十点の翻訳物を出版しています。このうち、とくに力を入れる
のはその年の目玉になる数点だけです。残りは当初からそれほど期待をしていない本です。ある程度の部数なら売れるとみている場合もあるし、書店の棚を確保
するために月に何点かずつ出版する必要に迫られている場合もあります。売れればめっけものと考えて出版する場合もあります。小さな出版社では、着実に売れ
るが部数は少ない本だけを出版している場合もあります。要するに、翻訳出版では印税収入が30万円にもならないような本がいつもかなり多いのです。そうい
う本でも文句をいわずに翻訳してくれる翻訳者がいれば便利なのはたしかな事実なのです。
産業翻訳でも、とくに翻訳会社では信頼できる翻訳者に依頼できないか、依頼して断られた半端仕事がけっこうあるものです。単価や納期、分野などの点で条
件の悪い翻訳でも文句をいわずに翻訳してくれる翻訳者がいれば便利なのはたしかな事実です。
このような事情があるので、決まった道筋らしきものを安心して歩いていると、便利屋さんとして使われる立場から抜け出せなくなりかねません。厳しい現実
をしっかりと認識したうえで、利用できる部分はうまく利用し、頂上のさらに上にいたる道を探すべきです。
師弟関係を利用するには
たとえば出版翻訳を目指している場合、編集者や出版翻訳者の知り合いもおらず、何をどうすればいいのか分からないという人が翻訳学校に行ってみようと考
えるのはそれほど的外れでもないと思います。若手の出版翻訳者のなかには、翻訳学校に通って手掛かりをつかんだ人が少なくないのですから。しかし、翻訳学
校に通ったから出版翻訳者への道が開かれたというのは、あまり正確ではないかもしれません。若手の翻訳家に聞くと、翻訳学校で師匠に出会って、出版翻訳に
取り組むようになったという場合が少なくないようです。翻訳学校は出会いの場であり、肝心なのは、師匠に出会えたことなのです。
ここで、「師匠」という言葉を使う翻訳者がいる点に注目すべきです。「先生」でも「講師」でもなく、「師匠」なのです。伝統のある世界に使われる言葉、
たとえば剣道や空手、相撲、将棋や囲碁、歌舞伎や落語などで使われる言葉です。古臭くて、翻訳に相応しいとはいえない言葉だと思えるでしょうか。たしかに
そうともいえるでしょう。ですが、翻訳の世界で徒弟制度とまではいえないにしろ、師弟関係がかなり重要な意味をもっているのもまた事実です。
師弟関係とはどういう関係なのでしょうか。師匠が弟子に教える関係に決まっているだろうと思えるかもしれませんが、そうとはかぎりません。なかには、師
匠が教えないことを原則にしている場合すらあります。たとえば将棋の世界では、師匠が教えることはまずないそうです。教えてくれない師匠がどうして必要な
のかと思われるでしょうが、師匠にはもうひとつ、重要な役割があります。それは弟子に仕事の世話をするという役割です。弟子は自分で学ぶ。あるいは弟子同
士が切磋琢磨して学ぶ。師匠は弟子の力をみきわめ、適切な仕事を世話する。そういう場合もあるのです。
出版翻訳の場合、師匠はまったく教えないわけではないでしょうが、弟子の側からみて、師匠がほんとうに役立つのは仕事の世話をしてくれるときです。つま
り、編集者を紹介し、適切な仕事をまわしてくれるときです。翻訳学校に通うのは、そういう師匠に出会うためであれば、悪くない方法かもしれません。師匠に
出会える場はそうそうあるわけではないので。
何がいいたいか、お分かりいただけるでしょうか。翻訳学校に行くのは悪くはない、しかし、翻訳学校に行けば翻訳の技術なりノウハウなりを学べると思わな
い方がいい。自分にあった適切な講師を見つけて、実力を認めてもらえるようにする。そして仕事を世話してもらえるようにする。そのために行くべきなので
す。
その際に大切なのは、一流の翻訳家を選ぶことです。一流の翻訳家ならしっかりした出版社の編集者に信頼されていて、仕事の紹介が容易にできるのが普通だ
からです。なかには講師自身が下訳程度の仕事しかできない場合もあります。翻訳の実力と翻訳教育の実力は別なので、翻訳者としての力は落ちるが、翻訳を教
えるのはうまいという講師もいるかもしれません。それでも、仕事の世話をしてくれるという意味での師匠になりにくいのは確かでしょう。
下訳という道
講師がどういう出版社でどういう本を訳しているかをしっかりと調べておくべきです。なかには、何人もの下訳者を使って、大量の本を訳している翻訳者もい
ます。そういう翻訳者に学べば、下訳の仕事をもらえる可能性が高いと思えるかもしれません。しかし、下訳の仕事をもらうのがいいことなのかどうか、じっく
り考えてみる必要があります。
翻訳者が下訳を使う理由はいくつかあります。たとえば、優秀な弟子が何人かいて、仕事の機会を与えたいからという場合もあります。ですが、それより多い
のはたぶん、そうしないと食べていけないからという場合、そして、いうならば事業として翻訳に取り組んでいる場合でしょう。出版翻訳だけで生活していくの
は、ある程度名前が知られた翻訳者ですら、簡単ではないのが普通です。そこでさまざまな工夫をするのですが、そのひとつが下訳を使って大量の訳書を生産し
ていく方法です。それが極端になると、一種の工房、プロダクションを作って、次々に訳書を生産していくようになります。昔にもそういう例はありますし、い
まもそういう例はあります。
出版翻訳者になりたい人にとって、そういう翻訳工房で仕事をするのは、翻訳を練習する機会になるという点で、役に立つ可能性がないわけではありません。
そういう工房で腕を磨き、出版翻訳者になったという翻訳者もいるからです。ですが、2つの点は覚悟しておくべきです。第1に、下訳をしている間、収入はほ
とんどないのが普通です。元訳者自身が、自分で翻訳しているだけでは食べていけないので下訳者を使っているのですから、下訳でまともな収入があるはずがあ
りません。第2に、下訳は下訳であって、翻訳ではありません。下訳をすれば翻訳家に添削をしてもらえるうえ、お小遣い程度であっても収入が入ってくると考
えている人もいるようですが、世の中そんなに甘くはありません。下訳を使った作品は、翻訳の質がかなり低いのが普通です。元訳者が手を入れても質が低いの
が普通なのです。その程度の仕事をして翻訳に慣れたと思うようになるのなら、そんな経験は積まない方がいい。質の低い仕事に慣れてはいけません。
出版翻訳者になるにはまず下訳者として経験を積まなければならないと考えている人に、ひとつの逸話を紹介しましょう。有名な話ですから、どこかで聞いた
ことがあるかもしれません。
いまから50年前、ソニーがまだ小さな企業にすぎなかったころ、トランジスター・ラジオ10万台という大きな注文を断ったという話があります。ソニーの
ブランドではなく、アメリカ企業のブランドをつけることが条件になっていたからです。10万台の注文があれば、短期的には売上が爆発的に増えて、経営が楽
になったはずです。しかしソニーは下請けにだけはなるまいと考えていたので、千載一遇ともいえる注文を断ったのです。こういう姿勢があったからこそ、ソ
ニーは後に世界的なブランドになったといいます。
出版翻訳を目指すのであれば、まずは下訳からはじめるなどとは考えず、下訳者にだけはなるまいと心に決めるほどの元気が欲しいと思います。出版翻訳者に
なろうと努力していて、はじめて仕事が見つかったとき、下訳ならお断りしますというのは勇気がいるはずです。まして、師匠が声をかけてくれたのであれば。
しかし、安易な道は選ばないと決断すれば、どのような方法があるのかと真剣に考えるようになります。真剣に考えれば、何か方法が見つかるはずです。
もちろん、ソニーが身の程知らずともいえるほど強気の姿勢をとり、何十年か経って、あれは正しい決断だったと胸をはれるのは、当時、町工場に毛が生えた
程度の規模しかなくても、トランジスターなどで世界一の技術力をもっていたからです。翻訳でも同じことがいえます。実績こそないが、この分野の翻訳なら誰
にも負けないといえる力があれば、道は開けてくるものです。そういう力がないのであれば……、翻訳のように労多くして功少ない仕事には手をださない方がい
いといえます。
自分で営業をする場合
前述のように、師匠は弟子の力をみきわめて適切な仕事を紹介する役割を担うので、そして、師匠の役割としては弟子に技術やノウハウを教えることより、仕
事の世話をすることの方が重要だといえるほどなので、よい師匠につけば、仕事の心配をする必要がなくなります。しかし、翻訳の世界は伝統芸能や武道の世界
とは違って、師匠がいなければ仕事につけないというわけではありません。師匠になりうる人は憧れ学ぶ対象であると同時に、あるいはそれ以上に、乗り越える
べき相手ですから、弟子になどならないという道を選ぶこともできます。その場合、仕事を世話してくれる人がいないわけですから、自分で仕事を探すことにな
ります。営業が必要になります。
営業というと、根性物語のようになりがちです。断られても断られても訪問し、靴を何足履きつぶして一人前という話になる。はっきりいって、こういう考え
方で翻訳の営業をしては負けです。ほとんどの場合、いい結果は生まれません。
たとえば、根性物語の典型のようになることが多い生命保険業界について考えてみると分かります。生命保険の営業というと、職場や家庭を訪問して、いやが
る相手を説得することになっています。なぜそうなるのか。理由が2つあります。第1が業界の性格です。最近は少し事情が違ってきたようですが、以前は規制
があり、業界各社が基本的に同じ商品を同じ価格で売っていた。どの会社の保険も変わらないのだから、営業の熱心さぐらいしか競争に勝つ手段がありません。
第2が商品の性格です。生命保険というのは、早死にして配偶者や子供が生活に困るようになるリスクに備えるものですから、自分の健康に自信のある人は保険
に入ろうとは考えません。病気がちで早死にするのではないかと不安になると、生命保険に入っておかなければと考えるようになります。これを保険会社の側か
らみると、生命保険を求める顧客は、早い時期に保険金を支払わなければならなくなる可能性が高いので、できれば避けたい客です。健康そのもので長生きしそ
うな顧客は、保険料を支払い続けてくれる可能性が高いので、保険に入って欲しい客ということになります。要するに、どの会社も同じ価格で同じ商品を売って
おり、しかも長生きしそうで、ほんとうは生命保険を必要としていない人に販売しなければ儲からない仕組みになっているから、営業が重要になるのです。顧客
との関係、競争相手との関係で、戦略的に弱い立場にあるから、営業が重要になるのです。
翻訳で重要なのは営業ではなく、マーケティングです。こういうと、何をいいたいのかと思われるかもしれません。マーケティングという言葉はたいてい、営
業を意味するか、広告や宣伝を意味するカタカナ語として使われているからです。ですが本来、マーケティングは営業とは違う機能を担うものです。また、広告
や宣伝はマーケティングのごく一部にすぎません。マーケティングとは、顧客との関係、競争相手との関係で、戦略的に強い立場に立つにはどうすればいいのか
を考えるものです。根性物語のような営業から脱却する方法を考えるのがマーケティングです。
企業では普通、マーケティングが成功すると、営業は楽になりますが、不要になるわけではありません。しかし翻訳者の場合、前述のように、自分1人がこな
せる量には限度があるので、顧客をそれほど増やす必要がないのが普通でしょう。したがって、マーケティングがうまくいけば、営業は不要になるはずです。
もっというなら、営業に行ってはいけない、見込み顧客に電話をかけ、訪問し、売り込むようなことをしてはいけない、根性物語型の営業をしてはいけないと
思います。戦略的に弱い立場にあるのだという印象を顧客に与えかねず、そういう印象を与えたとき、後で払拭するのは大変だからです。顧客の側から声をかけ
てくれるようにする、これがコツです。戦略的に強い立場に立てれば、そうなるはずです。
戦略的に強い立場に立つにはどうすればいいのか。たぶん、基本的な答えは1つしかありません。この分野の翻訳なら誰にも負けないといえる力をもつことで
す。これが基本です。ですから、翻訳のマーケティングでは、自分の実力をみきわめたうえで、翻訳の市場の現状をよく調べ、どのような分野に需要があり、ど
のような分野なら誰にも負けないといえる力をつけられるかを考えることが基本になります。産業翻訳の場合には市場の現状をつかむのがむずかしい場合も多い
のですが、出版翻訳なら、少なくとも、自分が目指す分野でどのような出版社からどのような本がでているのか、誰が訳し、翻訳の質はどうなのかを簡単に調べ
ることができます。まずはこうした調査と分析を行ってみるべきでしょう。
そのうえで、たしかにこの分野の翻訳なら誰にも負けないといえる力をつけることができれば、顧客の側から声をかけてくれるようにする方法を考えることが
できます。もちろん、見ず知らずの顧客の側から声をかけてくれるようにする方法を考えるのは簡単ではないかもしれません。ですが、自分の強みを最大限に活
かせる仕事が分かっていれば、そういう仕事を発注してくれそうな顧客もほぼ分かるはずです。そういう顧客に自分の力を気づいてもらうにはどうすればいいの
かを考えればいいのです
この方法は各人の強みがどこにあるかで違うはずなので、一般論としてこうすればいいということはできません。いくつか、ヒントをだしておきます。
前述のように、翻訳出版にも産業翻訳にも発注者の側が便利屋さんに任せたいと考えるような仕事があります。こういう仕事は実績のある翻訳者に依頼するわ
けにはいかないので、新人に依頼しようとすることがあります。便利屋さんを求めているのだから、安易にそういう仕事を引き受けるのは危険ですが、1回限り
の仕事として、あるいは期間を限った仕事として、自分の実力を示す機会にする方法はあります。自分の実力を示せる仕事であること、誰にも負けないといえる
分野の仕事であることが条件になりますが。
著作権が切れている本を訳す方法もあります。本を1点訳してみることは練習としても重要な意味をもちますし、訳したものを読んでもらうのが、自分の実力
を知ってもらう最善の方法になることもあります。著作権が切れていない本でも訳すことはできますが、訳文を公表することはできません。この点には十分に注
意する必要があります。
インターネットをうまく使う方法もあります。読みごたえのあるサイトやブログを作れば、顧客に注目してもらえる可能性があります。幸いというもの変です
が、翻訳者のサイトやブログのほとんどは顧客に読まれる可能性をほとんど意識していないようです。これは違うと思わせるほど質の高いサイトやブログを作る
のは、それほどむずかしくないように思えます。方法はこれだけではありません。各人が自分にあった方法を考えていくべきでしょう。
2005年8月号